封建制 日本での封建・郡県の議論

封建制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/08 03:53 UTC 版)

日本での封建・郡県の議論

日本ではじめて封建・郡県の本格的な議論をしたのは、江戸時代前期の山鹿素行とされている[9][10]。以降、 荻生徂徠太宰春台山片蟠桃頼山陽会沢正志斎らが封建・郡県制を論じている。

江戸時代前期の議論

山鹿素行や荻生徂徠の議論は、厳重な地方制御装置を備えた中央集権国家像を描いている点で一致しており、江戸時代の幕藩制のシステムを正当化するものであった[11]

江戸時代後期の議論

江戸時代後期の山片蟠桃は、郡県制が人為的制度、封建制が自然の理にかなったものとし、封建制を是とした。その上で江戸幕府を、天皇からの勅命を受けた正統な封建制とみなした。ただしこの時点で山片蟠桃の意図とは別に、江戸幕府の正統性が引きはがされる根拠が生じた[12]

頼山陽は、封建の概念を用いて日本の歴史について論じた。鎌倉幕府以来の武士の世を頼山陽は「封建の勢」とし、正統なものではないことを暗示し、封建の勢が進行するとともに重税化が進んだことを主張した[13]

会沢正志齋は、郡県制のイデオロギーであった王土王民思想を天皇と結び付け、天下の土地人民はことごとく天皇のものであり、封建制は天皇制に合致する場合だけ認められるとした[14]

フューダリズム

フューダリズムFeudalism)とは歴史学において中世北西部欧州社会特有の支配形態を指した用語であり、「封建制」と訳される。土地と軍事的な奉仕を媒介とした教皇・皇帝・国王・領主・家臣の間の契約に基づく緩やかな主従関係により形成される分権的社会制度で、近世以降の中央集権制を基盤とした主権国家絶対王政の台頭の中で解消した。

マルクス主義歴史学(唯物史観)においては、生産力進歩に伴い拡大するとされる生産関係の上部構造下部構造の間の矛盾発生とこの矛盾の弁証法的な発展解消を基盤として普遍的な歴史進歩の法則を見いだそうとするため、この理論的枠組みを非ヨーロッパ地域にも適用して説明が試みられた。この場合、おおよそ古代ギリシア古代ローマ社会を典型とみなす古代奴隷制が生産力の進歩によって覆され、領主が生産者である農民を農奴として支配するようになったと解釈される社会経済制度のことを示し、この制度が認められる歴史段階を中世と定義する。

北西部ヨーロッパ

戦う人(騎士)、祈る人(聖職者)、働く人(農民)の中世西欧三身分を表す図

ゲルマン人社会の従士制度(軍事的奉仕)と、ローマ帝国末期の恩貸地制度(土地の保護)に起源を見いだし、これらが結びつき成立したと説明されることが多い。国王諸侯に領地の保護(防衛)をする代償に忠誠を誓わせ、諸侯も同様の事を臣下たる騎士に約束し、忠誠を誓わせるという制度である。この主従関係は騎士道物語などのイメージから誠実で奉仕的な物と考えられがちだが、実際にはお互いの契約を前提とした現実的なもので、また両者の関係が双務的であった事もあり、主君が臣下の保護を怠ったりした場合は短期間で両者の関係が解消されるケースも珍しくなかった。

更に「臣下の臣下は臣下でない」という語に示されるように、直接に主従関係を結んでいなければ「臣下の臣下」は「主君の主君」に対して主従関係を形成しなかった為、複雑な権力構造が形成された。これは中世西欧社会が極めて非中央集権的な社会となる要因となった(封建的無秩序)。

西欧中世においては、特にその初期のカロリング朝フランク王国の覇権の解体期において北欧からのノルマン人西アジア地中海南岸からのイスラーム教徒中央ユーラシアステップ地帯からのマジャール人アヴァール人などの外民族のあいつぐ侵入に苦しめられた。そのため、本来なら一代限りの契約であった主従関係が、次第に世襲化・固定化されていくようになった。こうして、農奴制とフューダリズムを土台とした西欧封建社会が成熟していった。

日本の封建制(フューダリズム)

封建制がフューダリズムの訳語として用いられるようになってから日本で封建制とされてきた体制は、荘園公領制による統治などの国内的要因が主となって形成された(天皇やその藩屏たる貴族は権威を『根拠付ける』存在である)。西欧のフューダリズムで複数の契約関係や、短期間での契約破棄・変更がみられたのと同様、日本でも実際のところ戦国時代まで主従関係は後述の「御恩と奉公」の言葉で表現されるように一部双務的・流動的なものであり、「二君にまみえず」「君、君たらずとも臣、臣たれ」という語に示されるような主君への強い忠誠が求められたのは、江戸時代に入ってからである。

日本の封建制の成立をめぐっては、いくつかの説がある。ひとつは鎌倉幕府の成立によって「御恩と奉公」が既に広義の封建制として成立したとする説で、第2次世界大戦前以来、ほとんどの概説書で採用されていた。この考え方では、古代律令国家の解体から各地に形成された在地領主の発展を原動力として、領主層の独自の国家権力として鎌倉幕府が形成された(鎌倉幕府の力は、日本全国に及んでいたわけではない)とみなす。従って承平天慶の乱(承平5年、935年)がその初期の現われとみなされる。一方、日本中世史と日本近世史の間で、1953年から1960年代にかけて日本封建制成立論争が展開した(太閤検地論争とも呼ばれる)。その口火を切った安良城盛昭は、太閤検地実施前後の時期の分析から荘園制社会を家父長的奴隷制社会(=古代)とし、太閤検地を画期として成立する幕藩体制を日本の封建制と規定した。他には、院政期以降を成立期とする説(戸田芳実など)、南北朝内乱期を成立期とする説(永原慶二など)が提起された。

中国の儒家思想で当てはめた場合、平安期までが中央から派遣される地方官たる国司が地方の統治単位である令制国を実効統治する「郡県制」であり、鎌倉期以降が在地領主である武士荘園国衙領単位で実効統治を行う封建制となる(中国史学に基づくと12世紀末から19世紀が封建制となる)。これに対し、ドイツに留学し、ヨーロッパ史学の影響を受けた福田徳三は『日本経済史論』(1907年[15])において、延喜の治後、931年から1602年までを西欧のフューダリズムと似た封建時代と解し、1603年から1867年(近世江戸期)を「専制的警察国家」(絶対主義)と定義し[16]、続いて法制史家の中田薫が「「コムメンダチオ」と名簿方程の式」(1906年)を発表し、日欧の封建制はともに主従性(家人制)と恩貸制(知行制)とし、その開始を平安中期においた[17]

中国における発展段階論

中国史において唯物史観的発展段階論を適用した場合の封建制について述べる。

郭沫若はその著書『中国古代社会史研究』の中に於いて中国史に発展段階論を適用し、西周奴隷制の時代とし、春秋時代以降を封建制とした。これに対して呂振羽はを奴隷制、代を封建制の社会だとして反論し、この論争は結論を見ないままに終わることになる。

これらの論の基準となる所は封建制の特徴とされる農奴の存在である。現在は春秋時代までの農耕民と牧畜民という文化の異なる都市国家・小国家間の戦争による捕虜などを供給源とした時代の奴婢を奴隷と見做し、戦国時代以降唐末までの奴婢を農奴と見る。

マルクス主義の立場をとる研究者からも、在地の地主に裁判権などの権力が備わっておらず、それらが国家権力の手に集中されており、封建制の重要な内容である領主権力が存在しないため、中国史における封建制概念を否定する見解が出された。封建制に代わる、中国史上の経済制度を特徴づける概念や歴史像はいまだ構築されていない。

関連項目




  1. ^ デジタル大辞泉「封建時代」[1]
  2. ^ 大辞林 第三版「封建時代」[2]
  3. ^ 精選版 日本国語大辞典「封建社会」[3]
  4. ^ a b c d 浅井 1939, pp. 3-4.
  5. ^ wikiquote:ja:始皇帝
  6. ^ a b 石井 1986, p. 263.
  7. ^ 『古今図書集成銓衡典』第676冊、50葉
  8. ^ a b c d 増淵 1969.
  9. ^ 小沢 1972.
  10. ^ 石井 1986, p. 266.
  11. ^ 石井 1986, p. 279-280.
  12. ^ 石井 1986, p. 283-289.
  13. ^ 石井 & 1986」, p. 290-304.
  14. ^ 石井 1986, p. 305-313.
  15. ^ 原著ドイツ語版1900年
  16. ^ 網野善彦 石井進 上横手雅敬 大隅和雄 勝俣鎮夫 『日本中世史像の再検討』 山川出版社 1988年 p.72.なお、18世紀フランスの『法の精神』においても専制国家として日本が紹介されている。
  17. ^ 『日本史の論点』2018年、p53、中央公論


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