新珠三千代 新珠三千代の概要

新珠三千代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 02:20 UTC 版)

あらたま みちよ
新珠 三千代
新珠三千代(1955年撮影)
本名 戸田 恭子(とだ きょうこ)
生年月日 (1930-01-15) 1930年1月15日
没年月日 (2001-03-17) 2001年3月17日(71歳没)
出生地 日本 奈良県奈良市[1]
死没地 日本 東京都港区東京慈恵会医科大学附属病院[2]
職業 女優
活動期間 1946年 - 2001年
活動内容 宝塚歌劇団演劇映画テレビドラマ
配偶者 なし
著名な家族 妹(椿千代)
小宮山重四郎(義弟<妹の夫>)
主な作品
テレビドラマ
氷点
天と地と[1]
風と雲と虹と
細うで繁盛記
虹を織る
映画
洲崎パラダイス赤信号
人間の條件[1]
私は貝になりたい[1]
女の中にいる他人
小早川家の秋
舞台
細雪
バラエティー番組
なるほど!ザ・ワールド
 
受賞
ブルーリボン賞
助演女優賞
1959年『人間の條件』、『私は貝になりたい
その他の賞

キネマ旬報賞
女優賞
1959年『人間の條件』第1部、第2部

毎日映画コンクール
女優助演賞
1961年小早川家の秋』、『南の風と波』
第16回 菊田一夫演劇賞
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略歴・人物

  • 普連土学園に入学後、13歳で宝塚音楽学校に転学。終戦を待って宝塚歌劇団に入団[1]。宝塚入団時の成績は15人中4位[4]1946年『グラナダの薔薇』で初舞台。宝塚歌劇団33期生
  • 可憐な美貌と歌唱力でトップ娘役として活躍。中でも、同じ年に初舞台を踏んだ明石照子とのコンビは絶賛された。宝塚歌劇団時代の代表作には『ハムレット』『ひめゆりの塔』『ジャワの踊り子』などがある。
  • 1951年東宝『袴だれ保輔』で映画デビュー。
  • 1955年に宝塚を退団し、日活に入社して映画女優として活躍、先輩で宝塚OGの月丘夢路と並んで看板スターになる[1]
  • 1956年、『洲崎パラダイス赤信号』(川島雄三監督)をヒットさせるが、1957年には東宝に移籍、亡くなるまで東宝所属(東宝芸能所属)だった。1959年スタートの6部作『人間の條件』では苦難を乗り越え戦場まで夫を追い求めるひたむきな妻を演じ、ブルーリボン助演女優賞を受賞。また東宝の看板映画である『社長』シリーズに数多く出演した。
  • 1966年度のキネマ旬報ベストテンで10位に入賞した『女の中にいる他人』では内に秘めた女の情念を見事に演じ切った。
  • テレビドラマでは『氷点』にて医師夫人・辻口夏枝役を演じたほか、『細うで繁盛記』での数々の困難にもめげずに伊豆・熱川の温泉旅館を切り盛りするおかみ・加代役で人気を決定づけた。『虹を織る』では、ヒロインを指導する教員(日舞担当)・上原敏江役を演じた。また、舞台での『細雪』の二女は当たり役とも評された。このように、和服が似合う清楚高潔な「伝統的な日本女性」としてのイメージを保ちながら、娘役から母親役、良妻賢母から悪女まで、幅広い役柄を演じられる器量が評価され、各方面から絶賛された。
  • また、1981年より放送された『なるほど!ザ・ワールド』には準レギュラー解答者として多く出演している。
  • 1994年12月、舞台『女たちの忠臣蔵』出演中に心臓疾患のため降板して以降、体調がすぐれず仕事も大幅に減らしていた。
  • 2001年3月17日午後8時35分、東京都港区東京慈恵会医科大学附属病院腰椎椎間板ヘルニアの手術の際に、心臓疾患から手術の影響に耐えられず心不全を起こし死去、71歳だった[2][5]。前年11月、朗読劇『ハロルドとモード』で約6年ぶりに舞台復帰を果たし、体調を整えて本格的に活動再開を行う計画を進めていた中での急死であった。
  • 実妹の椿千代(のち桂典子・本名戸田乃理子)も宝塚歌劇団39期生)出身の女優であり、舞台公演等で共演もしたが、小宮山重四郎と結婚後芸能界を引退した。実妹以外の家族・私生活について一切明かさず、生涯独身であった[1]
  • 没後、2014年に宝塚歌劇団100周年記念で創設された『宝塚歌劇の殿堂』の最初の100人のひとりとして殿堂入り。

出演作品

洲崎パラダイス赤信号』(1956年)
人間の條件』(1959-61年)
小早川家の秋』(1961年)
『斜陽のおもかげ』(1967年)

テレビドラマ

映画

宝塚歌劇団時代の舞台

1954年、「君の名は(ワルシャワの恋の物語より)」出演時の新珠
  • レインボーの歌(1948年3月2日 - 3月30日、花組、宝塚大劇場)
  • ハムレット/ブギウギ巴里(1949年1月26日 - 2月16日、花組、宝塚大劇場)
  • 想ひ出の薔薇(1949年5月11日 - 5月30日、花組、宝塚大劇場)
  • プリズム・パレード(1949年11月1日 - 11月29日、花組、宝塚大劇場)
  • 春風の接吻(1950年12月1日 - 12月28日、花・星組、宝塚大劇場
  • 文福茶釜/ラ・ヴィオレテラ(1951年2月1日 - 2月27日、花組、宝塚大劇場)
  • 花の風土記(1951年11月1日 - 11月29日、雪組、宝塚大劇場)
  • 猿飛佐助(1952年3月1日 - 3月30日、雪組、宝塚大劇場)
  • シャンソン・ド・パリ(1952年6月1日 - 6月29日、雪組、宝塚大劇場)
  • ジャワの踊り子 (プナリイ・ムラティ)(1952年10月1日 - 10月30日、雪組、宝塚大劇場)- アルヴィア
  • 蝶々さん三代記(1953年3月1日 - 3月30日、雪組、宝塚大劇場)
  • ひめゆりの塔(1953年7月1日 - 7月30日、雪組、宝塚大劇場)
  • アラゴンの角笛/われら愛す(1953年11月1日 - 11月30日、雪組、宝塚大劇場)
  • 人間萬歳(1954年1月1日 - 1月31日、雪組、宝塚大劇場)
  • 君の名は (ワルシャワの恋の物語)(1954年11月2日 - 11月29日、花組、宝塚大劇場)

ラジオドラマ

  • ワイドドラマスペシャル 昭和15年まぼろしの東京オリンピック(1980年、NHK) - 第35回芸術祭賞ドラマ部門大賞[9]

バラエティ・教養番組

CM


  1. ^ a b c d e f g h i 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.35.
  2. ^ a b “女優・新珠三千代さんが死去”. ZAKZAK. (2001年3月22日). オリジナルの2004年4月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20040416182033/http://www.zakzak.co.jp/geino/n-2001_03/g2001032211.html 2019年12月20日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i j 新珠三千代 - 略歴・フィルモグラフィー”. キネノート. キネマ旬報社. 2023年7月8日閲覧。
  4. ^ 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、41頁。ISBN 9784484146010
  5. ^ 史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2021年2月5日閲覧。
  6. ^ a b c 新珠三千代1955年”. 日活公式サイト. 日活. 2020年6月13日閲覧。
  7. ^ a b c d 新珠三千代1956年”. 日活公式サイト. 日活. 2020年6月13日閲覧。
  8. ^ 新珠三千代1957年”. 日活公式サイト. 日活. 2020年6月13日閲覧。
  9. ^ 放送ライブラリー 番組ID:R00717
  10. ^ 放送ライブラリー 番組ID:008406


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