所沢市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 23:47 UTC 版)
歴史
先史
- 旧石器時代
所沢の近辺には、約2万年前から人類が定住しており、砂川遺跡を筆頭に市内には旧石器時代以降の遺跡や貝塚が点在している。
古代
- 古墳時代
東日本各地に多く見られることだが、当地にも日本武尊の東征伝説がある。戦勝を祈願したといわれる神社(所澤神明社や北野天神社の由来)や、あるいは篭手をかざした(地名・小手指の由来)といった伝承がある。
- 飛鳥時代
7世紀に律令制度のもと、武蔵国国府が現在の東京都府中市に設置されると、当地は武蔵国入間郡の一部となり、あわせて武蔵国国府と上野国国府を結ぶ官道が築かれた。これが東山道武蔵路であり、市内の南陵中学校でも遺構が確認されている。また、かつての郡境にあたる現在の松が丘付近には悲田処(行路病人などの救護施設)が設置されたという伝承がある。
武蔵国一帯は朝鮮半島からの渡来人が数多く定住しており、当地にも渡来人のコミュニティが存在していたとの説もある。
中世
- 平安時代
平安時代末期になると世情が乱れ、野武士軍団である武蔵七党の一派、村山党が定着した。現在も市内に多く存在する山口、村山、金子といった姓は、この流れである。
- 鎌倉時代
1192年に鎌倉幕府が成立すると、府中方面に通じていた街道は鎌倉街道上道となり、軍事的にも経済的にも重要な幹線道路として整備された。特に所沢は、上道と間道である堀兼道・羽根倉道の合流地点として栄えたという。
- 室町時代・南北朝時代
1333年、隠岐島に島流しされていた後醍醐天皇が伯耆国船上山(現・鳥取県東伯郡琴浦町内)で蜂起すると、上野国(群馬県)の新田義貞は呼応して鎌倉へ向かって進軍し、小手差原(現在の北野付近)で北条氏の兵と衝突、決着はつかず両軍とも一時兵を引いた。世にいう小手指原の戦いである。市内に残る白旗塚・将軍塚(松が丘)・誓詞橋(砂川堀)・勢揃橋(柳瀬川)といった地名は、この戦いに由来する。その後、1352年にも義貞の遺児である義興・義宗の兄弟が足利軍と小手指原付近で衝突している。(武蔵野合戦)
- 室町時代・戦国時代
戦国時代は関東管領扇谷上杉氏の支配下にあり、上杉氏家臣で守護代の大石氏が統治していた。のちに河越夜戦で上杉氏が衰退し後北条氏が台頭してくると、八王子城主北条氏照の支配下となった。柳瀬川沿いに山口城址・滝の城址などの中世城館跡が数か所残っている。
近世
- 江戸時代
江戸時代には江戸近郊として幕府直轄領が多く直接支配が及んでいたが、一部には川越藩領や旗本領も存在している。ただし、現在の市域のうち、日比田村だけは多摩郡に属し、明治13年に入間郡大岱村(現在の東村山市恩多町付近)と交換されるまで飛び地となっていた[7]。
近世には河原宿(現在の宮本町付近)から江戸四谷への道(江戸街道・おおむね現在の西武新宿線沿い・現所沢街道に近い)が整備され、東(江戸街道)・西(秩父道)・南(府中・八王子方面)・北(川越方面)へ延びる主要道路の中継地、あるいは物資の集積地として機能した。
また、市北部の富岡地区では、川越藩主柳沢吉保期に新田開発(三富新田開拓)が行われた(このうち上富地区は、現在は入間郡三芳町の域内にあたる)。
なお、地層が関東ローム層と礫層に覆われた武蔵野台地では地下水脈が深い乏水地域で、所沢市域でも井戸水の確保に苦労した。その惨状たるや「所沢の火事は土で消せ」と言われたくらいであり、実際に1818年(文化15年)2月の神明社、薬王寺及び民家142戸が焼失する大火など、江戸期には数回の大火が発生している。
近代
- 明治時代
|
明治維新後、現在の当市域の旧幕府直轄領だった大部分は1869年(明治2年)3月21日(旧暦2月9日)に品川県になり、同4月には市西部にあたる部分が韮山県に移管され[注釈 1]。 、1871年8月29日(旧暦7月14日)に川越藩領だった一部は川越県となった。同年12月25日(旧暦11月14日)に入間県発足で全域が入間県になり、1873年6月15日に熊谷県になった後、最終的に1876年8月21日、埼玉県に組み入れられた。1881年(明治14年)には上新井村の本宿と久米村の金山を編入し、所沢村から所沢町になった。1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴い、入間郡所沢町が成立した。
明治時代にも1875年(明治8年)、1880年(明治13年)、1885年(明治18年)などに大火があり、蔵造りの街並みが造られた。
1911年(明治44年)現在の並木地区を中心とした一帯に陸軍が日本初の飛行場(のち陸軍航空整備学校)を設置し、基地の町という新たな顔をもつことになった。現在、所沢が所沢航空記念公園を持ち「航空発祥の地」を標榜しているのは、これに由来する。
また、臨時軍用気球研究会所沢試験場が翌1911年4月1日に開場。4月5日に陸軍大尉徳川好敏による初飛行が行われたが、この際使用した飛行機がアンリ・ファルマン式複葉機だったことにちなみ、所沢駅西側には「ファルマン通り」という道が存在する。
なお、飛行場完成に合わせて武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)や旧西武鉄道(現在の西武新宿線)も競って基地への最寄駅を設置した(現在は両駅とも廃止)。
一方、交易中継地としての機能も健在で、「所沢飛白」「湖月縮」といった名産品により、「織物の町・所沢」として最盛期を迎えた。
- 昭和時代
1927年(昭和2年)東京市民の水がめとして、山口貯水池(狭山湖)の建設が開始され、1934年(昭和9年)に完成した。このため山口村の旧勝楽寺村と上山口村にわたる一帯が水没し、村の住民は隣の小手指村などに移住した。
狭山湖畔からの景観や付近の桜景色は、同湖完成直後から観光名所となり、後に周辺一帯が一大レジャーエリアとして開発される端緒となった。
しかしながら同湖の水は当市には供給されないため、町内では江戸時代と変わらず水の確保に苦労する状況であった。1934年(昭和9年)4月には大干ばつに見舞われ、近隣の町や陸軍飛行学校から給水を受ける有様であった。この状況は、上水道が完成する1937年(昭和12年)3月まで続いた。
1943年(昭和18年)所沢町と小手指・富岡・吾妻・松井・山口の5村が合併した。
戦時中の1945年(昭和20年)にはアメリカ軍による空襲で旧所沢町だけで死傷者が30名以上、家屋への被害も65棟に及んだ[8]。3月10日の東京大空襲では、所沢飛行場にも戦闘機が配備されていたが、強風と延焼により迎撃できなかった。8月15日の敗戦とともに、陸軍所沢飛行場および周辺施設はアメリカ軍に接収され、1971年(昭和46年)に6割、1978年(昭和53年)にさらに1割は返還されたものの、現在も通信基地として残っている。
現代
- 昭和時代
- 市制施行時の人口は約4万2千人であったが、昭和20年代 - 昭和30年代前半に沖縄からの移民団が新所沢東部や小手指付近に入植・開拓を行うなど人口は増加しつづけ、1959年(昭和34年)には住宅公団による新所沢団地の入居が開始された。その後も小手指や新所沢地区を中心に大規模な住宅開発が行われ、2000年には人口33万人を突破している。
- 1964年(昭和39年)東京オリンピックのクレー射撃の会場(南永井)となる。
- 1966年(昭和41年)アメリカ合衆国・イリノイ州ディケーター市と姉妹都市になる。
- 1978年(昭和53年)福岡を本拠地とし、経営不振に陥っていたプロ野球・クラウンライターライオンズの運営会社『福岡野球株式会社』を国土計画の堤義明が、西武鉄道沿線である当市への移転を条件に全ての債務を肩代わりするなどして買収。狭山丘陵に自前の球場(西武ライオンズ球場、現在のベルーナドーム)を建設。球団名を「西武ライオンズ」とした。
- 1980年(昭和55年)市制施行30周年を記念して第一回市民フェスティバルを航空記念公園で開催。
- 1982年(昭和57年)西武ライオンズが本拠地移転4年目にしてリーグ初優勝と日本一に輝く。以来、1980年代のパ・リーグ黄金時代を築く。2008年(平成20年)までにリーグ優勝16回、日本一を10回(福岡時代を含めるとリーグ優勝21回、日本一13回)を達成している。
- 1985年(昭和60年)市制施行35周年を記念して第一回市民文化フェアを航空記念公園で開催。
- 1986年(昭和61年)4月25日西武百貨店所沢店オープン。
- 平成時代
- 1990年(平成2年)市制施行40周年を記念して第一回所沢シティマラソンを開催。
- 1992年(平成4年)中華人民共和国・江蘇省常州市と姉妹都市になる。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)大韓民国・京畿道安養市と姉妹都市になる。
- 2002年(平成14年)特例市に移行。
- 2005年(平成17年)所沢市民体育館を本拠地とする所沢ブロンコスが「埼玉ブロンコス」に改称し、新潟アルビレックスBBとともにbjリーグを発足。
- 2006年(平成18年)面積に関する要件の廃止により中核市の条件を満たす。
- 2008年(平成20年)西武ライオンズが「埼玉西武ライオンズ」に改称。
- 2011年(平成23年)所沢飛行場開設100年を記念した「航空発祥100周年記念事業」の多くが、直前に発生した東日本大震災や計画停電の影響で中止となった。
- 2014年(平成26年)所沢市初となる住民投票条例「防音校舎の除湿工事(冷房工事)の計画的な実施に関する住民投票条例」が成立。
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
- CJF構想の会議「ところざわ文化創造会議」がスタート。第1・2回開催。
- 2017年(平成29年)
- 「第3回ところざわ文化創造会議」開催。
- 2018年(平成30年)
- グランエミオ所沢Ⅰ期オープン。
- CJF構想拠点施設「ところざわサクラタウン」建設開始。
- 「第4回ところざわ文化創造会議」開催。
- 令和時代
- 2019年(令和元年)
- 「第5回ところざわ文化創造会議」開催。
- 2020年 (令和2年)
- グランエミオ所沢Ⅱ期オープン。
- 「ところざわサクラタウン」が7月17日に開業する予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大により、開業が延期され、11月6日の開業となっている。
- 市制施行70周年
- 埼玉ブロンコスが「さいたまブロンコス」に改称。
- 2024年(令和6年)
- 新所沢パルコが閉店。
狭山市・川越市 | 三芳町 | |||
入間市 | 新座市 | |||
所沢市 | ||||
東京都瑞穂町 | 東京都武蔵村山市・東大和市・東村山市 | 東京都清瀬市 |
注釈
出典
- ^ ところざわ はじめてものがたり 所沢市ホームページより。
- ^ ところざわサクラタウン 2016年6月9日より開設。
- ^ 「災害に強い街」1位は所沢 ベスト3、埼玉が独占 毎日新聞 2021年3月14日
- ^ “平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2024年2月閲覧。
- ^ “観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年2月閲覧。
- ^ 所沢市防災会議
- ^ 東村山市指定文化財調書内「當麻勉家文書」
- ^ http://www.city.tokorozawa.saitama.jp/contents/7d66160f1527196/7d66160f152719644.html [リンク切れ]『ところざわ歴史物語』
- ^ 子ども・子育て支援新制度 内閣府 子ども・子育て本部
- ^ 育児休業中における在園児の保育の継続利用について 所沢市、2015年6月5日
- ^ 所沢市の育休退園問題、国の少子化対策に逆行すでに「追い出された子」も The Huffington Post 2015年07月14日 11時07分 JST
- ^ 待機児童ママ「所沢市の対応は妥当」育休退園問題で浮上する、働くママたちの複雑な感情 ウートピ 2015.06.30
- ^ 所沢市指定金融機関の指定の変更・所沢市上下水道事業出納取扱金融機関の変更について・市民医療センターの出納取扱金融機関について
- ^ 所沢市指定金融機関の指定の変更について
- ^ 所沢祭の華 サンバ メンバー300人を擁する浅草サンバカーニバル準優勝チーム リベルダージ によるサンバカーニバル。
- ^ 手打ちうどん・焼きだんごMAP - 所沢市観光協会編
固有名詞の分類
- 所沢市のページへのリンク