料理の鉄人 鉄人

料理の鉄人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/07 08:10 UTC 版)

鉄人

主宰が立つステージの後方に、鉄人が登場する、迫の後方に巨大な鉄人のバストアップ写真が飾られている。主宰の「甦るがいい、アイアンシェフ!!」の掛け声で迫から鉄人が登場するが、最初から戦う鉄人を決めている場合、挑戦者が菓子職人で対戦する鉄人が必然的に石鍋・坂井・神戸になる場合は「一人だけ甦るがいい、アイアンシェフ!!」の掛け声で、指定された鉄人のみ登場する。尚、この一人だけ登場させる演出は、1994年1月9日放送分の周富徳の道場六三郎とのリターンマッチの際に当初は3人を登場させようとした鹿賀に対して周が「ちょっと待った!3人出す必要はない!道場さんだけで十分です。」と言い道場だけ登場したのが初であった。
立ち位置はフレンチの鉄人が左、和の鉄人が中央、中華の鉄人が右である。
対戦成績の連勝記録はレギュラー放送でかつ個人戦に限ったものとする(レギュラー放送での団体戦の勝敗は含まない)。
番組終了から20年以上が経過しても本番組の知名度は高く、フジテレビ以外の放送局や新聞社などでも歴代鉄人について採り上げる際は「鉄人」または「○○の鉄人」として紹介されることが多い[1][2][3]

中華の鉄人

 陳建一(ちん けんいち)
鉄人在任期間…1993年10月 - 2002年1月
対戦成績…94戦68勝23敗3分 連勝記録19 勝率72.3%
赤坂四川飯店」[注 4]総料理長兼「四川飯店グループ(民権企業株式会社)」代表取締役(当時)。コスチュームカラーは黄色、登場時は手に中華包丁を持つ。
四川料理を日本で広めた陳建民の息子である。1990年の建民の死去時に受け継ぐ形で赤坂四川飯店の二代目のオーナーになる。
出演は、審査員も務めた岸朝子の推薦によるもの。番組開始時から最終回まで後任に交代することなく出演した唯一の鉄人であり、当然全鉄人中最多出場回数を持つ。最終回では全鉄人を代表してスピーチを担当した。
最年少だった番組最初期は不安定で、番組で初めて黒星を喫したのを始め、負け数が他の鉄人よりもかなり多く、挑戦者間では「確実に勝つなら陳」とまで言われたこともあった(毎回鉄人が勝つのは面白くないという事で、負け役の鉄人としてあえて選ばれたとも言われている)。特に女性挑戦者に弱い傾向があり、実際3名の女性挑戦者に敗れている[注 5]。また挑戦当時22歳だった女性挑戦者の五十嵐美幸に対し、2対2のタイスコアに持ち込まれ、辛うじて得点差1点で勝利をあげたこともある(このとき、陳は「危ねえ、危ねえ」と薄氷の思いを連呼する一方で、挑戦者は「勝利にも等しい」と飛び上がって喜んでいた)。しかし経年の度に飛躍的に勝率を上げ、1994年11月から1996年1月にかけては全鉄人中最長連勝記録の19連勝(このとき同時に1995年には年間無敗記録も達成している[注 6])、そこから1勝2敗をはさみ1996年には12連勝を記録(いずれもレギュラー放送での記録)するなど「強い鉄人」の象徴となった。15連勝以上並びに複数回10連勝以上[注 7]、レギュラー放送での年間無敗記録(1995年)を達成したのは全鉄人中陳が唯一である。
初期で弱かったのは、当時の彼の温厚な性格と、テーマ食材が野菜の場合、無理やりデザートを作っていた点による(無理やりデザートを作るのは後述の中村孝明にもよく見られた)。初の女性挑戦者であった加賀田京子に負けたときも「かわいい人だなあ」と思いながら漫然と料理をしてしまった[4]。また、神田川俊郎戦では1日3本収録の最後というのもあり、審査員のことを考えてさっぱりしたお粥を作ったが、全体としては希薄な印象になってしまった[5]。だがデザートを作るのをやめるなど、研鑽を重ね、成績も向上した。
番組終了後、回顧のインタビューでは番組への苦い思いを吐露したことがある。実際、番組開始3年目の頃には店が多忙なことに加え、実母の死去があった事などから本気で番組の降板を考えたが、坂井の説得で思いとどまったという[6]
2023年3月11日に67歳で死去[3]。番組全盛期の中心を担った三鉄人(陳・道場・坂井)の中では最も早く、かつ若くして物故した。鉄人として番組で長く共演した道場や坂井、主宰役として出演した鹿賀もコメントを発表し追悼した[7][8][9]

対戦成績(特別番組を除く)

放送日 勝敗 挑戦者 テーマ食材 審査員(太字は実況席のゲスト兼任) 備考
1993.10.31 インドラゴリ・パウロ(伊) フグ 景山民夫、石井苗子、平野雅章 初の外国人挑戦者
1993.11.21 程 一彦(中) タコ 秋元康、浅茅陽子、平野雅章 挑戦者初勝利
1994.1.16 王 偉平(中) イカ 秋元康、浅茅陽子、平野雅章
1994.2.6 谷口広一(和) エビ 景山民夫、喜多嶋舞、平野雅章 神田川軍団
1994.2.20 神田川俊郎(和) ヒラメ 野村克也、喜多嶋舞、平野雅章
1994.3.6 近藤紳二(中) 小麦粉 景山民夫、石田ゆり子、平野雅章
1994.3.20 加賀田京子(仏) ホタテ 神足裕司、石田ゆり子、岸朝子 初の女性挑戦者
1994.4.15 高橋宗孝(和) タケノコ 景山民夫、高田万由子、平野雅章
1994.5.6 山田宏巳(伊) キャベツ 栗本慎一郎、高田万由子、平野雅章
1994.5.27 高橋 清(中) ニンジン 秋元康、高田万由子、岸朝子
1994.6.24 宮本雅彦(仏) 牛乳 奥山和由高田万由子、平野雅章
1994.7.1 田畑孝一(和) ナス 山口敏夫、高田万由子、平野雅章
1994.7.22 ジョエル・ブリュアン&古高雅史(仏) スズキ 栗本慎一郎、かとうかずこ、高田万由子、平野雅章 道場とタッグマッチ
1994.8.19 小林カツ代(家) ジャガイモ 栗本慎一郎、高田万由子、平野雅章
1994.9.2 大迫秀樹(伊) キノコ 吉村作治、高田万由子、平野雅章
1994.9.30 斎藤隆士(中) 芝エビ 景山民夫、萬田久子、岸朝子
1994.10.28 小林幸司(伊) かぼちゃ 栗本慎一郎、楠田枝里子、平野雅章
1994.11.11 杉田 忠(中) 上海ガニ 景山民夫、高田万由子、岸朝子
1994.12.2 中川俊一(中) 景山民夫、高田万由子、岸朝子
1995.1.6 中川敏行(和) モチ 栗本慎一郎、千堂あきほ、岸朝子
1995.1.20 追立久夫(中) ハクサイ 景山民夫、南美希子、岸朝子
1995.2.3 ト部吉恵(和) 大豆 栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子 神田川軍団、5連勝達成
1995.2.17 橋本邦彦(和) 里芋 景山民夫、高田万由子、平野雅章
1995.3.10 島津哲俊(伊) ヤリイカ 栗本慎一郎、かとうかずこ、岸朝子
1995.4.7 張 千代(中) 豆腐 景山民夫、小林幸子、岸朝子
1995.5.5 李 明淑(韓) レバー 片岡鶴太郎、高田万由子、岸朝子
1995.5.19 エリオ・オルサーラ(伊) カジキマグロ 景山民夫、島田陽子、岸朝子 10連勝達成
1995.6.23 野田幸宏(伊) イワシ 栗本慎一郎、三田寛子中村橋之助、岸朝子
1995.7.21 黎 錦倫(中) ツバメの巣 栗本慎一郎、尾上菊五郎、岸朝子
1995.8.04 平野寿将(和) ウニ 西川治、楠田枝里子、岸朝子
1995.8.25 武政佳子(和) アサリ 大島渚、高田万由子、岸朝子 神田川軍団
1995.9.22 藤原次雄(中) ナマコ 栗本慎一郎、東ちづる、岸朝子 15連勝達成
1995.11.3 萩原雅彦(伊) 手長エビ 栗本慎一郎、かとうかずこ、高田万由子、岸朝子
1995.11.10 池川清隆(和) 毛ガニ 大島渚、若松親方高田万由子、チャイラン
1995.12.1 宮本荘三(中) コイ 栗本慎一郎、東ちづる別所毅彦、岸朝子 1995年年間無敗記録達成
1996.1.12 高 進益(中) 干しアワビ 大島渚ジュディ・オング、栗本慎一郎、石井好子 番組最多の19連勝達成
1996.1.26 山野辺宏(仏) カサゴ 大島渚、東ちづる片山右京、岸朝子 20連勝ならず
1996.2.2 渡部洋二(和) スッポン 栗本慎一郎、高田万由子高橋英樹、岸朝子
1996.2.23 中沢隆弥(中) シイタケ 景山民夫、ジュディ・オング片岡鶴太郎、岸朝子
1996.3.8 吉田辰次郎(和) タラ 大島渚、東ちづるばんばひろふみ、岸朝子
1996.3.29 森 克明(伊) ホウレンソウ 景山民夫、三田寛子吉村作治、岸朝子
1996.4.26 何 業文(中) レタス 景山民夫、高田万由子財津一郎、岸朝子
1996.5.10 森川俊二(タイ) パイナップル 景山民夫、松本伊代デーブ大久保、岸朝子
1996.5.31 後藤市雄(伊) アオリイカ 栗本慎一郎、高田万由子江本孟紀、岸朝子 2度目の5連勝達成
1996.7.5 野村孝之(和) アユ 栗本慎一郎、桃井かおり片岡鶴太郎、岸朝子
1996.8.2 山本 猛(中) 黒豚 加納典明、高樹沙耶三田村邦彦、岸朝子
1996.8.16 津川利蔵(寿司) アナゴ 景山民夫、中嶋朋子谷沢健一、岸朝子
1996.8.30 島田紳助(和) 大正エビ 景山民夫、斉藤慶子財津一郎、岸朝子
1996.10.4 柏原剛雄(和) 冬瓜 景山民夫、かとうかずこ高橋英樹岸朝子 2度目の10連勝達成
1996.11.1 ダニエラ・オージック(伊) きのこ 栗本慎一郎、大石恵三田村邦彦、石井好子
1996.12.6 石崎幸雄(伊) ニンニク 江本孟紀、かとうかずこ神田正輝、岸朝子
1997.1.17 道筆 博(中) 干し貝柱 江本孟紀、財津一郎大石恵、岸朝子
1997.2.14 黄 宝康(中) 加納典明、斉藤慶子布施明、岸朝子
1997.3.14 脇屋友詞(中) パパイヤ 景山民夫、東ちづる里見浩太朗、岸朝子 リターンマッチ
1997.4.25 おおつきちひろ(西) トマト 加納典明、田中美奈子片岡鶴太郎、岸朝子
1997.5.23 高木政雄(中) ピータン 加納典明、純名里沙山本譲二、チャイラン
1997.6.27 周 権中(中) アカハタ 加納典明高樹沙耶、チャイラン、岸朝子 香港返還記念試合
1997.7.18 松野義一(寿司) シャコ 栗本慎一郎、岸本加世子財津一郎、岸朝子
1997.8.15 川口宗清尼(和)[注 8] ナス 加納典明、井上晴美里見浩太朗、岸朝子
1997.9.26 五十嵐美幸(中) キュウリ 栗本慎一郎、遠山景織子名高達男、岸朝子
1997.10.17 長坂松夫(中) スペアリブ 栗本慎一郎、斉藤慶子石原良純、岸朝子
1997.11.21 松島 徹(中) 上海ガニ 栗本慎一郎、秋野暢子高橋英樹、岸朝子 3度目の5連勝達成
1998.1.9 井上明彦(和) 荒巻鮭 栗本慎一郎、野村沙知代野村克也、岸朝子
1998.1.30 唐 朝輝(中) ブラックタイガー 景山民夫、大石恵石原良純、チャイラン
1998.4.17 原田充郎(和) サワラ 加藤和彦、東ちづる堀内孝雄、岸朝子
1998.4.24 島村 隆(和) 平貝 加納典明、斉藤慶子石原良純、岸朝子
1998.5.22 梁 樹卿(中) 豚バラ 栗本慎一郎、斉藤慶子石原良純、細木数子
1998.5.29 コンニャク 延長戦
1998.6.19 ケンタロウ(家)[注 9] 新ジャガ 加納典明、小林幸子石田純一、岸朝子
1998.7.17 伊東淳一(仏) ヨーグルト 栗本慎一郎、秋野暢子あおい輝彦、石井好子 岸朝子推薦チャレンジャー
1998.8.21 宮澤 薫(中) コイ 加納典明、菊池麻衣子北大路欣也、岸朝子
1998.9.18 丸山日出樹(伊) イワシ 加納典明、斉藤慶子西郷輝彦、細木数子
1998.10.16 加賀田京子(仏) 仔牛 加納典明、岸本加世子コーン、岸朝子 逆リターンマッチ、4度目の5連勝達成
1998.11.13 八木沼久男(中) チンゲンサイ 加納典明、鳩山幸鳩山由紀夫、細木数子 聘珍樓軍団
1998.12.18 菅沼美都雄(中) フカヒレ 栗本慎一郎、秋野暢子チャイラン、細木数子 聘珍樓軍団
1999.1.8 謝 華顕(中) 伊勢エビ 加納典明、萬田久子佐々木主浩、細木数子 聘珍樓軍団
1999.2.26 浅尾良三(仏) チョウザメ 栗本慎一郎、中丸三千繪岡田眞澄、岸朝子
1999.4.2 崔 玉芬(中) 白菜 栗本慎一郎、岸本加世子谷村新司、岸朝子
1999.5.7 大久保武志(中) モヤシ 栗本慎一郎、雛形あきこ堀内孝雄、石井好子
1999.5.21 スパノ・ステルビオ(伊) 乳飲み豚 栗本慎一郎、東ちづる高橋英樹、岸朝子 主宰ボイコット試合
神田正輝推薦チャレンジャー
1999.7.9 舘野雄二(和) ウニ 斉藤慶子石原良純、ニーナ・ザガット、ティム・ザガット 道場六三郎推薦チャレンジャー
ザガット・サーベイ認定試合
1999.7.30 ドミニク・コルビ(仏) フォアグラ 加納典明、浅野ゆう子福留功男、細木数子 300人目の挑戦者
1999.8.6 アスパラガス 延長戦 判定 両者同点勝利

フレンチの鉄人

 初代:石鍋裕(いしなべ ゆたか)
鉄人在任期間…1993年10月 - 1994年1月
対戦成績…8戦7勝1敗 連勝記録4 通算勝率87.5%(現役時代の勝率は80.0%)
西麻布「クイーンアリス迎賓館」オーナーシェフ。1970年代に日本におけるフランス料理界の発展を図ることを目的に当時の新進気鋭の料理人達の手で結成された「クラブ・デトラント」のメンバーである。番組では「フランス料理界のヴィスコンティ」と称されている。
コスチューム(コックコート)カラーは緑、登場時は手にパプリカを持つ。
記念すべき第1回の対決に登場した鉄人でもあるが、経営者としても多忙を極めていた(皇室御用達になった)ため出演の時間に事欠き、結局は「店の経営と両立出来ない」さらに「1回負けてしまった」(その際の対戦相手はジャック・ボリー)という理由で、実戦わずか5回で引退した。対戦回数が少な過ぎるため、他の鉄人との単純な比較はできないが、通算勝率87.5%は鉄人中最高となっている(ただし引退後の1戦はチーム戦であり、しかも判定は同点であったが鹿賀の独断で勝利とされたもので、実質的な対戦成績は8戦6勝1敗1分、通算勝率は75.0%になる)。
引退後は番組初の「名誉鉄人」の座についた。選出当初から多忙であったため、一度は出演を断ったが、「3か月だけでも」という番組スタッフの説得に応じて鉄人として番組に出演し、その通り開始3か月で降板した。引退後2度、挑戦者からの指名で復帰し、いずれも勝利している。

対戦成績(特別番組を除く)

放送日 勝敗 挑戦者 テーマ食材 審査員 備考
1993.10.10 丸山 剛(中) 景山民夫、石井苗子、平野雅章 レギュラー放送初試合
1993.11.7 工藤敏之(仏) 豆腐 景山民夫、井上絵美、平野雅章 坂井宏行の部下
1993.11.28 武藤正人(和) ダイコン 秋元康、浅茅陽子、平野雅章
1993.12.12 大山栄蔵(パティ) バナナ 秋元康、今田美奈子、岸朝子 デザート対決
1993.12.19 ジャック・ボリー(仏) チキン 田中康夫喜多嶋舞、平野雅章 クリスマス対決
1995.4.14 澤口知之(伊) カレイ 栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子 復帰戦1
1995.6.30 釜谷孝義(仏) アボカド 栗本慎一郎、東ちづる、岸朝子 復帰戦2
クラブ・ミストラル
 二代目: 坂井宏行(さかい ひろゆき)
鉄人在任期間…1994年2月 - 2002年1月
対戦成績…87戦70勝16敗1分 連勝記録8(3回達成)[注 10] 勝率80.4%
渋谷「ラ・ロシェル」オーナーシェフ。石鍋とは旧知の間柄で、石鍋と同じく「クラブ・デトラント」のメンバー。番組では「フランス料理界のドラクロワ」と称されている。
コスチューム(コックコート)カラーは赤、登場時は手に洋梨を持つ。
鉄人デビューは1994年2月。KIHACHIの熊谷喜八シェフの推薦によって出演することになる。当初は4月で番組が終わると聞いていて、2回 - 3回の出演だろうと思っていたという[10]。後述の道場・陳とともに番組を長く支えた鉄人の1人でもある。全鉄人中最多勝利数を記録し番組の全期間を通して安定した成績を残し、10連勝以上こそなかったものの5連勝以上は全鉄人中最多の7回記録している。
テーマ食材にフランス料理によく使われるオマールがくると3連敗を喫した事もあったために、スタッフからは「負け犬オマール」や「そんなにオマールに弱いの?」と言われ悔しかった時期があったという。しかし、オマール以外の魚介類の対決では圧倒的な強さを見せ、「フィッシュ坂井」の異名もあった。
番組初期では「1時間という時間ではちゃんとした料理を作ろうとすれば3品が限界」と語り、3品しか作っていなかったが、後期では考え方を改め、4品 - 5品作るようになっていった。
デザートによくテーマ食材に因んだシャーベットやアイスを作っていたが、失敗することの方が多かった。
番組出演中でも常に勉強の姿勢を忘れず、挑戦者サイドの試食後の皿を味見したり、相手方の助手に味付けを尋ねたりすることもあったという[11]
石鍋の後任として鉄人に起用された坂井だが、年齢は前任の石鍋よりも6歳年上である。また坂井の鉄人就任以前に坂井の部下である工藤敏之が石鍋に挑戦するも敗れている。

対戦成績(特別番組を除く)

放送日 勝敗 挑戦者 テーマ食材 審査員 備考
1994.2.27 ギィ・ショック(仏) カキ 栗本慎一郎、喜多嶋舞、平野雅章
1994.3.13 北見博幸(伊) トマト 景山民夫、喜多嶋舞、平野雅章
1994.4.22 中川麻里生(仏) 景山民夫、高田万由子、岸朝子
1994.5.13 船津博美(寿司) カツオ 橋本大二郎、喜多嶋舞、平野雅章 初の寿司職人
1994.5.20 木村政敏(中) アヒル 秋元康、高田万由子、平野雅章 5連勝達成
1994.6.17 脇屋友詞(中) ウニ 景山民夫、高田万由子、平野雅章 山本益博推薦チャレンジャー
1994.7.15 清水忠明(仏) オマール 栗本慎一郎、田村翔子、平野雅章
1994.7.29 斎藤 満(中) 牛肉 秋元康、大塚寧々、平野雅章
1994.8.12 小山裕久(和) ハモ 糸井重里、高田万由子、平野雅章
1994.9.23 藤井宗哲(和) トロロイモ 栗本慎一郎、沢田亜矢子、岸朝子
1994.10.7 高橋正光(和) マツタケ 吉村作治、蓮舫、岸朝子
1994.10.21 関端克之(仏) パン 沢田研二、高田万由子、岸朝子
1994.11.25 川崎誠也(仏) ウズラ 栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子
1994.12.16 脇 雅代(仏) イチゴ 秋元康、深津絵里、高田万由子、岸朝子 クリスマスデザート対決
1995.1.13 山田康司(仏) カブ 栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子 石鍋裕推薦チャレンジャー
1995.1.27 近藤冬子(パティ) リンゴ&チョコ 秋元康、梅宮アンナ、岸朝子 バレンタイン対決
1995.2.24 小峰敏宏(仏) アスパラガス 景山民夫、片岡鶴太郎、岸朝子 見田盛夫推薦チャレンジャー
1995.3.17 湯浅薰男(仏) タラ 栗本慎一郎、松雪泰子、平野雅章 2度目の5連勝達成
1995.4.21 山東邦男(和) 景山民夫、萬田久子、岸朝子
1995.5.12 柳館 功(仏) キャビア 景山民夫、高田万由子、岸朝子 クラブ・ミストラル
1995.6.2 大宮勝雄(仏) タマネギ 栗本慎一郎、東ちづる、平野雅章
1995.6.9 岡部和隆(仏) 仔羊 景山民夫、高田万由子、岸朝子 クラブ・ミストラル
1995.7.7 河合隆良(仏) 舌平目 景山民夫、楠田枝里子、岸朝子
1995.7.14 小美野晴愛(和) 栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子
1995.7.28 永松信一(伊) ナス 景山民夫、高田万由子、岸朝子
1995.8.18 サルバトーレ兄弟(伊)[注 11] トマト 秋元康、西城秀樹、岸朝子 道場とタッグマッチ
1995.9.1 ジョエル・ブリュアン(仏) 栗本慎一郎、泉ピン子、岸朝子 全鉄人制覇挑戦試合
1995.9.15 フィリップ・オブロン(仏) ザリガニ 秋元康、木村太郎、岸朝子 3度目の5連勝達成
1995.10.13 中嶋貞治(和) 栗本慎一郎、鶴田真由、高田万由子、岸朝子 平野雅章推薦チャレンジャー
1995.11.17 神田川俊郎(和) レンコン 景山民夫、ジュリー・ドレフェス、桂三枝、岸朝子 100人目の挑戦者
1995.11.24 ブルーノ・メナール(仏) エスカルゴ 秋元康、斉藤慶子井上順、岸朝子
1995.12.8 太田忠道(和) タコ 栗本慎一郎、かとうかずこ宮本亜門、岸朝子
1995.12.15 フィリップ・グルート(仏) カキ 秋元康、細川ふみえ、ジュリー・ドレフェス、石井好子
1996.1.19 牛丸英敏(仏) カレー粉 栗本慎一郎、斉藤慶子桂三枝、岸朝子
1996.2.9 柳 正司(パティ) 洋梨 景山民夫、東ちづる近藤真彦、岸朝子 バレンタイン対決
1996.2.16 館山仁一(仏) ネギ 大島渚、斉藤慶子きよ彦、岸朝子 神田川軍団
1996.3.15 長田銑司(和) ホタテ 栗本慎一郎、楠田枝里子神田正輝、岸朝子 4度目の5連勝達成
1996.5.17 高尾 保(仏) アワビ 景山民夫、斉藤慶子森喜朗、岸朝子
1996.6.7 曽野部好信(和) イクラ 江本孟紀、鳩山由紀夫萬田久子、岸朝子
1996.6.21 フィリップ・バトン(仏) ベーコン 栗本慎一郎、東ちづる岡田眞澄、岸朝子
1996.7.19 浮 義正(和)[注 12] 大トロ 江本孟紀、高田万由子山城新伍、岸朝子
1996.8.23 菅原健二(米) トウモロコシ 景山民夫、東ちづる財津一郎、岸朝子
1996.9.13 曽 兆明(中) ソフトシェルクラブ 景山民夫、高樹沙耶高島忠夫、岸朝子
1996.11.8 山岡 洋(中) 白菜 景山民夫、斉藤慶子岡田眞澄、岸朝子
1996.11.15 ウェイン・ニシ(米) リンゴ 栗本慎一郎、高田万由子江本孟紀、服部幸應
1996.12.13 鈴木芳雄(パティ) オレンジ 栗本慎一郎、遠山景織子加納典明、岸朝子 クリスマス対決
1997.1.10 笠原 寛(和) モチ 栗本慎一郎、落合博満落合信子、岸朝子
1997.1.24 ローリー・ケネディ(英)[注 13] ウサギ 景山民夫、斎藤陽子岡田眞澄、岸朝子
1997.1.31 ハト 延長戦
1997.2.21 島田哲也(仏) トリュフ 江本孟紀、増田恵子片岡鶴太郎、岸朝子
1997.3.7 城 悦男(仏) ワイン 景山民夫、かとうかずこ加藤和彦、岸朝子 リターンマッチ
1997.3.28 北見博幸(伊) ハチミツ 江本孟紀、阿川泰子加藤和彦、岸朝子 リターンマッチ
1997.4.18 奥村眞三(仏) タケノコ 江本孟紀、萬田久子財津一郎、岸朝子
1997.5.2 佐々木清恭(仏) スズキ 加納典明、石川さゆり桂三枝、岸朝子
1997.5.30 ジェルマーノ・オルサーラ(伊) ハム 景山民夫、斉藤慶子梅宮辰夫、岸朝子 エリオ・オルサーラの弟
1997.6.20 佐藤訓生(和) カンパチ 栗本慎一郎、矢野顕子三田村邦彦、岸朝子 5度目の5連勝達成
1997.7.11 石川敏行(中) ウニ 江本孟紀、大石恵坂東八十助、岸朝子
1997.8.1 豊嶋誠司(仏) 牛乳 江本孟紀、川島なお美堀内孝雄、岸朝子
1997.8.22 ピエトロ・アンドロゾーニ(伊) メロン 景山民夫、一色紗英加藤和彦、石井好子 デザート対決
1997.9.12 中嶋壽幸(仏) 牛ほほ肉 景山民夫、岸本加世子岡田眞澄、岸朝子
1997.10.24 後藤雅司(仏) 手長エビ 景山民夫、大石恵加藤和彦、本間千枝子
1998.1.23 松本吉正(和) 松葉ガニ 栗本慎一郎、秋野暢子江夏豊、石井好子
1998.2.6 佐藤文昭(和) ダイコン 栗本慎一郎、飯星景子里見浩太朗、細木数子 有田焼限定
1998.3.6 近藤元人(和) 安達祐実細川直美秋野暢子、岸朝子 ひな祭り対決
1998.4.10 市川知志(仏) ほろほろ鳥 栗本慎一郎、麻木久仁子岡田眞澄、細木数子 ウェッジウッド限定
1998.6.5 小林久美子(仏)[注 14] 見島牛 加納典明、大石恵コーン、細木数子
1998.7.10 下村秀蔵(中) 金華豚 栗本慎一郎、増田恵子片岡鶴太郎、岸朝子
1998.8.14 渡部政信(仏) もも 栗本慎一郎、藤谷美和子長嶋一茂、細木数子 助手抜き、単独で調理を行った試合、6度目の5連勝達成
1998.9.11 三浦経則(伊) スルメイカ 加納典明、細川ふみえ石原良純、細木数子
1998.10.9 ロン・シーゲル(仏) ロブスター 加納典明、森下愛子加藤和彦、細木数子
1998.11.6 永山和美(和) サンマ 栗本慎一郎、麻木久仁子山本譲二、細木数子
1998.12.4 間 光男(仏) カモ 栗本慎一郎、斉藤慶子岡田眞澄、岸朝子
1999.1.15 上村孝栄(和) タラ 栗本慎一郎、秋野暢子片岡鶴太郎、細木数子
1999.2.19 仙場才也(和) 阿修羅ガキ 加納典明、純名里沙近藤真彦、岸朝子
1999.3.19 細貝孝司(仏) オックステール 栗本慎一郎、斉藤慶子コーン、細木数子 加納典明推薦チャレンジャー、7度目の5連勝達成
1999.4.9 小森 亨(和) うどん 加納典明、藤谷美和子渡辺徹、岸朝子
1999.5.14 ミッシェル・ユセール(仏) 仔羊 加納典明、仁科亜季子長嶋一茂、岸朝子 テーマ食材事前発表の上での対戦
1999.6.25 牧尾 勲(仏) 黒豚 栗本慎一郎、秋野暢子柴俊夫、細木数子 坂井宏行料理人生活40周年記念試合、坂井の中学生時代の同級生
1999.8.27 古賀義英(仏) エイ 加納典明、萬田久子北大路欣也、細木数子

和の鉄人

 初代:道場六三郎(みちば ろくさぶろう)
鉄人在任期間…1993年10月 - 1996年1月
対戦成績…39戦33勝5敗1分 連勝記録11[注 15] 通算勝率84.6%(現役時代の勝率は87.1%)[注 16]
番組開始当時は銀座「ろくさん亭」主人。コスチュームカラーは青。
後に二代目鉄人となる中村孝明や福井幸雄(岡山市「味塾 時の流れ」主人で平成4年度・卓越技能表彰者)らにスケジュールが合わないと断られたため、「1年のみ」の条件を呑む形で第2候補だった道場に鉄人起用の打診が来た。ただし、この条件はちょうど1年目でアルトア・ルターに敗れた結果、道場の考え方が変わり、消滅した。
現役時代の対戦成績は27勝3敗1分と勝率9割に迫り、圧倒的な強さを誇った。番組内の公式見解をはじめ、誰もが認める全鉄人の中の最強鉄人であった。
和食の料理人でありながらジャンルにとらわれない料理を生み出し、「日本料理界の異端児」と称された(鉄人晩期には「地球料理」を標榜)。「無国籍料理」と称される回もあった。
対決中に必ず筆で「お品書き」を書くシーンがお馴染みでもあった。料理・作業の方向性をアシスタントらに伝えるほか、対戦相手を呑み込もうという意図もあったという。フォアグラを平仮名で「ほあぐら」と書く事などが特徴的であった。
また、「出汁(だし)は1品だけなら持込可」というルールがあったにもかかわらず、常に対決開始時に作っていた。この鰹節、昆布をふんだんに使った出汁は福井アナに『命の出汁』と名づけられ、その作成シーンがお品書きを書くシーンと並んで道場出演時の序盤で必ず流されていた。
高齢の為(番組開始当時は62歳)、途中病気により番組に登場できない時期もあったほか、後半は一時期精彩を欠く戦いを見せることがあった。
「素材に国境はない」「素材を成仏させる」などの名言を残しつつ、後継の鉄人に後述の中村を指名し引退。後に「(高齢のために体力が衰えて)の頭を包丁で割れなくなった時、引退を決意した」と語っている。石鍋に続いて「名誉鉄人」の座についた。
初期のレギュラー審査員であった高田万由子とはそりが合わず、「あんな小娘にああだこうだ言われたくないね」と当番組以外では語っていた。高齢で味付けが濃い目だったせいか、高田だけではなく、鈴木杏樹広末涼子といった若い女優には厳しい評価をうける場面もあった。
番組出演の傍ら港区赤坂に「ブラッセリー六三郎」(その後「ポワソン六三郎」に改名)を開店した(2017年閉店)ほか、2001年には銀座にもう一軒の店「懐食みちば」をオープンしている。

対戦成績(特別番組を除く)

放送日 勝敗 挑戦者 テーマ食材 審査員 備考
1993.10.17 小早川陽青(仏) フォアグラ 秋元康、石井苗子、岸朝子
1993.11.14 周 富輝(中) ロブスター 景山民夫、井上絵美、岸朝子
1993.12.5 周 富徳(中) タラバガニ きよ彦、石井苗子、平野雅章
1994.1.9 栗本慎一郎、藤真利子、平野雅章 リターンマッチ
1994.1.23 星野 淳(無) タマゴ きよ彦、石井苗子、平野雅章 素人の高校教師
1994.1.30 田辺年男(仏) タイ 神足裕司、石井苗子、岸朝子
1994.2.13 正木数義(和) アナゴ 栗本慎一郎、喜多嶋舞、平野雅章 神田川軍団
1994.3.27 小田倉秀昭(伊) チーズ きよ彦、喜多嶋舞、平野雅章
1994.4.8 後藤紘一良(和) 秋元康、石田ひかり、平野雅章 5連勝達成
1994.4.29 服部幸應(無) トリュフ ジョエル・ロブション、喜多嶋舞、平野雅章
1994.6.3 石川邦行(和) 納豆 景山民夫、田中律子、平野雅章
1994.6.10 花戸克己(和) アユ 糸井重里、河野景子、平野雅章 神田川軍団
1994.7.8 米良 隆(和) マグロ 栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子
1994.7.22 ジョエル・ブリュアン&古高雅史(仏) スズキ 栗本慎一郎、かとうかずこ、高田万由子、平野雅章 陳とタッグマッチ
1994.8.5 吉田靖彦(和) ウナギ 景山民夫、高田万由子、平野雅章 神田川軍団 個人戦10連勝達成
1994.8.26 中澤敬二(仏) トウモロコシ 秋元康、ジュリー・ドレフェス、平野雅章
1994.9.9 アルトア・ルター(仏) ピーマン 糸井重里、かとうかずこ、平野雅章
1994.9.16 廣井 勉(仏) サンマ 梅宮辰夫、高田万由子、岸朝子
1994.10.14 許 沛榮(中) フカヒレ 糸井重里、坂本龍一、岸朝子
1994.11.4 河田康雄(和) アンコウ 栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子
1994.11.18 梅宮辰夫(無) アジ 栗本慎一郎、萬田久子、平野雅章
1994.12.9 古庄 浩(仏) 七面鳥 景山民夫、高田万由子、岸朝子 野村克也推薦チャレンジャー、2度目の5連勝達成
1995.2.10 鈴木眞夫(仏) 松葉ガニ 景山民夫、高田万由子、岸朝子
1995.3.3 王 志堅(中) タマゴ 俵万智、高田万由子、栗本慎一郎
1995.4.28 玉野圭介(和) アマダイ 栗本慎一郎、東ちづる、岸朝子 神田川軍団
1995.5.26 城 悦男(仏) ブロッコリー 高田万由子、海部俊樹海部幸世、秋元康
1995.6.16 曽 明星(中) ワタリガニ 栗本慎一郎、東ちづる、岸朝子 この試合後、体調不良により一時休演
1995.8.11 梶 憲司(和) 梅干し 栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子 2か月ぶりの復帰戦
1995.8.18 サルバトーレ兄弟(伊)[注 11] トマト 秋元康、西城秀樹、岸朝子 坂井とタッグマッチ
1995.9.8 野田 稔(和) マツタケ 石田純一、高田万由子、岸朝子
1995.10.20 林 訓美(中) ジャガイモ 大島渚、石井好子高田万由子、岸朝子
1995.10.27 サツマイモ 初の延長戦
 二代目:中村孝明(なかむら こうめい)
鉄人在任期間…1996年3月 - 1998年2月
対戦成績…37戦24勝11敗1分1無効試合 連勝記録6 勝率64.8%
番組登場時は「なだ万」理事・料理本部長(総料理長)。後に独立し、1999年10月に「孝明 ARIAKE」オーナーシェフとなる。コスチュームカラーは紫。
番組では「料理界の諸葛孔明」と称されている。鉄人デビューは1996年3月。番組放映当時は鉄人の中で唯一、オーナーシェフの立場ではなかった。
企画時点での鉄人第1候補だったが、当時は本人曰く「わけのわからない番組」であり、「なだ万」の看板のこともあって辞退。しかし番組がメジャーになったことから、「なだ万」の会長が道場の後任に中村を推薦して出演が決定した。番組上では、番組を支え続けた道場が引退に伴って指名した事になっている(実際道場と中村はゴルフ友達で、当時ゴルフ場で会うたびに「2代目をやらないか」と勧められていたという)[12]
道場とは違った意味で独創的な料理を見せつけた。しかし、やはり前任者の道場が持つ圧倒的な強さと独創性とを比較されることも多く[13]、また金粉を料理にばら撒く等の独創性がかえって災いし、審査員から「下品だ」と批判されるなど厳しい評価を受ける場面も多かった。またテーマ食材をなんでも寿司にしてしまう傾向があり、審査員の岸朝子からは「困ったときの寿司頼み」と皮肉られたこともあったという。
こうした不安定な傾向のせいか全鉄人の中でも連敗が多く、通算勝率も全鉄人中最も低い。2連敗後の1997年12月26日放送分の神田川俊郎とのアラ対決[注 17]の前に「もしこの勝負で負けたら引退する」と宣言、背水の陣で臨んだが敗れ、唯一の不名誉な3連敗を喫し、その後の放送分を休演。1998年2月20日放送分の服部幸應との引退試合を最後に「名誉鉄人」として番組を卒業した。
全鉄人の中で唯一、迫の後方の写真が変更された鉄人である。初期の写真は顔を曲げ、相手を睨み付ける良くない印象であったため、登場第4回目から柔和な表情の写真に変更されている。
上記のように常に道場と比較され、「料理の鉄人大全」でも、中村は「当時「なだ万」では『料理の鉄人』のための社内料理会議があり、テーマ食材のヒントが来ると試作品を作って会長に意見を聞いていた」ことを明らかにしているほか、道場とのおせち対決について「道場六三郎対中村孝明の戦いじゃなかった。道場六三郎対「なだ万」の戦いだった」と語っている。
鉄人引退後、1999年3月12日放送分で、中村の後任である三代目和の鉄人に就任して一年を迎えた森本に対し「新旧和の鉄人道」として、中村を挑戦者として対戦する事を道場が提案[注 18]、卵勝負で対戦し中村が勝利している。名誉鉄人が挑戦者として登場したのはこの時が唯一である。

対戦成績(特別番組を除く)

放送日 勝敗 挑戦者 テーマ食材 審査員 備考
1996.3.1 鈴木喜代司(仏) フォアグラ 栗本慎一郎、野村沙知代田中健、岸朝子
1996.3.22 林 訓美(中) ピーマン 景山民夫、かとうれいこ三枝成彰、岸朝子 逆リターンマッチ
1996.4.19 菅沼豊明(仏) タマゴ 栗本慎一郎、増田恵子村井国夫、岸朝子
1996.5.3 七尾かつ子(和) タラコ 栗本慎一郎、かとうかずこ別所毅彦、岸朝子
1996.5.24 もたい健治(和) うどん 秋元康、小林幸子梅宮辰夫、岸朝子 服部幸應推薦チャレンジャー
1996.6.14 孫 関義(中) マナガツオ 栗本慎一郎、三田寛子江夏豊、岸朝子
1996.6.28 戸沢英夫(西) ハマグリ 秋元康、高田万由子加納典明、岸朝子
1996.7.12 山本秀樹(和) ハモ 景山民夫、かとうれいこ高橋英樹、岸朝子
1996.7.26 鳥海 勝(仏) 岩ガキ 景山民夫、斉藤慶子山城新伍、岸朝子
1996.8.9 ティエリー・ウンゲス(仏) キャビア 江本孟紀、斉藤慶子片岡鶴太郎、岸朝子 初の黒人による挑戦者、駐日ブラジル大使館推薦チャレンジャー
1996.9.6 植竹隆政(伊) 景山民夫、矢野顕子加納典明、岸朝子
1996.9.20 遠藤徳雄(和) サンマ 景山民夫、東ちづる片岡鶴太郎、岸朝子 神田川軍団
1996.10.18 藤田 新(和) そば 加納典明、斉藤慶子田淵幸一、岸朝子
1996.10.28 小楠隆一(仏) 景山民夫、朝加真由美岡田眞澄、岸朝子
1996.11.22 黒木献二郎(和) アンコウ 栗本慎一郎、片平なぎさ加納典明、岸朝子
1996.11.29 宮代 潔(仏) 牛たん 景山民夫、大石恵堀内孝雄、岸朝子 5連勝達成
1996.12.20 ベルナール・ルプランス(仏) カモ 栗本慎一郎、斉藤慶子岡田眞澄アガタ・モレシャン、ジャン・シルヴェストル
1997.2.7 森枝弘好(和) タカアシガニ 栗本慎一郎、かとうかずこ財津一郎、岸朝子
1997.2.28 山崎建夫(和) 納豆 栗本慎一郎、斉藤慶子柴俊夫、岸朝子
1997.3.21 米良 隆(和) わかめ 栗本慎一郎、大石恵北大路欣也、岸朝子 リターンマッチ
1997.4.11 楊 光鑑(中) 栗本慎一郎、浅野ゆう子板東英二岡田眞澄、岸朝子 花見対決
1997.5.9 東屋則夫(和) 栗本慎一郎、岸本加世子高橋英樹、岸朝子 元なだ万副料理長、なだ万同士の「同門対決」、2度目の5連勝達成
1997.5.16 ジリアン・ハースト(豪) ダチョウ 栗本慎一郎、東ちづる神田正輝、岸朝子
1997.6.6 坂根久人(和) 穴子 江本孟紀、高島礼子片岡鶴太郎、岸朝子 神田川軍団、山本益博推薦チャレンジャー
1997.7.4 鹿島正巳(ベトナム) 車海老 景山民夫、斉藤慶子高橋英樹、岸朝子
1997.8.29 小島孔典(仏) ジャガイモ 加納典明、山咲千里別所哲也、石井好子 判定 評価に値せず再試合
1997.9.5 城下カレイ 加納典明、森口博子大鶴義丹、石井好子
1997.11.14 東 敬司(仏) 仔羊 栗本慎一郎、加藤登紀子石原良純、岸朝子
1997.12.12 モーリス・ギルウェット(仏) ホタテ 景山民夫、桃井かおり河村隆一、クリスチャン・ブジャランク 200人目の挑戦者
1997.12.26 神田川俊郎(和) アラ 栗本慎一郎、岩崎宏美コーン、石井好子 3連敗、その後番組を休演
1998.2.13
1998.2.20
服部幸應(無) マグロ 栗本慎一郎、萬田久子岡田真澄、岸朝子 引退試合
1999.3.12 森本正治(鉄) 栗本慎一郎、浅野ゆう子里見浩太朗、細木数子 新旧和の鉄人道、挑戦者として出演
 三代目:森本正治(もりもと まさはる)
鉄人在任期間…1998年2月 - 2002年1月
対戦成績…26戦17勝8敗1分 連勝記録3 勝率65.3%
前任者である中村の引退直後、1998年2月に「ニューヨークからやって来た鉄人」の触れ込みで番組に登場。番組内で最後に登場した鉄人でもある。
コスチュームカラーはシルバーに赤線、背中には日米の国旗を暴れ熨斗にした刺繍が入っていた。また、全鉄人の中で唯一可変式のコスチュームであり、試合中にはエポーレット(肩章)と袖口裏部分とを留め合わせ、袖をたくし上げ固定するという機能的なデザインが採用されていた。
番組では「料理界の織田信長」と称されている。
かつては寿司職人だったが、ニューヨークへ渡り、「ソニークラブ」総料理長を経て、鉄人起用時は「NOBU」総料理長を務めていた。
道場、中村とはまた違った「ニューヨーク仕込みの和食」「地球料理」を見せつけ異彩を放った。ただし、道場の頃とは違い、審査員も多様化、また評価を厳しくしており、とくにこの時期、準レギュラー的に審査員を務めていた加納典明とは審査中もしばしば料理への考え方の違いで衝突するなど、苦労させられたようである。
坂井や石鍋が、若手フレンチ集団「クラブ・ミストラル」と対立したように、かつて坂井をタコ対決で倒した関西料理界の重鎮、大田忠道は森本の創作和食を激しく非難し、自身が主宰する「天地(あまつち)の会」[14]から次々と会員を挑戦者として送り込むなど、因縁の戦いを繰り返した。大田が挑戦者として送り込んだ大田軍団とは通算4勝1敗1分の対戦となっている。
2001年11月、フィラデルフィアに「MORIMOTO」を開店、オーナーシェフを務めている。
2005年からアメリカ合衆国で放送されている"Iron Chef America"でも鉄人を務めており、日本版にも挑戦者として出演して森本と2度にわたり対戦(対戦結果は1勝1敗)したことがあるボビー・フレイと共演している。
2012年12月31日、『アイアンシェフ大晦日生決戦SP』で"アメリカ版『アイアンシェフ』の和の鉄人"として、中華のアイアンシェフ・脇屋友詞と対戦したが敗北。

対戦成績(特別番組を除く)

放送日 勝敗 挑戦者 テーマ食材 審査員 備考
1998.2.27 平山幸男(和) 秋元康、桃井かおり岡田真澄、岸朝子
1998.4.4 木村昌義(中) 加納典明、秋野暢子西城秀樹、岸朝子
1998.5.1 萩原哲雄(和) タケノコ 加納典明、岸本加世子橋龍吾、岸朝子
1998.5.15 羽渕康彦(仏) アスパラガス 栗本慎一郎、藤谷美和子高橋英樹、細木数子
1998.6.12 宮永賢一(和) アユ 栗本慎一郎、一色紗英西郷輝彦、岸朝子 道場六三郎推薦チャレンジャー、元キッチンスタジアムの助手
1998.7.3 吉田隆二(和) 豆腐 栗本慎一郎、麻木久仁子岡田眞澄、細木数子
1998.7.24 梶本剛史(和) アワビ 加納典明、高橋ひとみ片岡鶴太郎、岸朝子
1998.8.7 半田博一(和) 大ウナギ 栗本慎一郎、川上麻衣子神田正輝、岸朝子
1998.9.25 藤井修一(和) 鮭児 栗本慎一郎、麻木久仁子岡田眞澄、岸朝子 「大田軍団」旗揚げ試合
1998.10.23 隈本辰利(和) 納豆 加納典明、永作博美片岡鶴太郎、本間千枝子 「大田軍団」
1998.11.27 マルコ・モリナーリ(伊) ポルチーニ 栗本慎一郎東ちづる、フランチェスコ・エスポジート、細木数子
1998.12.25 小久江次郎(仏) 七面鳥 秋元康、藤谷美和子北大路欣也、岸朝子
1999.1.29 函城弘行(和) ぶり 栗本慎一郎、斉藤慶子達川光男、細木数子 「大田軍団」
1999.2.5 飯尾哲司(仏) タラバガニ 加納典明、永作博美野村克也、細木数子
1999.3.12 中村孝明(鉄) 栗本慎一郎、浅野ゆう子里見浩太朗、細木数子 新旧和の鉄人道
1999.3.26 正原聖也(和) アンコウ 加納典明、増田恵子高橋英樹、細木数子 「大田軍団」
1999.4.23 山下裕輔(和) たらこ 栗本慎一郎、小林幸子三田村邦彦、岸朝子 「大田軍団」
1999.4.30 長ねぎ 延長戦
1999.6.18 中澤圭二(寿司) マグロ コハダ 穴子 卵 かんぴょう 栗本慎一郎、浅田美代子小林亜星、岸朝子 寿司対決
竹中直人推薦チャレンジャー
1999.7.2 マイケル・ノーブル(仏) ジャガイモ 加納典明、秋野暢子橋幸夫、岸朝子
1999.7.16 谷川吉己(和) ハモ 加納典明、十朱幸代片岡鶴太郎、石井好子 レギュラー放送最後の勝利挑戦者
1999.8.20 渡辺 明(米) アオリイカ 栗本慎一郎、大石恵萩原流行、細木数子
1999.9.3 重松良三(和) スズキ 栗本慎一郎、多岐川裕美高橋英樹、岸朝子 レギュラー放送最後の挑戦者

イタリアンの鉄人

   神戸勝彦(こうべ まさひこ)
鉄人在任期間…1997年6月 - 2002年1月
対戦成績…23戦15勝7敗1分 連勝記録4 勝率65.2%
番組後期の1997年6月に、新たなジャンルのイタリアンの鉄人として登場した。番組のストーリー上では、キッチンスタジアムを開設した当時、遊び好きであった神戸を破門同然でイタリアへ修業に出し、4年後にようやく改心したという事で呼び戻したという設定。襲名時は特定の店舗に属さないフリーのシェフという異例の経歴での起用だった。コスチュームはイタリア国旗の緑・白・赤がモチーフになっている。
実際にイタリアのエノテカ・ピンキオーリで3年間修行しており、番組では「パスタのプリンス」と称されている。全鉄人中最年少で、起用当初は唯一の20代の鉄人だった。
登場する際は通常の鉄人の登場するステージ後方の迫からではなく、指名された際にステージに向かって右横にある絵画の壁が動き、迫と後方に神戸の胸部の写真が出され、弦楽器の生演奏を伴い、手にトマトを持ち登場する。
当初本人は番組出演のオファーを受けたとき、挑戦者として出演するものだと思っていたところ、初回の収録直前になって実は鉄人として出演することが判明し慌てふためいたというエピソードも残っている[15]
デビュー戦は萩原雅彦シェフとのショートパスタ対決であったが黒星。唯一デビュー戦が黒星となった鉄人である[注 19]。そのため審査員からは手厳しい評価を受けていた。
開始と共に食材のある主宰席に猛ダッシュするため、挑戦者も慌てて走る光景が毎度繰り返されていた[16](高校では陸上部だったので足には自信があるらしい)。
なお、番組終了後も東京・恵比寿で「リストランテ MASSA」のオーナーシェフとして活動していたが、2019年3月14日、不慮の事故により49歳で死去[17]。「鉄人」としてのレギュラー出演者では最年少だったにも関わらず初の物故者となった。

対戦成績(特別番組を除く)

放送日 勝敗 挑戦者 テーマ食材 審査員 備考
1997.6.13 萩原雅彦(伊) ショートパスタ 栗本慎一郎、かとうかずこ岡田真澄、岸朝子 リターンマッチ
1997.7.25 ステファノ・タバッキ(伊) キャベツ 景山民夫、高橋ひとみサンプラザ中野、岸朝子
1997.10.3 今井富士男(和) 松茸 景山民夫、大石恵片岡鶴太郎、岸朝子
1997.10.31 関 雄二(中) 加納典明、かとうかずこ三谷幸喜、本間千枝子
1997.11.28 高田和奈利(和) 白子 加納典明、橋本志穂長嶋一茂、石井美子
1997.12.5 ボタンエビ 延長戦
1997.12.19 高木康政(パティ) イチゴ 加納典明、細川直美長嶋一茂、岸朝子 クリスマスデザート対決
1998.1.16 深津泰弘(仏) シカ 秋元康、斉藤慶子石原良純、岸朝子
1998.3.13 マリオ・フリトーリ(伊) ブロッコリー 栗本慎一郎、東ちづる江夏豊、岸朝子
1998.5.8 渡辺庸生(メキシコ) マンゴー 加納典明、高田万由子コーン、岸朝子
1998.6.26 笹島保弘(伊) 賀茂茄子 栗本慎一郎、かとうかずこ石原良純、岸朝子
1998.7.31 酒井美代子(タイ) ワタリガニ 加納典明、岸本加世子武田修宏、細木数子
1998.10.2 田崎真也(ソムリエ) 中トロ 栗本慎一郎、川島なお美岡田眞澄、岸朝子
1998.10.30 坂井謙介(伊) カボチャ 栗本慎一郎、岸本加世子長嶋一茂、岸朝子
1998.11.20 笹岡隆次(和) 天然舞茸 栗本慎一郎、秋野暢子パンツェッタ・ジローラモ、岸朝子
1998.12.11 米田裕道(伊) タコ 加納典明、細川直美高橋英樹、岸朝子 郷ひろみ推薦チャレンジャー
1999.1.22 コスタンティーノ・ジェッモリ(伊) ピーマン 加納典明、大石恵舛添要一、岸朝子
1999.2.12 辻口博啓(パティ) バナナ 栗本慎一郎、雛形あきこ熊川哲也、岸朝子 デザート対決
1999.4.26 フランコ・カンツォニエーレ(伊) トマト 栗本慎一郎、東ちづるパンツェッタ・ジローラモ、細木数子
1999.6.11 長田 誠(中) 巨大伊勢エビ 加納典明、細川直美片岡鶴太郎、細木数子
1999.7.23 山岡昌治(仏) ジャンボマッシュルーム 加納典明、一色紗英加藤和彦、岸朝子
1999.8.13 酒井博基(伊) アナゴ 栗本慎一郎、岸本加世子中条きよし、細木数子

注釈

  1. ^ なお、1993年10月10日放送の第1回(対決)の制限時間は90分間だった。翌週10月17日放送の第2回(フォアグラ対決)より60分間に変わった。
  2. ^ ただし、1993年10月31日放送のフグ対決では、主宰の試合開始宣言の後、ふぐ調理師の有資格者がその場で、毒を含む部分と食用が許可された部分を分離する処理を行い、その後改めて、福井アナの合図により60分間の試合が開始された。
  3. ^ この時は両者に調理中アクシデントが発生し納得がいく料理を作れなかったためこのような措置が取られた。
  4. ^ 正確な所在地は千代田区平河町
  5. ^ 加賀田京子、小林カツ代、崔玉芬の3名に敗退、ただし加賀田とはその後再対戦で勝利している。陳の対女性挑戦者との対戦記録は8勝3敗となっている。
  6. ^ ただし、特番で1敗している。
  7. ^ 5連勝以上だと4回達成している。
  8. ^ 坂井ととろろ芋対決で対戦した藤井宗哲の妹。藤井も登場。
  9. ^ 小林カツ代の息子。
  10. ^ 1回目の8連勝の時は道場とのタッグマッチでの勝利を挟む。
  11. ^ a b 三兄弟の長男サルヴァトーレ・クオモと次男ラッファエレ・クオモのタッグ。
  12. ^ 1995年末に山陰中央テレビ制作、中国・四国ブロックネット5局にて放映されたオマージュ番組『決定!鉄人の鍋』の優勝者。「鉄人甲子園」岡山県代表として出場。
  13. ^ 放送4ヶ月後の1997年5月15日、不慮の転落事故(店舗内の階段で転倒し、頭部を負傷)により37歳の若さで急逝。鉄人への挑戦者の中では最初の物故者となり、後述の1999年9月に放送された世界最強シェフ決定戦の際には会場の挑戦者席に遺影が飾られた。
  14. ^ 当時の夫は元プロ野球選手で、当時大阪近鉄バファローズの二軍投手コーチを務めていた小林繁。シーズン中の放送だったが、小林本人も実況席ゲストとして出演していた。
  15. ^ 個人戦での記録。ただし間にタッグマッチでの1敗を挟む。
  16. ^ 2012年12月31日放送分「アイアンシェフ」の成績を加えると、40戦34勝5敗1分 通算勝率85.0%となる。
  17. ^ 神田川も中村と同じく「なだ万」の出身であり、奇しくも「なだ万」出身者同士の対戦となった。
  18. ^ この対決のテーマ食材選定と発表も、主宰ではなく道場が行っている。
  19. ^ ただし、復活版アイアンシェフで、和のアイアンシェフ黒木純も初戦黒星となっている。またこの日の対戦相手の萩原はリターンマッチで2回目の出演だった。
  20. ^ 後身の『アイアンシェフ』でも「鹿賀主宰は亡くなった」という設定になっており、2012年10月26日放送の初回2時間SPでは、冒頭で主宰の玉木宏が、初代主宰の鹿賀の墓を訪れていたシーンが存在した。当然、鹿賀は2022年7月現在も存命である。
  21. ^ 特番も含む。レギュラー放送での通算成績は2勝1敗。陳と中村に勝利、坂井に敗れている。
  22. ^ 陳に対しては団体戦での勝利。ただしこの団体戦は同票かつ同点の結果となったが鹿賀の独断で最終判定がなされた。
  23. ^ タコが食材の対戦では番組初期に陳も程に敗れている。
  24. ^ 坂井に敗れた2敗のうち1回は団体戦での敗北。またこの団体戦では陳と宮本荘三とチームを組んでの出演だった。
  25. ^ 山野辺自身も福島県の出身である。
  26. ^ 基本的にLUNA MATTINOの衣装が使われていた。
  27. ^ うち1勝は引き分け再試合での勝利。
  28. ^ このシーンはもう使用されていない
  29. ^ なお、政見放送という性質上、これはこの番組のネット局であったテレビ静岡以外の在静民放3局と静岡県内のNHK総合テレビでも放送された。
  30. ^ 日曜日時代は、当該時間帯で日本テレビ系列の『オシャレ30・30』を1週遅れで放送していた関係で、30分遅れの23:00 - 23:30に放送していた。その後1994年4月の金曜23時に移行と共にフジテレビ系列シングルネット化され、同時ネットとなった。
  31. ^ ニュースJAPAN』初回放送の拡大部分でも提供。
  32. ^ その前はJT1996年12月6日のみ時間帯の都合でセコム)のCMを放送していた

出典

  1. ^ 日本放送協会 (2016年11月4日). “『きょうの料理』一挙93本、若き日の“鉄人”たちも!”. NHK番組発掘プロジェクト通信. 2023年3月14日閲覧。
  2. ^ 「中華の鉄人」で活躍、四川飯店グループ会長陳建一さんが死去”. 朝日新聞 (2023年3月14日). 2023年3月14日閲覧。
  3. ^ a b 日本テレビ (2023年3月14日). “料理人の陳建一さん、間質性肺炎のため死去 67歳 “中華の鉄人”としてテレビで活躍”. 日テレNEWS. https://news.ntv.co.jp/category/culture/49aa7274efcf4b4b8a5092b85a7b6522 2023年3月14日閲覧。 
  4. ^ フジテレビ「料理の鉄人」 編『料理の鉄人』(初版第1刷)フジテレビ出版、1994年8月10日、58、64ページ頁。ISBN 4-594-01495-X 加賀田にはその後逆リターンマッチを挑み勝利した。
  5. ^ フジテレビ「料理の鉄人」 編『料理の鉄人』(初版第1刷)フジテレビ出版、1994年8月10日、116、121ページ頁。ISBN 4-594-01495-X 
  6. ^ 「料理の鉄人大全」p.87、p.165によれば、この時に坂井は陳に「陳さんが辞めるなら俺も辞める」「やるんだったら二人で一生懸命やろう」と語ったという。
  7. ^ 「料理の鉄人」司会の鹿賀丈史が陳建一さんに追悼コメント「いつも笑顔を絶やさないお人柄でした」”. スポーツ報知 (2023年3月14日). 2023年3月14日閲覧。
  8. ^ 《追悼》フレンチの鉄人・坂井宏行シェフが盟友・中華の鉄人へ「大好きでした」”. テレビ朝日 (2023年3月14日). 2023年3月14日閲覧。
  9. ^ 和の鉄人・道場六三郎さん、陳建一さんを追悼「僕も92歳で年寄りだから、待っててよ」”. ENCOUNT (2023年3月14日). 2023年3月14日閲覧。
  10. ^ 「料理の鉄人大全」 p161
  11. ^ 「料理の鉄人大全」 p163
  12. ^ 「料理の鉄人大全」 p.103
  13. ^ 「料理の鉄人大全」 pp.102 - 107の本人へのインタビューでは、「いかにも「なだ万」らしい料理を作っても『料理の鉄人』では勝てない」「あの番組では伝統的な和食は喜ばれない」として、それに気づくまでは苦労したことを吐露している。
  14. ^ 有馬温泉 四季の彩 旅篭|館主・大田忠道”. 2019年5月16日閲覧。
  15. ^ 「料理の鉄人大全」 pp.120 - 125
  16. ^ 「料理の鉄人 大全」 p.123
  17. ^ 「料理の鉄人」神戸勝彦さん死去 鎧塚俊彦氏ら追悼 - 日刊スポーツ 2019年3月19日
  18. ^ a b c 「料理の鉄人大全」 pp.76 - 79
  19. ^ 料理の鉄人 : 13年ぶり“復活” 10月からレギュラー放送”. 毎日新聞 (2012年9月7日). 2012年9月7日閲覧。
  20. ^ 「料理の鉄人大全」 p.50
  21. ^ 「料理の鉄人大全」 p.151
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  23. ^ インドネシア出張料理
  24. ^ アーカイブされたコピー”. 2007年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月3日閲覧。
  25. ^ フジ『料理の鉄人』がNetflixで復活 アメリカ版は6月に全世界独占配信、ブラジル版・メキシコ版も制作へ Netflixコンペティションショー『アイアン・シェフ~伝説の鉄人を探求~』”. 株式会社フジテレビジョン (2022年5月3日). 2022年5月3日閲覧。
  26. ^ 「料理の鉄人」アメリカ版、Netflixで6月15日から世界190の国と地域で配信”. 日刊スポーツ (2022年5月3日). 2022年5月3日閲覧。
  27. ^ 料理の鉄人 キッチンスタジアムツアー まとめ (セガサターン)/ファミ通.com
  28. ^ a b c セガサターンマガジン 1996年2月23日号 217ページ






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