廿日市市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 13:11 UTC 版)
概要
広島市の西に隣接し、瀬戸内海(広島湾)に面した港町である。 日本三景・「厳島(安芸の宮島)」が特に有名である。同島の厳島神社は世界遺産にも指定されており、旧吉和村は豪雪地帯となっている。
市の母体は旧佐伯郡廿日市町である。廿日市は中世以来、厳島神社の造営・修繕と西中国山地産の木材の集積を基盤とした木材産業の町であり、山陽道(西国街道)の廿日市本陣を中心に発展した。 高度経済成長期以後は広島市の西のベッドタウンとして発展し、1988年(昭和63年)4月1日に単独市制施行して「廿日市市」が発足した[1]。全国で655番目の市、広島県では14番目の市(なお、合併により消滅した松永市と因島市を除き、存続している市としては12番目)である。
廿日市の町は商業・工業都市の側面が濃かったが、平成の大合併によって周辺の4町村(佐伯町・吉和村・大野町・宮島町)を編入したことで、西中国山地の豊かな自然や世界遺産にも選ばれた厳島神社を含む安芸の宮島などの新しい顔を併せもつこととなった。
都市雇用圏で全国第8位の規模を持つ広島都市圏(10%通勤圏人口約158万人)を構成する一都市である。 人口は2005年に旧宮島町・旧大野町と合併して以来ほとんど横ばい傾向(合併時約11万5000人)であるが、近年は[いつ?]微減傾向にある。これは、中心市街地の人口増と山間部の過疎化が相殺しているためである。
市制施行後の文化振興政策には一定の評価がある。例えば、市の文化ホール・はつかいち文化ホール(さくらぴあ)では人口規模の割に著名な人物・団体の公演が多く催され、出演者からも高評価を受けて新たな公演につながる好循環を生んでいる[注釈 1]。また、市名の由来である「廿日の市」という市民主体の市を毎月20日に催したり、姉妹友好都市であるニュージーランド・マスタートンとの交流から、JETプログラムによってニュージーランド出身の「国際交流員」を招いて様々な活動に関わらせたりするなど、多様な取り組みが見られる。
各地の大規模合併の例に漏れず、都市基盤整備、教育・文化サービスなどの地域間格差是正が最大の課題となっている。
現在の形式のけん玉発祥の地である。
地名の由来
本来、「廿日市(はつかいち)」という地名は現在の廿日市1丁目・2丁目付近を指す狭い地区名称であり、1889年に廿日市町が発足して以降、合併を重ねて次第に広範囲を指すようになった。
廿日市という名称は、現在の中央公民館(天神)周辺で中世以来開かれていた「廿日(はつか)の市」に由来する。厳島神社は平清盛の庇護により平安時代末期に大きく発展し、地域に影響力をもったが、鎌倉時代に入ると承久の乱に伴う権力争いの中で貞応年間(1222年 - 1224年)に火災で社殿を焼失した。鎌倉幕府の命により厳島神社を再建するために対岸の地域(現在の廿日市市本町)に多くの鋳物師たちが移り住んだことから、塩・木材等の生活物資・再建物資の集積が始まった。 厳島神社の年4回の祭礼の最終日がいずれも20日であったことから、早くも鎌倉時代中期には毎月20日に市が立つようになり、二十日の市=「廿日市」という名称が徐々に定着していったと思われる。
当時、この地域一帯は「佐西(ささい)の浦」と呼ばれていたと考えられている。1370年(応安3年)、今川貞世が九州探題として大宰府に下向する際に記した紀行文『道ゆきぶり』の中に、貞世が「かひだとかやいひける浦」(現在の安芸郡海田町)を通って「佐西の浦」(佐西郡の海岸、現在の広島市佐伯区五日市から廿日市市串戸付近)から宮島へ参詣し、「地の御前」(現在の廿日市市地御前)から山道に入って周防国へ向かう旨の記述がある。
廿日市という地名の初出は1454年(享徳3年)である。山口県柳井市の賀茂神社に残された当時の詫び状に、同神社の梵鐘(享徳3年頃鋳造)の鋳工「廿日市ひかしかり屋三郎次郎」の名が見える。
現在も日本各地に残る「○日市」という地名は安土桃山時代以降盛んになった市に由来するものが多く、鎌倉時代に市立てされたことが確認されている廿日市は、現存する最も古い「市」地名の一つとされる。
一日市から十日市までは各地に見られるが(市場を参照)「廿日市」は珍しく、2023年1月時点で住所表記に記載がある地名としては「廿日市」は当市が唯一の例である。かつて愛媛県内子町に廿日市地区があったが、住所表記上は同町内子となっている。
注釈
出典
- ^ 昭和最後に市制施行した市となった。
- ^ 広島地方気象台/季節現象
- ^ 廿日市市国民保護計画 第1章総論
- ^ よしわナビ(廿日市市観光協会吉和支部)より
- ^ 国土交通省「豪雪地帯の地域指定図」
- ^ 『吉和村誌 第一集』(p.46)
- ^ “廿日市津田 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2024年3月22日閲覧。
- ^ a b 廿日市市まち・ひと・しごと創生人口ビジョン
- ^ a b c d 国勢調査 - 広島県ホームページ
- ^ a b 国勢調査 - 廿日市市ホームページ
- ^ 藤野次史「広島県佐伯郡佐伯町神宮原遺跡採集の遺物」『旧石器考古学』43 (1991) 旧石器文化談話会
- ^ a b c d 『廿日市町史 通史編(上)』 廿日市町 1988
- ^ 河瀬正利「広島県佐伯郡廿日市町地御前南遺跡出土の遺物について」『広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室年報VII』(1984) 広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室
- ^ 中越利夫「大野瀬戸周辺の遺跡・遺物 (1)」『内海文化研究紀要』第23号 (1994) 広島大学文学部内海文化研究施設
- ^ 『財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書第15集 大野郷遺跡 大野町中央地区土地区画整理事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書』 (財)広島県教育事業団 2006
- ^ 古瀬清秀他「厳島における考古学的踏査とその検討 (1)-(4)」『内海文化研究紀要』第34-37号 (2006-2009) 広島大学大学院文学研究科付属内海文化研究施設
- ^ a b 清野謙次「安藝國佐伯郡大野村高畑貝塚」 『日本石器時代人研究』 岡書院 1928
- ^ 大島忞『大野町文化財協会シリーズ第三集 ふるさとの歴史散歩』 大野町文化財協会 1984
- ^ 『広島県埋蔵文化財調査センター調査報告書第48集 郷貝塚発掘調査報告書』 (財)広島県埋蔵文化財調査センター 1986
- ^ a b c “副市長に新たに村上雅信氏 廿日市市議会が選任案同意”. 中国新聞デジタル (2023年12月21日). 2024年3月15日閲覧。
- ^ “教育長と教育委員の紹介”. 廿日市市 (2023年11月13日). 2024年3月22日閲覧。
- ^ “議員名簿 会派別 - 広島県廿日市市”. 廿日市市議会事務局 (2023年11月2日). 2024年2月13日閲覧。
- ^ 地方合同庁舎が落成 国の3機関一カ所に - 西広島タイムス 2008年10月17日付
- ^ 中国新聞2009年5月17日付「世界遺産PRへ日仏連携 厳島神社で調印式」
- ^ 西広島タイムス2009年5月22日号「廿日市市と仏のモン・サン=ミッシェル 世界文化遺産有する両市が観光友好都市提携 」 Archived 2010年1月13日, at the Wayback Machine.
- ^ けん玉 - はつかいち旅ナビ
- ^ 地御前かき 全国旅行情報サイト「ジャパン・ヨンナナ・ゴー」 2023年7月25日閲覧。
- ^ 面積データは社団法人日本ショッピングセンター協会 都道府県別SC一覧(PDF)
- ^ 廿日市市国民保護計画 p.11(PDF)
- ^ 廿日市市統計書(2010年版)H.運輸・通信(PDF)。JRは乗車人数、広電は利用者総数のため注意。
- ^ “宮島大野航路”. アクアネット広島. 2011年11月17日閲覧。
- ^ 廿日市市統計書(2007年版)H.運輸・通信
- ^ “檜山修之(ひやまのぶゆき)の解説”. goo人名事典. 2020年11月3日閲覧。
- ^ 管絃祭 ひろしま文化大百科 2023年6月2日閲覧。
- ^ 厳島 新潮社 2023年6月2日閲覧。
固有名詞の分類
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