山田顕義 栄典

山田顕義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 02:25 UTC 版)

栄典

勲章等
外国勲章佩用允許

親族

1870年(明治3年)に鹿島屋喜右衛門の長女(井上馨の養女)龍子と結婚し、1男1女をもうけた。

  • 長男 金吉(1879年 - 1880年)
  • 長女 梅子(1886年 - 1912年)

金吉の夭折後、顕義の実弟・河上繁栄(1847年 - 1906年)の息子の久雄(1871年 - 1897年)が選定相続人となり、1892年(明治25年)の顕義の死後に伯爵位を継ぐが、若くして死去した。繁栄は、再従姉妹にあたる河上弥市の妹・梅子と結婚して河上家を継いでいたが、久雄の死後に山田家へ戻って自ら跡を継ぎ、3代伯爵となる。

繁栄の跡は、会津松平家より松平容保の三男・英夫(1875年 - 1945年)を、顕義の長女の梅子(顕義死後、龍子が養育)の婿に取って継がせた。英夫は陸軍歩兵中佐に進み、病のため現役を離れ、貴族院議員を務めた。英夫の長男・顕貞(5代伯爵)は日本大学法学部教授を務めた。英夫の次男・貞夫はインパール作戦に参加し戦死した陸軍大尉である[注 7]。顕貞の姉・千代子は薩摩治郎八の最初の妻である。英夫は後妻の宣子(柳沢光邦の娘)との間にも一女・緑をもうけている。顕貞の息子・顕喜は日本大学芸術学部映画学科で教授を務めている。

村田光賢
 
村田清風
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
薩摩治郎八
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山田顕義[1]
 
 
山田金吉
 
 
千代子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山田龔之
(山田家を継ぐ)
 
山田亦介
 
 
 
 
 
 
 
 
鍋島直庸
 
 
福子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
龍子
 
 
梅子
 
 
 
 
 
 
 
山田顕喜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山田顕行
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山田顕貞[5]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
松平容保
 
山田英夫[4]
 
 
山田貞夫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
柳沢光邦
 
宣子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三井高孟
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山田(河上)繁栄[3]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山田久雄[2]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
川上繁完
(川上家を継ぐ)
 
梅子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
八谷通聰
 
 
 
 
 
 
河上弥市
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

山田顕義が残した言葉

明治初期頃の山田顕義
  • 「軍とは何のためにあるか。帝室を守衛し人民を安全にするためである。しかし他にも、国には法があり律があり、教育の道がある」[注 8]
  • 「欧米諸国の国法と我人民慣習の法とを斟酌し国法の条目を審議し、国法に依り以て国律を確定すべし」[注 9]
  • 「英雄は死す。されど凱旋門は残る。英雄の名声と遺産によって、市民はその豊かさを享受する」[注 10]
  • 「兵は凶器なり」[注 11]
  • 「法律は軍事に優先する」[注 12]
  • 「生きた。闘った。使命を全うした。人生に悔いはない」[注 13]

注釈

  1. ^ 山田本人が明治政府に提出した『履歴書』では「長門国阿武郡松本村」と記している
  2. ^ 現代語訳すると以下の通り。

    立志尚特異 志を立てるためには 人と異なることを恐れてはならない
    俗流與議難 世俗の意見に惑わされてもいけない
    不思身後業 世の中の人は 死んだ後の業苦のことを思うこともなく
    且偸目前安 ただ目の前の安逸を貪っているだけなのである
    百年一瞬耳 人の一生は長くても百年 ほんの一瞬である
    君子勿素餐 君たちは どうか徒に時を過ごすことのないように

  3. ^ 実際には8月まで募兵は続いている
  4. ^ 大津事件手記によると、内心では皇室罪の適用に消極的だったと思われる記述がある
  5. ^ 実情は、大津事件で犯人を死刑に処せとの明治天皇の指示にそえなかった責任をとっての辞任であった。
  6. ^ 死因は脳溢血と見られている。
  7. ^ 高木俊朗によればその死は花谷正に強要された自決である。
  8. ^ 顕義が建白書に書いた一節。この建白書を見た木戸孝允は顕義に軍事から法律の世界へ転身することを強く勧めた。
  9. ^ 不平等条約改正の交渉をするのに、日本に憲法も法律もないことが足かせになることを身をもって経験しているので、日本の慣習や文化を踏まえた法律をつくる必要性を力説した。
  10. ^ 岩倉使節団に参加した際、パリ凱旋門の前でつぶやいたとされる言葉。凱旋門はナポレオンが戦勝記念に建設を開始したものであるが、皇帝ナポレオンは凱旋門の完成を見ずにこの世を去っている。
  11. ^ 軍事力がつきすぎると脅威にかわるという意。
  12. ^ 国家は争いや武力よりも、法律が人を守り国家を豊かにするという意味が込められた言葉。
  13. ^ 顕義がよく口にしていた言葉。

出典

  1. ^ 朝日日本歴史人物事典「山田顕義」
  2. ^ タウン情報 萩(山口県). “【新日本の設立者】 山田顕義 【小ナポレオン】”. 山口県萩市のタウン情報サイト. 2015年9月29日閲覧。
  3. ^ 秋山香乃 (2006, pp. -)、古川薫 (1994, pp. -)
  4. ^ 萩市観光協会公式サイト「ぶらり萩あるき」. “山田顕義誕生地 (顕義園)”. 萩市観光協会公式サイト. 2015年9月29日閲覧。
  5. ^ 山田顕義の生涯~西郷隆盛に「小ナポレオン」と賞された用兵の天才”. WEB歴史街道 (2017年11月10日). 2019年10月15日閲覧。
  6. ^ a b c 萩観光情報サイト 萩ナビ. “山田顕義 ~用兵の天才から法典伯へ”. 萩焼会館. 2015年10月1日閲覧。
  7. ^ a b 日本大学広報部広報課. “山田顕義 略年表 安政3 1856 ~ 安政4 1857”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月29日閲覧。
  8. ^ 萩博物館. “生誕170年記念特別展 山田顕義と近代日本”. 萩博物館 展覧会情報 山田顕義と近代日本. 2015年9月29日閲覧。
  9. ^ a b c d e 日本大学広報部広報課. “山田顕義 略年表 文久2 1862 ~ 慶應3 1867”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月29日閲覧。
  10. ^ 日本大学広報部広報課. “大村益次郎から兵学の知識を学ぶ”. 日本大学広報部広報課. 2015年10月1日閲覧。
  11. ^ 日本大学広報部広報課. “陸軍創設への貢献”. 日本大学広報部広報課. 2015年10月1日閲覧。
  12. ^ a b c 日本大学広報部広報課. “戊辰戦争での活躍”. 日本大学広報部広報課. 2015年10月1日閲覧。
  13. ^ 秋山香乃 (2004, pp. -)
  14. ^ 黒野耐 (2004年3月20日). “参謀本部と陸軍大学校”. 講談社. 2016年2月13日閲覧。
  15. ^ 日本大学広報部広報課. “山田顕義 略年表 明治2 1869 ~ 明治4 1871”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月30日閲覧。
  16. ^ 日本大学広報部広報課. “欧米への視察(岩倉使節団)”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月30日閲覧。
  17. ^ ダイヤモンド・オンライン. “「兵ハ凶器ナリ」--法整備の重要性を説いた山田顕義”. ダイヤモンド社. 2015年9月30日閲覧。
  18. ^ 日本大学広報部広報課. “士族反乱を鎮圧”. 日本大学広報部広報課. 2015年10月1日閲覧。
  19. ^ もりたなるお. “抵抗の器―小説・山田顕義”. 文藝春秋. 2015年9月30日閲覧。
  20. ^ 東京都下水道局. “神田下水の紹介”. 東京都下水道局. 2015年9月30日閲覧。
  21. ^ 日本大学広報部広報課. “山田顕義 略年表 明治6 1873 ~ 明治17 1884”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月30日閲覧。
  22. ^ 布施弥平治 (1980年8月). “私擬憲法--山田顕義伯の憲法草案を中心として”. 日本大学法学会論文. 2015年9月30日閲覧。
  23. ^ a b c d e 幕末歴史研究会. “山田顕義~民法・商法など日本の近代法の整備に尽力”. 幕末・維新風雲伝. 2016年1月26日閲覧。
  24. ^ 瀧井一博伊藤博文滞欧憲法調査の考察」第80巻、京都大学人文科学研究所、1997年3月、2015年9月30日閲覧。, doi:10.14989/48506, hdl:2433/48506
  25. ^ 日本大学広報部広報課. “司法への道と法典編纂”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月30日閲覧。
  26. ^ 大学史編纂課. “学祖位牌と山田農場”. 大学史編纂課だより. 2015年9月30日閲覧。
  27. ^ 萩市観光協会. “「ぶらり萩あるき」公式サイト”. 萩市観光協会. 2015年9月30日閲覧。
  28. ^ 『官報』第2626号、明治25年4月4日。
  29. ^ a b c d e f g h i j k l m 山田顕義」 アジア歴史資料センター Ref.A06051166600 
  30. ^ 『官報』第993号「叙任及辞令」明治19年10月20日
  31. ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」明治17年7月8日
  32. ^ 『官報』第1609号「彙報 - 褒章」明治21年11月8日
  33. ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」明治22年11月30日
  34. ^ 『官報』第2816号「叙任及辞令」明治25年11月15日
  35. ^ 『命を棄てて』P175
  36. ^ 『命を棄てて』P173






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