握り寿司 歴史

握り寿司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 17:28 UTC 版)

歴史

握り寿司の誕生

浮世絵に描かれた寿司(歌川広重・江戸後期)

握り寿司は寿司の中では歴史が浅く、江戸時代・文政年間に考案されたものといわれる[2]

「妖術と いう身で握る 鮓の飯」『柳多留』(1827年作句、1829年(文政12年)刊)が、握り寿司の初出文献である。握り寿司を創案したのは「與兵衛鮓」華屋與兵衛とも、「松の鮨(通称、本来の屋号はいさご鮨)」堺屋松五郎ともいわれる。

江戸前(江戸の前=のちの東京湾)の魚介類と海苔を使用する江戸前寿司は、江戸中の屋台で売られるようになった。『守貞謾稿』によれば

握り寿司が誕生すると、たちまち江戸っ子にもてはやされて市中にあふれ、江戸のみならず文政の末には上方にも「江戸鮓」を売る店ができた。天保の末年(1844年)には稲荷寿司を売り歩く「振り売り」も現れた

という。この頃には巻き寿司もすでに定着しており、江戸も末期、維新の足音も聞こえてこようかという時代になって、ようやく現代でもポピュラーな寿司が、一気に出揃ったわけである。この頃の握り寿司はおにぎりのような大きさであり、食事というよりはおやつの位置づけとなっていた[11]

普及

明治30年代(1897–1906年)頃から企業化した製氷のおかげで、寿司屋でも氷が手に入りやすくなり、その後は冷蔵箱だけではなく電気冷蔵庫を備える店も出てくる。近海漁業の漁法や流通の進歩もあって、生鮮魚介を扱う環境が格段に良くなった。江戸前握り寿司では、これまで酢〆にしたり醤油漬けにしたり、あるいは火を通したりしていた素材も、生のまま扱うことが次第に多くなっていく。種類も増え、大きかった握りも次第に小さくなり、現代の握り寿司と近い形へ変化しはじめた時代である。

1923年(大正12年)の関東大震災により壊滅状態に陥った東京から寿司職人が離散し、江戸前寿しが日本全国に広まったとも言われる[12][13][14]

統制

第二次世界大戦直後、厳しい食料統制のさなか、1947年(昭和22年)飲食営業緊急措置令が施行され、寿司店は表立って営業できなくなった。東京では寿司店の組合の有志が交渉に立ち上がり、1合の米と握り寿司10個(巻き寿司なら4本)を交換する委託加工として、正式に営業を認めさせることができた。近畿をはじめ全国でこれに倣ったため、全国で寿司店といえば江戸前ずし一色となってしまった。ちなみに1合で10個の握り寿司ならかなり大きな握りで、いわゆる「大握り」と呼ばれる江戸時代・明治初期を思わせる大きさである[注釈 1][注釈 2]。当時を知る職人は、「あらかじめダミーの米を入れる袋を用意して店頭に置き、取り締まりを逃れて営業したこともある」と述べている。


  1. ^ a b 吉野昇雄『鮓・鮨・すし―すしの事典』(旭屋出版 1990年(平成2年))では戦後の委託加工制度が始まってから寿司が小さくなったとしているが、「すしの雑誌 第6集」(旭屋出版 1978年(昭和53年)1月)の「座談会すし商売今昔」では吉野も出席した中、戦前の寿司のサイズについてシャリが十匁と言うことで異論が出ていない。1940年(昭和15年)の木下謙次郎「続々美味求真」では、2升で200個握るとしている。これは、1合を10個に握るという戦後の委託加工制度と一致する。吉野の著作では、委託加工制度の寿司が実際に一合分の米を使っていたかどうかは明記されていない。
  2. ^ a b 江戸時代の川柳に「妖術という身で握るすしの飯」とあり、片手でもう片方の手の指を握る動作を描写している。妖術という様からすれば、握っている指は1本か2本。内田栄一によると美家古ずしのすしは昔大きく、指4本分あったと言う。指4本握ったのでは「妖術」という様ではないようだ。
  3. ^ 篠田統の著書「すしの本」(1966年(昭和41年))の増補版(1970年(昭和45年))で追加された「東京ずし雑話」(吉野昇雄からの聞き取り)と、吉野昇雄自身が雑誌『近代食堂』で連載した記事(1971年(昭和46年)3月号)に登場するフレーズ。チャンチキは海苔巻きを交差させて盛る、盛り方の名前。「かん」については特に盛り方であると言うような説明は無い。篠田統は「貫」と当てているが、吉野昇雄は「貫の字を当てるべきだろうか」とやや主張が弱い。なお、雑誌『近代食堂』にて寿司を「カン」と数えるようになったのは、吉野昇雄の記事が載って以降。それ以前は「個」と数えていたが、徐々に「カン」と記述することが増えてゆく。
  4. ^ yahooのネット上の辞書大辞泉によっても、あるいは助数詞に詳しい辞書、三省堂新明解国語辞典第6版にも、寿司を1かん、2かんと数える記述は見あたらない。広辞苑第六版、三省堂国語辞典第六版では、握り鮨の数え方として記載されている。
  5. ^ 宮尾しげを『すし物語』井上書房 1960年(昭和35年)。2丁づけが戦後広まったこと、庖丁を入れて2つに切らせることが標準的でない旨、書き記されている。なお、宮尾しげをが「二丁づけの始まり」と紹介している「宇の丸」のすしは、2個のすしを4つに切って一皿に盛ったもの。
  6. ^ 浅見安彦「すし調理師入門」柴田書店1970年(昭和45年)では、普通10匁(37.5グラム)くらいが一個分としている。旭屋出版『すし技術教科書(江戸前ずし編)』旭屋出版 1975年(昭和50年)では、握り寿司一個の大きさは寿司飯25~35グラムくらいとしている。中山幹「すしの美味しい話」社会思想社 1996年(平成8年)11月では、握り寿司一個の大きさは(一応)25グラムが標準としている。家庭料理の本だが、為後喜光「家庭の味 特選おすし113」家の光協会1992年3月でも、一つ25グラムにするように書かれている。
  7. ^ 現在[いつ?]も1つずつ提供する店もある(小野二郎「すきやばし次郎-生涯一鮨職人」プレジデント社 2003年(平成15年)12月)。
  8. ^ 夕刊フジBLOG「言葉のタネ明かし」の「1貫」の項(2007年10月26日時点のアーカイブ)では、「数え方の辞典」(小学館)及び筆者の記憶から、2個で1貫と呼ばれていたことを記述している。
  9. ^ 上の注で引用されている資料は、飯田朝子・町田健「数え方の辞典」小学館2004年(平成16年)4月のことと思われる。この論は、飯倉晴武編著『日本人 数のしきたり』(青春出版社刊 2007年(平成19年))の「1貫文=100文」同様、前提が破綻している。由来としている「銭1貫分の大きさ」と言う説は、ほぼ4キログラム分の銅貨と同じ大きさと言う意味で(同書では、1貫分の銭は1,000文か960文としている)、無理がある。同じ飯田朝子の「数え方もひとしお」(小学館2005年(平成17年)11月)では、調査に不備があったこと、銭の1貫は握り寿司の大きさたりえないことを認めている。同書では、吉野昇雄による解説を引用して、戦後になって寿司が小さくなってから、2つずつ提供する習慣になったと言う説を採用している。また、1940年(昭和15年)の木下謙次郎「続々美味求真」に2升で200個握るとされていること、2個づけが戦後始まっていることを考えても、大きかったので2つに分けたと言う説には無理がある。「言葉に関する問答集」(国立国語研究所 2001年(平成13年)3月)では、2個1かんの諸説を挙げた上で、1個1かんが有力としている。2つを1かんとする論では、論理的に整合性の取れた由来が示されていない。
  10. ^ 穴あき銭説による1貫は、以前では現在の大きさの寿司2個で1かんとすることもあった。これは穴あき銭1貫分は一口で食べるには大きすぎるため、2つに分けて握るようになったためと言われている(飯田朝子・町田健「数え方の辞典」小学館2004年(平成16年)4月)。飯田朝子「数え方もひとしお」(小学館2005年(平成17年)11月)で、誤謬であったことが明かされている。
  11. ^ 毎日新聞社編『話のネタ』PHP文庫 1998年 p.417では「駄じゃれでいただけない」と解説されている
  12. ^ 長谷川町子の漫画「いじわるばあさん」には、主人公が白人女性にこの呼び方をキュウリの「レインコート(=カッパ)」とともに教えるという話があるが、寿司店店主に「フザけた奴だヨ」とぼやかれている。
  13. ^ 『仏説稲芋経』の「稲」に当たる語。
  1. ^ a b c 岡田哲著『たべもの起源事典』東京堂出版 p.347 2003年
  2. ^ a b c d e f 日本調理科学会編『新版 総合調理科学事典』光生館 p.389 2006年
  3. ^ 板前の魚山人『寿司の握り方』-「シャリをつかんでまとめる時、お握りと寿司をわける」
  4. ^ 車海老は種に酢飯を載せてから握る
  5. ^ a b マルハ広報室編 『お魚の常識非常識「なるほどふ~ん」雑学』 p.55–56 講談社プラスアルファ文庫 2000年
  6. ^ a b c d 岡田哲著『たべもの起源事典』東京堂出版 p.349 2003年(諸説ある中の一説として紹介)
  7. ^ コトバンク
  8. ^ 永瀬牙之輔『すし通』28、1930年。
  9. ^ 朝日新聞出版重金敦之『すし屋の常識・非常識』177p~180pより。
  10. ^ 錦寿司 お寿司の食べ方
  11. ^ 朝日新書『すし屋の常識・非常識』重金敦之(30頁)より
  12. ^ Sunday Book Review Raw
  13. ^ 加藤秀俊『明治大正昭和食生活世相史』柴田書店1977年、148頁に関西に握りずしをはやらせた原因として記されている。
  14. ^ 国立民族学博物館研究報告 第18巻4号628頁(注7)に代表例として、東京浅草の寿司職人で、京都における寿司組合活動の礎を築いた中島清次郎が記されている。
  15. ^ 二村隆夫監修「丸善単位の辞典」(丸善2002年03月)
  16. ^ 「みんなの知識 ちょっと便利帳」-6. 辞典に「すし」の数え方はどのように登場するのか
  17. ^ 山川正光「絵でみるモノの数え方辞典-ことば百科」誠文堂新光社 2004年(平成16年)10月
  18. ^ 篠田統「すしの話」、長崎福三「江戸前の味」
  19. ^ 1960年(昭和35年)宮尾しげを著『すし物語』
  20. ^ 内田正「これが江戸前寿司 弁天山美家古」ちくま文庫1995年(平成7年)、篠田統「すしの本」柴田書店1966年(昭和41年)
  21. ^ Yahoo辞書 - あがり【上がり/揚がり】
  22. ^ Yahoo辞書 - あがりばな【上がり花】
  23. ^ 佐川芳枝「寿司屋のかみさん寿司縁ばなし」中央公論社 2001年(平成13年)4月
  24. ^ 京都府寿司生活衛生同業組合 寿司作法
  25. ^ a b c d e f g h i j k l m 毎日新聞社編『話のネタ』PHP文庫 p.417 1998年
  26. ^ 重金敦之『すし屋の常識・非常識』朝日新書・190頁より。
  27. ^ 宮尾しげを『すし物語』111P 井上書房。
  28. ^ 伊藤武(1996)『語るインド』(KKベストセラーズ、ISBN 4-584-18271-X
  29. ^ 重金敦之『すし屋の常識・非常識』朝日新書・30頁より。




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