山田顕義 山田顕義が残した言葉

山田顕義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 15:57 UTC 版)

山田顕義が残した言葉

明治初期頃の山田顕義
  • 「軍とは何のためにあるか。帝室を守衛し人民を安全にするためである。しかし他にも、国には法があり律があり、教育の道がある」[注 8]
  • 「欧米諸国の国法と我人民慣習の法とを斟酌し国法の条目を審議し、国法に依り以て国律を確定すべし」[注 9]
  • 「英雄は死す。されど凱旋門は残る。英雄の名声と遺産によって、市民はその豊かさを享受する」[注 10]
  • 「兵は凶器なり」[注 11]
  • 「法律は軍事に優先する」[注 12]
  • 「生きた。闘った。使命を全うした。人生に悔いはない」[注 13]

評価

  • 高杉晋作
    • 高杉晋作が亡くなる時に、「奇兵隊を引き継ぐ人物は?」と問われて、晋作が名を挙げたのは、大村益次郎であった。しかし、大村は元々村医者だったため「その次は?」と問うと「山田市之允」と答えたという。この時、山田顕義はまだ23歳の青年であった。
  • 西郷隆盛
    • 小柄で童顔だった山田に対して西郷は「よか稚児」と残している。
    • 「神算鬼謀の将」
    • 「あの小わっぱ(小童)、用兵の天才でごわす」
    • 「用兵の妙、神の如し」
  • 桐野利秋 「官軍の将校輩畏るるに足るものは一人も居ないが、独り空齋(山田)だけは神出鬼没測り知ることが出来ない。彼の技量は我等戊辰の際に於いて之れを熟く知って居る。今幸か不幸か旗鼓相見ゆるを得る次第だ。我輩と一快戦を試みる者は正に彼空齋あるのみ」[37]
  • 原田指月 「山田さんは背丈の低い、小振りの男だった。口髭も何もない。年齢未だに三十にもならぬ明治五六年頃、既に陸軍少将に昇進し、欧州を遊歴した。欧州人はこの少年らしい山田さんを見て驚いた。『一体日本には少年の将官がありますか』と山田さんを捕えて問うたそうな」[38]

幼少期のエピソード

  • 庭の木に登って小便をしていたら母親に命中した[7]
  • 塾の帰りに遊んでいたら、武士の命である自分の刀を忘れてしまった[7]

注釈

  1. ^ 山田本人が明治政府に提出した『履歴書』では「長門国阿武郡松本村」と記している
  2. ^ 現代語訳すると以下の通り。

    立志尚特異 志を立てるためには 人と異なることを恐れてはならない
    俗流與議難 世俗の意見に惑わされてもいけない
    不思身後業 世の中の人は 死んだ後の業苦のことを思うこともなく
    且偸目前安 ただ目の前の安逸を貪っているだけなのである
    百年一瞬耳 人の一生は長くても百年 ほんの一瞬である
    君子勿素餐 君たちは どうか徒に時を過ごすことのないように

  3. ^ 実際には8月まで募兵は続いている
  4. ^ 大津事件手記によると、内心では皇室罪の適用に消極的だったと思われる記述がある
  5. ^ 実情は、大津事件で犯人を死刑に処せとの明治天皇の指示にそえなかった責任をとっての辞任であった。
  6. ^ 死因は脳溢血と見られている。
  7. ^ 高木俊朗によればその死は花谷正に強要された自決である。
  8. ^ 顕義が建白書に書いた一節。この建白書を見た木戸孝允は顕義に軍事から法律の世界へ転身することを強く勧めた。
  9. ^ 不平等条約改正の交渉をするのに、日本に憲法も法律もないことが足かせになることを身をもって経験しているので、日本の慣習や文化を踏まえた法律をつくる必要性を力説した。
  10. ^ 岩倉使節団に参加した際、パリ凱旋門の前でつぶやいたとされる言葉。凱旋門はナポレオンが戦勝記念に建設を開始したものであるが、皇帝ナポレオンは凱旋門の完成を見ずにこの世を去っている。
  11. ^ 軍事力がつきすぎると脅威にかわるという意。
  12. ^ 国家は争いや武力よりも、法律が人を守り国家を豊かにするという意味が込められた言葉。
  13. ^ 顕義がよく口にしていた言葉。

出典

  1. ^ 朝日日本歴史人物事典「山田顕義」
  2. ^ タウン情報 萩(山口県). “【新日本の設立者】 山田顕義 【小ナポレオン】”. 山口県萩市のタウン情報サイト. 2015年9月29日閲覧。
  3. ^ 秋山香乃 (2006, pp. -)、古川薫 (1994, pp. -)
  4. ^ 萩市観光協会公式サイト「ぶらり萩あるき」. “山田顕義誕生地 (顕義園)”. 萩市観光協会公式サイト. 2015年9月29日閲覧。
  5. ^ 山田顕義の生涯~西郷隆盛に「小ナポレオン」と賞された用兵の天才”. WEB歴史街道 (2017年11月10日). 2019年10月15日閲覧。
  6. ^ 秦 2005, pp. 165–166, 第1部 主要陸海軍人の履歴:陸軍:山田顕良
  7. ^ a b c 萩観光情報サイト 萩ナビ. “山田顕義 ~用兵の天才から法典伯へ”. 萩焼会館. 2015年10月1日閲覧。
  8. ^ a b 日本大学広報部広報課. “山田顕義 略年表 安政3 1856 ~ 安政4 1857”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月29日閲覧。
  9. ^ 萩博物館. “生誕170年記念特別展 山田顕義と近代日本”. 萩博物館 展覧会情報 山田顕義と近代日本. 2015年9月29日閲覧。
  10. ^ a b c d e 日本大学広報部広報課. “山田顕義 略年表 文久2 1862 ~ 慶應3 1867”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月29日閲覧。
  11. ^ 日本大学広報部広報課. “大村益次郎から兵学の知識を学ぶ”. 日本大学広報部広報課. 2015年10月1日閲覧。
  12. ^ 日本大学広報部広報課. “陸軍創設への貢献”. 日本大学広報部広報課. 2015年10月1日閲覧。
  13. ^ a b c 日本大学広報部広報課. “戊辰戦争での活躍”. 日本大学広報部広報課. 2015年10月1日閲覧。
  14. ^ 秋山香乃 (2004, pp. -)
  15. ^ 黒野耐 (2004年3月20日). “参謀本部と陸軍大学校”. 講談社. 2016年2月13日閲覧。
  16. ^ 日本大学広報部広報課. “山田顕義 略年表 明治2 1869 ~ 明治4 1871”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月30日閲覧。
  17. ^ 日本大学広報部広報課. “欧米への視察(岩倉使節団)”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月30日閲覧。
  18. ^ ダイヤモンド・オンライン. “「兵ハ凶器ナリ」--法整備の重要性を説いた山田顕義”. ダイヤモンド社. 2015年9月30日閲覧。
  19. ^ 日本大学広報部広報課. “士族反乱を鎮圧”. 日本大学広報部広報課. 2015年10月1日閲覧。
  20. ^ もりたなるお. “抵抗の器―小説・山田顕義”. 文藝春秋. 2015年9月30日閲覧。
  21. ^ 東京都下水道局. “神田下水の紹介”. 東京都下水道局. 2015年9月30日閲覧。
  22. ^ 日本大学広報部広報課. “山田顕義 略年表 明治6 1873 ~ 明治17 1884”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月30日閲覧。
  23. ^ 布施弥平治 (1980年8月). “私擬憲法--山田顕義伯の憲法草案を中心として”. 日本大学法学会論文. 2015年9月30日閲覧。
  24. ^ a b c d e 幕末歴史研究会. “山田顕義~民法・商法など日本の近代法の整備に尽力”. 幕末・維新風雲伝. 2016年1月26日閲覧。
  25. ^ 瀧井一博伊藤博文滞欧憲法調査の考察」第80巻、京都大学人文科学研究所、1997年3月、2015年9月30日閲覧 , doi:10.14989/48506, hdl:2433/48506
  26. ^ 日本大学広報部広報課. “司法への道と法典編纂”. 日本大学広報部広報課. 2015年9月30日閲覧。
  27. ^ 高田晴仁「法典編纂における民法典と商法典・下 その「重複」と「抵触」を巡って」『法律時報』71巻8号、日本評論社、1999年、86、90頁
  28. ^ 大学史編纂課. “学祖位牌と山田農場”. 大学史編纂課だより. 2015年9月30日閲覧。
  29. ^ 萩市観光協会. “「ぶらり萩あるき」公式サイト”. 萩市観光協会. 2015年9月30日閲覧。
  30. ^ 『官報』第2626号、明治25年4月4日。
  31. ^ a b c d e f g h i j k l m 山田顕義」 アジア歴史資料センター Ref.A06051166600 
  32. ^ 『官報』第993号「叙任及辞令」明治19年10月20日
  33. ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」明治17年7月8日
  34. ^ 『官報』第1609号「彙報 - 褒章」明治21年11月8日
  35. ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」明治22年11月30日
  36. ^ 『官報』第2816号「叙任及辞令」明治25年11月15日
  37. ^ 『命を棄てて』P175
  38. ^ 『命を棄てて』P173






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