岩崎卓爾 岩崎卓爾の概要

岩崎卓爾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/28 03:52 UTC 版)

いわさき たくじ
岩崎卓爾
生誕明治2年10月17日
1869年11月20日
日本 陸前国仙台藩宮城郡仙台
死没昭和12年5月18日
1937年5月18日
日本 沖縄県八重山郡石垣町登野城(現 石垣市)
墓地泰心院(仙台市若林区南鍛冶町)
記念碑石垣島地方気象台構内に胸像あり
国籍 日本
別名糸数原主人、袋風荘主人、蝶仙、蝶翁
出身校第二高等中学校(退学)
職業気象観測技術者
時代明治 - 昭和
雇用者中央気象台
著名な実績石垣島での気象観測
八重山地方の生物や民俗、歴史の研究
活動拠点石垣島
肩書き石垣島測候所第2代所長
配偶者八重樫貴志
栄誉石垣市より名誉市民として顕彰される

は糸数原主人、袋風荘(たいふうそう)主人、蝶仙、蝶翁。

経歴

明治2年10月17日[1](1869年11月20日)、仙台藩士の子として宮城県仙台市に生まれる。第二高等中学校(現 東北大学)へ入学するも在学中に気象技師を志し中退。中央気象台(現・気象庁)へ入庁し研修生として根室札幌などの測候所に勤務する。

  • 1891年(明治24年)仙台の第二高等中学校を退学。
  • 1892年(明治25年)北海道庁札幌測候所に入所。後に根室測候所に勤務。
  • 1896年(明治29年)北海道庁札幌測候所を退職。
  • 1897年(明治30年)東京、中央気象台に入所。
  • 1898年中央気象台付属石垣島測候所に配属。仙台の八重樫貴志と結婚。

1899年(明治31年)第2代所長に就任し、以降死去するまでの40年間を石垣島で過した。この間赴任先である沖縄県八重山地方の風土に魅せられ、気象観測の傍ら同地の社会、人文、自然科学に関する調査を独自に行う。いろんなことに一枚噛む性格だったようで、その調査対象は多岐に及ぶ。また教育振興のために1917年(大正6年)からは死去するまで八重山通俗図書館(現・沖縄県立図書館八重山分館)の第2代館長を兼務したり、島内に初の幼稚園を開設したりした。産業育成のため1914年(大正3年)には川平湾御木本幸吉と共に黒真珠養殖業に関わったりもする。

  • 1906年(明治39年)5月15日、東京へ出張途上、岐阜の名和昆虫研究所を訪れる。
  • 1910年(明治43年)「沖縄学の父」と呼ばれる、沖縄島の伊波普猷の求めに従って、与那国島産のヨナクニサン(オオアヤニシキ)の雌雄標本を送付。
  • 1911年(明治44年)イワサキコノハを発見するも、シノニムであった。

1932年(昭和7年)所長職を退官、測候所に嘱託として残り、現在の石垣市登野城に居を構え「袋風荘」と名付け、自らを袋風荘主人と名乗る。1937年(昭和12年)5月18日死去。享年69。生前から島の土になりたいと願っていたが、妻・貴志の強い希望で遺骨は仙台に戻り、仙台市若林区南鍛冶町の泰心院に墓が建立された。戒名は「袋風院卓舟蝶仙居士」。死去して64年後の2001年(平成13年)、石垣市より名誉市民として顕彰される。

業績

石垣島における台風の猛烈な強風への対策として、中央気象台に対してコンクリート建築の導入を提案した。彼の提案を受け入れ、測候所の建物も1915年(大正4年)にはいちはやく鉄筋コンクリートで建て替えられている。いまや竹富島の伝統的な集落といった例外を除くと、八重山地方の建築物は、ほとんどが鉄筋コンクリート造りになっている。また台風襲来時にはこと細かにこれを観測して記録したが、1914年(大正3年)にはその際風で飛んできた石に当たって右眼を失明している。

一方で石垣島を中心とした八重山地方の生物、民俗、歴史に関する調査を行い、多数の著書を著して八重山研究の基礎を築いた。ある意味本業の気象観測や台風研究でよりもこちらの方の業績で有名で、特に生物研究においては積極的に採集を行い、得られた標本を交流のあった昆虫学者の名和靖分類学者の松村松年などに送ったことで、多数の新種、新亜種発見や台湾フィリピンなど熱帯特産種の日本での分布新確認に貢献した。現在日本では石垣島や八重山地方特産種である昆虫爬虫類の多くが標準和名の頭にイワサキの4文字を冠しているのは、こうして標本を送られた各人の、彼に対する献名である。またサキシマハブのような毒蛇オオゴマダラコノハチョウといったチョウを自ら飼育し、ハブに関しては防除法を、チョウに関しては食草や生態を解明した。

民俗学の研究においても多数の方言民謡民話などの採集に尽力し、島を訪ねた柳田國男折口信夫ら多くの研究者を案内して八重山文化の紹介につとめている。柳田はこの訪問を契機の一つとして海上の道の学説を唱えた。

岩崎卓爾に献名された名を有する生物

昆虫

この他に4種を数えるが、それらはシノニムと判明したので現在は用いられない。

ヘビ


  1. ^ a b 明治5年12月2日まで天保暦を採用していた。


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