憂国 映画化

憂国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 00:33 UTC 版)

映画化

憂國
Patriotism
監督 三島由紀夫
脚本 三島由紀夫
原作 三島由紀夫『憂國』
製作 三島由紀夫、藤井浩明
製作総指揮 三島由紀夫
出演者 三島由紀夫、鶴岡淑子
音楽 ワグナー(『トリスタンとイゾルデ
撮影 渡辺公夫
配給 東宝日本ATG
公開 1966年4月12日
上映時間 28分(モノクロ)
製作国 日本
言語 日本語
製作費 120万円[30]
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『憂國』(自主製作。配給:東宝日本ATG) 1966年(昭和41年)4月12日封切。

※ 1966年(昭和41年)1月、ツール国際短編映画祭出品。劇映画部門第2位受賞。
※ 東宝+日本ATG共同配給は6月15日より。
※ 写真集・撮影台本:『憂國 映画版』(新潮社、1966年4月10日)-古書値は非常に高価。

2005年(平成17年)8月、それまで現存しないと言われた『憂国』のネガフィルムが、三島の自宅(現在は長男平岡威一郎邸)で発見されたことが報じられ、話題を呼んだ[3]。映画『憂国』は、後の三島事件自決を予感させるような切腹シーンがあるため、瑤子夫人が忌避し、三島の死の後の1971年(昭和46年)に、瑤子夫人の要請により上映用フィルムは焼却処分された。しかし共同製作者・藤井浩明の「ネガフィルムだけはどうか残しておいてほしい」という要望で、瑤子夫人が密かに自宅に保存し、茶箱の中にネガフィルムのほか、映画『憂国』に関するすべての資料が数個のケースにきちんと分類され収められていた[3]

ネガフィルムの存在を半ば諦めていた藤井浩明はそれを発見したときのことを、「そこには御主人(三島)に対する愛情と尊敬がこめられていた。ふるえるほどの感動に私は立ちつくしていた」と語っている[3]。これらネガフィルムや資料は1995年(平成7年)に夫人が死去した数年後に発見されていた[3]。映画DVDは2006年(平成18年)4月に東宝で販売され、同時期に新潮社の『決定版 三島由紀夫全集別巻・映画「憂国」』にも、DVDと写真解説が所収された。

キャスト

スタッフ

  • 製作:三島由紀夫
  • プロデューサー・プロダクションマネージャー:藤井浩明[注釈 3]
  • 監督:三島由紀夫
  • 演出:堂本正樹 [注釈 4]
  • 脚色:三島由紀夫
  • 原作:三島由紀夫
  • 撮影:渡辺公夫
  • 美術:三島由紀夫
  • メーキャップ・アーティスト:工藤貞夫

映画評価

『憂国』はツール国際短編映画祭劇映画部門第2位となったが、その時の評価は賛否両論あり、中には「ショックを与えることをねらった露出趣味」という映画評論家・ジョルジュ・サドゥールの辛口評もあったが[31]、『ヌーヴェル・レプブリック』紙のベルナアル・アーメルは、『憂国』を「真実な、短い、兇暴な悲劇」とし、近代化された「」の形式の中に「ギリシア悲劇の持つ或るものを、永遠の詩を、すなわち愛と死をその中にはらんでいる」と評し、以下のように解説している[2]

驚くべきことに、ワグナー(『トリスタンとイゾルデ』)はこの日本の影像(イメージ)に最も深く調和している。そしてこの日本の影像の持つ、肉惑的であると同時に宗教的なリズムは、西洋のこれまでに創り得たもっとも美しい至福の歌の持つ旋律構成に、すこぶる密接に癒着しているのである。 — ベルナアル・アーメル「ヌーヴェル・レプブリック」紙[2]

また、フランスの一般の観客から、「良人が切腹している間、妻がいうにいわれない悲痛な表情でそれを見守りながら、しかも、その良人のはげしい苦痛を自分がわかつことができないという悲しみにひしがれている姿が最も感動的であった」と言われ、三島は感動したと述べている[2]

澁澤龍彦は、「三島氏はこの映画で、日本人の集合的無意識の奥底によどんでいるどろどろした欲望に、映像として明確な形をあたえ、人間の肉のけいれんとしてのオルガスムを、エロティシズムと死の両面から二重写しに描き出した」と評価している[32]

安部公房は、小説『憂国』を支えていた「精緻な均衡」とくらべ、映画の方は、「ひどく安定に欠けたところ」があったが、むしろその不安定さのもつ「緊張感」にひきつけられたとし、次のように語っている[33]

その不安定さは、もしかすると、作者が映画を完全には信じていないところからくるものだったかもしれない。信じていないからこそ作者があれほど前面に押し出されて来てしまったのだろう。作者が主役を演じているというようなことではなく、あの作品全体が、まさに作者自身の分身なのだ。自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとしたのかもしれない。むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジネガの関係にあり、両方を完全に一致させてしまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。
そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、羨望に近い共感を感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。いずれにしても、単なる作品評などでは片付けてしまえない、大きな問題をはらんでいる。作家の姿勢として、ともかくぼくは脱帽を惜しまない。 — 安部公房「“三島美学”の傲慢な挑戦―映画『憂国』のはらむ問題は何か」[33]

エピソード

三島が有名な作家であることから、周りの映画評論家たちが賛辞ばかりを贈るなか、『薔薇族』の表紙絵を描いていた大川辰次が率直な感想を雑誌に書いたところ、三島から面会を求められ、意気投合。付き合いを重ねるうち、三島が大川のことを「親父」と呼ぶまでの仲になったと、伊藤文学は回顧している[34]

映像ソフト

  • 2006年4月28日に東宝からDVDが発売された。
  • 2006年4月28日に新潮社から発売された『決定版 三島由紀夫全集 別巻 映画「憂国」』にも、DVDと写真解説が所収された。
  • 前述の事情から2006年のDVD化以前は一切映像ソフト化されていなかったが、海外には焼却処分を免れた本作の上映用プリントが残っており、そのフィルムを元にした海賊版ビデオが出回っていた。藤井浩明はDVD化の際に「海賊版がネットオークションなどで出回っていて粗悪な画面だったので、いずれ発表しなくてはいけないと思っていた[35]」とコメントしている。



注釈

  1. ^ なお、前年の1960年(昭和35年)10月、ギリシャ研究・同性愛の会「アドニス会」の機関紙『ADONIS』の別冊小説集「APOLLO(アポロ)」5集に、三島は榊山保名義で『愛の処刑』という切腹をモチーフにした劇画風の短編小説を投稿している[10]
  2. ^ 三島自身は武山中尉の境遇を〈冷飯を喰はされてゐる地位〉に置きたかったために、改訂には多少未練があったとしている[4]。一般的に、旧日本軍においては、輜重兵(現在の後方支援部隊)は冷遇されており、同部隊への配属は左遷に等しい人事とみなされた。
  3. ^ 市川雷蔵の仕事仲間でもあった。
  4. ^ 著書に堂本 2005がある。

出典

  1. ^ a b 「あとがき」(『三島由紀夫短篇全集6』講談社 ロマンブックス、1965年8月)。33巻 2003, pp. 414-416に所収
  2. ^ a b c d e f g 「製作意図及び経過」(『憂國 映画版』 新潮社、1966年4月)。34巻 2003, pp. 35-64
  3. ^ a b c d e f 藤井浩明「映画『憂国』の歩んだ道」(別巻 2006ブックレット内)
  4. ^ a b c d e f 「二・二六事件と私」(『英霊の聲河出書房新社、1966年6月)。34巻 2003, pp. 107-119
  5. ^ a b 「世界の破滅に抗して」(徹 2010, pp. 118-131)
  6. ^ a b c d 「第一章 哲学者の三島由紀夫論 5 エロティシズムの美学」(伊藤 2006, pp. 41-44)
  7. ^ 井上隆史「作品目録――昭和36年」(42巻 2005, pp. 424-427)
  8. ^ a b c 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540-561)
  9. ^ a b c d 田中美代子「解題――憂国」(20巻 2002, pp. 791-795)
  10. ^ 井上隆史「作品目録――昭和35年」(42巻 2005, pp. 422-424)
  11. ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」(事典 2000, pp. 695-729)
  12. ^ 「第五章 文と武の人」(佐藤 2006, pp. 144-205)
  13. ^ 堂本正樹「『憂国・映画版』」(事典 2000, pp. 386-388)
  14. ^ a b c 「解説」(『花ざかりの森・憂国――自選短編集』新潮文庫、1968年9月)。花・憂国 1992, pp. 281-286、35巻 2003, pp. 172-176に所収
  15. ^ a b 磯田光一「解説」(『日本文学全集27・三島由紀夫』河出書房、1967年)。論集II 2001, pp. 238-239
  16. ^ 「第二部 三島由紀夫と私 一 出会い」(原 2004, pp. 54-62)
  17. ^ a b c d 和田克徳『切腹』(青葉書房、1943年9月)。20巻 2002, pp. 791-792
  18. ^ 小笠原賢二「『幸福』という存在論―『美徳とよろめき』を中心に―」(論集I 2001, pp. 239-260)
  19. ^ 山本健吉「文芸時評」(三社連合 北海道新聞中部日本新聞西日本新聞 1960年12月27日号)。山本時評 1969, p. 237に所収。論集II 2001, pp. 236-237
  20. ^ 古林尚「『憂國』にみる三島由紀夫の危険な美学」(文学的立場 七 1966年7・8月合併号)。論集II 2001, p. 238
  21. ^ 花田清輝江藤淳寺田透「創作合評」(群像 1961年2月号)。論集II 2001, p. 237
  22. ^ 神谷忠孝「逆説としての殉死『憂國』」(論集II 2001, pp. 236-249)
  23. ^ 「第九章 失われた時への出発――結び・『豊饒の海』にふれて――」(野口 1968, pp. 221-243)
  24. ^ a b 田中美代子「憂國」(『観賞日本現代文学23・三島由紀夫』角川書店、1980年)。事典 2000, p. 386
  25. ^ a b 江藤淳「エロスと政治の作品」(『文芸時評・下』朝日新聞 1960年12月20日)。江藤淳『全文芸時評』上巻(新潮社、1989年)に所収。論集II 2001, p. 236
  26. ^ 磯田光一「殉教の美学――第四章 政治・エロス・美」(文學界 1964年2-4月号)。磯田 1979, pp. 55-69に所収
  27. ^ 「『エロチシズム』―ジョルジュ・バタイユ室淳介訳」(声 1960年4月号)。31巻 2003, pp. 411-415に所収
  28. ^ a b 鎌田広巳「『憂国』およびその自評について―エロティシズムのゆくえ―」(国文学研究ノート第22号、1988年)。佐藤秀明編『三島由紀夫・美とエロスの論理』(有精堂、1991年)に所収。事典 2000, pp. 385-386
  29. ^ a b c d e 佐々木幸綱「在る筈のない〈絶対〉へ―「憂国」について」(ユリイカ 1976年10月号)。論集II 2001, p. 244
  30. ^ 「『憂国』製作、道楽ではない――火曜インタビュー」(日刊スポーツ 1966年1月18日号)。33巻 2003, pp. 627-629に所収
  31. ^ 「受賞を逸した三島の『憂国』 盛会だったツール映画祭」(朝日新聞夕刊 1966年2月3日号)。別巻 2006ブックレットpp.47-48に所収
  32. ^ 澁澤龍彦「戦りつすべき映画の詩」(東京新聞・夕刊 1966年3月22日)。別巻 2006ブックレットpp.54-55に所収。論集II 2001, p. 237
  33. ^ a b 安部公房「『憂国』」(週刊読書人 1966年5月号)。群像18 1990, pp. 153-155
  34. ^ 伊藤文学「三島由紀夫『憂国』秘話・薔薇族周辺のゲイ・エロティックアート03」 [1]
  35. ^ 「憂国」フィルム発見…焼却処分とされた“幻”の作品 http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_08/g2005081909.html





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