捕虜 捕虜に関する法律

捕虜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 06:17 UTC 版)

捕虜(ほりょ、Prisoner of war, POW)とは、武力紛争戦争内戦等)において敵の権力内に陥った者をさす。近代以前では、民間人を捕らえた場合でも捕虜と呼んだが、現在では捕虜待遇を与えられるための資格要件は戦時国際法により「紛争当事国の軍隊の構成員及びその軍隊の一部をなす民兵隊又は義勇隊の構成員[1][2]」等定められている[注釈 1]


注釈

  1. ^ 捕虜の定義は、1907年のハーグ陸戦条約附属規則では第1条 - 第3条、1929年の俘虜の待遇に関する条約では第1条、1949年のジュネーヴ第3条約では第4条にある。
  2. ^ 例:ハーグ陸戦条約(陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約)では、prisonniers de guerre(フランス語)の訳語に「俘虜」[3]を用いている。
  3. ^ マーワルディーによると、多神教徒から来る財として戦利品であるファイロシア語版(fay‘)[9]ガニーマアラビア語版(ghanīma)[10]について述べている。ファイはウマイヤ朝カリフウマル2世によってムスリム全体のために保有される征服地の土地として分配不可能な不動産を指し、ガニーマは分配可能な動産を指す。マーワルディーは、うち、ガニーマの種類として、戦争捕虜、敵方の婦女子の捕虜、不動産および動産の4つを上げている。
  4. ^ 姫路収容所については、公式史料には現れていない施設が近年新たに見つかっている。[1]

参照

  1. ^ 1949年のジュネーヴ第3条約 第4条A(1)
  2. ^ 防衛省・自衛隊:国際連合憲章”. www.mod.go.jp. 2022年10月28日閲覧。
  3. ^ 俘虜』 - コトバンク
  4. ^ ただし日露戦争期から「捕虜」という用語が軍史料で使われることもあり、俘虜と捕虜の比率は変化している。
  5. ^ 甲5套大日記 裁判所伺 水夫末松善藏外1名処分の件”. www.jacar.archives.go.jp. 2022年8月31日閲覧。
  6. ^ 石川1等軍医正 賊の捕虜になった者の殺害に関する通知の通報”. www.jacar.archives.go.jp. 2022年8月31日閲覧。
  7. ^ マーワルディー『統治の諸規則』(2006)pp.312-
  8. ^ 『イスラム世界』27・28号, 社団法人日本イスラム協会, 1287.3. p.43-66.
  9. ^ ファイ』 - コトバンク
  10. ^ ガニーマ』 - コトバンク
  11. ^ マーワルディー『統治の諸規則』(2006)pp.324-325
  12. ^ ブハーリー『真正集』遠征の書、第61章2節。
  13. ^ アハメド(2000)pp.123-125
  14. ^ 東京新聞』特報2004年11月1日付
  15. ^ a b c d 才神時雄『松山収容所』中央公論社、1969年。 
  16. ^ 「陸軍大臣ヨリ 松山及丸亀二俘虜収容所設置ノ旨通知」(明治37年2月12日)『俘虜ニ関スル書類綴』大本営陸軍副官部、防衛研究所所蔵。
  17. ^ a b c 宮脇, 昇『ロシア兵捕虜が歩いたマツヤマ』(Shohan)愛媛新聞社、Matsuyama-shi、2005年。ISBN 4-86087-038-7OCLC 122987011https://www.worldcat.org/oclc/122987011 
  18. ^ 鈴木敏夫『日露戦争裏面史』私家版、2003。 
  19. ^ a b c 広瀬健夫「日露戦争になける日本兵捕虜についての一考察」『人文科学論集』第22巻、信州大学人文学部、1988年3月、144,146、hdl:10091/11244ISSN 02880555CRID 1050001338912142208 
  20. ^ 宮脇昇「日露戦争の捕虜収容所をめぐる競合規範の間隙」『政策科学』第19巻第4号、立命館大学政策科学会、2012年3月、161-175頁、hdl:10367/3763ISSN 09194851CRID 1520290884177616000 
  21. ^ 坂本悠一、近藤正己、竹野学、加藤聖文、徐民教、庵逧由香、塚崎昌之、今泉裕美子『地域のなかの軍隊 7巻 植民地 帝国支配の最前線』吉川弘文館、2015年、91頁。ISBN 9784642064798全国書誌番号:22577959https://id.ndl.go.jp/bib/026303243 
  22. ^ 例えば、(喜多義人「日本はロシア捕虜をいかに扱ったか :捕虜収容所の生活と待遇」『正論』臨増第391号、産経新聞社、2004年12月、282-293頁、CRID 1524232503229924096 )は、厚遇論である。
  23. ^ Kupchinskīĭ, F. P. (Shōwa 63 [1988]). Matsuyama Horyo Shūyōjo nikki : Roshia shōkō no mita Meiji Nihon. Tōkyō: Chūō Kōronsha. ISBN 4-12-001686-2. OCLC 20252101. https://www.worldcat.org/oclc/20252101 
  24. ^ a b c Miyawaki, Noboru; 宮脇昇 (2005). Roshia-hei horyo ga aruita Matsuyama : Nichi-Ro Sensō ka no kokusai koryū. 宮脇昇 (Shohan ed.). Matsuyama-shi: Ehime Shinbunsha. ISBN 4-86087-038-7. OCLC 122987011. https://www.worldcat.org/oclc/122987011 
  25. ^ a b 『マツヤマの記憶』
  26. ^ 資料公開”. Researchmap. 2022年8月4日閲覧。
  27. ^ a b 陸軍省『明治三十七八年戦役俘虜取扱顛末』有斐閣、1907年。doi:10.11501/774514NCID BA30638218https://dl.ndl.go.jp/pid/774514/1/1 
  28. ^ a b 『2005年度 松山ロシア兵捕虜収容所研究』松山市、2006。 
  29. ^ 陸軍省軍務局砲兵課, 海軍軍令部『明治三十七八年戰役陸軍省軍務局砲兵課業務詳報』私製、1992年。 NCID BB15035112 
  30. ^ a b 日露戦争で収容「捕虜でなく人間」 ロシア兵の手紙、母国の新聞に”. 神戸新聞 (2019年5月8日). 2019年5月8日閲覧。
  31. ^ 大日本陸軍副官部『明治37年12月ヨリ明治39年5月マテノ分 俘虜ニ関スル書類綴』
  32. ^ Highlights from the Archives”. fanningtheflames.hoover.org. 2022年8月19日閲覧。
  33. ^ 例えば北海道大学スラブ研究センター 日露戦争捕虜収容所関係絵葉書帖 – Hokkaido University Library (hokudai.ac.jp)
  34. ^ 例えば松山で646日を過ごしたエカテリーノスラフ艦長のセレツキー海軍中佐の手記が残っている。646 дней въ плieну у японцевъ / Г. Селецкiй, In-house reproduction:Reprinted by xerography. Ogirinally published: С.-Петербургъ : В. Березовскiй, 1910
  35. ^ 【松山編】松山に残るロシアとの絆 ー映画化により注目されるスポットを巡るー | IRC|株式会社いよぎん地域経済研究センター”. www.iyoirc.jp. 2022年8月23日閲覧。
  36. ^ 二之丸史跡庭園 | 恋人の聖地 | 松山城”. www.matsuyamajo.jp. 2022年8月19日閲覧。
  37. ^ 誓いのコイン:坊っちゃん劇場 - BOTCHAN THEATER”. www.botchan.co.jp. 2022年8月19日閲覧。
  38. ^ [2] 捕虜は1904年9-10月に松山に収容された後、1905年に善通寺収容所に転送された。善通寺収容所で撮影された写真が後世に残っている。徳島の写真家と元ロシア兵捕虜のひ孫 100年の時経て交流 県内収容時の写真が縁 | BUSINESS LIVE (shikoku-np.co.jp)
  39. ^ ビーツでまちおこし! 姫路とロシア兵の縁とは… | おでかけトピック | 兵庫おでかけプラス | 神戸新聞NEXT”. www.kobe-np.co.jp. 2022年8月19日閲覧。
  40. ^ 平井屯 (1985). “「郷土の帰化植物」”. 『松前史談』 創刊号. 
  41. ^ 愛媛県の姫だるまがマトリョーシカの起源?神㓛天皇がモデルとされる説も”. DO?GO!愛媛. 2022年8月19日閲覧。
  42. ^ 恩地森一、道堯浩二郎、堀池典生「愛媛Gianotti病顛末記」『肝臓』第47巻第11号、日本肝臓学会、2006年、518-523頁、doi:10.2957/kanzo.47.518ISSN 04514203CRID 1390282679767388544 
  43. ^ 秦郁彦「南京事件」中公新書,p193
  44. ^ 『日本兵捕虜は何をしゃべったか』.
  45. ^ p.153『日本軍は本当に残酷だったのか』丸谷元人 2014年
  46. ^ World War II -- prisoners of war POWs Japan”. 2022年4月8日閲覧。
  47. ^ “捕虜の1割が死亡 全国にあった収容所のこと、書き残す [戦後75年特集:朝日新聞デジタル”]. (2020年10月7日). https://www.asahi.com/articles/ASNB542GNN9TUTIL01Y.html 
  48. ^ 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝  戦跡紀行ネット ‐日本の近代と慰霊の地を巡る‐ 平和観音と平和島(大森捕虜収容所跡)”. 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝.. 2023年3月24日閲覧。
  49. ^ 直江津捕虜収容所跡地 平和記念公園・展示館”. 新潟県上越市. 2023年3月24日閲覧。
  50. ^ ■ 『シベリア鎮魂歌――香月泰男の世界』 こんなにも静かな痛哭の絵があったのだ (2004.9.24)”. http://www.kana-smart.sakura.ne.jp/ (指揮者 大野和士). 2023年3月24日閲覧。
  51. ^ 北、韓国兵捕虜を「奴隷化」 子孫の代まで搾取 人権団体報告”. AFP (2021年2月25日). 2021年2月24日閲覧。
  52. ^ “日本でもモザイクなしで… ウクライナ公開のロシア兵捕虜の動画は「国際法違反」人権団体が声明”. バズフィード. (2022年3月18日). https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/demomozaikunaside-ukurainanorosiahaga?bfsource=relatedmanual 





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