尾張藩 幕末の領地

尾張藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 02:12 UTC 版)

幕末の領地

明治維新後に、美濃国中島郡2村(八神城主・毛利源内預所の旧幕府領)、北見国網走郡斜里郡が加わった。

脚注

関連項目

外部リンク

先代
尾張国
高須藩
行政区の変遷
1610年 - 1871年 (尾張藩→名古屋藩→名古屋県)
次代
名古屋県

注釈

  1. ^ 水戸藩と分家の額田藩でない県南と鹿行も含めると常陸で59件(木村由美子『茨城の百姓一揆と義民伝承』(筑波書林)
  2. ^ うち2件は紀伊徳川以前の浅野幸長・長晟の北山一揆・紀州一揆(日高一揆)
  3. ^ 『百姓一揆の発生地と件数』出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
  4. ^ 尾張藩『角川日本地名大辞典(旧地名編)』
  5. ^ 大規模な死者がでた例としては、寛文年間以降に、決起したキリシタンが数百人単位で名古屋の千本松原などに埋められた「濃尾崩れ」、明治維新後に、3万人以上が参加し百姓側に多くの死傷者が出た「稲葉騒動」が起きている。
  6. ^ a b 『圓覺院様御伝二十五箇条』近松茂矩記
  7. ^ 吉宗から三か条の詰問を受けたにもかかわらず、宗春は無視して政策を推し進めたとする説もあるが、吉宗から咎めを受けたという公式記録は存在していない。
  8. ^ 『徳川実紀』
  9. ^ 徳川義直『軍書合鑑』
  10. ^ 『一条兼香公記』には、紀州藩を批判し、尾張藩を持ち上げる記述が散見される。
  11. ^ 第4代藩主吉通の長女信受院千姫は、五摂家の九条家に嫁ぎ、その血筋は多くの家に繋がっていき、現在の皇室とも繋がっている。また、御附家老竹腰家にも第2代藩主光友の血筋は伝わっている
  12. ^ 公文書において官が低く位が高いときは、位・官の間に「」の字を入れる。大納言は正三位に相当。
  13. ^ [1]
  14. ^ 梶川勇作「尾張藩における「給人領」とその給人(後編)」(『金沢大学文学部論集 史学・考古学・地理学篇』18号、1998年)P.44
  15. ^ 梶川勇作「尾張藩における「給人領」とその給人(前編)」(『金沢大学文学部論集 史学科篇』10号、1990年)P.44
  16. ^ 梶川勇作「近世の尾張藩における尾張衆とその知行地(後編)」(『金沢大学文学部 地理学報告』8号、1997年)P.40、P.50
  17. ^ (濃飛通史・濃陽徇行記)
  18. ^ (林菫一著・尾張藩の給知制)
  19. ^ 使用が許可された材木を割って半製品にした材料
  20. ^ 近世林業史の研究・岐阜県史
  21. ^ 伐採を禁じた山林
  1. ^ 八代吉宗、十四代家茂が紀州からであり、十五代慶喜は、水戸家出身で後に御三卿一橋家の養子になり、その後将軍になっている。






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