志賀直哉 年譜

志賀直哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/24 00:28 UTC 版)

年譜

  • 1883年明治16年)2月20日 陸前石巻(現在の石巻市住吉町)に、銀行員の父直温(なおはる)の次男として生まれる(長男・直行は夭折)。祖父直道は旧相馬中村藩士で二宮尊徳の門人。母銀は伊勢亀山藩士の佐本源吾の4女。
  • 1885年(明治18年) 両親と上京、祖父母と同居。
  • 1889年(明治22年) 学習院の初等科へ入学。
  • 1895年(明治28年) 学習院の中等科へ進学。
    • 8月30日、母の銀が妊娠中病死。
    • 秋、父の直温が、漢学者高橋元次の長女・浩(こう)と再婚。その後直哉に弟一人、妹5人が生まれる。
  • 1901年(明治34年)
    • 夏から内村鑑三の元に通う。
    • 足尾銅山鉱毒事件の見解について、父と衝突。以後の決定的な不和のきっかけとなる。
  • 1902年(明治35年) 中等科2度目の落第。武者小路実篤と同級になる。
  • 1906年(明治39年) 東京帝国大学英文学科へ入学。
  • 1907年(明治40年) 父と結婚についての問題で再度衝突。
  • 1908年(明治41年)
    • 処女作となる「或る朝」を執筆。
    • 回覧雑誌『望野』を創刊。
    • 英文学科から国文学科へ転科したものの、大学に登校しなくなる。
  • 1910年(明治43年)
    • 『白樺』を創刊、「網走まで」を発表。
    • 東京帝国大学を中退。徴兵検査を受け甲種合格。市川の砲兵連隊に入営するが、8日後に除隊。
  • 1911年(明治44年)
    • 12月、武者小路実篤と衝突 『白樺』に絶縁状を出す。実篤の謝罪と説得で思いとどまるが、白樺同人とのつきあいに不愉快を感じるようになる[109]
  • 1912年大正元年) 「大津順吉」「正義派」「母の死と新しい母」を発表。
  • 1913年(大正2年) 「清兵衛と瓢箪」「范の犯罪」を発表。
    • 8月15日、上京した際に山手線にはねられ重傷を負うも12日後退院。
    • 10月、城崎温泉に3週間滞在。
    • 11月、尾道に戻るが中耳炎のため東京に戻る。
    • 12月末日、武者小路実篤を介して夏目漱石から東京朝日新聞の連載小説を依頼される。
  • 1914年(大正3年)
    • 正月、夏目漱石を訪問。
    • 5月から松江に移り小説を執筆するも断念。7月、上京して漱石に連載辞退を申し出る。以後休筆。
    • 12月21日、父親の反対を押し切り勘解由小路康子(武者小路実篤の従妹)と結婚。武者小路家で結婚式を挙げる[110]
  • 1915年(大正4年) 柳宗悦にすすめられて千葉県我孫子町に移住。
  • 1916年(大正5年) 長女慧子(さとこ)誕生するも夭折[110]
  • 1917年(大正6年) 次女留女子(るめこ)誕生[110]
    • 執筆活動再開。『白樺』5月号に「城の崎にて」を発表[111]
    • 8月、父との不和が解消される。「和解」を執筆。
  • 1919年(大正8年) 長男直康誕生するも夭折[110]
  • 1920年(大正9年) 「小僧の神様」「焚火」を発表。三女寿々子誕生[110]
  • 1921年(大正10年) 「暗夜行路」の前篇を発表。祖母留女死去[110]
  • 1922年(大正11年) 「暗夜行路」後篇連載開始。四女万亀子誕生[110]
  • 1923年(大正12年)
    • 3月、京都粟田口へ移住。尾崎一雄、網野菊らが訪問。
    • 10月、山科へ移住。「雨蛙」完成。
  • 1925年(大正14年) 奈良市幸町に移住。次男直吉誕生。
  • 1929年(昭和4年) 上高畑に自邸を新築、移住。五女田鶴子誕生。この年から休筆。
  • 1931年昭和6年) 11月、訪ねて来た小林多喜二を宿泊させ懇談。
  • 1932年(昭和7年) 六女貴美子誕生。
  • 1933年(昭和8年) 5年ぶりの小説「万暦赤絵」を発表。
  • 1935年(昭和10年) 養母・浩、脳溢血で死去。
  • 1937年(昭和12年)「暗夜行路」の後篇を発表し完結させる。
  • 1938年(昭和13年) 東京の高田馬場に移住。改造社『志賀直哉全集』最後の月報で文士廃業宣言。
  • 1940年(昭和15年) 世田谷新町に引っ越し。
  • 1941年(昭和16年) 「早春の旅」で文筆活動再開。
  • 1942年(昭和17年) 「シンガポール陥落」「龍頭蛇尾」を最後に終戦まで休筆。
  • 1947年(昭和22年) 日本ペンクラブ会長に就任。
  • 1948年(昭和23年) 熱海市大洞台の山荘に移住。
  • 1949年(昭和24年) 文化勲章を受章。
  • 1952年(昭和27年) 柳宗悦濱田庄司らとヨーロッパ周遊旅行。
  • 1955年(昭和30年) 渋谷区常盤松に自邸新築、移住。
  • 1971年(昭和46年) 10月21日、死去。

注釈

  1. ^ 当時、田中正造が政府や議会に鉱毒問題を繰り返し訴えていたが、これに呼応し、東京キリスト教青年会会館などで田中を支援する演説会が度々開かれるようになり、主催者は鉱毒地の視察を呼びかけた。内村も演説会に登壇した(阿川、上 1997, p. 106-107)。
  2. ^ 発表は『金の船』1920年(大正9年)1月号。
  3. ^ 発表は『中央文学』1918年(大正7年)3月号。
  4. ^ 門下の阿川弘之は、これを処女作としている(阿川、下 1994, p.376)。
  5. ^ 妹英子への手紙で、以下のように不満を漏らしている。「戦争初めはそれ程でもなかつたが、段々不愉快になり、京都の師団団員で近所のものが大分とられ三十越した知つてゐる人などがとられ出すと、非常に重苦しくなり閉口した…『石原莞爾』といふ本を買つて来て少し読んだが、人生といふものが戦争だけのものであるといふ印象で甚だ不愉快だ、いやな世の中になつたものだ」(阿川、下 1994, p. 87)
  6. ^ シンガポール陥落に関しては谷崎潤一郎も『シンガポール陥落に際して』という文でそれを讃美していたが、その後の谷崎は『細雪』発禁によって戦争に非協力的な作家という印象が強くなった。同様に直哉もシンガポール陥落後はほとんど沈黙していたため、戦後の「鈴木貫太郎」などで展開した戦争批判も敗戦による変節を示すものとは言えない。
  7. ^ 横捨身技の名人と言われた柔道家の永岡秀一十段のこと。
  8. ^ 以下の表に加え、内幸町において新築の家に転居、松江において最初に住んだ家から別の家に転居、我孫子時代に一時東京四谷の九里四郎の家を借りてそこに転居している。これらの転居と最初の石巻町の家を含めると「転居二十三回」となる(貴田 2015, pp. 153–154)。
  9. ^ 丸谷才一はエッセイ「日本語への関心」(1974年刊行の『日本語のために』に収録)において、「志賀が日本語で書く代表的な文学者であつたといふ要素を考へに入れるとき、われわれは近代日本文学の貧しさと程度の低さに恥ぢ入りたい気持ちになる。(中略) 彼を悼む文章のなかでこのことに一言半句でも触れたもののあることをわたしは知らないが、人はあまりの悲惨に眼を覆ひたい一心で、志賀のこの醜態を論じないのだらう」と述べている。
  10. ^ 三島由紀夫は「日本への信条」(愛媛新聞 1967年1月1日に掲載)において、「私は、日本語を大切にする。これを失つたら、日本人は魂を失ふことになるのである。戦後、日本語をフランス語に変へよう、などと言つた文学者があつたとは、驚くにたへたことである」と述べている。
  11. ^ 作中では武者小路は「M」として登場している。

出典

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