御真影 御真影の概要

御真影

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 00:35 UTC 版)

明治天皇の御真影

教育現場の御真影は1890年代頃から本格的に配布されるようになり、これらは天皇と同一視され、最大級の敬意をもって取り扱われるようになり[1]1920年代からは奉安殿に保管されるようになった[2]。ただし、天皇の写真で儀礼的に取り扱われたのは教育現場に配布されたものなどごく一部に留まる。戦前に流布していた皇室写真の大半は、マスコミ等による新聞や雑誌の付録物であり、国民にとってはこちらの方が身近だったが、これらの取り扱いは全て各家庭や個人の裁量に任されていた[1]


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 右田裕規 「皇室グラビア」と「御真影」 : 戦前期新聞雑誌における皇室写真の通時的分析 京都社会学年報 : KJS 9, 93-114, 2001-12-25
  2. ^ a b c 小原真史 御真影(御写真) | 現代美術用語辞典ver.2.0
  3. ^ 「御真影」物語|Webマガジンまなびと|学び!と歴史|大濱徹也2007年11月号
  4. ^ 御真影録 宮内庁書陵部
  5. ^ 文部省普通学務局例規類纂1編 同局編
  6. ^ 全国の各学校へ宮内省から伝達始まる『東京日日新聞』昭和3年10月2日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p162 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  7. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p343 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  8. ^ 「御真影」に殉じた教師たち 岩本努・著 1989年4月 大月書店より出版
  9. ^ 御真影を盗み出し、小学校校長を脅迫『中外商業新報』昭和10年12月25日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p656 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  10. ^ 『クラシックカメラ専科No.38、プラクチカマウント』p.133。
  11. ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』p.125。
  12. ^ a b c 小野雅章 戦後教育改革期の学校儀式と御真影再下付問題 : 1958年の学習指導要領改訂前後までの経緯を中心に 教育學雑誌 (46), 15-31, 2011-03-25
  13. ^ 「各地に天皇神格化への兆し 御写真の前で訓話」朝日新聞1954年2月15日朝刊7ページ
  14. ^ 富山県教育委員会生涯学習・文化財室『富山県庁舎について』p3 2015年
  15. ^ 空襲を乗り越え、和歌山県の近代化を支えた文化財建築「和歌山県庁舎本館」”. LIFULL HOME'S (2018年9月14日). 2018年12月3日閲覧。


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