小金井市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 02:27 UTC 版)
行政
歴代村長
- 渋谷清吉 1889年5月〜1891年6月
- 平井武左衛門 1891年6月〜1892年3月
- 小川慶次郎 1892年3月〜1892年10月
- 大沢百太郎 1892年11月〜1895年8月
- 鈴木兼三郎 1895年9月〜1899年9月
- 鴨下荘左衛門 1899年10月〜1900年8月
- 鈴木儀助1900年8月〜1901年4月
- 大久保善左衛門 1901年4月〜1905年4月
- 鴨下荘左衛門 1905年4月〜1909年4月
- 小川義三 1909年5月〜1913年5月
- 星野治亮 1913年5月〜1929年1月
- 平井武茂 1929年1月〜1937年2月
歴代町長
- 平井武茂1937年2月〜1942年1月
- 前田菊四郎 1942年1月〜1946年11月
- 小川精一 1947年5月〜1955年4月
- 鈴木誠一1955年5月〜1958年9月
歴代市長
- 白井亨(2022年11月27日就任)
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 鈴木誠一 | 1958年10月1日 | 1967年4月30日 | |
2代 | 関綾二郎 | 1967年5月1日 | 1971年4月30日 | |
3代 | 永利友喜 | 1971年5月1日 | 1979年4月30日 | |
4代 | 星野平壽 | 1979年5月1日 | 1981年5月8日 | 女性同伴出張問題で辞職 |
5代 | 保立旻 | 1981年5月31日 | 1987年3月5日 | 老人入院見舞金支給条例をめぐる問題で辞職 |
6代 | 大久保慎七 | 1987年4月26日 | 1999年4月25日 | |
7代 | 稲葉孝彦 | 1999年4月26日 | 2011年4月25日 | |
8代 | 佐藤和雄 | 2011年4月27日 | 2011年11月12日 | ごみ処理施設をめぐる問題で辞職 |
9代 | 稲葉孝彦 | 2011年12月18日 | 2015年12月17日 | |
10代 | 西岡真一郎 | 2015年12月18日 | 2022年10月14日 | 保育園廃園をめぐる問題で辞職 |
11代 | 白井亨 | 2022年11月27日 | 現職 |
政策・施策
地下水保全 「小金井市の地下水及び湧水を保全する条例」と「小金井市雨水浸透施設等設置助成金交付要綱」を定めている。「東京の名湧水」となっている湧水を守る。
広域行政
- 西東京・武蔵野・三鷹および小金井市の4市で公共施設の共同利用を行っている。
- 東京都六市競艇事業組合 - 八王子・昭島・武蔵野・町田・調布および小金井市の6市で江戸川競艇を開催している。
- 東京都十一市競輪事業組合 - 八王子・武蔵野・青梅・昭島・調布・町田・小平・日野・東村山、国分寺および小金井市の11市で京王閣競輪を開催している。
- 昭和病院組合 - 清瀬・小平・西東京・東久留米・東村山・東大和および小金井市により組織され、公立昭和病院を運営している。
- ゴミ処理の項も参照。
自治体交流
財政
- かつて経常収支比率は、1996年度に111.4%で、民間会社の調べで、市としては日本最悪とされた。現在(2005年度)では91.2%と回復しているが、依然油断を許さない状況である。
- 1960年代半ばに建設された市役所は老朽化・狭隘化が著しく、昭和末期より改築や移転が度々議論されてきた。平成初頭に、将来的に移転が決まっていた蛇の目ミシン工業小金井工場の用地を買収、新庁舎の整備が完了するまでの10年間、市役所近くの民間のビルをリースし「第二庁舎」として一部機能を置くこととした。しかし、年2億円の賃料に加え、バブル経済の崩壊による財政の悪化により新庁舎建設の基金が底をついてしまったため、結果的に現在に至るまで「第二庁舎」の利用を続けている。なお、この建物は「小金井大久保ビル」といい、大久保慎七元市長の親族が所有している。
- 2000年には"小金井市政と未来を語る会"が職員給与削減7%を求めて条例制定の直接請求を起こしたが、議会はこれを否決した。当時市職員の過半数が50歳以上であったため、人件費比率が高かった。
- 退職職員の退職金を賄えず、市債を発行して調達している。
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