愛宕神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 02:27 UTC 版)
境内
摂末社
- 若宮 - 祭神:雷神、迦遇槌命(カグツチノミコト)、破无神(ハムシノカミ)
- 奥宮 - 祭神:大黒主命以下17柱
- 神明社 - 祭神:天照大神
- 熊野社 - 祭神:伊弉諾尊
- 稲荷社
- 合祀社 - 白髭社、修羅髭社、白波社
- 合祀社 - 慶俊社、好庵社
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本殿
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若宮
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奥宮
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社殿前の神明社(右)と熊野社(左)
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社殿
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黒門(京口惣門)
関連する出来事
平安時代、近衛天皇崩御後に院政を行っていた鳥羽法皇が、天皇の甥である重仁親王を擁立しようとしたところ、親王の父である崇徳上皇が藤原頼長に命じて愛宕神社で呪詛を行わせて天皇を呪い殺したという噂が広まり、これに激怒した法皇は重仁親王の代わりに後白河天皇を即位させた。これがきっかけで保元の乱が発生したとされている。
天正10年(1582年)5月、いわゆる本能寺の変直前、首謀者の明智光秀は戦勝祈願と称して愛宕神社に参籠し、洛中の本能寺に滞在予定の主君織田信長を攻めるかどうかを占うため籤を 3回引いたという。翌日、同神社で連歌の会(愛宕百韻)を催したが、その冒頭に詠んだ歌「時は今 あめが下しる 五月哉」は光秀の決意を秘めたものとされる。
文化財
重要文化財
所在地
- ^ 天下大変 38. 愛宕宮笥国立公文所館
- ^ a b 神社由緒書。
- ^ “愛宕道”. 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所. 2022年8月8日閲覧。
- ^ 平成30(2019)年秋の台風により、ご神体の大杉が根元から倒れ祠も押し潰されてしまった状態となっている
- ^ “京都・愛宕山へアクセス抜群の「ツツジ尾根ルート」で行ってみよう!”. travel.co.jp. LINEトラベルjp (2020年1月19日). 2020年7月20日閲覧。
- ^ アクセス - 京都 水尾
愛宕神社と同じ種類の言葉
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