戦争犯罪
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第二次世界大戦以後
第二次世界大戦における惨禍、特にホロコーストの惨劇をくり返さないとして、国際軍事裁判を行うに至った経緯を踏まえ、戦争抑止の意味からも、武力紛争時に行われた「ジェノサイドの罪」「人道に対する罪」「戦争犯罪」の実行者や共犯者、依頼者、教唆者、煽動者、上官などを、戦争犯罪としてを裁く常設の国際法廷設置が国際連合により提唱されたが、東西冷戦の時代には進展を見なかった。
国際刑事裁判所の設置
冷戦終結後、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷、ルワンダ国際戦犯法廷などにおいて、民族紛争に伴う大量虐殺など「人道に対する罪」を裁く国際犯罪法廷が安全保障理事会決議によって臨時に設置された。
以降、常設の国際法廷設置議論が見直され、1998年7月にローマで国際刑事裁判所設立のための外交会議が開かれ、国際刑事裁判所規程が採択された。条約の発効に必要な60カ国が批准し、2002年7月から正式に発効、既に設置されている国際司法裁判所と共に2003年からオランダのハーグに設置された。
日本は2007年7月17日には加入書を国連に寄託し、同年10月1日正式に105ヵ国目の締約国となっている。ローマ規程およびその協力法は、国内法において2007年10月1日に発効した[21]。また同年11月30日に行われた補欠判事選挙では、初めての日本のICC裁判官候補として齋賀富美子が当選を果たすなど、加盟以後は積極的な参加姿勢を示している[22]。2009年11月の補欠選挙で尾崎久仁子が当選し、第一審裁判部門に配属された。
なお、アメリカ合衆国、中華人民共和国、ロシア連邦の三か国は未加盟であり且つ国連安保理常任理事国であることから、この三か国の人間に対する捜査や判決の執行は実質的に不可能であると言われ有効性が疑問視されている。特に、米国はアフガニスタン侵攻における戦争犯罪の捜査を圧力で止めており、ICCの信頼性が疑問視される事態となっている[23][24]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 「戦争犯罪」『国際法辞典』、219頁。
- ^ a b 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、26p
- ^ 児島襄『東京裁判(上)』中央公論社、1971年、ISBN 4122009774, 49頁。吉田裕『昭和天皇の終戦史』岩波書店、1992年12月、35頁、ISBN 9784004302575。野村二郎『ナチス裁判』講談社、1993年1月、78頁、ISBN 9784061491328。
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、4p
- ^ a b 林博史「BC級戦犯裁判」岩波新書,23頁
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、6p
- ^ a b c 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、7p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、5-6p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、8p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、9p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、14p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、15p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、32-34p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、34p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、30p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、27-31p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(上)、11p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(下)、53-55p
- ^ 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(下)、58p
- ^ a b 林博史、連合国戦争犯罪委員会と英米(下)、61p
- ^ 国際刑事裁判所規程を参照
- ^ 詳細は、2007年の11月30日のエントリを参照。
- ^ “ICC、アフガン戦争犯罪めぐる捜査開始を却下 米兵など対象”. www.afpbb.com. 2022年10月15日閲覧。
- ^ “アフガニスタン:米圧力で国際刑事裁判所 捜査断念”. アムネスティ日本 AMNESTY. 2022年10月15日閲覧。
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