延暦寺
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概要
最澄の開創以来、高野山金剛峯寺と並んで平安仏教の中心寺院であった。天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った。特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競った。
「延暦寺」とは単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域(これらを総称して「三塔十六谷」と称する)に所在する150ほどの堂塔の総称である[2]。「日本仏教の礎」(佼成出版社)によれば、比叡山の寺社は最盛期は三千を越える寺社で構成されていたと記されている。
延暦7年(788年)に最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院という草庵を東塔北谷に建てたのが始まりである[3]。開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年(823年)のことであった[4]。
延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏宗の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている[5]。和歌などに「我が立つ杣」や「都の不二」と詠まれてきた[6]比叡山は文学作品にも数多く登場する[7]。1994年(平成6年)に、ユネスコの世界遺産に古都京都の文化財として登録されている。
また、「十二年籠山行」「千日回峰行」などの厳しい修行が現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地である。
なお、長野県境に近い岐阜県中津川市神坂(みさか)に最澄が弘仁8年(817年)に設けた「広済院」があったと思われる所を寺領とした「飛び地境内」がある[8]。
注釈
出典
- ^ 武覚円「延暦寺の歴史」『比叡山延暦寺一二〇〇年』新潮社、1992年(初版1986年)、93頁。ISBN 4-10-601934-5
- ^ 「境内案内」(延暦寺公式サイト)
- ^ 『比叡山––日本仏教の母山』別冊太陽、平凡社、2006年、13頁。
- ^ 『比叡山––日本仏教の母山』別冊太陽、平凡社、2006年、42頁。
- ^ 西山厚「鎌倉新仏教と比叡山」『比叡山––日本仏教の母山』別冊太陽、平凡社、2006年、126頁。宇代貴文「比叡山で学んだ各宗派の開祖たち」、久保智康・宇代貴文『もっと知りたい延暦寺の歴史』アート・ビギナーズ・コレクション、東京美術、2021年、25頁。
- ^ 武覚円「延暦寺の歴史」『比叡山延暦寺一二〇〇年』新潮社、1992年(初版1986年)、93頁。
- ^ 渡辺守順 (1963年). “『比叡山 : 文学散歩』”. 白川書院/国立国会図書館デジタルコレクション. 2023年6月12日閲覧。
- ^ a b c 森川洋 (2016年11月24日). “街道が結ぶ最澄の縁 旅の難所に宿・顕彰碑前で法要 中津川「延暦寺飛び地」”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 岐阜全県版
- ^ a b c d 全国歴史教育研究協議会『日本史B用語集―A併記』(改訂版)山川出版社(原著2009-3-30)。ISBN 9784634013025。
- ^ a b c 佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鳥海靖『詳説日本史研究』(改訂版)山川出版社(原著2008-8-30)。ISBN 9784634011014。
- ^ a b 日本史用語研究会『必携日本史用語』(四訂版)実教出版(原著2009-2-2)。ISBN 9784407316599。
- ^ 中世史家の伊藤正敏は、これ以降、京は比叡山の経済的影響を強く受けた「叡山の門前町」となり、また、この延久2年(1070年)をもって「中世の開幕」とすべきと主張している。伊藤正敏『寺社勢力の中世』ちくま新書
- ^ 京都・奈良の国宝建造物も大損害『大阪毎日新聞』昭和9年9月23日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p234 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、116頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、144頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ “琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産”. 文化庁. 2020年9月20日閲覧。
- ^ “大量残土:延暦寺霊園隣に 崩落でけが 住民ら公害調停へ”. 毎日jp (毎日新聞社). (2013年6月5日). オリジナルの2013年6月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ “残土処分場:大量土砂搬入の建設会社社長ら送検 大津”. 毎日jp (毎日新聞社). (2013年7月23日). オリジナルの2013年7月28日時点におけるアーカイブ。 2013年10月19日閲覧。
- ^ 大津市:残土問題 公害調停成立 延暦寺霊園近隣、市が崩落防止工事 毎日新聞 2014年7月7日
- ^ “延暦寺、山口組の参拝拒否…歴代組長の位牌安置”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年11月17日). オリジナルの2011年11月18日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『朝日新聞』 2016年6月9日
- ^ 『中日新聞』 2016年6月9日
- ^ “NHK特集 行 比叡山 千日回峰”. NHKアーカイブス. 2021年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月13日閲覧。
- ^ 滋賀県指定有形文化財の指定
- ^ 林良彦「延暦寺根本中堂」『 日本の国宝76 滋賀/延暦寺 日吉大社 聖衆来迎寺』週刊朝日百科、朝日新聞社、1998年、173, 175頁。
- ^ 伊藤信二「金銅経箱」『 日本の国宝76 滋賀/延暦寺 日吉大社 聖衆来迎寺』週刊朝日百科、朝日新聞社、1998年、170頁。
- ^ 山崎剛「宝相華蒔絵経箱」『 日本の国宝76 滋賀/延暦寺 日吉大社 聖衆来迎寺』週刊朝日百科、朝日新聞社、1998年、171頁。
- ^ 河上繁樹「七条刺納袈裟/刺納衣」『 日本の国宝76 滋賀/延暦寺 日吉大社 聖衆来迎寺』週刊朝日百科、朝日新聞社、1998年、172頁。
- ^ 土井通弘「伝教大師将来目録」『 日本の国宝76 滋賀/延暦寺 日吉大社 聖衆来迎寺』週刊朝日百科、朝日新聞社、1998年、166頁。
- ^ 土井通弘「羯磨金剛目録」『 日本の国宝76 滋賀/延暦寺 日吉大社 聖衆来迎寺』週刊朝日百科、朝日新聞社、1998年、166-167頁。
- ^ 土井通弘「天台法華宗年分縁起」『 日本の国宝76 滋賀/延暦寺 日吉大社 聖衆来迎寺』週刊朝日百科、朝日新聞社、1998年、168-169頁。
- ^ 土井通弘「六祖恵能伝」『 日本の国宝76 滋賀/延暦寺 日吉大社 聖衆来迎寺』週刊朝日百科、朝日新聞社、1998年、167-168頁。
- ^ 土井通弘「伝教大師入唐牒」『 日本の国宝76 滋賀/延暦寺 日吉大社 聖衆来迎寺』週刊朝日百科、朝日新聞社、1998年、164-165頁。
- ^ 土井通弘「嵯峨天皇宸翰光定戒牒」『 日本の国宝76 滋賀/延暦寺 日吉大社 聖衆来迎寺』週刊朝日百科、朝日新聞社、1998年、169頁。
- ^ 平成28年7月25日文部科学省告示第102号。
- ^ “釈迦堂内陣特別拝観秘仏ご開帳”. 比叡山延暦寺ホームページ (2017年4月17日). 2017年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月27日閲覧。
- ^ 管理団体指定は1966年に行われた(昭和41年3月24日文化財保護委員会告示第17号)
- ^ 管理団体指定は明王院については1966年、蓮台寺については1969年に行われた(昭和41年3月24日文化財保護委員会告示第17号および昭和44年11月4日文化庁告示第9号)
- ^ 焼失文化財については「文化財目録」(滋賀県教育委員会)(2019年9月7日閲覧)による(「指定解除」のページを参照)
- ^ 『読売年鑑』昭和32年版追録、読売新聞社、p21
- ^ “新日本風土記「比叡山」”. NHK (2018年3月16日). 2021年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月4日閲覧。
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