支倉常長 支倉常長の立体像

支倉常長

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支倉常長の立体像

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仙台城二の丸にある最も著名な常長像(2010年8月)

各地の支倉常長の立体像の多くは、青葉山公園仙台城二の丸にある佐藤忠良制作の銅像を基に鋳造されている[14]。足跡順に記載。

日本宮城県仙台市青葉区 仙台城二の丸[14]北緯38度15分26.8秒 東経140度51分19.1秒 / 北緯38.257444度 東経140.855306度 / 38.257444; 140.855306 (日本:仙台市・仙台城二の丸。支倉常長像の位置)

1972年昭和47年)設置。支倉常長生誕400年記念事業による。

日本:宮城県石巻市 月の浦公園[14]北緯38度22分54.5秒 東経141度25分49.4秒 / 北緯38.381806度 東経141.430389度 / 38.381806; 141.430389 (日本:石巻市・月の浦公園)

1987年(昭和62年)設置[15]

日本:宮城県松島町 みちのく伊達政宗歴史館

ローマ教皇パウロ5世への謁見の再現[2]

メキシコゲレーロ州アカプルコ[14] 日本広場(北緯16度51分25.8秒 西経99度53分29.2秒 / 北緯16.857167度 西経99.891444度 / 16.857167; -99.891444 (メキシコ:アカプルコ)

1973年(昭和48年)11月設置[16][17]。仙台市との姉妹都市締結記念[16][17]
当初は、オルノスビーチ近くの太平洋を望む州立公園において、常長像の視線を仙台の方向に向けて建立された[16][17]。しかし、1990年代初めに西に300m移動され、さらに1997年平成9年)にアカプルコ湾に沿って走る「コステラ・ミゲル・アレマン」という大通りの中央緑地帯に移転された[16][17]。この中央緑地帯にはマハトマ・ガンディーなど世界の著名な偉人の像が並べられており、常長もそのような偉人の1人としてアカプルコ市が扱ったことになるが、当初の建立地から数km離れ、海を望めない状態になった[16][17]。この情況を憂えたメキシコの宮城県人会「メキシコ宮城青葉会」の会長(気仙沼市出身)が日本に帰郷した際に訴えたため、2008年(平成20年)1月25日に石巻市の慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)を訪れた駐日メキシコ大使に同館館長が伝えると、大使は善処を約束した[18]2010年(平成22年)6月16日に常長像は、日交流400周年を記念してカラバリビーチに開設する日本広場へ移設され、同年7月5日に日本広場開所式と共に支倉常長像移転式が開催された[19][20]。これにより再び常長像の視線は、太平洋の先の仙台の方向に向けられた[20]
2012年(平成24年)7月5日、同じ「日本広場」内に、御宿町が寄贈した高さ9メートルの「日墨交通発祥記念之碑」が建てられた[21][22]
ハバナ旧市街中心部に位置する仙台城壁公園にある支倉常長像(2006年3月)

キューバハバナ北緯23度8分36.9秒 西経82度21分10.4秒 / 北緯23.143583度 西経82.352889度 / 23.143583; -82.352889 (キューバ:ハバナ)

2001年(平成13年)4月26日設置。仙台開府400年を記念して仙台育英学園関係者および市民有志が寄贈。
佐藤忠良作の像とは違って右手を上げ、目的地のローマの方向を指して建っている。

スペインアンダルシア州セビリア県コリア・デル・リオ[14] カルロス・デ・メサ公園(北緯37度17分00秒 西経6度03分00秒 / 北緯37.28333度 西経6.05000度 / 37.28333; -6.05000 (スペイン:コリア・デル・リオ)

1992年(平成4年)6月設置。慶長遣欧使節団渡航380年記念事業による。グアダルキビール川に面したカルロス・デ・メサ公園に川に向かって建つ。
常長像建立後にコリア・デル・リオを訪問した日本人たちが、像の一部が破壊され、落書きがされていると報告していたが、2008年(平成20年)2月28日に仙台から訪問した青葉城資料展示館主任学芸員らがその惨状を確認した[14][23]。その後、コリア・デル・リオ当局が台座を黒く塗って落書きを消したが、2010年(平成22年)1月時点では破壊された太刀や持ち去られた航海図のプレートの修復は行われていなかった[14][24]
チヴィタヴェッキアにある常長像(2008年8月)

イタリアラツィオ州ローマ県チヴィタヴェッキア[14] カラマッタ広場(北緯42度5分38.9秒 東経11度47分24.5秒 / 北緯42.094139度 東経11.790139度 / 42.094139; 11.790139 (イタリア:チヴィタヴェッキア)

1991年(平成3年)設置[15]。石巻市との姉妹都市締結20周年を記念。チヴィタヴェッキア港を望むカラマッタ広場に建つ。
チヴィタヴェッキアにある日本聖殉教者教会のドーム壁画に支倉常長の肖像もある。

フィリピンマニラ首都圏マニラ北緯14度35分0秒 東経120度58分0秒 / 北緯14.58333度 東経120.96667度 / 14.58333; 120.96667 (フィリピン:マニラ)

日本:宮城県黒川郡大郷町 支倉常長メモリアルパーク北緯38度23分33.1秒 東経140度58分40.6秒 / 北緯38.392528度 東経140.977944度 / 38.392528; 140.977944 (日本・大郷町・支倉常長メモリアルパーク)

1996年(平成8年)7月設置[25]

  1. ^ 本作品中央に走る縦の剥落および無数の横皺は、仙台藩に没収されたか支倉家で秘匿する際、枠から外され、2つ折りされた上で巻かれたため生じたと推測される。
  2. ^ イエズス会士の主導で築かれたキリシタン風の日本語ローマ字綴りは、イベリア半島の綴り(主に当時のポルトガル語)に依拠した綴字であり、xは基本的には[ʃ]を表わしているので、xiはシの音写である(なおeの前では[s]になるのでxeはセになる)。また、vはウ音を表わしていると思えばよいが、元来vは子音[w]と母音[u]を双方表わす字であった。紀元後の俗ラテン語の中で子音[v]もこれが管轄するところとなったが、vの下部が特に丸く表記されたuの字が母音[u]を表わす独立した字として十分に確立するのは17世紀より後のことである。支倉在世当時にはまだvで[u]を表わす文化が広く残っており、vとuの書き分けもかなり広く見られるようにはなっていたものの、権威ある場面であるほど書き分けず古式通りにされる傾向があった(同じ文書内でも、全部大文字の題字では母音もVで表わすが本文内ではuを使う、というようなことがある)。つまり、FAXICVRAは概ね「ファシクラ」だと思えばよい。
  3. ^ このような例は内藤如安の内藤家系図にも見られる。
  4. ^ MASTERキートン』10巻の「CHAPTER 7 祈りのタペストリー」に支倉常長がもたらしたとされるタペストリーが出てくる。
  5. ^ /vo/ は「を」を表記するために用いられた綴りで、xは先注の通り[ʃ]であるから、 Voxu は「奥州」(陸奥国)のことである。
  6. ^ “Idate Masamvne”、現代風のローマ字表記では Idate Masamune だが、これは「伊達政宗」を指す。伊達がかつて「いだて」と発音されていたことについては「伊達氏」を参照。
  1. ^ a b 慶長遣欧使節”. 仙台市博物館. 2016年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 読売新聞』よみほっと(日曜別刷り)2021年2月7日1面【ニッポン絵ものがたり】サムライ大使*支倉常長像(1615年)信義伝わる波乱の傷跡
  3. ^ 田代希文ほか『伊達世臣家譜略記』作並清亮〈仙台文庫叢書〉、1896年9月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780468 [要ページ番号]
  4. ^ 支倉常長隊”. 支倉常長隊. 川崎町役場 地域振興課. 2016年7月6日閲覧。
  5. ^ 大泉 1999, p. 不明[要ページ番号].
  6. ^ 樫山巌『支倉常長の謎』創栄出版、1993年。ISBN 4882503255 [要ページ番号]
  7. ^ “常長思いハポンの地へ遡る…コリア・デル・リオ(スペイン)”. 『読売新聞』. (2015年1月15日). オリジナルの2017年9月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170902211219/http://www.yomiuri.co.jp/life/travel/writer/20150610-OYT8T50592.html 2016年7月6日閲覧。 
  8. ^ 支倉常信・川内支倉氏について”. 臨済宗妙心寺派 桂蔵寺. 2019年6月20日閲覧。
  9. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.51
  10. ^ 松田 1987, p. 不明[要ページ番号].
  11. ^ “声清らかに常長たたえ 昭和初期の歌が65年ぶり復活 大郷”. 『河北新報』. (2010年8月25日). オリジナルの2010年8月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100827070216/http://www.kahoku.co.jp:80/news/2010/08/20100825t15003.htm 
  12. ^ CiNii 図書 - 日本奥州國伊達政宗記并使節紀行”. 国立情報学研究所. 2019年6月20日閲覧。
  13. ^ 『伊達政宗遣欧使節記』”. 京都外国語大学付属図書館. 2019年6月20日閲覧。
  14. ^ a b c d e f g h “常長像が〝泣いている〟”. 三陸河北新報社. (2010年1月4日). オリジナルの2010年11月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101128000251/http://sanriku-kahoku.com/news/2010_01/i/100104i-tsunenaga.html 
  15. ^ a b ロマン海遊21”. 社団法人石巻観光協会. 2013年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月20日閲覧。
  16. ^ a b c d e “メキシコの常長像 立ち往生”. 『三陸河北新報』. (2007年7月25日). オリジナルの2007年8月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070819073346/http://sanriku-kahoku.com/news/2007_07/k/070725k-tunenaga.html 
  17. ^ a b c d e 常夏のアカプルコ?-姉妹都市の象徴「支倉常長像」は今?”. 支倉常長の足跡を追う旅. 2012年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月20日閲覧。
  18. ^ “来夏メキシコ友好行事”. 『三陸河北新報』. (2008年1月26日). オリジナルの2008年11月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081121162816/http://sanriku-kahoku.com/news/2008_01/i/080126i-mekisiko.html 
  19. ^ 日墨交流400周年”. 在メキシコ日本国大使館. 2010年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月20日閲覧。
  20. ^ a b “常長像が海辺に“帰還” 13年ぶり、移設工事完了”. 『河北新報』. (2010年6月23日). http://jyoho.kahoku.co.jp/member/backnum/news/2010/06/20100623t11011.htm [リンク切れ]
  21. ^ 石田義廣(編)「御宿」(PDF)第600号、御宿市企画財政課、2012年8月、 オリジナルの2016年8月16日時点におけるアーカイブ。 
  22. ^ “交流発展へ「友好の証し」 メキシコに記念碑寄贈 御宿町”. 千葉日報オンライン版. (2012年7月11日). http://www.chibanippo.co.jp/news/local/90219 2016年7月18日閲覧。 
  23. ^ 南スペイン①-コリア・デル・リオにてハポン姓を想い、支倉常長像を憂う-”. 支倉常長の足跡を追う旅 (2008年7月10日). 2012年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月20日閲覧。
  24. ^ 大沢慶尋 (2013年6月19日). “皇太子殿下、ハポン姓の町コリア・デル・リオをご訪問!”. 学芸員・大沢の研究ノート Second Season. 2016年7月6日閲覧。
  25. ^ 大郷町のあゆみ”. 大郷町. 2012年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月20日閲覧。






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