抗生物質 歴史

抗生物質

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歴史

近代以前の感染症治療

20世紀以前の世界において、感染症の治療は専ら伝統医学によって行われるものであった。抗菌性を持つ物質を利用した治療の記録は紀元前から既に存在している[26]古代エジプト古代ギリシャなどの古代文明社会では、特定のカビや植物を感染症の治療に利用した[27][28]。また、ヌビアのミイラからは大量のテトラサイクリンが検出されている。これは当時生産されていた発酵食品などに由来するテトラサイクリンが蓄積したものであると推測されており[29]、彼らが食事を通じたテトラサイクリンの摂取により感染症から守られていた可能性が指摘されている[30]。古くから行われていた治療法には有効性を検証されているものもあり、1000年前のレシピに従って野菜、ワイン、胆汁を混ぜて作った薬がメチシリン耐性黄色ブドウ球菌に対して有効性を示したとする報告が2015年になされている[31][32]。抗生物質への耐性の歴史も非常に古く、抗生物質が発見されるはるか昔、数十億年前からある種の耐性遺伝子は存在していたと推定されている[30][33]

合成抗菌薬の開発

抗生物質の発見の前に、微生物が他の微生物の増殖を抑制する現象は知られていた。例えば1887年にはルイ・パスツールらが、炭疽菌を他の好気性細菌と一緒に培養すると増殖が抑制される現象を発見している。また1889年にはジャン・ポール・ヴュイルマン英語版が、「ある生物が生存のために他の生物を殺す関係性」を抗生と定義している[34]。1890年代には緑膿菌の抽出物が多くの患者に対して使用した報告がなされており、抗生物質の臨床応用に関するおそらく世界初の報告とも言われる[31]

サルバルサンを開発したエーリッヒと秦

近代的な抗菌薬の歴史はサルバルサンを開発したポール・エーリッヒと、ペニシリンを発見したアレクサンダー・フレミングの2人と結びつけられることが多く[30]、まずはエーリッヒらが色素に由来する合成抗菌薬を発見し[35][36][37]、選択毒性に基づく感染症の化学療法という概念を初めてもたらした[22][38]。エーリッヒらは当時重大な副作用の代償にわずかな効果しか得られない無機水銀塩によって治療されていた梅毒の治療薬を開発するため、秦佐八郎らと共に今日でいうところの化合物スクリーニングを1904年に開始した。彼らが1909年に試験した606番目の化合物は、梅毒に罹患したウサギに有効性を示し、後にヘキスト社によってサルバルサンとして販売される。エーリッヒはサルバルサンの開発で成功を収め、改良版であるネオサルバルサンは1940年代まで最も多く処方される治療薬だった[30][39]。彼らのスクリーニングを用いた治療薬開発の手法は他の合成抗菌薬の開発にも応用され、色素として開発されたプロントジルが感染症治療薬としても有用であることがゲルハルト・ドーマクらによって明らかにされるなど、サルファ剤をはじめとした様々な抗菌薬が発見されていった[30]。プロントジルの抗菌性を見出したドーマクは、1939年にノーベル生理学・医学賞を受賞している[注 2][40]

発見と研究の黄金期

1928年9月3日のフレミングによるペニシリンの発見は一つの失敗を機に成されたものであり、セレンディピティとしても知られる[12][30]。フレミングは休日を終えて当時の職場であるセント・メアリーズ病院に出勤し、実験台で培養していたペトリ皿のブドウ球菌にカビがコンタミしていることに気づく。この時、フレミングはコンタミしたカビが周囲の細菌の増殖を抑制している様子を観察し、この増殖抑制がアオカビの産生する物質によるものであることと、その物質をペニシリンと名付けたことを論文として投稿した[12][41]。その後オックスフォード大学ハワード・フローリーエルンスト・ボリス・チェーンらの研究により大量生産が可能になると、フローリーらはペニシリンの臨床試験を1941年から1942年にかけて実施する。この臨床試験でペニシリンは何ら副作用を示さずに絶大な効果を発揮した。ペニシリンは第二次世界大戦後には広く使われるようになり、1945年にはフレミング、フローリー、チェーンの3名が、ペニシリンの発見とその後の研究によってノーベル生理学・医学賞を受賞している[12]

ストレプトマイシンの発見者であり、抗生物質を定義したワクスマン

サルバルサン、プロントジル、ペニシリンの3つの抗菌薬の発見はその後の抗菌薬の開発研究に大きな影響を与え、1950年代から1970年代にかけて抗生物質研究は黄金期を迎える[30]。1930年代の終わりにはセルマン・ワクスマンが抗生物質の探索を開始する[31]。1940年代に抗生物質を定義したワクスマンは[13][14]結核に有効なネオマイシンストレプトマイシンなど多数の抗生物質を発見し[31]、その貢献に対して1952年にはノーベル生理学・医学賞が授与された[42]

この時代の抗生物質の発見は土壌のスクリーニングを行って有用な微生物を発見することによって成し遂げられた。そのため、この時代の製薬会社は世界中から土壌試料を集めて回っている。例えばエリスロマイシンを産生する放線菌は、イーライリリー・アンド・カンパニーが雇っていたフィリピンの医師が1949年に庭で発見したものである[43]。放線菌は抗生物質を産生する主要な微生物として知られ、1945年から1978年までの間に発見された抗生物質のうち55%は放線菌に由来するものである[31]。この時代に発見・開発された新しい系統の抗生物質・合成抗菌剤としてアミノ配糖体セファロスポリンクロラムフェニコールテトラサイクリンマクロマイドキノロントリメトプリムなどが挙げられる。抗生物質開発の黄金期を迎えた研究者の中には感染症の克服を期待した者もいたが、それ以降、新しい系統の抗生物質の発見はほとんど無く、一方で1990年代頃から新興感染症や薬物耐性の問題は大きくなっていった[44]

耐性菌の出現と新たなアプローチ

上述の通り、抗生物質への耐性は抗生物質を人類が使用する前から存在していた。例えば、イギリスの標準菌株として初めて登録された細菌は1915年に登録された赤痢菌だが、この菌株はペニシリンとエリスロマイシンに対する耐性遺伝子を持つことが2014年に明らかにされた。一方で人類の農業と医療における抗生物質の利用は、環境中における耐性菌を増加させ、抗生物質の効果を減じてきたことが知られる[45]

現在においては耐性菌の出現は不可避であり、時間の問題でしかないと考えられており、抗生物質が使用されるようになると数ヶ月から数年後には耐性菌が出現する[14]。サルファ剤の耐性は1930年代に知られる様になり、1928年に発見されたペニシリンも、本格的に使用される様になる前の1940年にはペニシリンを分解する酵素の存在がペニシリンの開発者によって発見されている[16]。サルファ剤やペニシリン以外にも、例えばストレプトマイシンは1944年に発見の翌年には耐性菌が発見されている。バンコマイシンは例外的で、耐性菌の出現は導入からおよそ30年が経過した1987年のことであった。バンコマイシンの耐性出現が遅れた背景にはその限定的な利用があったと考えられる。これは1950年代から1960年代にかけての間は、バンコマイシンよりも優れた抗生物質が利用可能であったためである[14]

1970年代からは新しい抗生物質がほとんど発見されなくなる[30]。例えば、グラクソ・スミスクラインアストラゼネカは大規模なスクリーニングによる新規製剤開発研究を行ったが、目的とする抗生物質の実用には至っていない[31]。一方で耐性菌の出現により、既存の抗生物質は効果を失っていく。そこで、既存の抗生物質に対し、活性を高めたり、ヒトへの毒性を弱めたりするような改変を施すことで新しい抗菌薬を開発されるようになる。しかし改変された抗生物質に対しても細菌は耐性を獲得するため、ヒトと細菌の間で「いたちごっこ」は続いている[30]。近年では海洋やヒトのマイクロバイオームなどの土壌以外の環境から抗生物質を探索する試みもなされている[31]

抗生物質に対する耐性菌の出現や、新規に開発される抗生物質の減少を受けて、抗生物質の代替が研究されている。この文脈における代替とは抗菌薬の様な化合物で細菌を制御するものではなく、細菌が感染する宿主の体を標的とした化合物や、細菌を標的とする従来の抗生物質とは異なる物質のことをいう。代表的な例として、細菌を標的とする抗体、宿主に健康上の利点をもたらす微生物と定義されるプロバイオティクスファージが産生して細菌を溶解する働きを持つライシンやファージ自体、自然免疫系を活性化する免疫賦活剤、感染を防ぐためのワクチンなどが挙げられる[46]


注釈

  1. ^ ワクスマンはBiological Abstractsの編集長の問いかけに対し答える形で抗生物質 (antibiotic) という名詞を定義したが、その年については曖昧であり、1941年[13] とする場合と1942年[14] とする場合がある[15]。他に1945年に提唱したとする文献もある[11]。また、抗生 (antibiosis) の形容詞形としてのantibioticはワクスマンがantibioticを名詞として使用する前から利用されていた[15]
  2. ^ ただし、ドーマクはナチスの圧力を受けて一度受賞を辞退し、1947年に改めて受賞した[40]
  3. ^ 細胞壁は動物細胞以外の細胞、すなわち植物、真菌、細菌の細胞に存在するが、細胞壁を構成する成分は各々異なる。植物にはセルロースヘミセルロースペクチンが、菌類にはキチンが、細菌にはペプチドグリカンが含まれる[49]。逆にマイコプラズマのように細胞壁を持たない細菌も存在する[50]
  4. ^ 例えばブラストサイジンSは高濃度でイネに薬斑と呼ばれる淡黄色の斑紋を生じる[123]

出典

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