川淵三郎
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バスケットボール界との関わり
2015年1月、国際バスケットボール連盟 (FIBA) のタスクフォース・『JAPAN 2024 TASKFORCE』の共同チェアマンに就任。当時、機能不全に陥り、FIBAから資格停止処分を受け、代表チームが国際大会に出場できない事態となっていた日本バスケットボール協会 (JBA) の組織改革と、2005年以来約10年分裂していた2つの国内男子バスケトップリーグの統合(Bリーグ発足)など諸問題の解決に尽力した。問題解決に当たっては、JBA執行部や男子両リーグ関係者など問題の当事者に迅速な問題解決を促すため、タスクフォース会議の全面公開、全国のバスケットクラブ本拠地の自治体首長の訪問や、間近に迫っていたリオ五輪予選に出場できない可能性があった女子バスケットボール関係者等と直接ヒアリングを行う等、積極的なマスコミ露出を行い世論の支持を得た[33][34][35]。
こうしてタスクフォースチェアマン就任から2か月余り後の4月にJPBL(Bリーグ)運営法人を設立し、初代Bリーグチェアマンに就任。5月からはJBA会長も兼任して資格停止処分解除を実現させた後、Bリーグチェアマンは同年9月に大河正明、JBA会長は2016年9月に三屋裕子にそれぞれ引き継いだ。以降はJBAエグゼクティブアドバイザーとしてバスケット界に関わり、Bリーグ開幕を見届けた。Bリーグ初年度シーズン後、バスケット界を新たなステージへと引きあげる原動力となったことを理由にBリーグアワードショーで「BREAK THE BORDER賞」の初代受賞者に選出された。プレゼンターは、テレビ番組でBリーグ発足の取材をしていたことが縁でBリーグ匿名広報部長に任命されていたサッカー元日本代表選手の前園真聖が務めた。川淵は「うれしいような、うれしくないような……。まあうれしい(笑)」と述べた[36]。
また、制裁解除により五輪予選に出場可能となった女子日本代表は2016年リオデジャネイロオリンピックの出場権獲得に成功[37]。2021年の東京オリンピックで女子が初の銀メダルを獲得した際、選手から直接報告を受けた川淵は涙を流して喜んだ[38]。
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- ^ 川淵氏、猪瀬氏選対本部長就任で吠えた
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- ^ 日本トップリーグ新会長 サッカー川淵最高顧問を選出
- ^ 首都大東京理事長に前千葉商大学長の島田氏
- ^ 佐々木則夫氏が日本協会新理事、川淵三郎氏は相談役
- ^ 麻雀プロリーグMリーグ発足、最高顧問は川淵三郎氏
- ^ 設立時役員等候補の選任について
- ^ 五輪選手村、川淵氏を村長に 代行は講道館長の上村氏 日経電子版 2019/12/19
- ^ 「時代の証言者 川淵三郎 3」読売新聞2022年8月31日付朝刊
- ^ 「時代の証言者 川淵三郎 4」読売新聞2022年9月1日付朝刊
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- ^ 私の履歴書 川淵三郎
- ^ a b 『「ダイヤモンド・サッカー」の時代』、エクスナレッジ、2008年、p182-183
- ^ 『フットボールサミット第1回』「フットボールサミット」議会 、2010年11月19日発行、カンゼン、p172-179
- ^ 「頼むさかい、日本サッカーリーグの選手らに満員の国立でプレーさせてやってや。ファン代表・明石家さんま」
- ^ 今週の週刊ポスト-soccerundergroundブログ 2007年8月31日
- ^ スポーツニッポン(東京本社版)・2014年10月25日付 26面「川淵三郎 我が道」
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- ^ 堺の魅力を発信 「堺名誉大使」「堺親善大使」
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- ^ Bリーグを創った男たち 今だから明かせる「改革」のポイント
- ^ 大神「リオ五輪が具体的な目標です」女子バスケ代表が川淵三郎と意見交換スポーツナビ2015年2月25日
- ^ B.LEAGUE(Bリーグ)誕生 日本スポーツビジネス秘史 2021年1月 大島和人著
- ^ 「BREAK THE BORDER賞」を受賞の川淵三郎氏、選手たちに呼びかけ「面白いコメントを」 バスケットボールキング2017年6月1日
- ^ 川淵会長大号令「メダルを狙え!」2015年9月7日
- ^ 女子バスケの銀メダル快挙に川淵三郎前会長も涙 コロナ収束後に川淵氏から“高級プレゼント”スポーツ報知2021年8月9日
- ^ 応募した人は二宮清純や広瀬道貞(テレビ朝日社長)、増島みどり(フリーライター)、竹内達朗(スポーツ報知記者)等
- ^ 川淵氏退任で「キャプテンはオレ1代」 - 日刊スポーツ
- ^ “「リーダーの条件は」 スポーツジャーナリスト二宮清純氏、日本専門新聞協会新春講演会で”. 『観光経済新聞』 (2019年2月11日). 2021年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月12日閲覧。
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- ^ JFAの藤田静夫元会長に続き、日本人では2人目
- ^ 第1回(平成20年) 日本芝生文化大賞は日本サッカー協会キャプテンの川淵三郎氏に授与されました。日本芝生学会
- ^ “秋の叙勲、川淵氏ら4024人に/旭日大綬章に張氏”. 四国新聞社 (2009年11月3日). 2023年4月14日閲覧。
- ^ “文化勲章、ノーベル賞2氏や仲代達矢さんら7人”. YOMIURI ONLINE (2015年10月30日). 2015年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月25日閲覧。
- ^ “川淵三郎氏と小野清子氏に功労章、五輪発展に寄与”. 日刊スポーツ. (2016年10月19日) 2016年10月20日閲覧。
- ^ 川淵 三郎 氏 (日本サッカー協会相談役)へ名誉博士称号を授与いたしました 日本体育大学公式ホームページ
- ^ “文化勲章に川淵三郎氏ら7人決まる、文化功労者は北大路欣也さんら20人に”. 朝日新聞. (2023年10月21日) 2023年10月21日閲覧。
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