広島東洋カープ キーワード

広島東洋カープ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/16 03:40 UTC 版)

キーワード

ピースナイター

2010年まで広島市への原子爆弾投下が行われた8月6日に広島の主催試合が編成された場合は、旧広島市民球場(マツダスタジアムも同様)は使用せず、岡山県倉敷スポーツ公園野球場(マスカットスタジアム)、福山市民球場などで行っていた[注 31]。これは球場を保有している広島市が、8月6日を原爆記念日として休日となっているためであった。また旧市民球場は広島平和記念公園に近いため、当日の記念式典などによる参拝・参列者が多数訪れ、交通機関も混雑することも考慮した上での措置であった。旧市民球場が閉場となる2008年には8月6日に試合を行う方向で検討もされたが、実現しなかった[注 32]

2011年は、53年ぶりに本拠地(マツダスタジアム)で対巨人戦が開催され[157]、以来マツダスタジアムで開催される試合は毎年生協ひろしま等の共催による「ピースナイター」としている[158]。2015年の試合では限定ユニフォームも着用された[159]

経営事情

カープは当初、「広島野球倶楽部」として、広島県、広島市、呉市中国新聞社日本専売公社(広島市に主力工場があった)、広島電鉄東洋工業などの広島政財界の出資で設立された。運営資金が極めて少なく、1951年には早くも解散ないしは当時同じ中国地方の山口県下関市を本拠地としていた大洋ホエールズとの合併が検討されたが市民の猛反対に遭っている(「#8人の侍」参照)。この経験から資金集めを行う後援会が設立され、創成期のカープの運営を支えていくことになる。また「樽募金」と呼ばれる、ファンによる運営資金募集活動が起り、これは1960年代まで続いた[26]

しかし1955年には「広島野球倶楽部」の負債額は莫大なものとなり、もはや後援会でも手に負えなくなったと判断した広島財界は、負債を帳消しにするため「広島野球倶楽部」を倒産させ、新たに「株式会社広島カープ」を設立、初代社長に広島電鉄の伊藤信之が就任している[160]

1965年には近鉄バファローズとの合併計画が非公式に持たれ、仮に合併した場合は形式上カープが存続球団とする形で運営することが検討されていたが、2代目社長の松田恒次がそれを拒んでいる。それについては当該項の記事を参照。

1967年、東洋工業は株式会社広島カープを全面買収し、松田恒次は球団オーナーとなったが、これは当時、長期低迷するチーム成績に加えて広島市民球場 (初代)フィーバーが落ち着いたことで年間観客動員数が激減(1959年:862,965人 → 1967年:622,100人)していたことを受けて、出資者間の主導権争いを収拾しチームの運営を安定させる意図があったといわれ、東洋工業はあくまでもスポンサーの立場にとどまり球団経営への介入を控えた。これは1970年代後半に松田家がマツダの経営から離れ、さらにマツダがフォード・モーター傘下に入った1980年代以降も変わっていない。ただし実質的にオーナー会社ではなくなった現在でも、チーム名にマツダの旧社名が由来の「東洋」を残している。

現在もマツダは筆頭株主として球団株式の34.2%(22万1616株)を保有しており[161]、運営会社はマツダグループに名を連ねている。またカープ選手のユニフォームの右袖やヘルメット、更にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島のチケットにマツダの広告が出され、さらに2013年からは新型マツダ・アテンザに採用された新色「ソウルレッドプレミアムメタリック」がヘルメットカラーに採用されるなど両社の関係は深い。

経営状態そのものは、親会社の資金援助なしでは莫大な赤字を出すことが常態である日本のプロ野球球団の中にあって、その親会社が無い独立採算制でありながらも良好であり、1975年度から2013年度まで39期連続で黒字決算となっている[162]。特に2009年度はMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島開場初年という背景もあって、当期売上高が117億円余と過去最高を記録した[163]

ただしこの売上高の内訳については、2004年(65億円)が、放映権料収入(28億円)、入場料収入(20億円)、販売・広告料収入(12億円)で大半が占められていたのに対して[164]、2009年(117億円)は、入場料収入48億円、グッズ販売20億円、飲食収入20億円とその構成比が大きく変わっている点に留意する必要がある。特にグッズ販売に関しては、2010年・2011年が14億円、2012年は16億5,000万円、2013年は19億5,000万円と、2009年以降も好調な売り上げを記録しており、売上高全体の約2割を占めるまでに成長した[162]。これは2004年の球界再編を契機にセ・パ交流戦が実現。その影響で巨人戦を中心とした放映権料収入の激減が予想されたため、強い危機感を抱いた球団は、この時期からグッズ開発の強化[165]、週末試合をナイターからデーゲームへ切り替えるなど[166]、これまでの放映権料収入中心のビジネススタイルからの脱却を図っており、それが2009年以降に大きな成果となって現れている。

2009年に球場内の球団専用施設へ22億円を出資したことに続いて[167]、2010年は1軍寮の建設(2億円)[168]、2012年はクリーニング工場の建設[169]、2014年は2軍選手送迎バスの更新(5,000万円)、マツダスタジアム横の屋内練習場建設(16億円)[170] 等、新球場完成後は設備投資も増えている。またドミニカ共和国のカープアカデミーは、2005年から球団の経費削減の一環として運営費が縮小されたため、投手の育成しか行っていなかったが、2013年から野手育成を再開している。

その一方、年俸総額順位はプロ野球12球団中、2007年の10位を除き、近年は11位以下である。

これは、1993年オフに導入されたFA(フリーエージェント)制度、そしてドラフトにおける希望入団枠制度の導入により、カープにおいては、1989年には8億円であった選手年俸総額が1997年には16億円と8年間で2倍に急騰、2002年には17億8900万円に達したものの、2003年以降はドラフトで獲得した選手の伸び悩み、江藤智金本知憲新井貴浩アンディ・シーツグレッグ・ラロッカと相次いだ主力打者の流出もあったため球団成績は低迷、結果として年俸総額が徐々に低下したことによる。ただしマツダスタジアムが完成した2009年以降は外国人選手を多数獲得してきた影響もあって徐々にではあるが年俸総額が高まっており、2014年度は20億8585万円となった[要出典]

このように経営状態は良好であるものの、球団の財務指標は公開されていないため、明確な支出状況は一切不明である。そのため、市民への一般公開を求める意見も存在している。

スカウティングと育成

広島カープの特徴を挙げるとき、よく評されるのが「巧みなスカウティングと育成能力」である[8][9][171][172]。特に1975年半ばから1980年代半ばの赤ヘル黄金時代には[171]、広島を中心とした中国地方選手の育成・活躍もあり、広島経済の好調さなどの要因が相まって観客動員数を増加させた[171]。つまり、好調な広島経済→地元選手を育成する地域密着→スカウティングによる補強→カープの活躍→観客動員の増加→球団経営の健全化→チーム強化への再投資→連覇という好循環が作用した[171]1979年1980年シーズンの連続日本一は、この項環境が築き上げた金字塔といえる[171]。これは広島で黄金時代の基礎となる選手を育てた根本陸夫が、その後チーム作りに関わった西武ライオンズ福岡ソフトバンクホークスでも同様のプロセスで球団の改革を行っている[173]。またホークスが1993年に導入された新ドラフト制度(逆指名制度)やFA制度をフル活用した手法は、地元九州出身選手を獲得していく広島カープで見られた地域密着→チームの活躍→再投資という好循環のメカニズムを新たに発展させたものとする論調もある[173]。またオリックス・ブルーウェーブ1995年阪神・淡路大震災という負の遺産を背景として、一時的に地域密着効果を生み、観客動員を増加させたのは、広島カープに見られた観客動員数の増加→補強の充実→チームの活躍→再投資というメカニズムが見られたとも論じられる[174]

FA宣言選手への対応

1993年に日本プロ野球でもFA制度が導入されたが、導入当初の広島はFA権の行使後の残留(FA残留)は一切認めず、また他球団のFA宣言選手の獲得も見送っていた。これは、FA権を行使した選手の年俸および契約金が翌年以降の活躍如何に拘わらず高騰してしまうリスクがあるためであり、資金力に乏しい広島の経営を圧迫する危険性があるからである。また、松田耕平前オーナーの『球団は家族。選手は子供。両天秤にかけて家族を選ぶ子供が居るだろうか』というチーム観が遺訓として残っているという事もある。しかし、選手にとっては他球団の評価を聞くにはFA権の行使が必要であるため、浅井樹(当時選手会長)や金本知憲などのベテラン選手はFA残留を認めるように球団と再三交渉をしてきたが、結局認められず、行使した金本は残留の選択肢がないため阪神へ移籍した。

そんな中、2006年オフにエースの黒田博樹がFA宣言を示唆する発言をした。投手陣が弱体化している球団にとって、唯一安定成績の投手である黒田の流出はチームの死活問題となるので、今回ばかりは一転してFA残留を認める方針を掲げた(結局、黒田はこの年は行使せず残留したが、翌2007年オフにロサンゼルス・ドジャーズにFA移籍した後、2015年より広島に復帰)。この一件を経た現在では、球団はFA残留を認めていないわけではない[175][176]。2007年オフに新井貴浩が、2008年オフに東出輝裕が、2018年オフに丸佳浩がFA権を取得した際、球団はそれぞれの選手のFA残留を認める方針であった事を明らかにしている[176](新井と丸はFA権を行使しそれぞれ阪神、巨人へ移籍(新井は後に広島に復帰)、東出は行使せず残留)。ただし行使後に残留が認められた実例は未だに無く、中には2015年オフの木村昇吾のように、FA宣言するも獲得に乗り出す球団が現れず、広島との再契約も認められなかったため[175]、FA選手で初めて他球団の入団テストを受ける事態となった例も存在する(木村はその後入団テストに合格して西武入りが決まったが、手続き上はあくまで「FAの行使による移籍」として扱われている)[177]

他球団のFA宣言選手の獲得については、2009年に日本ハムからFA宣言した藤井秀悟について調査し[178]、2010年に横浜からFA宣言した内川聖一の獲得に参入していた。しかし、いずれも他球団へ入団したため(藤井は巨人、内川はソフトバンク)未だに獲得の実例はなく、2008年東京ヤクルトスワローズ東北楽天ゴールデンイーグルスが球団史上初めてFA選手を獲得したことにより、広島はセ・パ12球団の中で唯一のFA選手獲得経験のない球団となっている。

地方開催

初の地方遠征

カープ初の地方遠征は1950年3月16日に福山三菱球場で行われた対中日1回戦だった。6月7日には、広島県内で初のビジターゲーム・大洋対広島六回戦が現在三次市の十日市町営野球場で行われた。開催地はこの数日前に草競馬が催された河川敷馬糞が所々落ちている雑草茂る原っぱである[179]客席は三塁側が川の堤で傾斜面がスタンド。平坦な一塁側は馬車荷車を並べて観客席を作った。座布団代わりに一束二十銭で藁束を売り、品切れになると隣の田んぼからいくらでも補充した。両軍ベンチは馬が繋がれていた丸太ん棒に板を打ち付けた即席ベンチ、勿論屋根はない。ベンチ前にはバケツが置かれ、消防団員手押しポンプのホースを伸ばし、近所の農家の井戸から水を汲み上げバケツに注ぐ。これが選手たちの飲み水である。スコアボードは小学校の黒板。一枚では数字が読みにくいと二枚並べた。外野柵は、所々に青竹を立てて荒縄一本を腰の高さに張り巡らせた。両翼のポールがないことに試合直前に気付き、慌てて田んぼから稲干し用の丸太を引っこ抜いてぶっ立てた。この環境で公式試合がスタート。雑草やデコボコのグラウンドで、5回にしてカープが早々全員安打の15安打、7回にはツーアウトから四球一つをはさんで8本の長短打を放ち10点。ゲーム途中でスタメン全員得点、全員打点、毎回安打、1イニング三本塁打を記録[179]。カープがこの試合で記録した28安打は、2016年終了時点でもセリーグ記録である。22得点は球団記録。この試合を現地で取材したプレスは、朝日新聞共同通信社読売新聞の三社のみで、野球担当になって間もない記者はスコアブックの記入に苦戦した。この試合から両チームの打ち合わせで、外野柵の縄張りの上を越せばホームラン、下をくぐれば二塁打と取り決めた[179]。この試合で外野にお客を入れたかは分からないが、その後外野にお客を入れるとファンがカープに有利になるよう縄を動かした。これで問題を起こしたのが後述する「ナワ・ホームラン」である(#疑惑の本塁打[179][180]

全国各地での主催試合

カープは、かつては積極的に地方遠征を行っていた時期があり、日本ハムの北海道移転や楽天の球団創設以前は東日本と北陸を中心に、北は北海道から南は鹿児島まで、全国各地で主催試合を行った。

球団創設当時の1950年代は主に広島県のその他の球場のほか、岡山県や山口県・島根県といった中国地方での地方開催が多かったが、特に1980年代から1990年代にかけては北海道と東北6県全てで主催試合を行うなど、広範囲で地方開催を行ったこともあった。それ以降も2000年代にかけて東北地方のほか長野や、どちらかと言えば中日のテリトリーである金沢・富山・福井の北陸3県でも主催試合を行った。このため、当時の主力選手であった金本知憲は現役時代、のち移籍した阪神タイガース時代も含めて史上2位タイとなる33球場でホームランを放ったというエピソードもある。

だが、2000年代半ば以降は地方での主催試合は大きく減少し、本拠地が現在のMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に移転した2009年以降は、中部・北陸で若干行われた以外は三次といった広島県下の球場での開催にほぼ限られるようになった。特に黒田博樹が広島に復帰して以降は本拠地のチケットが入手困難化したこともあり、地方開催は年に1 - 2試合に留められ、それも三次、呉、尾道の広島県下のいずれか球場に限られるようになった。更に2020年は地方開催は行わず、主催試合は全72試合ともMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で開催予定としている[181]

8人の侍

1951年開幕前、セ・リーグ内で「広島カープ解散」の案が浮上。広島球団の経営が選手の月給すら定期に払えない限界状態に達していること、補強策が整っておらず前年同様に最下位が決定的であること、それらの問題を抱えたカープがセ・リーグの評判を落としかねないこと、が主な理由だった。議案は同年3月16日に開かれるセ・リーグ理事会で可決の見通しまで立っていた。当時下関に本拠地を置いていた大洋ホエールズとの合併か、それとも解散かという瀬戸際の中、広島球団はあらゆる企業に出資の伺いを立てるが実らなかった。

3月13日NHK広島放送局が「カープ解散」を報じた。解散の報を聞いたカープファン8人が自然発生的に集い、白石勝巳ら主力選手のサインや「必勝広島カープ」のメッセージが記されたバットを手に県庁、市役所、広島電鉄、商工会議所、中国新聞社へ乗り込みカープへの支援交渉を行った。この8人の名も無きファンの行動によりカープが市民から如何に愛されているかが示され、多くの広島の企業、広島市民・県民から援助を受けることとなった。広く援助を呼びかけるために球場前には樽が置かれた。この「樽募金」などに代表される支援で経営は多少の改善を見せ、球団合併・解散危機は回避された。

疑惑の本塁打

1953年4月1日、尾道西高校(現・尾道商高)の校庭で開かれた洋松ロビンス三回戦で[179]、4回広島・白石勝巳選手の放った打球が右中間に飛び込むホームランとなったが、このプレーをめぐり洋松・小西得郎監督が異を唱え主審に打ち直しを要求した[11][182]。先述のように三次での試合から外野柵の縄張りの上を越せばホームラン、下をくぐれば二塁打という取り決めがあり、この試合も校庭のため外野柵がなく、客席とグラウンドはロープだけで仕切られた状態にあった。その為「広島を勝たせてやりたい、広島の選手に得点を与えたい」といったファンの欲望から「ロープをわざと前に押し出したのではないか」と猛抗議をした。それまでロビンス選手の打球が外野に飛来するとカープファンが縄を高々と差し上げ、カープ選手の打球が外野に飛ぶと縄を下げたりするので、小西監督も腹を据えかねていた[179]

当時公式戦を開催できる基準の会場が広島県内には少なかったため、学校や企業のグラウンドを会場にした試合は珍しくなかった。福山三菱電機グラウンドや大竹警察学校グラウンドでの開催もある。

そのわずか11日後の4月12日、今度は広島総合球場を舞台にした同じカードで、洋松選手のホームランをめぐってファンがグラウンドに乱入し、小西監督と審判に暴行を加えるハプニングがあった[11][179]。この日、第一試合は2–4でカープの負け。第二試合は終盤までカープリードで八回表、洋松の荒川昇治が走者二人を置いて、大田垣喜夫の速球をレフトポールに直撃する逆転スリーランを放ち、カープが逆転負けを食らうと「こんなもんがあるからカープが負けるんじゃ」とファンがその左翼ポールを引き抜いてしまうという珍事も起きた[11][179][26]。この騒動には三つの遠因があり、荒川が「やーい、ザマーみろ!!」とスタンドで騒ぐカープファンをからかう仕草をやったこと、三塁の谷口塁審が先にフェアのジェスチャーをし、荒川が二塁を回るころ、改めてホームランのサインを示し、ファンから見ればジャッジの訂正のように見えたこと、カープの石本秀一監督が騒ぎ出したファンを納得させようとマイクを通じて事情を説明したが、「自分はそうは思わないが、塁審がホームランであるというからー」などと曖昧なことを言うから、興奮したファンに油を注いだことであった。試合終了後、殺気立つファンが雪崩うってグラウンドへ乱入し、谷口塁審、杉村主審らに暴行を働いた。そのうち十数人のファンが長い左翼ポールを引き抜き、審判団の逃げ込んだ道具置場までポールを持って行き「審判、このポールのどこに当たったんじゃ! いえ!!」と叫び、さらにポールで道具置場のドアを突き破ろうとした[26]。朝日新聞記者・塩口喜乙は暴れるカープファンを片っ端から撮りまくり、翌日の朝日新聞は社会面のトップにこの事件を掲げ、『週刊朝日』や『アサヒグラフ』も大きく取り上げた[179]。結局夜まで審判団を缶詰めにし、警官隊が出動する騒ぎになった[11]

尾道の事件後、連盟から「内外野の柵は縄を使用してはならない。なんらかのフェンスを設置すること」という指示が出て、大竹市自衛隊演習場で開催された4月16日の巨人二回戦は、急遽、鉄筋コンクリートの建物を作る際にセメントを流し込む囲い板でフェンスが作られた[179]

幻の本塁打

2015年9月12日、阪神甲子園球場で行われた阪神タイガース戦で、12回表、1死ランナーなしから広島・田中広輔の打球が左中間フェンスのスタンド側に張られたワイヤーで大きく跳ね返り外野を転々としていた。田中は三塁で止まったものの広島側のベンチはホームランをアピールした。審判団はビデオ判定による協議でフェンスのグラウンド側で跳ねたボールインプレーと判定し三塁打とした。後続打者は凡退し2-2の引き分けに終わった。

試合後、カープはNPBとセリーグ両事務局に抗議文を送り、NPBは一度フェンスを越えていたと誤審を認めたものの記録や成績の訂正は一切行わないとした。広島はシーズンを69勝71敗3分で終え、3位阪神とは0.5ゲーム差で4位となりクライマックスシリーズを逃した。この試合に勝っていれば広島は70勝71敗2分(勝率.496)、阪神は70勝72敗1分(勝率.493)で広島が3位になっていたので非常に大きな誤審になった。

なお、2015年はBクラスで終わったため本来は2017年の開幕権はなかったが、3位の阪神が返上したため、2017年はマツダスタジアムで開幕戦を迎えることとなった。

沖縄県出身初のプロ野球選手

1964年入団の安仁屋宗八は、当時アメリカの占領下にあった沖縄県出身で沖縄高校(現、沖縄尚学高校)、琉球煙草を経てカープに入団、沖縄県初のプロ野球選手となった。その年は3勝しか上げられなかったが、その後入団する外木場義郎とともにカープを代表するエース投手として活躍し、通算119勝124敗の成績を残した。1975年阪神タイガースに移籍したため、カープのチーム初優勝は敵チームとして見守る形となったが、1980年に復帰し、チーム初の連覇・日本一連覇のメンバーとなった。2005年には投手コーチとして復帰、白い顎髭をたくわえたサンタクロースのような風貌に加え、チームのユニフォームカラーが赤と白だったので「安仁屋サンタ」とも呼ばれて注目が集まった。厳しい走り込み、投げ込みを欠かさない、などの「安仁屋流」を確立するも、投手王国復活はならず、その年限りで退団となった。

「カープを優勝させる会」

1966年東京都に在住する広島県人の著名人有志が「カープを優勝させる会」という団体を発足させた。発起人は東京で趣味の雑誌「酒」を編集・発行していた広島県出身の作家佐々木久子だった。この発足に梶山季之石本美由起新藤兼人藤原弘達木村功杉村春子森下洋子ら広島出身者と広島やカープ選手にゆかりのある灰田勝彦富永一朗、その他、アンチ巨人で有名だった大宅壮一や梶山の飲み友達だった田辺茂一らが参加した[183]。佐々木によると東京は巨人のファンだらけでうんざりしていて、しかも当時の広島も最下位か5位が当たり前、よくてBクラスの勝ち越しと予想されるほど弱かったため、「西から太陽が昇ることがあってもカープが優勝するどころかAクラスに入ることなんか絶対にねぇっ!!」と馬鹿にされていた。「このままでは東京コンプレックスがひどくなる。それを跳ね除けるには郷土の花たるカープを優勝させるべく応援しようではないか!」と立ち上げたのだそうである。しかし発足させたのはいいが2年後(1968年)に初のAクラス(3位)に浮上したのが精一杯で、佐々木の「カープが優勝、巨人は最下位」という叫びは痛々しく聞こえていた。しかし1975年チームが初のセントラル・リーグ優勝、しかも巨人初の最下位も実現するというおまけつきで、そればかりか優勝が決定したのは巨人の本拠地・後楽園だった[184]

こうして「カープを優勝させる会」は1975年に解散したが、とたんに以前ほどではないが低迷。これではいけないと佐々木は「再びカープを優勝させる会」を1978年に発足。するとチームは1979年に初の日本一、翌1980年には巨人以外ではセ・リーグ初となる2年連続日本一を達成した。

日本シリーズMVPの自動車

カープは過去に1979年、1980年、1984年の3回、日本シリーズに優勝している。通常は日本シリーズの最優秀選手にはトヨタ自動車から自動車が贈呈されるが、この3回はそれぞれ最優秀選手になった高橋慶彦、ライトル、長嶋清幸の各選手には球団のスポンサー企業であるマツダからの自動車が贈呈された。

ただし、カープが敗れた1975年、1986年、1991年のMVP選手(1975年:阪急 1986年, 1991年:西武)には通常と同じくトヨタ自動車製の車がプレゼントされている。

なお、マツダはその後NPBオフィシャルスポンサーとなったが、2007年以後日本シリーズ最優秀選手に対する自動車の贈呈は中止された。

日本球界初のアカデミー

MLBでは、各チームが将来有望な選手を育成するための研修組織としてドミニカ共和国ベネズエラにアカデミーを開設しており、毎年夏期にはそれらの対抗戦「サマーリーグ」が開催されているほど野球熱が高い。(マイナーリーグ・その他の項参照)

日本ではそれまで下部組織は国内の二軍だけだったが、チームがMLBなどで活躍する一線級の選手を獲得することでの予算の問題、また純国産打線での戦力低下などによる数々の難点を危惧したことを受けて、上記MLBのアカデミー制度に注目。1990年に日本球界史上初のアカデミー、カープアカデミーをドミニカ共和国に開設し、「開設5年後をメドに日本に送り出す」ことを目標とした。その結果1995年にチェコ投手がアカデミー出身選手初の現役選手登録を果たした。その後もペレスソリアーノペルドモらが同アカデミーから来日し公式戦でプレーした。この他、公式戦出場はなかったものの、1992年に同アカデミー出身の選手が支配下登録されている。

背番号0の男

1983年、長嶋清幸背番号0で公式戦に出場した。背番号0は戦後初期の頃に公式戦に出場しないブルペンキャッチャー等がそれをつけた事例があったが、公式戦出場者では日本プロ野球史上初のことだった。この長嶋が全試合出場を果たし、一躍レギュラーとなったことから背番号0は他球団にも広まっていった[注 33]

クモ男

1990年5月12日の対巨人7回戦(広島市民球場)。6回表の巨人の攻撃が始まろうとした19時20分、黄色の風呂敷で頭と顔を包み、黄色の忍者のような服装、背中にリュックサック、足に黒色の地下足袋を履いた男が出現[7]。一塁側ダグアウト付近からバックネットの頂上までよじ登り、リュックサックから垂れ幕を取り出しネットに掛けて広げた。向かって右から「巨人ハ永遠ニ不ケツデス!」「ファンヲアザムクナ!」「天誅!悪ハ必ヅ滅ビル!」。この他にもう1本、「カープハ永久ニ不滅デス」と書いてあったと言われるものがあったが、リュックから取り出す際にグラウンドに落としたため掲げられなかった。垂れ幕をネットに掛け終えると、三塁側巨人ダグアウトに顔を向け何事かを怒鳴った。さらにネット上で3本の発煙筒をたき、煙玉とオモチャの手裏剣を投げた。

約9分後に男は降りて来たが、飛び降りた際に足を骨折、そのまま待ち構えていた警察官によって威力業務妨害の現行犯で逮捕された。男は東広島市に住む39歳の農業経営者であった。男は後日威力業務妨害罪で略式起訴され、罰金20万円の刑事処分をうけた。

この事件については当日、NHKが試合を生中継していたため、中継内でも一部始終が放送された。

事件の顛末について、2018年3月2日に放送された『爆報! THE フライデー』(TBS系)にて、男が匿名を条件にVTR出演した。男が事件を起こした背景に、当時世間で問題になっていた巨人選手(特に桑田真澄)の裏金問題があり、それに対する不満があったという。当然、巨人ファンからバッシングされることとなり、男の家族も警察の要注意人物となり、バッシングが及んだという。番組では、当時試合に出場していた川口和久が男の元を訪れ対面。川口は、この事件でペースが狂いチームが試合に敗れ、自身の成績にも影響が及んだことを話すと、男は深々と謝罪した[185]

ベースボールドッグ

ファンサービスの一環として2005年3月12日に広島市民球場で行われたソフトバンクとのオープン戦で、日本球界初の試みとして審判にボールを渡す役目であるボールボーイならぬボールドッグを雄のゴールデン・レトリバーのミッキーが務めた[7]。3回裏と5回裏終了後にボールが3個入ったカゴを口にくわえて登場したが、ボールを3つ全て渡さずに1個残したまま持ち帰ったり、ボールを審判ではなく捕手に渡そうとするハプニングもあった。ミッキーの8歳の誕生日でもある4月10日のヤクルト戦で公式戦デビューを果たし、5月21日の楽天戦では球団が特注で用意した背番号111のユニフォーム姿で登場している。その後カルビー社発行のベースボールカードプロ野球チップスに内包、数量限定)に採用されるなど、人気は全国区のものとなった。9月2日の巨人戦では5回裏終了後にミッキーを加え広島県下の101匹の犬が広島市民球場のグラウンドを行進するというイベントも開催された。

あまりの人気によりミッキーの自宅にまで押しかけるファンが現れたことや高齢(犬の8歳は人間年齢では50 - 60歳にあたる)などによって一時は引退騒動も起きたが、ファンからの続投要請の声を受け2005年シーズン終了まで登板した。結果この年のチームの成績自体は最下位と芳しくなかったものの[注 34] ミッキーの登板は観客動員に大きく貢献した。なお2006年シーズンも4月4日(阪神戦)、4月25日(巨人戦)、5月16日(西武戦)に登場した。

この人気は他球団に波及し、2006年からは千葉マリンスタジアムでもテレビ東京の番組『ペット大集合!ポチたま』とのコラボレーションでラブラドール・レトリバーのエルフをベースボールドッグとして採用。2006年6月4日(ロッテ戦)にミッキーと共演を果たした。また、オリックス・バファローズは、2006年にベースボールドッグに対抗した「ベースボール・モンキー」としてボールのかごを持った猿の「ゴウ(背番号555)」を起用。しかし、エルフもゴウも、大観衆・大声援を前にしたストレスから体調を崩してしまい、ミッキーほど長期間にわたる活動は出来ずに終わっている。

2006年7月21日神宮球場で開催されたオールスターゲームでは、球宴という大舞台でありながら完璧に仕事をこなした。ミッキーが広島市民球場以外でボールドッグを務めたのはこれが初である。

2007年以降は高齢のためベースボールドッグを引退し、広島県北広島町に住む飼い主の元で余生を過ごした。2009年4月8日、老衰のため11歳(ヒト換算で80歳)で死亡。同4月14日の本拠地の試合では球団旗を半旗にし、哀悼の意を示した。

応援方法の先駆者

広島は、プロ野球の応援スタイルに繋がる数々の応援方法を生み出したことでも知られている[186][187][188]豊田泰光は、「今のプロ野球の応援スタイルの起源は1975年の、あの“赤ヘルブーム”にある。熱狂的な広島ファンが、初優勝に向けてあの応援スタイルを作り出した」と述べている[189]ベースボール・マガジン社も、「日本のプロ野球の応援スタイルは、多くがカープの応援団がそのスタイルを確立したものと言って過言でない」と論じている[190]。また、永井良和・橋爪紳也の共著『南海ホークスがあったころ』では、「広島の応援団は、日本のプロ野球界の共有財産となるような応援スタイルを生み出していった。その方向性は1975年の広島からもたらされたといっていい。広島カープのファンは、プロ野球の応援に関するかぎりイノベーターの称号を与えられるにふさわしい」と論じている[191]

  • トランペット応援・選手別応援歌
    • 鳴り物などを使用した騒がしい応援スタイルは、一高三高定期戦など、戦前から学生野球やアマチュア野球ではあった[192]。プロ野球でも戦前チームをグループ企業全体を上げて応援するスタイルが見られたが[注 35]、戦後は手拍子や声援(野次)を中心にした応援が主流で、プロ野球の応援は比較的騒がしくはなかった[192]。1950年代にテレビ放送が始まると都市対抗野球が人気が出て応援が騒がしくなったが、プロ野球の応援が徐々に変化していったのは、カープ応援団が1975年、球場にトランペットを持ち込みコンバットマーチを演奏したのが大きなきっかけ[186][188][193][注 36]。また1978年にはチームの中心選手である山本浩二を特別な形で応援するため、山本が打席に入る際に他の選手と異なる曲(通称"コージコール")を演奏したことが選手別応援歌の始まりとされている[187][190]。最初は声を合わせて「コージ」を繰り返すだけのものだったが、やがてトランペットのマーチに乗って、「かっとばせ! コージ」に変わり、トランペットは他の選手たち、そして他チームへも広がっていった[190]。1979年には「花咲かじいさん」のテーマがコンバットマーチとともにトランペット応援で使用されるようになった。その内に、個々人のマーチに歌詞がつき、応援団だけでなく、球場に詰め掛けたファンが声をそろえて、声援を送るようになる[190]。プロ野球の応援に鳴り物が使われるようになったのは"コージコール"からで、この応援スタイルはこれ以降プロ野球に波及した[192]
  • ジェット風船
    • 1978年、カープの関西地区の私設応援団『近畿カープ後援会』のメンバーが、甲子園球場でジェット風船を飛ばしたのが起源という説[186][187][188][196][197]1984年甲子園を中心に関西地区で活動するカープ応援団「大阪河内楠公会」のメンバーが紙吹雪に代わるものとして、大阪松屋町の玩具問屋で購入した風船を飛ばしたのが起源とする説がある[190]。以後広島だけでなく、多くのチームファンが風船飛ばしを行っている。
    • 広島ファンの飛ばすジェット風船の色について、以前は統一せず、カラフルであった。後に基本は赤一色となり、鯉のマークが入っている。なお7回だけでなく、勝利時にも飛ばす(勝利時も同じく赤一色)。
  • スクワット応援
    • 応援歌に合わせて立ったり座ったりするスタイルは、1993年のオープン戦から地元の高校生のグループが遊びで応援していたのが徐々に広まっていった[186][187][198][199]。最初はこの高校生のグループがやり始めると周りの数組が真似をしていただけだったが、数試合後には初回から誰かしらが始めるようになり、全体に広まった[187]。始めのうちはこの応援は立ったり座ったりするのが危険だという事で警備員に止められることもあった。この応援を1試合続けるとなるとかなりの運動量(『ズームイン!!朝!』の放送によると、約200キロカロリー)になるため、「カープファンはスクワット応援のための自主トレを行っている」「巨人の選手よりカープファンの方が体力がある」などとジョークのネタにされることもある。
    • 高木豊が数えたところ、1試合のスクワット回数は約700回(『伊集院光 深夜の馬鹿力』豆知識予備校より)。
    • 選手の応援歌を全く知らない人でも気軽に応援に参加することが可能で、新規ファンが増えやすい要因となっている。
  • しゃもじ応援
    • 1975年の初優勝時、カープファンはスタンドでしゃもじを打ち鳴らして応援していた[186]。しゃもじは広島湾に浮かぶ宮島の名産品として知られ、「勝ちを召し取る(=飯取る)」、また打ち鳴らした時の「カチカチ(=勝ち勝ち)」という音からゲン担ぎとして使用されていた。また、高校野球において広島県代表が試合をする際に、しゃもじが応援アイテムとして使われることもある。しゃもじは1980年代半ばまで使用され、以後は危険防止のためしゃもじを打ち鳴らす応援は行っていない。
  • メガホン応援
    • 応援に欠かせないアイテム、「メガホン」。デザインや用途も含め、年々進化を遂げるメガホンの起源といわれているのが、前述の「しゃもじ」といわれる[186][200]。しゃもじ応援にヒントを得た応援グッズメーカーが、12球団それぞれのチームカーラーのメガホンやメガバットを売り出したところ、飛ぶように売れて広まったとされる[186]。前述のスクワット応援でも用いられている。

多様なカープグッズと記念Tシャツ

数ある日本のプロスポーツチームの中で、もっとも企画力に富んだグッズを生み出し続けているのはカープであると言われている[16][162][201][202][203]。かつては「文鎮にしか使えない物ばかり」と揶揄された時期もあったが[201]、これまで数多くのシャレの効いたグッズを販売してきた実績がある。2006年には当時のマーティ・ブラウン監督のおなじみのパフォーマンスをモチーフにした「ベース投げTシャツ」を、2007年には山崎浩司内野手が対戦相手を隠し球でアウトにしたことをネタにした「隠し球Tシャツ」まで販売した[204][205]。その後もパンツやギターに台車、壁掛時計など、プロ野球チームのグッズとしては物珍しい商品を次々と販売している[162][202][206]

この他にも、ブライアン・バリントン愛用の爪磨きや、キラ・カアイフエなどの顔がデザインされたアロハシャツといったユニークな商品に加え、iPhoneケース、バッグなどもデザインが豊富で、すぐに売り切れになってしまう商品も多い[207]。また、初勝利を収めた新人投手や、劇的なサヨナラホームランを打った選手の枚数限定Tシャツを即座に販売することもよく知られている[208]。この限定Tシャツの人気は高く、特に2014年に発売したTシャツの売れ行きは絶好調であり、九里亜蓮大瀬良大地の初勝利を記念した限定Tシャツは販売当日に完売している。さらに、2014年4月2日の対ヤクルト戦、堂林翔太の今季初ホームランによるサヨナラ勝利を記念した400枚のTシャツを、4月4日12時からインターネット限定で発売したが、わずか5分で完売した[209]

球界でも一番商品開発をして、最も物販の規模が大きいのもカープである[210]。球団によってはグッズを売ってもロイヤルティーしか入らないところもあるが[211]、カープは製作から販売まで自前[211]。球団の収入に直結し、2009年にマツダスタジアムに本拠地を移して以来、3億~4億円だった売り上げは、2014年に20億円以上を売り上げ、球団収入の20%を稼ぎ出し[211]、十数年で15倍に伸ばした[212]。25年ぶりにリーグ優勝した2016年には記念商品などで収益を押し上げ、グッズ収入は前年比17億3千万円増となる過去最高の53億円となり、球団の全売上高の30%近くを占めるまでに成長した[212]

広島県内におけるカープの影響

「地元での愛され方が他球団と違う」と豪語されるほど[213] 広島県内におけるカープの人気は絶大なものであり、県内の至る所でその影響を受けたものが散見される。

  • ローソン
    • 広島駅からマツダスタジアムに至る「カープロード」[214] 沿いと、スタジアムに隣接するローソン2店舗の正面看板が、通常の青帯ではなく世界でここしかない赤帯になっており[213]、通称「カープローソン」と呼ばれ、県外からのカープファンの観光スポットになっている[19][215]
  • カープ電車
    • 広島電鉄およびJR西日本が、カープのロゴやカープ坊や、スライリーなどを利用したラッピング電車を運行している。広島電鉄のカープ電車[216] は、選手による車内アナウンスや、ファンによるメッセージが車内に掲示されている。
    • なお、カープ電車ではないが2015年にJR西日本が広島地区に導入した「227系」は赤を基調としたデザインであり、この色について公式プレスには厳島神社の大鳥居、広島県木のもみじと並んで「広島東洋カープをイメージした」との記載がある[217]。ちなみにJR西日本の近郊型電車車両(225系や521系)にはデザインにJR西日本のコーポレートカラーである青のラインが入っているが227系には入っていない。また、2016年のリーグ優勝時には227系の種別表示機にカープ坊やを表示させて運用している[218][219]
  • 教育労働現場

広島県外のカープファンの増加

広島県外のカープファンは、元々その多くが広島県出身者ないしその近親者であるが、特に北海道にある北広島市は広島県人が開拓した街でもあるので、その流れで旧来からカープファンが多く見られる(ただ、現在は地元球団である日本ハムを応援する人も増えている)[221]。他にも、広島とは縁はなくとも周りのカープファンに影響されカープファンとなった久米宏[222] などの例もある。

1993年に球界はフリーエージェント、ドラフトでの逆指名の両制度を導入し、選手が所属先を選べるようになったことで、資金力に欠ける広島は主力の流出や有力新人の獲得で苦しみ、長期低迷したが、2013年には16年ぶりにAクラス入りしたことで、風向きが変わった。巨人や阪神、ソフトバンクのように補強に頼らず、若い生え抜き選手を地道に育成してクライマックスシリーズに初進出したことが世間の共感を呼んだ。松田元オーナーは「若い選手を育て、強いチームに勝つという球団の考えに賛同してくれているのでは」と分析した[223]

カープ私設応援団「緋鯉会」によると、関東地方のカープファンが増え始めたのは2003年頃からという[224]。2013年時でファンクラブ会員1万5千人のうち、約2割が関東在住者だったといわれ[224]、ファン向けフリーペーパーは、都内の飲食店に配布されるとすぐに無くなるといわれた[224]。全国的にファンが増えたのは突然ではなく、大都市圏を中心にカープファンが増加したことで、東京ドームでの巨人戦は勿論のこと、2011年頃からの神宮球場でのヤクルト戦を中心に[225]、関東のカープファンの作る列は少しずつ長くなっていった[162][226]。ヤクルト球団によると「神宮球場の広島戦の観客動員数はこの5年で三塁側を中心に倍近くまでふくれあがった」という。また、同球団営業部の黒石誠治課長は、広島戦が巨人戦、阪神戦に代わるドル箱になったとした上で「赤いユニホームばかりで(神宮球場が広島の)本拠地みたいな雰囲気になる」と驚いている[227]

2013年、阪神とのクライマックスシリーズにおいては甲子園球場のレフトスタンドから三塁塁アルプス席のほとんどが赤で埋め尽くされた。多くの阪神ファンが「こんな甲子園は見たことがない」と語った[228]。本拠地・マツダスタジアムの平均観客数が増え始めたのは2014年のため[225]、広島県外から先にカープファンが増えたと考えられる。カープファンの増加は2009年のアメリカのボールパークを意識したマツダスタジアムの開場や、2014年黒田博樹の復帰なども要因として挙げられる[229][230]

このように、広島とは縁もゆかりも無いカープファンが、地域、世代を超えてカープを応援するようになったことで、近年においては年々注目度を増している。

カープ女子

2013年、特に首都圏でのカープファンの急増と共にマスメディアに取り上げられたのが「カープ女子」である[231][232]ネーミングの発祥は不明であるが、2014年にもチームが開幕から好調なこともあって、さらにメディアへの露出を増やし[233]、2014年の新語・流行語大賞のトップテンに選ばれた[234]

カープに女性ファンが増えていることは2011年頃から一部のメディアには取り上げられており、その頃は「カープガール」と呼ばれていた[230][235]。その後2013年9月30日NHKニュースウオッチ9』内で放送された「なぜ首都圏で急増? カープファン」という特集の中で「カープ女子」という言葉が使われ、一気にそのネーミングが拡散し、CSに進出が決まった頃は「カープ女子」という単語はすっかり一般化したといわれる[225][231][232][236][237]。さまざまなジャンルの女性ファンに愛称をつける習慣はここから広がったとされ[237]、女性ファンを取り込むという戦略は他球団、他スポーツにも波及した[230][232][238]。2013年から2016年度の4年間の推移では、広島カープを応援する人の割合が、カープ女子が話題となった影響などで、プロ野球チームの中で唯一増加しているといわれる[239]

2014年5月10日、カープ球団が首都圏を中心に増え続ける女性ファン向けに「新幹線でマツダスタジアムへGO!『関東カープ女子 野球観戦ツアー』」を開催し大きなニュースになった[233][240][241]。女性スタッフの発案を松田元オーナーらが採用して、西日本旅客鉄道(JR西日本)、資生堂などが企画に賛同したことで実現した[242]。関東在住の女性を対象に、球団が東京 - 広島の往復の新幹線代約500万円を負担するという太っ腹ツアーで、募集人員148人に対し2305人の応募があり、倍率は15倍超という脅威的な競争率だった[241][243]。この日の試合はカープが中日ドラゴンズ相手に13対5で圧勝し、勝利投手となったエース前田健太がヒーローインタビューで「関東から新幹線でカープ女子の方が来てくれたということで、勝てて良かったです。応援ありがとうございました」と感謝の言葉を述べた[244]。このツアーの模様は後日、日本テレビ『NEWS ZERO』で特集が組まれて全国放送された(後述)。

2014年は全国で増加するカープファンやカープ女子に注目するテレビ番組が相次いでいる。2014年5月7日のテレビ朝日の『マツコ&有吉の怒り新党』では、収録スタジオがあらゆるカープグッズで埋め尽くされた上、番組内でさまざまなグッズと選手が紹介された[245]。翌5月8日の日本テレビの『ZIP!』では、快進撃を続けるカープの「ユニークな客席が魅力のマツダスタジアム」「次々と生まれるユニークなグッズ」「超体育会系の応援スタイル」「強さ」が特集された。5月13日にも同局の『NEWS ZERO』で、増え続けるカープ女子に関する特集が組まれた(先述)。さらにその翌日の5月14日、同じく同局の『ZIP!』の料理コーナーである「MOCO'Sキッチン」にて、野村謙二郎監督がこの番組のファンであることが紹介された。5月22日にはフジテレビの『めざましテレビ』の「ココ調」でカープファンの特集が組まれ、「広島県外のカープファンの増加」「可愛いグッズ」「記念Tシャツ」「若い生え抜き選手」「分かりやすく楽しい応援」などが紹介された。特に読売新聞のグループで巨人のお膝元である日本テレビが情報番組で連日広島東洋カープに関するニュースを放送するのは極めて異例であった。

なお、このようにカープ女子がブームになっているものの、その一方でカープにはNPB12球団で唯一、公式の女性チアリーディングチームが存在していない。似た組織としては、一般人3名で構成されたホームランガールが存在しており、ホームランを打った広島の選手に「ホームラン人形」を贈呈している。また、5回裏の応援「CCダンス」の際には、ビールの売り子がタンクを脇においてスタンド通路でパフォーマンスする。

カープ本

カープ女子の増加とともにカープ関連の本が多数出版された[246][247][248]。「カープ本」は2005年ころから人気が出始めたが、カープ女子の拡大に貢献した『球場ラヴァーズ』の連載が始まった2010年10月頃はまだ「カープの漫画なんて隙間産業では、と笑われた」と作者の石田敦子は話している[234]。しかしその後増え続け、2014年は過去最多の32点が出版され年末には『カープ本100冊。全部読んでみた』(広島野球ブックフェア実行委員会編)と題する本まで出た[248]。"カープ本"という言葉も定着し、広島県立図書館では時折、カープ本特集の展示がある[249]。1950年の球団創立から1975年の初優勝までの25年間に出た「カープ本」は1960年、カープ東京後援会の会長だった池田勇人内閣総理大臣に就任直後に出版された『カープ風雪十一年』(河口豪著・ベースボールマガジン社)1冊のみといわれる[250]。同書には巻頭に池田の写真と推薦文が載る。著者の河口豪はカープの元球団代表。1975年の初優勝で事情が一変、優勝から一週間後に『やったぞ! カープ』(山中善和著・たくみ出版)が出版され以降、『耐えて勝つ』(古葉竹識著・ベースボールマガジン社)など次々発行された。1980年代からはスター選手を取り上げた本が増え、2015年1月現在で「カープ本」は290点を越える。




注釈

  1. ^ 球団設立の際に終戦からの復興という名目で公的資金が投入された。自治体プロスポーツという私企業に資本援助を行った例はカープ設立以外に他になかったが、1996年Jリーグアルビレックス新潟が設立される際に、同様に自治体が資本金援助を行った[4]
  2. ^ 終戦直後、プロ野球を地方で行う場合、連絡先を務めた団体に「木曜会」というものがあり、これは共同通信社に本部を置く主な地方新聞社が集まり結成したもので、地方試合は、その土地の有力新聞社に興行の全てを一任した。これはヤクザ関係興行団体の入る隙を与えないようにすることが狙いで、プロ野球が戦後、比較的健全な発達を遂げた理由の一つともいわれる。河口は「木曜会」の幹事で、カープ誕生以前の広島でのプロ野球開催は「木曜会」主催によるもの。広島大学設立資金の一部もここから拠出された[20][24][29]
  3. ^ 発起人代表。
  4. ^ 当初はパ・リーグに加盟申請したが、2リーグ分立の混乱と、当時パ・リーグの中心であった毎日オリオンズ大阪タイガースのパ・リーグ加盟に注力していた(プロ野球再編問題 (1949年)参照)ことで、広島の加盟申請は放置されてしまった。そのためセ・リーグに加盟申請したところ、すぐに受理されたものであった[31]
  5. ^ 同じくセ・リーグの新規球団であった大洋ホエールズ(親会社は大洋漁業)は選手獲得資金として6000万円かけたが、広島の予算は800万円であったという[36]
  6. ^ 結成披露式で、石本秀一監督(手前)らカープ選手が一列に並ぶ中国新聞の写真位置は[5][37][38]、2017年8月30日放送『鯉のはなシアター』(広島ホームテレビ)第137回「特別編 鯉が歩んだあの場所は今」で[39]桝本壮志長谷部稔が当地を訪れ、長谷部が後方の福屋などとの位置関係から[37]広島中央警察署前の交差点あたりでないか」と話した[39]
  7. ^ 後に二軍選手達は労働基準監督署に訴えたが、「プロ野球選手は労働者に該当せず」と受け入れてもらえなかった。球団からは音沙汰なく、彼らはそのまま解雇となった[43]
  8. ^ 具体的な処罰内容は決められておらず、「3割を切ったら自動的に解散と決めていた」という記述は誤りである。
  9. ^ この年は松竹ロビンスが最下位で、勝率は.288(34勝84敗2分)。規定通りロビンスは、旧・大洋ホエールズとの合併を余儀なくされた[55]
  10. ^ 白石のスカウトによって西鉄でくすぶっていた大和田明を獲得している。
  11. ^ 現在の日本記録は1978年から1997年にかけて南海ホークス→福岡ダイエーホークスが記録した19年連続。
  12. ^ この年後半戦開始時点で1位巨人と最大7.5ゲーム差を逆転しての優勝。
  13. ^ この年は勝率ではなく勝利数で優勝チームを決定していたため引き分けの数だけ試合数が増える(実質再試合制)のため勝利数の差=ゲーム差であった。
  14. ^ 2001年は勝率ではなく勝利数で順位を決定していた。
  15. ^ 8月19日からの本拠地での阪神3連戦はブラウン監督が母親の葬儀に参列するため一時帰国し、ジェフ・リブジー監督代行の3試合目、退場後は小早川毅彦コーチが監督代行代理に。
  16. ^ プロ野球記録は1953年に大映スターズが記録した59イニング。
  17. ^ スポーツ紙などの紙上見出しでは「コイ」の略称も見られる。
  18. ^ ユニフォームを赤に代えようとしたが、経費の都合でヘルメットと帽子のみになった。「我が道」山本浩二 スポーツニッポン 2010年10月14日より。
  19. ^ 純粋な外様は、監督では日本人では別当薫が、外国人を含めるとジョー・ルーツが最後。コーチ・二軍監督では芦沢真矢中利夫(登志雄)・伊勢孝夫片岡新之介らが在籍した。
  20. ^ 広島は2000年オフにも当時高校生だった内川のドラフト1位指名による獲得を目指していたが本人が入団を希望せず獲得を断念、結果的に横浜がドラフト1位で指名し獲得した経緯がある。
  21. ^ 現在は主催試合を開催していないが、主にヤクルト主催のビジターとして対戦することがある。
  22. ^ そのため、1990年代にカープで主力選手として活躍した金本知憲は、歴代2位タイとなる33球場でホームランを打っている(歴代1位は山内一弘)。
  23. ^ パ・リーグ初の公式戦は、2000年5月20日・21日の西武ライオンズ対オリックス・ブルーウェーブ。
  24. ^ 福岡ソフトバンクホークス(2011年 - )、読売ジャイアンツ(2016年 - )[139]
  25. ^ 阪神が(唯一)日本一となったのは、広島が日本一となった翌年の1985年昭和60年)。
  26. ^ 日本シリーズのナイター開催は、東京オリンピックとの兼ね合いで例外として開催された1964年を除き、1994年から導入。2016年に出場する以前は、最初の出場が1975年で最後の出場が1991年であり、全試合がデーゲーム開催であった。
  27. ^ 2016年以前の対戦相手は、阪急近鉄西武であるが、対戦当時の本拠地はいずれもオープン球場であった
  28. ^ 現に中畑清(当時・日本テレビ野球解説者)が日本テレビの特番『刑務所24時』の取材で広島刑務所を慰問中に緊急企画で中畑が巨人時代のユニフォームでソフトボールに出場し対戦し、刑務官や受刑者から拍手喝采を浴びた。
  29. ^ 当時とは異なりベルトレスではなくカバー付ベルト仕様に変更。
  30. ^ セ・リーグではスポンサー広告の掲示がホーム用ユニフォームにしか認められていないため。
  31. ^ 旧市民球場が開業した1957年1958年には同球場での広島主管試合が開催された例。
  32. ^ 京セラドーム大阪で対阪神戦を開催している[156]
  33. ^ 北海道日本ハムファイターズでは2006年以降使用休止となり、2009年から永久欠番になった。
  34. ^ ミッキーが登場した公式戦に限定すれば、カープは15勝7敗と大きく勝ち越している。
  35. ^ 大阪タイガース阪急軍ブラスバンド演奏は数々の文献に出ている。
  36. ^ トランペット応援の発祥がカープにあるという指摘は『プロ野球ヤジ講座』(おかひろみ編・自由国民社[194]、『巨人がプロ野球をダメにした』(海老沢泰久著・講談社[195] にも記述されている。
  37. ^ 試合途中で結果が出ていないときは「…今日カープは…」と歌われることもある。
  38. ^ 阪神戦は毎日放送、ソフトバンク戦はRKB毎日放送が各々スタッフを現地に派遣。中日戦は2018年にCBCテレビがオフチューブで放送。日本ハム戦は北海道放送が乗り込みまたはオフチューブの何れかで放送。2002年には、対横浜との開幕戦をTBSテレビ(関東ローカル)とBS-i(現:BS-TBS)が別制作で放送。
  39. ^ ナイター開催はトップ中継は別制作(TBSチャンネル1ではこのメンバーで全編放送)だが、リレー中継は地上波中継と同じメンバーが担当する。デーゲーム開催は原則としてリレー中継のみ(13:30試合開始時はトップ&リレー中継)実施し、中国放送では16時以降も中継するが、地上波同時放送とせず、TBSチャンネル1との同時放送となる。
  40. ^ 阪神戦は読売テレビがスタッフを派遣し別実況で放送。日本ハム戦は札幌テレビ・ソフトバンク戦は福岡放送との2局ネットで放送。中日戦は中京テレビ、楽天戦はミヤギテレビで中継する場合はネット受けか別実況の何れかになる。
  41. ^ 中日戦はメ~テレ、阪神戦は朝日放送テレビ、楽天戦は東日本放送が各々スタッフを派遣。過去には日本ハム戦を北海道テレビがオフチューブで中継。
  42. ^ 阪神戦は関西テレビがスタッフを派遣して別実況で放送。日本ハム戦は北海道文化放送で中継する場合はネット受けまたは別実況の何れかになる。

出典

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  253. ^ “【虎のソナタ】「勝っち勝ち」コイ応援歌聴かずに済んだ”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2014年9月15日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20140915/tig14091505000001-n1.html 2015年10月17日閲覧。 
  254. ^ a b 「○○山から雲が出た…」は上・中越地方特有の応援歌だった!
  255. ^ 応援歌「宮島さん」- 『お好みワイドひろしま』(NHK広島)(Internet Archive)
  256. ^ 総合テレビでは18時台は広島県のみで放送。山口松江鳥取岡山はローカルニュース終了後の18:59飛び乗り。但し、編成によっては、一部県のみの放送になり、金曜以外は広島県のみの放送になる





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