市川崑 その他

市川崑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 16:30 UTC 版)

その他

「肉しか食べない」という逸話が流布されるような偏食家であった。事実、市川は魚介類が一切食べられず、これは幼少期に甘やかされて育ったためと、後に証言している[62]2008年(平成20年)5月30日に放送された『スタジオパークからこんにちは』(NHK)に出演した石坂浩二の話によると、ある日、油分が多い牛丼を食べている市川を見て石坂が注意したところ「こんな年になってそう食生活なんて変えられないよ」と笑っていたという。

大変なヘビースモーカーとしても有名である[63]チェリーキャメルのどちらかを、一日に100本は欠かさずに吸っており、手を使わずに喫煙できるように、抜歯した歯の隙間に挟んで喫煙していたことでも知られ、撮影中はもちろんインタビューを受ける時もくわえたばこがトレードマークだった。文化功労者に選出された1994年(平成6年)には『NHK紅白歌合戦』に審査員として出演したが、司会の古舘伊知郎から「場内は禁煙でございますので」と忠告され頭をかいていた。編集する際もたばこを咥えていたため、フィルムをライトに透かした際にフィルムを焦がすこともあったという。

億万長者』で初めて使用したアリフレックスに夢中になり、妻の和田夏十を説得して私用に一台購入し、後年にはスタインベックという編集機を私的に購入するなど、凝り性であったという[64]

和田夏十

妻は脚本家和田夏十であった。東宝撮影所で知り合い、1948年(昭和23年)に結婚した。和田は40年近くにわたって市川の生活を支えるかたわら、生涯でほとんどの市川作品の脚本を手がけるという、文字通り公私における市川のパートナーだった。そもそも「和田夏十」(わだなっと)という名は東宝撮影所時代に2人が共同執筆するためのペンネームとして使っていたもので、1951年(昭和26年)の『恋人』で「脚本の才能ではとても妻に及ばない」と市川がこれを妻に譲り、以後彼女専用のペンネームになったという経緯がある。

受賞・栄典

映画賞

叙位・叙勲


注釈

  1. ^ 河野はその後高峰秀子の依頼を受けて崑と面談し、最終的に映画を容認した。詳細は『東京オリンピック』の項目を参照。
  2. ^ 後に崑は『朝日新聞』のインタビューで「要するに河野さんは、馬とかマラソンにうんちくのある方だったんですが、その辺の競技を映画で見たかったのにそれが十分入っていないのが気に食わなかった。作品を全面否定されたわけでも何でもないんです。今から言えば笑い話ですがね」と当時を振り返っている[29]
  3. ^ 『東京オリンピック』は評価されて、同年度のカンヌ国際映画祭でドキュメンタリー作品として国際批評家賞を受賞している。また、同作は映画館以外にも日本各地の学校や公民館などで上映会が開かれたことから、その観客動員数では事実上日本映画史上最多であるという説がある。
  4. ^ ただし、『赤西蠣太』など一部のテレビドラマ作品では、松竹京都映画撮影所といった松竹関連の施設で撮影をおこなったこともあるため、一概に縁がなかったと言えなくもない。
  5. ^ 東映では東横映画時代に『無国籍者』という作品を撮っており、1979年の『柳生一族の陰謀』のヒット直後には時代劇の話が、東映で池波正太郎作品の『仕掛人梅安』を映画化する話もあったが双方のスケジュールの都合で実現しなかった[46]
  6. ^ こちらはサブタイトル並びにオープニングクレジットでの監督・庵野秀明の表記。
  7. ^ 短編アニメーション。
  8. ^ 短編人形劇映画。
  9. ^ 再公開・短縮版では『銀座の猛者』と改題。
  10. ^ 再公開・短縮版では『現金と美女と三悪人』と改題。
  11. ^ 再公開・短縮版では『警察官と暴力団』と改題。
  12. ^ 現存するフィルムは監督自身によって編集された「総集編」。
  13. ^ 内容の妖艶さから国会でも物議をかもした。
  14. ^ オムニバス作品。第2話「物を高く売りつける女」の監督を担当。
  15. ^ 男子100Mを担当。
  16. ^ 豊田四郎と共同監督。
  17. ^ 第二夜を担当。
  18. ^ 3話分を監督、その他は演出指導。
  19. ^ 第1、2、3、18話を監督、その他多くを監修。
  20. ^ 日本初の長編ハイビジョンドラマ。
  21. ^ 第1、2話演出。その他は監修。
  22. ^ 第29部・第30部OPタイトルバック。
  23. ^ 日本万国博・日本館で公開された8面マルチスクリーン作品。
  24. ^ 日本万国博・住友童話館で公開。
  25. ^ 日本万国博・住友童話館で公開。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 東宝特撮映画全史 1983, p. 539, 「特撮映画スタッフ名鑑」
  2. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P27~28
  3. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P8
  4. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P11
  5. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P13
  6. ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、117頁。 
  7. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P14
  8. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P17
  9. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P24
  10. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P32
  11. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P33
  12. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P34
  13. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P37
  14. ^ 『時代の証言者(1) 日本を描く―平山郁夫&市川崑』読売新聞社、2005年、p48
  15. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P43
  16. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P110~111
  17. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P110~124
  18. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P126
  19. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P127、484
  20. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P132~134、501
  21. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P136 、140、144、148~152、503
  22. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P158~177
  23. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P373
  24. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P177~229
  25. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P223、229 - 230
  26. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P232 - 236
  27. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P237 - 254
  28. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P255
  29. ^ 朝日新聞1985年(昭和60年)8月27日付朝刊
  30. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P257 - 258
  31. ^ 「日本映画監督・俳優論」104ページ
  32. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P268、269
  33. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P260~286
  34. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P290~315
  35. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P315~333
  36. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P331~333
  37. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P334~352
  38. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P455
  39. ^ 有馬稲子が市川崑監督との不倫、堕胎告白 - asahi.com (2010年4月22日) 2012年4月9日閲覧。
  40. ^ 不倫中絶を告白...有馬稲子が市川崑監督と - nikkansports.com (2010年4月22日) 2012年12月13日閲覧。
  41. ^ 日本映画監督・俳優論」107ページ
  42. ^ 『加藤武 芝居語り』2019年 筑摩書房
  43. ^ 完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P188~189
  44. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P223
  45. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P350~351
  46. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P66
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  48. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P183、184
  49. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P167、168
  50. ^ P184、185
  51. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P422
  52. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P352、353
  53. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P297、298
  54. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P298
  55. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P330
  56. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P258
  57. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P333
  58. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P146
  59. ^ 完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P176、177
  60. ^ 『若松孝二の時代を撃て』235ページ
  61. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P257
  62. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P10
  63. ^ 巨匠が1日100本のタバコをやめたワケ
  64. ^ 完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P106
  65. ^ 第19回川喜多賞 市川崑氏”. 公益財団法人川喜多記念映画文化財団. 2021年7月13日閲覧。
  66. ^ 市川崑監督の幻アニメ発見 「弱虫珍選組」 米にフィルム”. 朝日新聞デジタル (2014年4月23日). 2014年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月23日閲覧。
  67. ^ 1995 テレビ広告電通賞 「松下電器産業 ナショナルのあかり おかえりなさい神戸のあかり篇」(演出:市川崑) 東映CMの記憶に残る作品、2006年9月7日






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