山本賢太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/29 14:19 UTC 版)
やまもと けんたろう 山本 賢太郎 | |
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生誕 | 1980年11月15日(41歳) 日本 鳥取県 |
住居 | 広島県 |
職業 | 棋士(囲碁) |
人物
父親の影響を受け、4歳から囲碁を始める。小学校4年生の時に日本棋院関西総本部の院生となり、大阪の小学校に転校する[1]。1997年に入段。
21歳の時に広島市に移住し、広島県師範として普及活動などを行っている[1]。
エピソード
- 山本が記録係を担当した第50期王座戦五番勝負第2局において、趙治勲王座が時間切れ負けとなるハプニングが起きた[2]。
- 2006年に創設された若鯉戦(広島アルミニウム工業株式会社協賛)では、非公式棋戦であった第1回から第5回まで、地元の棋士として予選免除で出場していた。2010年の第5回には準優勝を達成している。
棋歴
良績
- 2010年 第5回広島アルミ杯若鯉戦 準優勝(非公式棋戦)
昇段履歴
外部リンク
- 日本棋院による山本賢太郎の紹介ページ
- Official Site - 山本賢太郎 - - 本人によるブログ
- ^ a b c “日本棋院広島県本部師範 山本賢太郎五段に聞く”. せとうちタイムズ (2015年10月3日). 2022年10月29日閲覧。
- ^ 第50期王座戦 特別リポート 日本経済新聞
- ^ “【昇段】山本 賢太郎六段に昇段”. 日本棋院 (2022年8月12日). 2022年10月29日閲覧。
- 1 山本賢太郎とは
- 2 山本賢太郎の概要
固有名詞の分類
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