山川静夫 山川静夫の概要

山川静夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 17:49 UTC 版)

やまかわ しずお
山川 静夫
プロフィール
出身地 日本 静岡県静岡市葵区
生年月日 (1933-02-27) 1933年2月27日(91歳)
最終学歴 國學院大學文学部
職歴NHKアナウンサー、現:芸能評論家
活動期間 1956年 - 1994年
ジャンル 司会など
出演番組・活動
出演経歴NHK紅白歌合戦
ひるのプレゼント
ウルトラアイ

来歴・人物

1933年2月27日、現在の静岡県静岡市葵区梅屋町で静岡浅間神社神主の家に生まれた。1951年、静岡県立静岡城内高等学校(当時。現:静岡県立静岡高等学校)卒業[2]国學院大學文学部卒業日本伝統文化に興味があり、國學院大學在学中から歌舞伎の声色が得意で、ニッポン放送の歌舞伎番組に出演していた経験を持つ。中村勘三郎 (17代目)中村歌右衛門 (6代目)吉田玉男吉田簑助など古典芸能の名人たちと親交を深めている。また、義父の飯島忠が安藤鶴夫育英小学校で同級生であることを通じての親交もあった[3]

1956年にNHKに入局[注釈 1]青森仙台大阪に勤務の後、1968年東京アナウンス室に配属。前期の担当番組はお父さんはお人好し女性手帳(大阪制作)、お楽しみグランドホール、ひるのプレゼント歌のグランド・ショーお国自慢にしひがしなど。後期はウルトラアイトライ&トライくらべてみればなどの生活科学番組の司会を15年に渡って担当、体当たりの実験参加が人気を博した。

NHK紅白歌合戦の総合司会や白組司会を務めた。1974年から1982年まで白組司会を9年連続で担当、これは先輩の高橋圭三に並び連続白組司会の最長記録となっている。史上初且つ男性では唯一の昭和平成の紅白での双方司会経験者であるほか、最後の担当となっている1992年(当時59歳)での総合司会は2005年に当時61歳のみのもんた(同回の事実上の総合司会)に抜かれるまで男性司会者および総合司会の最年長記録となっていた。ただし、第56回は「グループ司会制」となり、司会の役割は決められていなかったため、正式な肩書の総合司会の最年長記録はその後も保持している。

著作も多く、1974年に刊行した『綱太夫四季』が処女作である。同作は1975年にNHKでラジオドラマ化され(脚色:大西信行.演出:上野友夫、主演:森繁久彌)、芸術祭優秀賞受賞。

1972年チーフアナウンサー、チーフアナウンサー(局長級)から1988年理事待遇、1990年に特別主幹(専務理事待遇)職に就任する(理事就任後もテレビ出演時は「アナウンサー」を名乗っていた)が、その後も当時の担当番組だった「くらべてみれば」では司会を続け、1991年1992年には「国民的番組」の名誉復権をかけて9年ぶりに紅白に総合司会として司会復帰する等、1994年3月(実際、山川は1993年の時点で60歳を迎えていた)に定年退職するまで"NHKの顔"として活躍した。2000年脳梗塞とそれに伴う失語症心不全、結腸腫瘍による腸閉塞と相次いで大病に見舞われたが、短期間で復帰。

1991年からは国語審議会委員を務め、また芸能評論家として雑誌・単行本に評論・エッセイを執筆するなど、退職後はブラウン管から一歩離れた立場での活躍が目立っているが、NHK衛星第2において、「山川静夫の華麗なる招待席」「昭和の歌人たち」といった番組の司会を担当し長年に渡り出演してきたほか、2010年には十一代目市川海老蔵(当時。現:十三代目市川團十郎白猿)の結婚披露宴(全2部構成の第1部)の司会を担当した。

大阪放送局勤務時代(1959年 - 1965年)、当時朝日座といった文楽劇場へ通いつめ、文楽を筆頭に歌舞伎、新国劇などの古典芸能に通暁しており、その時親しんだ八代目竹本綱大夫の評伝『綱大夫四季』の他、その後も多数の古典芸能に関する著書がある。

同期にはスポーツアナウンサーとして知られる向坂松彦、ニュースキャスターやナレーターを務めた松川洋右がいる。志生野温夫(元日本テレビアナウンサー)は大学時代の同級生。NHKの採用試験は、志生野と共に受験したが、志生野は4次試験の面接で落第した。また文化放送、フジテレビでアナウンサーを務めた鳥居滋夫は静岡城内高校の同期。

出演番組


注釈

  1. ^ 当時のアナウンス養成主任は木津川辰雄。

出典

  1. ^ 山川 静夫 - Webcat Plus”. webcatplus.nii.ac.jp. 2023年2月24日閲覧。
  2. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 103頁。
  3. ^ 山川静夫 (1980-2). 歌右衛門の疎開「あんつるさんのふるさと」. 文藝春秋. ISBN 9784163354101 
  4. ^ NHKウイークリーステラ』 1976年10月号「アナウンス室だより」参照
  5. ^ 『週刊現代』1985年1月号


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