手塚治虫 関連人物

手塚治虫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 08:03 UTC 版)

関連人物

家族

祖父・手塚太郎司法官で、1886年(明治19年)に創立された関西法律学校(現・関西大学)の創立者の一人である。大阪地方裁判所検事正から名古屋控訴院検事長長崎控訴院長などを歴任した。曾祖父・手塚良仙適塾に学んだ蘭方医で、1858年(安政5年)に江戸の神田お玉ヶ池種痘所(現・東京大学医学部の前身)を設立した人物の一人でもある。その生涯は治虫の晩年の作『陽だまりの樹』でフィクションを交えつつ描かれており、福澤諭吉自伝(『福翁自伝』)にも記録が残っている。遠祖平安時代武将手塚光盛とされる。家系図[261] (なお作家活動時には多くの書籍で生年を大正15年(1926年)と紹介していた)。

父・粲は住友金属に勤める会社員であり、カメラを愛好するなどモダンな人物であった。当時非常に珍しかった手回しの9.5mmフィルム映写機(パテベイビー)を所有しており、治は小学校2年生から中学にかけて、日曜日には家にいながらにしてチャップリン喜劇映画、マックス・フライシャーディズニーのアニメ映画を観ることができた[262]。そのため治は幼少時から漫画家よりもむしろアニメ監督になることを夢見ていたという[263]。なお、父はカメラにはまる前は漫画にも凝っていて、漫画への理解があり、家には田河水泡の『のらくろ』シリーズや、中村書店の「ナカムラ・マンガ・ライブラリー」、「ナカムラ・繪叢書」など、200冊を超える漫画本があったという[264]。また、後に父が母に向けて書いたラブレターを発見した際、ラブレターに漫画が描かれてあるのを発見し、治虫は「やっぱり自分は父の息子だ」と思ったという[265]。粲は晩年はファンクラブの世話人として、手塚の元を訪れるファンを接待していた。

母・文子は、服部英男(陸軍中将[266][267]陸士11期[266][267]陸大23期[267]輜重兵将校[267]、最終補職は輜重兵監[267]。)の娘で[266]、厳しいしつけのもとに育ち、夫には絶対服従であったが、戦中に夫が召集された際は、生活費の捻出や畑仕事から隣組の役員まで務める働き振りを示す[268]一方で、幼少期の治に子守唄代わりに絵本や漫画を登場人物ごとに声音を使い分けて読み聞かせていた。母もまた漫画好きであり、後に治虫の長男・眞が治虫の書斎で『のらくろ』を読んでいたところ、ページの隅にパラパラ漫画を発見した。てっきり治虫によるものだと思っていたが、後になって文子が描いたものだったと判明したという[269]。1983年1月4日、74歳で没[2]

治虫は初期の自伝などで父を悪く書き、母を持ち上げるというエディプスコンプレックス丸出し[注 21] の行動を取っている。父を強権的で母に無理を押し付ける亭主関白として、あるいは治虫自身に害のある行動を取ったと回想しているものであり、そのうちの一部は後にエッセイなどで事実上の撤回をしている(初期の自伝などで父は漫画を買ってくれず主に母が漫画を買ってくれたとしていたが、後年のエッセイではむしろ父親が買ってくれていたと変わっている)。実妹・美奈子は治虫没後のインタビューで、父親について決して強権的ではなく家庭サービスにも熱心であったと述べている[270]。この事は「ぼくの漫画期」にも載っている。

治は長子で、下には2歳下の弟・浩と4歳下の妹・美奈子(結婚後は宇都に改姓)がいる。浩は「子供の頃昆虫の事が元でああじゃね、こうじゃねと話していたら取っ組み合いのケンカになった。殴り合いでね、こっちは軽く勝つと思っていたら兄貴強かったですよ。だから、ヨワムシとかナキムシとか言ってたけどあれはまるで嘘ですよ。」と語っている。2009年2月9日放送の「BS20周年企画 手塚治虫2009」では手塚の同級生とともに宝塚市の手塚治虫記念館に訪れている。美奈子は「戦争が始まって兄はどこか変わった。それまでは天国のような生活だったけど、戦争が始まって軍事教練などさせられて兄のプライドは傷付いた」と話している。美奈子は手塚のキャラクター・ヒョウタンツギの創作者でもある[271]

妻の悦子(旧姓・岡田)は、血の繋がらない親戚で幼馴染であった。結婚が第一次ベビーブームと重なっていたため、結婚前に2回しかデートができず[272]、しかも結婚披露宴では1時間前まで閉じ込められて原稿を描き遅刻してしまったという[273]。悦子は梅花高女(現・梅花中学校・高等学校)出身であり、この学校が当時「大阪のひどい方で一流の、つまりすごい学校」だったため、手塚は「鉄火肌のおもしろい子」を期待して悦子と結婚したが、実際に結婚してみるとそうではないことがわかったという[274]

子供は3人。長男は映像作家手塚眞 (本名は「真」、悦子夫人が真実一路という言葉を好んでいたので命名)。長女はプランニングプロデューサー・地球環境運動家の手塚るみ子(少女雑誌の懸賞の当選者に「るみ子」という名前があったので命名)。次女は女優の手塚千以子(ちいこ・『千夜一夜物語』にちなんで命名)。また、声優松山薫は姪。

妻、長男、長女の3人が手塚治虫に関する本を刊行している。

アシスタント経験者

日本で漫画制作作業の専業アシスタント制度(プロダクション制作システム)を最初に始めたのは手塚治虫であるといわれている。 なお以下のリストは完全なものではない。手塚治虫は、アシスタントは通例2-3年程度で独り立ちすることを良しと考えていた。

トキワ荘・初台時代

  • 藤子不二雄(安孫子素雄) - 「漫画少年」連載の『ジャングル大帝』の最終回等をアシスト
  • 藤子・F・不二雄(藤本弘) - トキワ荘メンバーと共に雑誌未掲載の「ぼくのそんごくう」をアシスト
  • 石森章太郎(石ノ森章太郎) - 高校時代に光文社「少年」連載の『鉄腕アトム』「電光人間の巻」など複数をアシスト
  • 赤塚不二夫 - 石森と共に「少女クラブ」掲載の『火の鳥(ギリシャ編)』をアシスト(ペン入れ)
  • 横山光輝 - 「少年」連載の『鉄腕アトム』をアシスト
  • 桑田二郎 - 「少年」連載の『鉄腕アトム』をアシスト
  • 永島慎二 - 『丹下左膳』をアシスト
  • 松本零士 - 『複眼魔人』をアシスト

アニメーション制作のスタッフ

以下のリストは完全なものではない。なお虫プロダクションの最盛期には従業員が400人以上もいたといわれる。

  • 中村和子(穴見和子) - 虫プロ立ち上げ時から多くの商業・実験作品にアニメーターとして
  • 杉井儀三郎
  • 坂本雄作
  • 紺野修司
  • 杉山卓 - 演出、チーフディレクター
  • 北野英明
  • 勝井千賀雄
  • 出崎統 - 虫プロ
  • 出崎哲
  • 山本暎一 - 動画、演出、監督
  • 林重行(りんたろう)
  • 坂口尚 - アニメ関係で手塚治虫の片腕として活躍
  • 伊藤叡 (虫プロでフィルム編集)
  • 西崎義展(虫プロ商事にも在籍していた事もある。また『海のトリトン』『ワンサくん』のプロデューサー)
  • 富野由悠季(『鉄腕アトム』で多数の脚本と演出。また『海のトリトン』の監督)
  • 宮本貞雄
  • 赤堀幹治
  • 八田陽子 - 彩色(杉山卓の実妹とあるので。おそらく虫プロ時代は杉山陽子[要出典]
  • 石郷岡豪
  • 柴山達雄
  • 高橋良輔
  • 安東穂夫
  • 五味明
  • 永島慎二
  • 平田敏夫
  • 杉野昭夫
  • 川尻善昭
  • 正延宏三
  • 瀬山義文
  • 瀬谷新二 - 手塚プロのアニメーター・作画監督
  • 石井元明
  • 山本繁
  • 片岡忠三
  • 渡辺恒光
  • 永樹凡人
  • 香西隆男
  • 宇田八郎
  • 青木茂
  • 岡迫亘弘
  • 田中英二 - 作画・原画
  • 大島やすいち
  • 河井竜
  • 古川雅士
  • 尾形治敏
  • 小林準治 - 後期の実験アニメの作画を担当
  • 豊田有恒(虫プロ文芸部)
  • 石津嵐(虫プロ文芸部)。磐紀一郎と同一人物
  • 下崎闊(本名:下関闊(しもぜきひろし)、別名:下崎潤、真佐美ジュン、正佐美ジュン)
  • 雪室俊一 - 脚本
  • 鈴木伸一 - テレビシリーズや劇場作品など
  • 星新一 - 文芸部
  • 辻真先(桂真佐喜名義で多くのアニメ作品に脚本家として参加)
  • やなせたかし - 虫プロ「千夜一夜物語」の美術担当、自絵本作品の劇場アニメ化版「やさしいライオン」の製作。
  • 高井達雄 - 作曲家(ある街角の物語、虫プロ鉄腕アトム)
  • 冨田勲 - 作曲家(東映動画『シンドバットの冒険』、虫プロ『新宝島』、虫プロ『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』、『どろろ』、『千夜一夜物語』、『クレオパトラ』、『展覧会の絵』など)
  • 宇野誠一郎 - 作曲家(『W3』、『悟空の大冒険』、『不思議なメルモ』(オリジナル版)、虫プロ『アンデルセン物語』)
  • 大野雄二 - 作曲家(『バンダーブック』、『海底超特急マリン・エクスプレス』、『フウムーン』、『プライム・ローズ』)
  • 大野松雄 - 『虫プロアトム』の音響効果、音楽監督
  • 鈴木清司 - 手塚プロ作品の選曲、音楽監督
  • 倉橋静男 - 手塚プロ作品の音響効果
  • 田代敦巳 - 音響ディレクター
  • 明田川進 - 音響ディレクター
  • 谷川一彦 - 作画
  • 吉村昌輝
  • 横山菁児 - 虫プロのアニメ「リボンの騎士」などの画の動きに合わせるオーケストラの演奏の指揮者(音楽団:フールサウンズ)。

その他、手塚の創作活動を支えた人物

  • 島方道年(導年) - 明治製菓を経て、マネージャー兼社長室部長として旧虫プロに招かれる。手塚プロダクション初代社長。
  • 清野正信 - 虫プロ商事勤務を経て文民社に移籍。
  • 葛西健蔵 - 育児用品メーカー「アップリカ」の創業者。旧虫プロ倒産時に手塚の再建を支援。その縁で手塚プロダクションの取締役も務めた。2017年逝去。
  • 森晴路 - 手塚プロの社員となり講談社の手塚治虫全集を担当。後に手塚プロダクション資料室長。2016年逝去。
  • 古徳稔 - 晩年のマネージャー。手塚の没後はアニメ製作プロデューサーや出版局長を歴任。2020年逝去。
  • 清水義裕 - アルバイトとして手塚プロに入り、手塚が指揮するテレビスペシャルの制作進行を務める。その後正式に入社。2020年現在取締役。

手塚治虫を演じた俳優

掲載誌の編集者

これはまだ不完全なリストである。

  • 新井善久(講談社「少女クラブ」担当編集者、『火の鳥』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 青木和夫(秋田書店「週刊少年チャンピオン」担当編集者)
  • 阿久津信道(秋田書店「冒険王」と「漫画王」担当編集長で『冒険狂時代』『ぼくのそんごくう』。元秋田書店取締役編集局長、2007年9月12日死去) ※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 阿久津邦彦(秋田書店「少年チャンピオン」編集者)
  • 井岡秀次(講談社「週刊少年マガジン」)
  • 伊藤嘉彦(秋田書店「週刊少年チャンピオン」担当編集者(ブラックジャック4代目担当編集者)、現・幻冬舎コミックス代表取締役社長)
  • 内田勝(講談社「週刊少年マガジン」)※ 少年マガジン編集長。W3事件参照。
  • 大浦静雄(潮出版社、7年間『ブッダ』の連載を担当)
  • 大塚公平(秋田書店「週刊少年チャンピオン」副編集長、映画評論家)
  • 大和田俊司(秋田書店「週刊少年チャンピオン」編集者)
  • 岡本三司(秋田書店「週刊少年チャンピオン」編集者)※『ブラック・ジャック』初代担当
  • 加藤謙一(学童社「漫画少年」)※ 戦前に小学校教師から講談社に転職して「少年倶楽部」編集長になる。敗戦で公職追放を受けて個人で学童社を興していた。偶然そこを訪問した手塚が携行していた赤本用原稿を見て掲載を決めた結果が長編連載漫画『ジャングル大帝』となった。
  • 壁村耐三(秋田書店「少年チャンピオン」)※ 『ぼくのそんごくう』(秋田書店「冒険王」)連載時の編集部員で、後に『ブラックジャック』連載開始時の少年チャンピオンの編集長。
  • 刈谷政則(大和書房)
  • 河野安廣(秋田書店「週刊少年チャンピオン」編集者)
  • 熊藤男(秋田書店「週刊少年チャンピオン」副編集長)
  • 桑田裕(光文社「少年」担当編集者)
  • 栗原良幸(講談社週刊少年マガジン編集者「三つ目がとおる」)
  • 小林鉦明(かねあき)(少年画報社、秋田書店)
  • 志波秀宇(ひでたか)(小学館「ビッグコミック」)『地球を呑む』『きりひと賛歌』※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 篠田修一(大都社)※手塚治虫ファンクラブ顧問も務めた。
  • 戸田利吉郎(少年画報社)
  • 豊田亀市 (小学館「週刊少年サンデー」の初代編集長)
  • 中村一彦 (小学館「少年サンデー」、どろろの担当手塚番)
  • 長崎尚志 ※「かつて手塚先生の担当だったわたしは…」という文章を「パイドン」の制作発表で寄稿していることから,何かの作品編集を担当したらしいが,詳細は不明。
  • 牧野武朗(講談社「なかよし」初代編集長、「週刊少年マガジン」の初代編集長)※ 講談社「少女クラブ」担当編集者のとき手塚に連載を依頼(「リボンの騎士」)。
  • 松岡博治(朝日ソノラマ単行本「サンコミックス」、雑誌「マンガ少年」担当編集者で、『鉄腕アトム』『火の鳥』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。※ 現・メディアファクトリーコミック出版事業部エグゼクティブプロデューサー。
  • 松谷孝征(たかゆき)(実業之日本社「漫画サンデー」編集者)※ その後1973年から16年間手塚治虫のマネージャーを勤め、請われて1985年4月から手塚プロダクション代表取締役社長。※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 丸山昭(講談社「少女クラブ」担当編集者で『リボンの騎士』『火の鳥』(共に少女クラブ版))※ 著書やインタビュー記事のほか、「神様の伴走者13+2」にも寄稿あり。
  • 峯島正行(実業之日本社の編集者)- 『週刊漫画サンデー』の初代編集長
  • 宮原照夫(講談社「週刊少年マガジン」編集長(4代目)、『W3(少年マガジン版)』『三つ目がとおる』『手塚治虫漫画全集』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 西村繁男(集英社「週刊少年ジャンプ」)
  • 野口勲(虫プロ商事の編集者)
  • 橋本一郎(朝日ソノプレス社、朝日ソノラマの編集部、元少年画報社編集者、「サンコミックス」創刊編集長)
  • 福島健夫(編集長、実業之日本社「漫画サンデー」の編集者)
  • 鈴木敏夫(徳間書店「コミックアンドコミック」「アニメージュ」の編集)
  • 上野明雄(小学館「小学一年生」「小学三年生」の担当編集者を経て編集長)
  • 吉倉英雄(集英社「月刊少年ジャンプ」編集者)
  • 長野規(集英社の月刊「おもしろブック」編集員、後に週刊少年ジャンプ初代編集長)
  • 黒川拓二(元少年キング編集長で『ノーマン』『鬼丸大将』『紙の砦』『アポロの歌』を担当)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 豊田亀市(小学館「少年サンデー」で『スリル博士』『0マン』『キャプテンKen』『白いパイロット』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 鈴木五郎(小学館「中学生の友」で『流星王子』『おお!われら三人』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 池田幹生(文藝春秋「週刊文春」で『アドルフに告ぐ』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 石井文男(虫プロ商事「COM」二代目編集長で『火の鳥』(COM版))※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 鈴木俊彦(小学館「ビッグコミック」創刊時の編集長『地球を呑む』)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 竹尾修(潮出版社「希望の友」「少年ワールド」「コミックトム」の編集者。『ブッダ』と絶筆『ルードウィヒ・B』の担当)※「神様の伴走者13+2」に寄稿あり。
  • 山崎邦保(虫プロ商事「COM」創刊編集長(1969年3月号まで)で『火の鳥』(COM版))
  • 山本順也(小学館)
  • 白井勝也(小学館)
  • 御木基宏(小学館)

世界に手塚作品を紹介した人物

フレデリック・L・ショット
手塚治虫の作品を多数翻訳したほか、手塚治虫を含めて日本の漫画を海外に紹介する書籍を多数書いた。日本に留学で居住していたことがあり、火の鳥の翻訳作業を最初として手塚と親交関係にあった。
2017年に長年の漫画を通じた国際文化交流への功績により2017年度国際交流基金賞受賞者。

日本国外の作家

マウリシオ・デ・ソウザ
ブラジルの漫画家。
1984年に手塚が国際交流基金の文化専門家派遣事業でブラジルを訪れて以来、親交を持ち、手塚がブラジルに行く際には必ず彼と会い、その逆もまた然りであった。ソウザによると、手塚は暴力を作品に導入したことを大変後悔していたらしく、比較的平和的なソウザの作風を「漫画はこうあるべきだ」と称していた[275]。お互いのキャラを一つの作品にクロスオーバーとして登場させようとの計画があったが、手塚の死で一時断念。しかし、ブラジルでも日本の漫画が出版され、ソウザのキャラも日本の漫画風にアレンジされた本も出されたことによって、計画が再度発動、そして実現する運びとなった[276]パロディオマージュ、リメイクなどではなく、手塚のキャラが公式として他人の作品に登場するのは史上初だといわれる。アマゾンの保護を巡るストーリーは2012年2月、3月に上下巻で発行された。
手塚側のキャラは「リボンの騎士」のサファイア、「ジャングル大帝」のレオ、そして「鉄腕アトム」のアトムなどである。
  • Mauricio de Sousa (2012). Turma da Monica Jovem: Tesouro Verde. Panini. ISBN 9788573518764 

注釈

  1. ^ 生前は1926年生まれと自称していた「現代漫画6巻 手塚治虫集」(筑摩書房)著者紹介など。
  2. ^ a b c d テレビアニメとしてはそれ以前に『もぐらのアバンチュール』『新しい動画 3つのはなし』『インスタントヒストリー』『おとぎマンガカレンダー』などが放映されている。
  3. ^ 初出は開高健「マンガの神様・手塚治虫」(週刊朝日1964年2月21日号)。ちなみに、生前の手塚は著書『ぼくはマンガ家』のように、漢字表記の「漫画」よりカタカナ表記の「マンガ」を好んで使っていた。
  4. ^ ただし、後述の石原実は手塚没後のインタビューで「手塚がいじめっ子を自宅に呼んで漫画で懐柔・籠絡した」とされる点に疑問を呈している。石原によると、同窓会のたびに皆で「おかしいなー」と言っていたが、手塚本人に言うと「『すまん、すまん』とケロッとして」いたという。(池田啓晶他 『手塚治虫完全解体新書』 集英社、2002年、p238)
  5. ^ 旧制大学と旧制専門学校は明確に区別されており、旧制専門学校卒業生には学士号の授与も行われなかった。
  6. ^ 徹夜明けであっても映画館に駆け込んだという。『観たり撮ったり映したり』(手塚治虫著)
  7. ^ ただし、アニメーション『鉄腕アトム』関係者への聞き取りと資料の再調査を行った津堅信之は実際には「当初は1本155万円が代理店より制作費として支払われていた」としている。津堅によると、その後も制作料は少しずつ引き上げられており、「虫プロは確実に経営努力を実施して、かつ結果を得ている。『『アトム』を55万円で作ったから、その後のアニメ制作環境が悪くなった』という評価がいまだにあるとすれば、短絡的であると言わざるを得ない。」としている(津堅信之『アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質』NTT出版、2007年)。
  8. ^ アニメーターの大塚康生は、手塚が一方で理想のアニメに憧れながらも、遂にそれを成し遂げられなかった原因を、商業主義のためではなくて、手塚がアニメの技術について無知だったからだとしている。「演技設計やアニメートに無関心では優れたアニメーションになる筈がなかったように思います。実際、手塚氏はフル・アニメーションの基礎技術をディズニーなどの先達に学んだ形跡がなく、ろくにアニメーターの養成もせずに漫画的なリミテッドから出発している点も実に不思議です」(大塚『作画汗まみれ 増補改訂版』P95「4章 テレビアニメーション時代の幕開け」)
  9. ^ なお『どろろ』作中の妖怪は水木の影響を受けたと思われる点描が用いられている(夏目、151-152p)。
  10. ^ 手塚本人は1971年に経営者を退いていた。
  11. ^ しかし、癌であること自体は当時の医療慣習により本人には最後まで告知されず、胃潰瘍と告げられていた。
  12. ^ 医師法第八条の規定に基づき内閣が制定した医師法施行令の第四条第二項には「医師が死亡し、又は失そうの宣告を受けたときは、戸籍法(昭和二十二年法律第二百二十四号)による死亡又は失そうの届出義務者は、三十日以内に、医籍の登録のまつ消を申請しなければならない。」とあり、また同七条第一項には「医師は、医籍の登録のまつ消を申請するときは、住所地の都道府県知事を経由して、免許証を厚生労働大臣に返納しなければならない。第四条第二項の規定により医籍の登録のまつ消を申請する者についても、同様とする。」となっている。このため本来は死亡後三十日以内に遺族が医師の免許証の返納手続きをとるべきなのであったが、記念館内に展示保管されているため悪用される恐れがないこと、医師免許証に文化財としての価値があるという理由で、法令の本来の規定を超えた特例の措置がなされた。
  13. ^ トレードマークの縦縞がなく、胸の部分に「OSAKA」と描かれているデザイン。
  14. ^ この机は藤子不二雄Aの生家である富山県氷見市の光禅寺で展示されている。
  15. ^ 別の対談では、このとき手塚は家にいたが、母親に「留守です」と帰されたとも語っている
  16. ^ ただし、作中で説明されるのは井上ひさしが1971年に執筆した戯曲版のストーリーである。
  17. ^ うしおそうじは伝聞としてほぼ同じ内容を著書に記している(ただし、最後の「大阪人め」の箇所が「贅六め」という関西人への侮蔑語になっている)[221]
  18. ^ 手塚は『ぼくはマンガ家』において福井の死去が謝罪から「一カ月ほどたって」と記す一方、謝ったのは「綿のような雪の降る日」としており[220]、6月下旬に福井が死去した事実とは食い違っている。
  19. ^ 2011年時点で宮崎は70歳、手塚は60歳没である。
  20. ^ フジパンロボット館は閉幕後に愛知青少年公園(現・愛・地球博記念公園)に移設され、2005年に愛・地球博でも展示された。
  21. ^ なお、治虫の作品に父親の存在が希薄であることはしばしば指摘されている。(桜井、34p)

出典

  1. ^ a b 時事通信『時事年鑑 1990年版』時事通信社、1989年、205頁。
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  5. ^ 夏目, pp. 70–71.
  6. ^ 桜井, p. 31.
  7. ^ 手塚 1999, p. 20.
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  10. ^ 手塚 1997, pp. 20–22.
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  12. ^ 手塚 2009.
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  14. ^ 桜井, p. 32.
  15. ^ 手塚 1999, p. 29.
  16. ^ 手塚 1999, p. 274.
  17. ^ a b 桜井, p. 45.
  18. ^ 手塚 1997, p. 52.
  19. ^ 桜井, p. 58.
  20. ^ 手塚 1997, pp. 52–59.
  21. ^ 桜井, pp. 48–50.
  22. ^ 手塚 1997, p. 62.
  23. ^ なお、1947年の大阪帝国大学から大阪大学への名称変更に伴い、医学専門部も大阪大学附属医学専門部と改称された。
  24. ^ a b 桜井, p. 59.
  25. ^ 手塚 1999, pp. 57–60.
  26. ^ 手塚 1999, pp. 61–65.
  27. ^ a b 米澤, p. 13.
  28. ^ 河本寿栄『二代目さん 二代目桂春団治の芸と人』小佐田定雄青蛙房、2002年2月、130-131頁。
  29. ^ 手塚 1999, pp. 89–90.
  30. ^ 手塚 1999, p. 90.
  31. ^ 手塚 1999, p. 91.
  32. ^ 米澤, p. 82.
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  34. ^ 米澤, pp. 14–15.
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  36. ^ 米澤, pp. 15–16.
  37. ^ 米澤, p. 16.
  38. ^ 手塚 1999, pp. 98–99.
  39. ^ 公表されている手塚治の医師免許による。
  40. ^ 手塚 1999, p. 100.
  41. ^ 桜井, pp. 72–73.
  42. ^ 米澤, p. 21.
  43. ^ 米澤, p. 27.
  44. ^ 米澤, p. 23.
  45. ^ 米澤, pp. 23–24.
  46. ^ 手塚 1999, p. 183.
  47. ^ 手塚 1999, pp. 184–185.
  48. ^ a b 米澤, p. 31.
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  50. ^ a b 桜井, p. 118.
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  52. ^ 桜井, p. 119.
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  55. ^ 豊田, pp. 59–63.
  56. ^ アジア初の長編アニメ「西遊記 鉄扇公主の巻」新千歳空港で上映、岡田秀則の講演も”. 映画ナタリー (2017年11月3日). 2018年3月8日閲覧。
  57. ^ 纪念手冢治虫辞世20年 他曾让阿童木牵手孙悟空”. 网易娱乐 (2009年10月22日). 2017年11月6日閲覧。
  58. ^ 手塚 1999, pp. 33–34.
  59. ^ 山本.
  60. ^ 大宅壮一は1958年に「文藝春秋」で連載した「日本の人物鉱脈」で「最近私は"阪僑"という妙な言葉をつくって、大阪人気質、東京その他における大阪系人物のありかたを、南方諸地域や日本における中国人のありかたになぞらえて」と書いている。
    札埜和男『大阪弁「ほんまもん」講座』新潮社、2006年 ISBN 978-4106101601 p20
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