新幹線 歴史

新幹線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/20 03:53 UTC 版)

歴史

経緯・背景

戦前における高速鉄道

日本の鉄道は明治時代の草創期にコストの面から狭軌を採用したため、その規格の低さに加えて地形的な事情から勾配や曲線が多いなどの制約を受け、欧米の鉄道のような高速運転とは無縁であった。最高速度は1910年代から1950年代まで100 km/h以下に留まっていた。

そこで標準軌改軌する提案も、明治から大正にかけて何度か出されていたが、政争や予算問題などから結局実現しなかった(日本の改軌論争も参照)。

また1910年代には、東京 - 大阪間に電車による高速新路線「日本電気鉄道」を敷設する計画が民間から出されたが、国の許可するところとならず、実現には至っていない。

日本における現実的な高速列車開発は、日本の勢力下にあった満州(現在の中国東北部)を縦断する南満州鉄道(満鉄)に始まる。同社は日本の資本と技術により運営されており、ほとんどの幹部・技術者が日本人で、実質的に日本の鉄道と言っても過言ではない。

当時の満鉄は電化以前の鉄道で蒸気機関車牽引であったが、1,435 mmの国際標準軌(日本では広軌と称した)を用いた高規格路線であり、保守的な日本内地鉄道省とは一線を画した先進的な試みを早くから行っていた。

1934年(昭和9年)、満鉄は自社設計によって当時の欧米の潮流に互した流線形蒸気機関車「パシナ形」を開発、これに新開発の流線形客車編成を組み合わせ、大連 - 新京(現・長春)間701 kmに特急「あじあ」号を運転開始した。この列車は最高速度120 km/h以上を誇り、最高95 km/hに留まる鉄道省の列車をはるかに凌駕した。所要8時間30分、表定速度は82 km/hに達した。

とはいえ、当時の欧米の鉄道はさらに上を行っていた。例えばイギリスロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)がロンドン - エディンバラ間に運転していた特急列車「フライング・スコッツマン」は、蒸気機関車牽引で最高速度160 km/h以上での営業運転を行っており、ドイツ国鉄では気動車列車「フリーゲンダー・ハンブルガー」が150 km/h 以上の高速で営業運転していた。さらにアメリカの私鉄各社には、定期運転列車を牽引して、最高速度は優に180 km/hに達する蒸気機関車さえ存在していたのである。

「あじあ」号は全客車冷暖房完備など世界の最先端を行っていた部分もあったが、120 km/h運転そのものは、当時の欧米の主要幹線での標準的な水準に達したものでしかなかった。

この技術が、日本本土の鉄道に直接生かされることはなかった。しかし満鉄関係者には鉄道技術者の島安次郎がおり、その長男の島秀雄と共に後述する「弾丸列車計画」を推し進めることになる。

なお、前述した日本電気鉄道のように、民間による大規模な都市間電車は実現しなかったが、中近距離の都市間電車に関しては、新京阪鉄道[注 7]阪神急行電鉄参宮急行電鉄阪和電気鉄道のように、アメリカのインターアーバンの技術を取り入れるなどして実現させた所もあった。これら路線の多くは、既存の鉄道線と競合する形で敷設されたものとなっており、「(既存の並行線よりも)高規格な路線において、高速運転を行うこと」がその建設目的となっていた。「新しい高規格線を敷く」という意味では、新幹線に通じる所もある。

その中でも、参宮急行電鉄が転じた関西急行鉄道は途中に伊勢中川駅での乗り換えこそあるものの、大阪名古屋という中距離の2大都市間(当時の営業キロで189.5 km)を電車で結ぶことに成功しており、また阪和電気鉄道は「あじあ」号の水準に匹敵する、表定速度81.6 km/hの「超特急」を狭軌路線で運転していた。

これらの私鉄で用いられた電車はハイレベルな仕様の車両が多く(新京阪P-6形参急2200系阪和モヨ100形など)、後述する国鉄における動力分散方式の開発にも、いくらか影響を与えている。

弾丸列車計画

1930年代に入ると、満州事変日中戦争の激化などにより、日本から中国や満州国へ向かう各種物資輸送需要の激増で、東海道山陽本線の輸送量も増大した。

このころ鉄道省内部に「鉄道幹線調査会」が設立され、主要幹線の輸送力強化についての検討が行われた。ここから抜本的な輸送力増強手段として1939年に発案されたのが「弾丸列車計画」であった。

これは、東京から下関まで在来の東海道・山陽本線とは別に広軌(1,435 mm・標準軌)の新路線を建設し、最高速度200 km/hと満鉄「あじあ」号を超える高速運転を行い、東京 - 大阪間を4時間、東京 - 下関間を9時間で結ぶことを計画したものであった。この計画は翌1940年(昭和15年)9月に承認され、建設工事が始められることになった。

すでにこの時点で、新しい幹線を敷設するということから「新幹線」や「広軌新線」という呼称を内部関係者は用いていた。「新幹線」の語はここが起源であるとされている。

また将来的には対馬海峡海底トンネルを建設して、統治下である朝鮮半島へ直通、釜山から奉天(現:瀋陽)を通り満州国首都新京(現:長春)、さらには北京昭南(現:シンガポール)に至る、という構想も一部では描かれていた。

当時の鉄道では、日本においてもまだ機関車が客車を牽引する方式が一般的であったうえ、完全電化したものの、発電所が敵国からの攻撃を受けた場合の対処について軍からクレームを受けたために、「弾丸列車」も電気機関車と蒸気機関車を併用する方式で計画された。

1941年12月の太平洋戦争勃発後も工事は続けられ、日本坂トンネル新丹那トンネルが、1942年には東山トンネルの工事が着工したが、最終的には戦況の悪化で中断した(その後再開され新幹線に利用)。しかし、そのルートの相当部分が後の東海道新幹線建設で役立てられた。特に、土地買収が戦時中の時点で半ば強制的な形で相当な区間において終わっていたことは、新幹線建設をスムーズにした。

この弾丸列車計画の技師たちが居住した地として、静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が、東海道新幹線の開業前から存在した。

動力分散化への流れ

太平洋戦争終結後数年間、鉄道をも含めて混乱の極みにあった日本も、1950年(昭和25年)の朝鮮戦争以降本格的に復興し、鉄道の都市間輸送需要も急激に伸張していった。

日本軍の研究部門や軍需企業、旧南満洲鉄道に所属し、戦後その職を失ったり技術を持て余していた優秀な人材を、昭和20年代の国鉄が多数獲得したことは見逃せない事実である。高速走行中の車両の振動や、空力特性の研究は、旧軍出身技術者の存在によって大きく進展した。

1955年(昭和30年)に国鉄総裁に就任した十河信二は、国鉄出身の卓越した技術者であるが一時民間にあった島秀雄を再度招聘し、国鉄技師長に就任させた。彼らを中心とする人々が、その後新幹線計画を推進することになる。

地盤が悪く山がちな日本において列車を高速運転するには、機関車が客車を牽引する「動力集中方式」よりも、電車気動車のように編成の各車両に動力を持たせる「動力分散方式」の方が適している。カーブや勾配の多い条件でも加減速能力に優れ、また線路への負担が小さいため、脆弱な地盤に敷かれた線路でも高速を出せるからである。当時は蒸気機関車主流の時代であり、また国際的に見ても主流であることから、国鉄部内でも動力集中式に固執する者が多かったが、島秀雄は例外的に戦前から動力分散方式の特性を理解し、研究していた。

島は1951年(昭和26年)に事情によって国鉄を離れていたが、彼の指揮の下で1950年(昭和25年)に開発された東海道線普通列車用の80系電車は、短距離向けと見られていた電車が、長距離運転にも優れた特性を発揮するという事実を実証し、その後国鉄の在来線に電車・気動車の普及を進める原動力となった。島の復帰以降、国鉄の動力分散化の流れはさらに加速する。

1950年代の高性能電車の出現

日本では1953年(昭和28年)以降、欧米からの新技術移入や国内メーカーの技術開発に伴い、電車の高性能化の動きが始まった。

この過程で、振動を抑制し、乗り心地改善と高速運転に資する「カルダン駆動方式」と高速対応の新型台車、床面シャーシだけでなく側板や天井にも応力を分散させた「全金属製軽量車体」、全車両にモーターを搭載して加速力を高める「全電動車方式」、反応速度が速い上に取り扱いが容易な「電磁直通ブレーキ機構」、制御装置1台を2両の電動車で共用して軽量化やコストダウンを実現する「1C8M方式(MM'ユニット方式)」など、それ以前の電車とは一線を画する重要な革新的技術が、1953年(昭和28年)からわずか数年の間に実用化された。

この結果、高速性能・加減速性能に優れ、しかも居住性の良い高性能電車が、1954年(昭和29年)以降大手私鉄を中心に続々と出現して、大きな技術的成功を収めた。国鉄もこの潮流に乗って高性能電車の開発に取り組み、1957年(昭和32年)に新型通勤電車モハ90系(後の101系)を完成させる。

同年に小田急電鉄が完成させた低重心・連接構造の流線型特急電車3000形「SE車」は、鉄道技術研究所の技術指導を受けて設計された[37]車両で、最高速度145 km/hを目指した野心作であった。しかし、曲線の多い小田急の路線ではその高速性能は十分に発揮できなかった[38]ため、小田急から国鉄に対して、試験で収集されたデータを小田急と国鉄の双方で利用することを条件として[38]、軌道条件の優れている国鉄の路線上での走行試験について申し入れがあった[39]

国鉄はこの申し入れに対して快諾[40]、小田急からSE車を借り入れ、1957年(昭和32年)9月に東海道本線で速度試験を行った。結果SE車は計画通りの145 km/hに到達し[41]、当時の狭軌鉄道における世界速度記録を達成した。続いて国鉄はモハ90系通勤電車をギア比変更などで高速化改造、空気抵抗の面で不利な形態ながら135 km/hの好記録を達成した。

これらの実績を踏まえて、1958年(昭和33年)にはモハ90系の技術を応用し、東海道本線特急「こだま号」用に国鉄初の特急形電車モハ20系(後の151系)が開発された。流線型の軽量・低重心な車体は冷暖房完備で、空気ばね台車も装備し、スピードと快適な乗り心地を両立させて、動力集中方式の客車列車を完全に凌駕した。翌1959年7月には、東海道本線での速度試験で通常編成(4M4Tの8両編成)からデッドウェイトとなる付随車2両を抜いた6両編成で最高速度163 km/hに達し、小田急SE車の速度記録を更新した。

これらの電車における顕著な成績は、動力分散方式の資質を実証し、ひいては新幹線車両に電車を用いることへの強力な裏付けとなった。

1955年(昭和30年)から国鉄は交流電化方式の実用化に独自に取り組む。同年国鉄代表団はフランスパリで、狭軌用交流機関車を買いつける算段をするが、日本側は技術研究のための5両程度の買い付け意欲しかみせず、交渉は決裂[42]。日本では同年中に独自開発による商用周波数の単相交流(20 kV 50 Hz)を使用する電気機関車2両(ED44 1日立製作所製)・ED45 1三菱電機新三菱重工業製))の試作に成功する。

これらの試作車による研究成果を受けて、国鉄は1957年の北陸本線を皮切りに、地方線区での交流電化を開始した。これ自体は従来の直流電化に比べ、変電所間隔を長くできることから地上設備コストが低いと考えられたことによるものであったが、後に新幹線の電化システムに応用されることになる。超高速の電気鉄道においては大量の電力消費が生じ、これに伴って架線から効率よく集電するには、従来から用いられて来た1,500 Vの直流電源より、大電力を長距離送電できる高圧交流電源を用いる方が適していたのである(日本の鉄道の交流電化方式は在来線20 kV、新幹線25 kVで、電圧だけでも直流電化路線の10倍以上のレベルである)。

幹線調査会と鉄道技術研究所の活動と建設計画承認

戦後の復興と共に鉄道および道路輸送の需要が増大すると、当時の日本における最重要幹線であった東海道本線の貨客輸送能力は、ほぼ限界に達していた。1956年に東海道本線の全線電化が完成するが、需要の増加には焼け石に水であった。

1957年(昭和32年)、国鉄内部の「幹線調査会」は、東海道本線の輸送力飽和は早晩必至とし、現在線以外の線路増設が必要であると答申した。実際の手法としてさまざまな案が出されたが、基本的に以下の3案のいずれかが選択されることになった。

  1. 現在線に沿って線路を増設、複々線とする。
  2. 別ルートで狭軌新線を建設する。
  3. 別ルートで広軌新線を建設する。

東海道の線増計画は、従来の常道であれば複々線案が採られたところであった。しかし、十河ら国鉄幹部は将来の発展性を視野に入れ、あえて困難の多い広軌新線建設を決定したのである。それは戦前の弾丸列車計画を、戦後の技術革新の下で、改めて実現しようとする超高速列車計画であった。

同年5月30日には鉄道技術研究所(現:鉄道総合技術研究所)の篠原武司所長らが、鉄道技術研究所創立50周年記念講演「東京 - 大阪間3時間への可能性」で、広軌新線ならば東京 - 大阪間の3時間運転は技術的に可能であるという報告を行った。十河はその話を聞くや強い関心を示し、国鉄幹部を集めて技術研究所員に詳細を話させたという。

当時欧米では、将来の大量輸送手段として航空機高速道路網による高速輸送が有望視され、鉄道はそれらに取って代わられる時代遅れのものだという見解が広まっていた。日本でもこれを範としようとする向きが一般的であり、在来線とは別規格の高速新線を建設するという計画は、国鉄内部でさえも疑問視する者が多かった。

鉄道ファンでもある作家の阿川弘之ですら、戦艦大和大和型戦艦)・万里の長城ピラミッドが「世界三大馬鹿」であり、この時期に莫大な投資をして新幹線を造れば「第2の戦艦大和」となって世界の物笑いの種になると批判した[43](後に阿川は新幹線が世界の鉄道斜陽論を覆すに至るまでの成功を収めたのを見て、十河の後を継いで国鉄総裁を務めた石田禮助との対談において、自らの不明を悔やむ発言をしている)。

そのような厳しい状況下で、十河と島は東海道に新たな大規模高速輸送用の鉄道路線(新幹線)を実現すべく政治的活動(十河が担当)と、技術的プロジェクト(島らが担当)を続けた。

技術的裏付けの下、1958年(昭和33年)に建設計画が承認され、翌1959年(昭和34年)4月20日に起工式が行われた。総工費は当初予定から修正され、3800億円にまで膨らんだ。元々十河などが国会内での承認を得るために安く見積もっていたこと、地価高騰のあおり、さらには新幹線建設に集中するために地方路線建設の陳情を蹴り国会議員の不興を買っていたこともあって、後には国会で責任問題に発展した。新幹線開業前に責任を取る形で十河は国鉄総裁を退任し、島も十河に殉じて国鉄を退職する。

1961年(昭和36年)5月1日に国鉄はこのプロジェクトに対し、世界銀行から8000万ドル(当時は1ドル=360円の固定相場制)の融資を受けた(この融資は1981年〈昭和56年〉に返済が完了した)。この融資を受けたことで、新幹線プロジェクトは日本の国家的プロジェクトとなり、国内事情によって中断することは許されなくなった。

その建設に関しては前述の通り、戦前の「弾丸列車計画」の際に開削されたトンネルや、買収された用地の多くが活用された。5年という短期間で完成したのは、この時の用地買収および工事があったからだともいわれている。また大阪府京都府内では、完成した新幹線の線路を高架工事中の仮線として用いて、暫定的に阪急京都本線の電車を走らせていたこともあった(→新幹線の線路を先に走った阪急電車)。

モデル線鴨宮基地整備

1962年(昭和37年)には神奈川県綾瀬付近 - 小田原付近の区間がモデル線として先行整備され、小田原市鴨宮(かものみや)に鴨宮基地とそれを統括するモデル線管理区が置かれた。小田原 - 綾瀬間が試験路線に選ばれた理由は以下の通りである。

  1. 戦前の弾丸列車構想に際してすでに用地を取得しており、早い時期に着工する事が可能である。
  2. 直線・カーブ・トンネル・鉄橋と、線形や地上設備のシチュエーションが一通り揃っており、データ収集が容易である。
  3. 鴨宮付近では東海道本線と隣接しており、車両・資材などの搬入に便利である。
  4. 国立にある鉄道技術研究所からも近く、問題が発生した時も対処が容易である。

ここで2編成の試作電車「1000形」を用いて車両と設備のテストを繰り返し、問題点をあぶり出しては改良を重ねていった[44][45]1963年(昭和38年)3月30日の速度向上試験では、1000形B編成が256 km/hの国内速度記録を達成している。モデル線での研究は、初代量産形新幹線電車となる0系や、線路設備の開発に生かされることになった。また、ここに中央鉄道学園小田原分所を設けて、新幹線のための乗務員と保線要員の養成も同時に行った。

しかし、このモデル線には欠点があった。相模湾に近く、冬でも比較的温暖な鴨宮では、降雪時の高速運転を想定した試験データは十分に得られなかったのである。東海道新幹線の名古屋 - 新大阪間経路は、当初計画した鈴鹿山脈経由ルートが費用や技術・工期の制約から断念され、東海道本線同様に関ヶ原を経由するルートに変更されていた。関ヶ原周辺は谷間で標高も高く、さらに日本海側気候の影響で冬期には激しい降雪のある地域でもある。このような区間を冬期に高速列車で通過する状況の研究が、開業前には十分に行えなかった。このことは、1964年(昭和39年)の開業後初めての冬期に関ヶ原での着雪による車両故障を頻発させる原因となった。

このモデル線区は、設備が無駄にならないよう、建設中の路線の一部を先行完成させて利用する手法が採られ、東海道新幹線開業後は新横浜 - 小田原間の一部に組み込まれている。この手法は後続の東北新幹線の小山実験線や、リニア山梨実験線にも踏襲されている。小山実験線には実際に駅施設も設けられ、後に小山駅となった。現在、鴨宮基地のあった場所は保線車輌の基地となっており、その一角には新幹線モデル線を示すモニュメントが設置されている。2009年(平成21年)5月には市民の手によって、0系新幹線の前頭部をモチーフとした「新幹線発祥の地」のモニュメントが建てられた。

またテストに使われた試作電車は、東海道新幹線開業後に改造を受けた。A編成は救援車941形に、B編成は電気軌道総合試験車922-0形となり、それぞれ役立てられることになる。941形はまったく活躍することなく廃車となったが、922-0はその後0系を元とした「ドクターイエロー」が登場するまで生き永らえた。

新幹線開業

旅客用時刻表に付属した、1964年10月1日より有効の英語版国鉄路線図。東海道新幹線が赤色の線で示されている
1964年10月1日に開業した東海道新幹線が示されている英語の国鉄旅客時刻表
青とクリーム色のカラーリングの初代0系

日本国有鉄道(国鉄)時代の1964年昭和39年)10月1日に開業した東海道新幹線が初の路線である[46][47]。開業に先立ち、東京駅の東海道新幹線8、9番ホームの間に「0キロメートル」の起点標(距離標)が設置された。開業を1964年にしたのは、1964年の東京オリンピックの開催時期に合わせたからである。

併せて専用の0系が開発され、営業に投入された(→1964年10月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。なお、開通に先立つ同年4月22日からアメリカニューヨーク市で開催されたニューヨーク万国博覧会の日本館に実物大モックアップが展示され、日本の技術力を誇示した。

10月1日の東京発の一番列車(ひかり1号、運転士・山本幸一、伊月正司の2名)は定員987名のところ乗客は730名ほどであり満席ではなかった。

開業当初の営業最高速度は200km/h(東京 - 新大阪間「ひかり」4時間[48][49]、「こだま」5時間[49])。路盤の安定を待って翌年に210km/h運転(同「ひかり」3時間10分[50]、「こだま」4時間[50])を開始した(→1965年10月1日・11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。

日本の二大都市である東京 - 大阪間は、1958年(昭和33年)から在来線の特急で日帰り可能になっていたものの、滞在時間がわずか2時間あまりしか取れなかった。しかし新幹線の開通により、日帰りでも滞在時間を充分取れるようになり、社会構造に著しい変化を及ぼした。ビジネスレジャーの新しい需要を喚起し、東海道新幹線においては当初の12両編成が、1970年(昭和45年)の大阪万博の開幕を機に16両編成まで拡大され、高速大量輸送機関としての確固たる地位を確立した。

その一方で、新幹線の建設や特急・急行列車の増発、さらには都市部における通勤輸送増強(通勤五方面作戦など)などの設備投資に追われたことから、新幹線の開業した1964年(昭和39年)度から国鉄収支は赤字に転落し、以後それは拡大する一方となり、結果的に新幹線建設は国鉄破綻の1つの原因となったと言われる。これに対し、JR東海葛西敬之会長は著書の中で「東海道新幹線はあくまで内部留保された資金と借金で建設資金をまかない、それらを運賃・料金収入のみですべて回収したものであり、新幹線建設が国鉄破綻の引き金を引いたという認識は誤りだ」と指摘している。いずれにせよ、以後の国鉄において、新幹線は重要な収入源ともなっていく。

その後、東海道新幹線に続いて、同じように需要の増加していた山陽本線の抜本的輸送力改善と高速化を目的として、1967年(昭和42年)に東海道新幹線を延伸する形で山陽新幹線が着工され、1972年(昭和47年)3月15日に岡山まで、1975年(昭和50年)3月10日には博多まで開業した(→1972年3月15日国鉄ダイヤ改正1975年3月10日国鉄ダイヤ改正も参照)。「ひかりは西へ」がそのキャッチコピーであった。

さらに東北方面への延伸も計画された。1971年(昭和46年)には東北新幹線上越新幹線が着工され、キャッチコピーには「ひかりは北へ」が使用された(実際の開業にあたっては、「やまびこ」「あおば」「とき」「あさひ」等、東北・上越在来線特急のかつての名称を継承している)。1974年(昭和49年)には建設中の成田空港へのアクセス路線として成田新幹線も工事に入った。折しも田中角栄内閣総理大臣によって、国土開発を促進する「日本列島改造論」が提唱され、整備は順調に進むかに見えた。

だが、実際には反対運動による用地買収の難航やトンネル工事での異常出水などがあり、前者2つの新幹線は予定より工事が5年も遅れ、成田新幹線に至っては工事中止となってしまった(ただし、後にJR東日本と京成電鉄の成田空港乗り入れの際にこの新幹線建設で作られた設備が生かされることになる)。また、名古屋新幹線訴訟など、新幹線沿線での騒音振動による公害問題がこの頃深刻化した。さらに国鉄財政の悪化に伴う運賃・料金値上げの繰り返し、労働紛争によるストライキの頻発化などから、既存新幹線の乗客が減少傾向に陥った。そして経営問題と労働紛争の影響から技術革新も見られなくなり、新幹線の発展・発達は一時停滞した。

東北新幹線と上越新幹線は1982年(昭和57年)に大宮発着という暫定的な形で開業し(→1982年11月15日国鉄ダイヤ改正新幹線リレー号も参照)、1985年(昭和60年)には用地買収の関係で遅れていた都心(上野)乗り入れを果たした(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正も参照)。これにより東北・上越地方における鉄道シェアは大幅に拡大した。だが、それら新幹線の建設費負担も重なって、国鉄財政はついに破局的状態となり、中曽根内閣の下で断行された1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に至るのである。

JR発足後

国鉄の分割・民営化、つまりJR発足後、東北・上越新幹線はJR東日本、東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線はJR西日本の運営とされたが、当初設備は第3種鉄道事業者の「新幹線保有機構」が保有し、各会社が第2種鉄道事業者として路線を借り受けて運営する形とした。新幹線の保守費用は各社が負担し、新幹線保有機構は設備の貸し代だけを受け取るもので、利益の出る新幹線事業によって赤字となる他地域JR会社への補填を行うのが目的であった。

しかし、前記JR3社の経営が安定化して、東京証券取引所などへの上場が視野に入ると、輸送量に応じて貸し賃が変わるこの制度のままでは会社の営業努力が反映されないことや、各社の資産・債務の額が確定できないことなどが問題視され、結局1991年(平成3年)に制度を変更し、各鉄道会社が新幹線資産を新幹線保有機構を改編した鉄道整備基金から60年賦で買い取ることにした。

分割・民営化後、技術・営業面で停滞していた新幹線も新型車両の登場、新形態など積極的な流れが見られるようになった。

後者の代表として、JR東日本は新幹線規格(フル規格)の線路を新規に建設することなく、既存の在来線を改良し、専用の車両を新造したうえで、新幹線と在来線が直通運転できるようにしたミニ新幹線を整備した。

1992年(平成4年)に400系を新造し、山形新幹線として奥羽本線福島駅 - 山形駅が、1997年(平成9年)にE3系を新造し、秋田新幹線として田沢湖線・奥羽本線の盛岡駅 - 秋田駅が、1999年(平成11年)にE3系1000番台を増備し、山形新幹線の延伸として奥羽本線の山形駅 - 新庄駅が、それぞれ順次営業運転を開始した。

JR西日本は山陽新幹線博多総合車両所への車庫線を旅客線化し、1990年(平成2年)に博多南線として博多駅 - 博多南駅を、こだま号に使用される車両を用いる在来線特急という形態で営業運転を開始した。

また最高速度は210 km/hの時代が長く続いたが、国鉄末期頃(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正1986年11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)から次第に向上されるようになり、21世紀初頭では東海道新幹線で270 km/h、山陽新幹線区間で300 km/h、東北新幹線区間で320 km/hに至っている。また時速アップ以外にも、停車駅での停車時間の短縮や、停車駅間の速度をできるだけ高速度で維持するなどして、わずかな分単位ながら、主要駅間の時間短縮を図る工夫もされている。

国鉄末期に建設が凍結されていた整備新幹線は工事が再開され、東北新幹線(2002年に八戸まで、2010年に新青森まで延伸)と九州新幹線鹿児島ルート(2004年に鹿児島中央 - 新八代間、2011年に新八代 - 博多間が開業)は既に全線開業、北陸新幹線(1997年に「長野新幹線」として長野まで開業、2015年に金沢まで延伸)と北海道新幹線(2016年に新函館北斗まで開業)が部分開業し、残った区間も工事が次第に進みつつある。

また20世紀末以降、新幹線による通勤通学が増加しつつある(「新幹線通勤」も参照)。これは、いわゆるバブル以降の大都市における地価の高騰で、新幹線で通勤・通学が可能な郊外(主に東京への通勤・通学を目的に栃木県群馬県静岡県東部が多い)の住宅に住む人が増えたためである。1983年(昭和58年)2月の新幹線定期乗車券販売開始をきっかけに、新幹線通勤定期券を支給する企業の増加、さらに企業が支給する通勤定期券代の所得税非課税限度額の引き上げがそれに輪をかけた。朝・夕の新幹線においては通勤客で混雑が激しくなり、通勤客向けのダイヤも設定されるようになった。これに対応してJR東日本ではMaxという多座席型の2階建車両を投入し、1列車あたりの定員を大幅に増やした。首都圏以外でも、山陽新幹線の小倉 - 博多間などで通勤・通学に新幹線を利用している者は多い。


営業中の路線

  1. ^ 北海道新幹線の新中小国信号場 - 木古内駅間(82.0 km)は海峡線と共用。
  2. ^ 山陽新幹線については、乗車券の有効期間の計算に使う岩徳線経由の営業キロでは618.5 km、運賃・料金計算に使われる同線経由の運賃計算キロは622.3 km。
  3. ^ 整備新幹線としては九州新幹線(鹿児島ルート)と称されていたが、開業後は単に「九州新幹線」として営業しており、時刻表や駅などに「鹿児島ルート」とは表記されない。
  4. ^ 整備新幹線としては九州新幹線(西九州ルート)や九州新幹線(長崎ルート)と称されていたが、開業後は「西九州新幹線」として営業しており、時刻表や駅などに「西九州ルート」や「長崎ルート」とは表記されない。

計画路線

  1. ^ 上越線支線は保守用の引き込み線を旅客線化したもの。通称・ガーラ湯沢支線。時刻表には運行上の形態にあわせ「上越新幹線」で掲載されており、「上越線」では掲載されていない。
  2. ^ 博多南線は車両基地博多総合車両所)への回送線を旅客線化したもので、路線の大半が九州新幹線鹿児島ルートとの共用。全列車が、JRでは唯一列車愛称がない特急列車。

未成線

  1. ^ 中小国駅 - 新中小国信号場 (2.3 km)は東日本旅客鉄道(JR東日本)津軽線との重複区間である。
  1. ^ 設計最高速度505 km/hの超電導磁気浮上式鉄道リニアモーターカー)。一部は山梨リニア実験線を転用予定。

注釈

  1. ^ ただし山形新幹線の施設の一部は山形ジェイアール直行特急保有が所有していた。
  2. ^ a b 1997年(平成9年)10月1日の開業当初は東京駅 - 長野駅間の開業であり北陸には到達していなかったため、駅や時刻表などでの案内上は「長野行新幹線」、のちに「長野新幹線」の呼称が用いられた。2015年(平成27年)3月14日に金沢駅まで延伸されたため、案内上も正式名称の「北陸新幹線」となった。
  3. ^ 軌道回路には1000Hzの高周波を搬送波として流している、地上装置は開業当初のものである。
  4. ^ 三相交流式の電源系統から単純に2線を引き出して単相の大電力を利用すると、三相交流側に不平衡な電圧が生じ逆相電流によって過熱などの障害が発生する危険性がある。
  5. ^ 『新宿駅線群の下を抜く 地下鉄10号線シールド』「トンネルと地下」1978年3月号には都営新宿線京王新線の建設にあたり、「国鉄横断部分(延長125m)については、新幹線新宿乗り入れなどの将来構想を考慮して32/1,000の急勾配で下り、貨物線の下に至る」と記載されている。また、1976年(昭和51年)12月に行われた国鉄の第27回停車場技術講演会で発表された『新宿駅将来計画』には山手貨物線下の地下3階に3面6線の平面図が掲載されている。
  6. ^ 一部の「みどり」「ハウステンボス」も「リレーかもめ」として運行される。
  7. ^ 新京阪鉄道は、最終的な目標として名古屋までの延伸も視野に入れて建設され、名阪間を最高速度120 km/h、所要時間2時間で結ぶ構想も持っていたが、疑獄事件や不況などの影響もあって名古屋延伸構想は挫折した(名古屋急行電鉄の記事も参照)。
  8. ^ 過去、実際に東海道新幹線の車内において、1993年には覚醒剤中毒者が刃物で別の乗客を殺害した事件が、2015年には乗客が車内に持ち込んだガソリンによって焼身自殺を図るという東海道新幹線火災事件が、2018年には鉈を持った乗客が別の乗客ら3人を切りつけ、1人が死亡する事件が、それぞれ生じている。他にも、1967年には高校生によって「ひかり21号」の一等車座席下に爆弾が仕掛けられる事件が起きたが、この時は爆弾は車掌によって発見されたため事件は未遂に終わっている。
  9. ^ 前年に西ドイツ国鉄がアウクスブルク - ミュンヘン間で200 km/h運転を行ったが、短期間で中止しており、長期間にわたって行なわれたものとしては「ル・キャピトール」がヨーロッパ初である。
  10. ^ 現在九州新幹線に使用されている800番台の形式番号は、元々は貨物用新幹線車両の形式に予定されていたものである。
  11. ^ 雪害対策等で軸重が増加したことから、貨物輸送の有無での建設費用の差を考慮する程ではなくなったこともある。
  12. ^ かつて農作物を消費地へ迅速に輸送する手段として、農道離着陸場を利用した小口の航空輸送事業が行われたが採算が合わずに終了している。
  13. ^ ただし、1974年 - 1982年に行われた東海道新幹線の総点検および若返り工事に伴う半日運休日の午前中や、1975年のスト権ストで国鉄が全面運休に追い込まれた日には、名阪甲特急が4 - 6両に増結されて運転されたこともあった。
  14. ^ ただし、東京メトロ千代田線に直通する特急列車は東京駅に隣接する大手町駅に停車する。
  15. ^ この性質を指摘した例…BizStyle 〜ビジネスマンの高速バス活用術〜琴平バス比較広告。「夜間に移動するため、現地で早朝から遅い時間まで行動できる」と言う点で新幹線や飛行機に対する優位性が示されている。
  16. ^ この様式の駅名標は、東海道新幹線50周年記念で発行された各書籍の開業当時の駅構内の写真や1960年代中頃から1970年代中頃にかけて発行されていた鉄道雑誌の一部の頁で確認することが可能である。
  17. ^ 特に埼京線では、平行する東北新幹線よりも騒音が大きいと苦情が多数寄せられ、開業からわずか5年で新型車両(205系)に入れ替えなければならない事態となった。なお、新幹線側は当初から走っている200系が20年以上経った2013年まで同区間を走行していた。
  18. ^ 初期の0系時代にはパンタグラフの摺動音と電気火花による音もした。
  19. ^ ただし、車両基地と最寄り駅間の短距離区間については、この前後の時間に運行されることがある。例えば、2011年3月12日改正(九州新幹線全線開業)時の東海道・山陽・九州新幹線では、5時42分に熊本総合車両所を発車する回送が最も早く、0時18分に博多総合車両所及び熊本総合車両所に到着する回送が最も遅くなる[130]

出典

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