岐阜県 歴史

岐阜県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/02 02:20 UTC 版)

歴史

県名の由来

「岐阜」の名は諸説あり、一説には、織田信長の命名によるとされる。政秀寺の僧侶であった沢彦宗恩の案によって、「岐山」(殷が周の王朝へと移り変わる時に鳳凰が舞い降りた山とされ、周の文王はこの山で立ち上がり、八の基を築いた)の「岐」と、「曲阜」(学問の祖、孔子が生まれた集落があった国の首府にして儒学発祥の地)の「阜」を併せ持つ「岐阜」を選定して、太平学問の地であれとの意味を込めて命名したとされる。

信長公記』(太田牛一)によると、織田信長美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井口を岐阜と改めたと書かれている。江戸時代中期の尾張藩の記録の『安土創業録』(名古屋市蓬左文庫蔵書、旧蓬左文庫所蔵・尾張徳川家蔵書)、『濃陽志略』(別名・濃州志略、国立公文書館所蔵)にも信長命名とあり、『岐阜志略』(長瀬寛二、1885年(明治18年))が『安土創業録』の記述を引用して信長が初めて岐阜と命名したとしている。

同時代史料を確認してみても、「言継卿記」永禄11年11月10日条に「三州徳川左京大夫所へ沢路隼人佑差下,予岐阜へ下向之次也」。また、ルイス・フロイスの日本耶蘇会年報にも、永禄12年5月,「我等は岐阜の町に著きたり,人口約一万なるべし」。という記述があり、信長命名以前に、岐阜という地名が確認できないことが分かる。他にも、細川両家記や多聞院日記での岐阜の初見は永禄11年である。

一方、井口の地名の方は、永禄三年七月廿一日六角承禎の書状に、濃州井口。歴代古案、織田信長の書状に、(永錄七年)仍先月濃州相働、井口近所取出。このことから、信長公記にある1568年(永禄11年)に、信長が井口を岐阜と改めた以前に、岐阜であった事実は確認できない。

岐阜は信長命名以前にすでに使用されていたという異論もある。岐阜市案内(岐阜市教育会編、1915年(大正4年))では、「一説には、古来、岐府、岐陽、岐山、岐下と書き、明応永正の頃より旧記に岐阜と見えたれば、信長の命名にあらず」と記載。『美濃国諸旧記』(寛永正保の作?)には、稲葉山を岐山、里を岐阜と呼び、信長が岐阜・中節・井ノ口・今泉・桑田を合併して、岐府と称したとし、岐阜は古来の字で、信長は岐府と府の字を使ったと主張されている。ただし、忠節・今泉は近世地名(江戸時代)であり、岐阜を岐府と別称した文書はない。また、仁岫録、東陽英朝の語録;少林無孔笛、明応8年孟夏日・土岐成頼画像;東陽英朝賛にいずれも岐阜鐘秀。万里集九の梅花無尽蔵に、岐陽という語句が頻出、岐下風流、雖退去于岐阜陽、とあるが、同書物中では岐陽とは何かについての具体的な説明はなく、梅花無尽蔵注釈;市木武雄において、岐蘇川(木曽川)の陽(北)に位置し、鵜沼・岐阜一帯を指すとするが、同書物中には、木曽川となっており、木曽陽あるいは木陽でないとおかしいし、岐蘇川としても岐蘇陽という表現がないのもおかしいという疑問もある。

※木曽川(岐蘇川)由来説の最大の問題点は、承和2年の太政官符に、尾張・美濃両国堺墨俣河という記述があり、古来は墨俣川と呼ばれていることである。当然、川の名前由来で、岐阜岐陽は、成り立たない。1586年(天正14年)6月24日に、木曽川の大洪水が起こり、古来の河道が大変化をして、ほぼ現状となったのである。

また、信長は、井口を岐阜と改めたとしているのに、万里集九の梅花無尽蔵には、濃之井口有祥雲院、という記述があり、井口を岐陽としていない。さらに、濃之革県、濃革手、という記述もあり、革手府を岐阜(岐陽)と呼んでいない。井口から相当離れた鵜沼(各務ヶ原市東端)を井口と一帯として岐陽と呼ぶのも無理がある。同書物中には、河陽=駿河国とする記述もあり、となると、岐陽=美濃国=濃陽という広範囲すぎる呼称となり、やはり、信長が井口を岐阜と改めたという事実と矛盾する。なお、万里集九以前に、五山の学僧に岐陽方秀がおり、道号は初め岐山、のち岐陽と改めた、讃岐国出身であることから、岐山=岐陽=讃岐国を意味するか。濃飛両国通史;1923年(大正12年)、安土桃山時代史(昭和14年;著者花見)にも、岐阜命名は信長以前説を唱えている。

阿部栄之助の濃飛両国通史を見ると、永禄4年に崇福寺の快川国師(紹喜)が斎藤義龍を「岐陽賢太守」と呼んだとするが、出典不明であり、永禄沙汰には「永祿3年12月24日美濃齋藤義龍、同国の禅家をして、伝燈寺に帰附せしむ、尋で、同国崇福寺紹喜(快川)等、之を憤り、国外に出奔す」という記述があり、永禄4年の段階で、美濃国外退去になりすでに崇福寺の住職ではなく、憤慨した相手の斎藤義龍を賢太守と褒めたとは疑問である。また、御湯殿上日記には、天正9年9月6日正親町天皇が、前妙心寺住持快川(紹喜)に大通智勝国師の号を賜ふ、という記述があり、永禄4年の段階で国師であったはずがないなど、明らかにおかしな記述である。

先史時代

本県でも約3万年前に始まる後期旧石器時代には、濃尾平野北辺部の段丘上や台地(日野遺跡・寺田遺跡・椿洞遺跡)に人々が活動していた遺跡が確認されている。他にも山中の狭い細尾根にある遺跡(揖斐川町藤橋村徳山寺屋敷遺跡)や低湿地の遺跡(飛騨市宮川村宮ノ前遺跡)が確認されている。それらの遺跡から石を割ってで切る剥片でつくった石器、例えばナイフ形石器・削器・細石刃尖頭器など、また調理に使ったと考えられる礫郡、加工痕のある木片などのいろいろな生活用具が見つかっている[3]

古代

4世紀の中頃には、大和政権の勢力下に入っていた。

岐阜県は、令制国の美濃国(18郡・131郷)と飛騨国(3郡・13郷)の二国で構成されている(和名類聚抄)。美濃は「御野」(大宝2年:702の正倉院文書)、飛騨は「裴陀」(養老令)と書かれた。ヒダの国名の表記法が「飛騨」に定着したのは8世紀の前半である。美濃と飛騨国は、東山道に属し、畿内からの本線は近江・美濃を通り、信濃上野へと向かうから美濃から飛騨へは東山道の支線であった[4]。この東山道は古くから利用された。ヤマトタケルの征服伝説にも登場する(『古事記』)。

美濃国は、日本のほぼ中心として、昔から歴史上で重要な合戦が多く起こっている。古くは大海人皇子がこの国を拠点に挙兵した壬申の乱672年)があり、関ケ原町藤古川付近で激戦が行われた。8世紀には、国府垂井町府中に置かれた。国分寺大垣市青野町に国分尼寺垂井町平尾に其々建てられた。一宮南宮大社(現:垂井町宮代)となった。

中世

中世に入ると、美濃国は土岐氏が、飛騨国は京極氏守護を務める。戦国時代になると、美濃国は斎藤道三織田信長の活躍の舞台となり、司馬遼太郎をして「美濃を制するものは天下を制す[5]」と言わしめている。その後、徳川家康石田三成による関ヶ原の戦い(1600年)が関ケ原町垂井町大垣市で行われた。飛騨国は姉小路氏が支配し、その後羽柴秀吉に従った金森氏が支配した。

近世

江戸時代に入ると、先の関ヶ原の戦いによる論功行賞などにより藩の改易転封などを含めながらも、美濃国は依然として戦略的に重要な地であり石高も多いことから幕府によりいくつかの小藩に分割された。幕府領としては笠松陣屋美濃郡代が支配した。美濃国内藩としては、最大でも大垣藩の10万石の他、苗木藩岩村藩郡上藩高富藩加納藩大垣新田藩尾張藩家老の竹腰氏の今尾藩尾張藩分家の高須藩が成立する。美濃国外藩としては尾張藩の12万石のほか、磐城平藩備中岡田藩が領地を有した。また、旗本知行地としては明知遠山氏交代寄合竹中氏陣屋など複数あった。飛騨国は当初飛騨高山藩があったが、元禄期に山林資源や鉱山資源に目をつけた幕府が藩主の金森氏上山藩に転封し、その後は幕府領として高山陣屋飛騨郡代が支配した。また、律令時代から整備された東山道を元として、戦国時代に各地の戦国大名によって整備された道を繋ぎ、中山道が整備された。

近・現代




  1. ^ 平成22年国勢調査時点で岐阜県関市富之保
  2. ^ 岐阜県で41℃を観測 お盆期間も猛暑続く 高温に関する情報 Yahoo!ニュース(ウェザーマップ)2018年8月6日
  3. ^ 谷口和人「日本の真ん中岐阜のあけぼの」『岐阜県の歴史 県史21』2000年。10ページ。
  4. ^ 谷口和人「日本の真ん中岐阜のあけぼの」『岐阜県の歴史 県史21』2000年。41-42ページ 。
  5. ^ レファレンス協同データベース”. 「美濃を制するものは天下を制する」という言葉について. 岐阜県図書館. 2016年11月24日閲覧。
  6. ^ 誰か昭和を思わざる 大正ラプソディー (大正元年) Archived 2011年1月25日, at the Wayback Machine.
  7. ^ 岐阜県の決算状況”. 岐阜県. 2016年5月18日閲覧。
  8. ^ 地方公共団体の主要財政指標一覧”. 総務省. 2016年5月18日閲覧。
  9. ^ 岐阜県:岐阜県と鹿児島県の姉妹県盟約締結 - 岐阜県、2016年1月13日閲覧。
  10. ^ 岐阜県 - 鹿児島県、2016年1月13日閲覧。
  11. ^ 中部電力の主な発電所所在地一覧
  12. ^ 岐阜市にメガソーラー NTT系、東海4県最大級
  13. ^ a b Dpa放送エリアのめやす(岐阜県岐阜市)
  14. ^ (FM愛知会社概要)
  15. ^ ZIP-FM POWER PROFILE (PDF)”. ZIP-FM. 2014年7月7日閲覧。
  16. ^ AboutInterFM
  17. ^ 会社概要(三重テレビ)
  18. ^ 会社概要(三重エフエム放送)





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