新嘗祭 語源

新嘗祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 07:29 UTC 版)

語源

「新嘗」(にいなめ)の語源については、諸説ある。 古語では「ニフナミ」「ニヒナメ」「ニヒナヘ」「ニヒナヒ」「ニハナミ」「ニハナヒ」「ニヘナミ」など、さまざまな呼ばれ方をしていた[20]

「ニヒノアヘ」「ニヒアヘ」の約語という説

本居宣長は『古事記伝』において、「ニヒナヘ」は「ニヒノアヘ」(=「にひあへ」)の約語で、「ニヘ」は「ニヒアヘ」(=「新饗にひあへ」)の約言である、と唱え、この説が長らく主流であった[21]

「ニヒ」(「贄(ニヘ)」の派生語)+「ナフ」(補助動詞)の名詞形という説

西宮一民は本居説に対して、「ニヒナヘ」=「新之饗」で「ニヘ」と等しく、「ニヘ」が「ニヒアヘ」(=「新饗」)の約語ならば、「之」の有無で「ニヒナヘ」と「ニヘ」という二つの語形が生じたことになるが、「ニヒアへ」の約は「ニハヘ」であり「ニハヘ」は「ニヘ」とはなりえない、と論じた。その上で、古典の中から

  • 新粟(わせ)の新嘗(にひなへ) …『常陸国風土記』筑波郡
  • 早稲(わせ)を尓倍(にへ)す …『万葉集』3386

より、「ニヒナヘ」「ニヘ」は同じ意に用いられていることがわかる。これらは全て「贄」(にへ)に派生する単語であり、「ナフ」という派生語尾[注釈 18] がつくことによって「ニハナヒ」(四段活用動詞「ニハナフ」《「神や天皇に供薦する」の意》の連用形)、「ニヒナヘ」(下二段活用動詞「ニヒナフ」《「神や天皇がその供薦を受ける」の意》の連用形)の区別がついた、と論じた[22]

さらに、古代中国では稲の祭りを「嘗祭」といったことから、これを当て字にして「嘗」(ニヒナヘ)となったとされる。やがて、「新穀=初もの」という連想から「新」の字が冠せられ、さらに「嘗」の訓読みである「ナメ」に引きずられて「ニヒナ」(新穀を嘗める[注釈 19])に転じた[23]

「ニヒ」(「贄(ニヘ)」の派生語)」+「ナミ」(「の忌み」の約語)という説

折口信夫は、「ニハナヒ」「ニフナミ」「ニヒナメ」「ニヘナミ」の四つの語の「ニヘ」「ニハ」「ニフ」は、「贄」と同語根としている。さらに、新嘗祭を「五穀が成熟した後の、贄として神に奉る時の、物忌み・精進の生活である」として、「の忌み」が短縮されて「ナミ」となったとしている[24]

「ニフ」(産屋を意味する)+「ナミ」(「の忌み」の約語)という説

工藤隆は、一漢字一ヤマト語表記で読みを伝えているのは『日本書紀』「雄略天皇紀」の「爾比那閉ニヒナヘ」と『万葉集』巻14「東歌」の「爾布奈未ニフナミ」だけであることを挙げ、中央の「ニヒナヘ」よりも東方の「ニフナミ」の方が古形を伝えている可能性がある、とした[25]。その上で、「中部以東の日本の広い地域で『稲積』を『ニホ・ニュウ』に近い名称で呼んでいる」「ニフ・ニュウなどが産屋を意味する」[26] ことや、マレー半島の収穫儀礼において「稲魂の誕生」が人間の出産になぞらえられている[27]ことを踏まえて、「ニフ(産屋)の忌み」が「ニフナミ」に変化したという説を述べた[28]


注釈

  1. ^ 万葉集の東歌に「誰れぞこの屋の戸押(お)そぶる新嘗(にふなみ)に我が背を遣りて斎(いは)ふこの戸を」(巻14-3460)という歌が見える。
  2. ^ 『古事記』上巻、『日本書紀』神代第七段本文、神代第九段本文、神代第九段第三の一書
  3. ^ 工藤隆は、日本列島の民俗儀礼において稲魂には女性性や生殖性の観念が付随していたとして、その具体的な事例として奥能登(石川県北部)のアエノコトという風習を例に挙げている[3]
  4. ^ 「嘗」は「にひなへする」以外に「たてまつる」「なむ」と訓読することもできる。
  5. ^ 肥後和男は、この物語は新嘗の歴史にとってきわめて重要な伝承で、清浄にして神聖な材料を供物に用いることや、旧暦の十月一日が新穀のできる時期であることから新嘗にふさわしい時期であることなど、古代における新嘗祭のやりかたを伝えている、と述べた[4]。また、真弓常忠はこの記述について「少なくとも大嘗祭の原像を伺う資とすることができる」と述べ、また、ここでは天照大神の御名は見えず、天皇は高皇産霊尊を祀っていることを指摘し、天照大神という人格神が形成される以前の段階を現わしているという説を述べている[5]
  6. ^ 神代(記紀神話)を除く。
  7. ^ 飛鳥浄御原令あるいは大宝律令において明文化されたと考えられている。
  8. ^ 養老令』(757年)の「神祇令」仲冬条には「上卯(かみのう)に相嘗祭(あいんべのまつり)、寅日に鎮魂祭、下卯(しものう)に大嘗祭(おおんべのまつり)」とある。また、それ以前の記録では『日本書紀』に、新嘗祭を舒明天皇11年(639年)「乙」の日に、皇極天皇元年(642年)「丁」の日にそれぞれ行ったことが書かれている。これらの記事は新嘗祭を「卯」の日に行うという慣例が、律令以前にすでに出来上がっていたことを示すものであると考えられる[12]
  9. ^ 真弓常忠は「陰暦十一月の二の卯の日は冬至の前後にあたり、持統天皇の大嘗祭が冬至であったことによって判るように、元来は冬至の日に行うのが本旨であろう」と推測している。
  10. ^ 新嘗祭は明治6年以降新暦を採用し続けているが、同時に一旦は新暦を採用した神嘗祭が、イネの生育の問題から明治12年(1879年)以降は月遅れを採用して新暦10月17日に行われるようになったため、神嘗祭と新嘗祭の間隔は約1ヶ月縮まっている。
  11. ^ 昭和23年(1948年)7月20日公布。
  12. ^ ただし改暦以降も、大嘗祭は(新暦)11月の二回目の卯の日に行われたために、大正・昭和の大嘗祭が行われた大正4年(1915年)と昭和3年(1928年)は11月23日は休日とはならなかった。
  13. ^ a b 『神祇令』(701年)には「大嘗は、世毎に一年、国司事を行え。以外は年毎に所司事を行え」とあるので、『神祇令』の段階では即位の時の大嘗祭と年中行事としての新嘗祭を、どちらも大嘗祭と呼んでいたことがわかる[14]
  14. ^ 14世紀後半に成立。
  15. ^ 珍なふ(うずなう)は(神が)承諾する、の意味。
  16. ^ 稲作の起源について、記紀神話においては、ニニギノミコトが天上界から地上に降りる(天孫降臨)に際し、天照大神がこれに稲穂を授けたことを起源とする(斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅)。
  17. ^ 宮中祭祀に近侍した星野輝興掌典は「新嘗祭における神々への御礼は、奉幣を以て行われてあるのでありますから、新嘗祭即ち宮中神嘉殿に於ける新嘗祭は、御礼を主としたものでは無いということができると存じます」「陛下の召上り給う時の御模様は、(中略)皇孫御降臨の節、皇祖よりお授けになった斎庭の稲穂をお受け遊ばすものと解し奉る外ないように拝されます」と述べている[18]
  18. ^ 現代語に残存するところでは「オコナフ」(行う)・「アキナフ」(商う)・「ウベナフ」(諾う)の「ナフ」であり、これを語尾につけて「贄」を動詞化したもの。
  19. ^ ここでの「嘗める」は、「試みる」の意。
  20. ^ 「行立」は生きつつ立ち、立ちつつ行くの意。
  21. ^ 神霊の動座に際し、「オーシー」と唱えること。
  22. ^ 宮中祭祀に近侍した星野輝興掌典によると「陛下が新穀を聞食されるに当たって、(中略)いよいよ召上がるに当り、サバ(散飯)をサバの神へ奉られる」といい、「サバ」は、散飯、生飯、左波、三把、最把、最花などと表記するが、もとは梵語である。インドでは餓鬼に中国では鬼神に施すためとされた。わが国でもむかしから陛下も散飯(サバ)をとられることが『侍中要群』『江家次第』『禁秘御抄』『建武年中行事』等にも散見できる」[18]という。

出典

  1. ^ a b 真弓常忠 (2019), p. 40.
  2. ^ a b 西角井正慶 (1958), p. 584.
  3. ^ 工藤隆 (2017), p. 112.
  4. ^ 肥後和男 (1955), pp. 12–13.
  5. ^ 真弓常忠 (2019), p. 144.
  6. ^ 工藤隆 (2017), p. 47、104.
  7. ^ 松前健 (2003), p. 78.
  8. ^ 工藤隆 (2017), p. 17.
  9. ^ a b 入江相政『宮中歳時記』
  10. ^ “知っておきたい「新嘗祭」貴重映像で解説”. 日テレNEWS24. 日本テレビ放送網. (2017年11月22日). https://news.ntv.co.jp/category/society/378590 2019年12月9日閲覧。 
  11. ^ a b c 『神社のいろは』扶桑社
  12. ^ 工藤隆 (2017), pp. 129–130.
  13. ^ 国民の祝日に関する法律
  14. ^ 工藤隆 (2017), p. 43.
  15. ^ 真弓常忠 (2019), pp. 52–53.
  16. ^ 真弓常忠 (2019), pp. 53–54.
  17. ^ 真弓常忠 (2019), pp. 57–59.
  18. ^ a b 星野輝興 (1987).
  19. ^ a b 真弓常忠 (2019), p. 60.
  20. ^ 工藤隆 (2017), p. 8.
  21. ^ 真弓常忠 (2019), p. 45.
  22. ^ 真弓常忠 (2019), pp. 45–47.
  23. ^ 真弓常忠 (2019), p. 47.
  24. ^ 折口信夫 (2019).
  25. ^ 工藤隆, p. 206.
  26. ^ 柳田国男『稲の産屋』、1953年
  27. ^ 三品彰英 (1973).
  28. ^ 工藤隆 (2017), p. 204.
  29. ^ 真弓常忠 (2019), pp. 49–50.
  30. ^ 真弓常忠 (2019), p. 50.
  31. ^ 真弓常忠 (2019), pp. 50–51.
  32. ^ 真弓常忠 (2019), p. 52.
  33. ^ http://www.isejingu.or.jp/sp/topics/03tl4gk2.html [リンク切れ]
  34. ^ 出雲大社教教務本庁『出雲大社教布教師養成講習会』1989年9月全427頁中328頁





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