市川崑
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その他
「肉しか食べない」という逸話が流布されるような偏食家であった。事実、市川は魚介類が一切食べられず、これは幼少期に甘やかされて育ったためと、後に証言している[62]。2008年(平成20年)5月30日に放送された『スタジオパークからこんにちは』(NHK)に出演した石坂浩二の話によると、ある日、油分が多い牛丼を食べている市川を見て石坂が注意したところ「こんな年になってそう食生活なんて変えられないよ」と笑っていたという。
大変なヘビースモーカーとしても有名である[63]。チェリーとキャメルのどちらかを、一日に100本は欠かさずに吸っており、手を使わずに喫煙できるように、抜歯した歯の隙間に挟んで喫煙していたことでも知られ、撮影中はもちろんインタビューを受ける時もくわえたばこがトレードマークだった。文化功労者に選出された1994年(平成6年)には『NHK紅白歌合戦』に審査員として出演したが、司会の古舘伊知郎から「場内は禁煙でございますので」と忠告され頭をかいていた。編集する際もたばこを咥えていたため、フィルムをライトに透かした際にフィルムを焦がすこともあったという。
『億万長者』で初めて使用したアリフレックスに夢中になり、妻の和田夏十を説得して私用に一台購入し、後年にはスタインベックという編集機を私的に購入するなど、凝り性であったという[64]。
和田夏十
妻は脚本家の和田夏十であった。東宝撮影所で知り合い、1948年(昭和23年)に結婚した。和田は40年近くにわたって市川の生活を支えるかたわら、生涯でほとんどの市川作品の脚本を手がけるという、文字通り公私における市川のパートナーだった。そもそも「和田夏十」(わだなっと)という名は東宝撮影所時代に2人が共同執筆するためのペンネームとして使っていたもので、1951年(昭和26年)の『恋人』で「脚本の才能ではとても妻に及ばない」と市川がこれを妻に譲り、以後彼女専用のペンネームになったという経緯がある。
受賞・栄典
映画賞
- 1956年(昭和31年) 『ビルマの竪琴』で以下の賞を受賞。
- エディンバラ国際映画祭グランプリ
- ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジョ賞
- アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
- リスボン国際映画祭審査員特別賞
- 1959年(昭和34年) 『野火』で以下の賞を受賞。
- ロカルノ国際映画祭グランプリ
- バンクーバー国際映画祭カナダ映画協会賞
- 1960年(昭和35年) 『鍵』でカンヌ国際映画祭審査員賞
- 1961年(昭和36年) 『おとうと』でカンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞スペシャルメンション
- 1962年(昭和37年) 『私は二歳』でアジア映画祭監督賞
- 1965年(昭和40年) 『東京オリンピック』で以下の賞を受賞。
- 1983年(昭和58年) 『細雪』で以下の賞を受賞。
- アジア太平洋映画祭グランプリ
- 同・監督賞
- 1984年(昭和59年) 『おはん』でアジア太平洋映画祭審査員特別賞
- 1994年(平成6年) 『四十七人の刺客』で東京国際映画祭審査員特別賞
- 2000年(平成12年) ベルリン国際映画祭特別功労賞
- 2001年(平成13年) モントリオール世界映画祭功労賞、第19回川喜多賞[65]
- 2007年(平成19年) 東京国際映画祭黒澤明賞
叙位・叙勲
注釈
- ^ 河野はその後高峰秀子の依頼を受けて崑と面談し、最終的に映画を容認した。詳細は『東京オリンピック』の項目を参照。
- ^ 後に崑は『朝日新聞』のインタビューで「要するに河野さんは、馬とかマラソンにうんちくのある方だったんですが、その辺の競技を映画で見たかったのにそれが十分入っていないのが気に食わなかった。作品を全面否定されたわけでも何でもないんです。今から言えば笑い話ですがね」と当時を振り返っている[29]。
- ^ 『東京オリンピック』は評価されて、同年度のカンヌ国際映画祭でドキュメンタリー作品として国際批評家賞を受賞している。また、同作は映画館以外にも日本各地の学校や公民館などで上映会が開かれたことから、その観客動員数では事実上日本映画史上最多であるという説がある。
- ^ ただし、『赤西蠣太』など一部のテレビドラマ作品では、松竹京都映画撮影所といった松竹関連の施設で撮影をおこなったこともあるため、一概に縁がなかったと言えなくもない。
- ^ 東映では東横映画時代に『無国籍者』という作品を撮っており、1979年の『柳生一族の陰謀』のヒット直後には時代劇の話が、東映で池波正太郎作品の『仕掛人梅安』を映画化する話もあったが双方のスケジュールの都合で実現しなかった[46]。
- ^ こちらはサブタイトル並びにオープニングクレジットでの監督・庵野秀明の表記。
- ^ 短編アニメーション。
- ^ 短編人形劇映画。
- ^ 再公開・短縮版では『銀座の猛者』と改題。
- ^ 再公開・短縮版では『現金と美女と三悪人』と改題。
- ^ 再公開・短縮版では『警察官と暴力団』と改題。
- ^ 現存するフィルムは監督自身によって編集された「総集編」。
- ^ 内容の妖艶さから国会でも物議をかもした。
- ^ オムニバス作品。第2話「物を高く売りつける女」の監督を担当。
- ^ 男子100Mを担当。
- ^ 豊田四郎と共同監督。
- ^ 第二夜を担当。
- ^ 3話分を監督、その他は演出指導。
- ^ 第1、2、3、18話を監督、その他多くを監修。
- ^ 日本初の長編ハイビジョンドラマ。
- ^ 第1、2話演出。その他は監修。
- ^ 第29部・第30部OPタイトルバック。
- ^ 日本万国博・日本館で公開された8面マルチスクリーン作品。
- ^ 日本万国博・住友童話館で公開。
- ^ 日本万国博・住友童話館で公開。
出典
- ^ a b c d e f g h i 東宝特撮映画全史 1983, p. 539, 「特撮映画スタッフ名鑑」
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P27~28
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P8
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P11
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P13
- ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、117頁。
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P14
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P17
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P24
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P32
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P33
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P34
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P37
- ^ 『時代の証言者(1) 日本を描く―平山郁夫&市川崑』読売新聞社、2005年、p48
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P43
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P110~111
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P110~124
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P126
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- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P132~134、501
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P136 、140、144、148~152、503
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- ^ 『朝日新聞』1985年(昭和60年)8月27日付朝刊
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- ^ 有馬稲子が市川崑監督との不倫、堕胎告白 - asahi.com (2010年4月22日) 2012年4月9日閲覧。
- ^ 不倫中絶を告白...有馬稲子が市川崑監督と - nikkansports.com (2010年4月22日) 2012年12月13日閲覧。
- ^ 日本映画監督・俳優論」107ページ
- ^ 『加藤武 芝居語り』2019年 筑摩書房
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- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P146
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- ^ 『若松孝二の時代を撃て』235ページ
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P257
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P10
- ^ 巨匠が1日100本のタバコをやめたワケ
- ^ 完本 市川崑の映画たち』、市川崑・森遊机、2015年11月発行、洋泉社、P106
- ^ “第19回川喜多賞 市川崑氏”. 公益財団法人川喜多記念映画文化財団. 2021年7月13日閲覧。
- ^ “市川崑監督の幻アニメ発見 「弱虫珍選組」 米にフィルム”. 朝日新聞デジタル (2014年4月23日). 2014年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月23日閲覧。
- ^ 1995 テレビ広告電通賞 「松下電器産業 ナショナルのあかり おかえりなさい神戸のあかり篇」(演出:市川崑) 東映CMの記憶に残る作品、2006年9月7日
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