富野由悠季
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 10:15 UTC 版)
文化功労者顕彰に際して公表された肖像 | |||||
本名 | 富野 喜幸 | ||||
別名義 |
とみの など | ||||
生年月日 | 1941年11月5日(82歳) | ||||
出生地 | 日本 神奈川県小田原市 | ||||
国籍 | 日本 | ||||
身長 | 168 cm | ||||
血液型 | AB型 | ||||
職業 |
アニメ監督 脚本家 演出家 作詞家 小説家 | ||||
ジャンル | アニメ | ||||
活動期間 | 1964年 - | ||||
配偶者 | あり | ||||
著名な家族 |
祖父:富野喜平次 長女:富野アカリ 次女:富野幸緒 | ||||
主な作品 | |||||
『夕やけ番長』(1968 - 1969年) 『さすらいの太陽』(1971年) 『海のトリトン』(1972年) 『勇者ライディーン』(1975 - 1976年) 『無敵超人ザンボット3』(1977 - 1978年) 『無敵鋼人ダイターン3』(1978 - 1979年) 『機動戦士ガンダム』(1979 - 1980年) 『伝説巨神イデオン』(1980 - 1981年) 『戦闘メカ ザブングル』(1982 - 1983年) 『聖戦士ダンバイン』(1983 - 1984年) 『重戦機エルガイム』(1984 - 1985年) 『機動戦士Ζガンダム』(1985 - 1986年) 『機動戦士ガンダムΖΖ』(1986 - 1987年) 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年) 『機動戦士ガンダムF91』(1991年) 『機動戦士Vガンダム』(1993 - 1994年) 『ブレンパワード』(1998年) 『∀(ターンエー)ガンダム』(1999 - 2000年) 『OVERMANキングゲイナー』(2002 - 2003年) 『リーンの翼』(2005 - 2006年) 『ガンダム Gのレコンギスタ』(2014年 - 2015年) | |||||
|
代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、または『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。
注釈
- ^ 神山とは、90年代に同窓会の場で初めて面識を持ち、名刺交換をしたという[22]
- ^ 採用には富野を含め3人が受かったが、残り2人の内の1人は高橋良輔だったと言われている[30]。
- ^ 厳密には、虫プロには演出助手という役職は存在しない[32]。
- ^ 手塚治虫が自身の同名漫画を原作に制作した日本初30分のテレビアニメーションシリーズ(モノクロ)。
- ^ 当時、この程度のレベルで絵コンテを合格させた虫プロのレベルは低いという自惚れがあり、本名を記載されることを嫌って変名を用いたが、仕事で給料も貰っているのに、名前を隠すのは卑怯だと意識を改め、2本目以降から本名を使うようになったという[32]。
- ^ 「青騎士」を担当した経緯については、虫プロの重役でプロデューサーでもあった穴見薫がアニメ化を主導し、その担当が回って来たからと言われている[33]。
- ^ 当時は自惚れが強く、『リボンの騎士』のチーフディレクターに選ばれなかった怒りが、虫プロ退社に繋がったと述懐している[38]。
- ^ 本名は明かされていないが、富野の著作では「チョキ」と仮称されている[39]。
- ^ 富野が退職した後に社長が亡くなり、倒産している[39]。
- ^ 製作元の日本放送映画が倒産しているため、何本担当したかは不明[41]。
- ^ 週一のペースで2年間だけ担当し、仕事優先で穴をあけることもあったという[39]。
- ^ 初期の頃に月一のペースで参加したが、クレジットで確認できるのは90話のみ[41]。
- ^ チーフディレクターと表記する媒体もあるが、正確には第1話から数話の絵コンテに関わったのみである[43]。
- ^ 『夕やけ番長』後半で、演出として初のチーフディレクターを務めたが、実際には前半で演出を務めた木下蓮三が引き続き作業をおこなっており、富野の作品への関与は数話程度にとどまるとしている[要出典]。
- ^ ノンクレジットだが、富野本人が証言している[要出典]。
- ^ 井荻麟名義で「翔べ! ガンダム」(オープニング)、「永遠にアムロ」(エンディング)、「シャアが来る」「いまはおやすみ」(挿入歌)、「きらめきのララァ」(挿入歌・本編未使用)作詞。
- ^ 井荻麟名義で「復活のイデオン」(オープニング)、「コスモスに君と」(エンディング)作詞。
- ^ ガンダムは頻繁に再放送がなされており、また劇場版は物語の大筋を捉えていたため、テレビシリーズを見ていなくても特に問題はなかった。
- ^ 前・中・後。徳間書店版は劇場版とほぼ同じストーリーだが、前半に劇場版以前の物語が追加されている。
- ^ 本編ビデオ各巻末には本人出演による、バイストン・ウェルの世界観、演出、作画に関する解説が収録されている。
- ^ 「ほとんど」という点についてであるが、コンテというものは1つのカットではなく、カットの連続に意味があるので、直す場合はどうしても全て直すということになる。
- ^ 著書『だから僕は…』や『「イデオン」ライナー・ノート』においては「亜々子」という名前で記されているが、本名かどうかは明らかにされていない。
- ^ 後半の演出。つまり初のチーフディレクター作品ということになるが、実際には初期数話に関わった程度であり、演出は前半に引き続き木下蓮三が行っている[128]。
- ^ クレジット表記はなし、上映時間は3分35秒[131]。
- ^ 下巻の初版は第17〜22章(総77頁分)が欠落している。
出典
- ^ 『∀の癒し』角川春樹事務所, 2000年
- ^ テレビアニメとしてはそれ以前に『もぐらのアバンチュール』『新しい動画 3つのはなし』『インスタントヒストリー』『おとぎマンガカレンダー』などが放映されている。
- ^ a b c d e “ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】”. 公 研 (2020年9月1日). 2021年7月24日閲覧。
- ^ a b c d “人物と其勢力 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月24日閲覧。
- ^ “富野由悠季総監督が新人声優デビュー!「井荻 翼」としてGのレコンギスタ最終回に出演!”. GUNDAM.INFO. 2016年2月2日閲覧。
- ^ “大島町誌 : 大東京市併合記念 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月24日閲覧。
- ^ a b “「アムロ父子の確執は創作ではなかった」 40周年『ガンダム』富野由悠季監督が語る戦争のリアル”. 朝日新聞デジタルマガジン&[and]. 2021年7月24日閲覧。
- ^ a b c “富野喜平次 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年7月24日閲覧。
- ^ a b “大衆人事録. 第14版 東京篇 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月24日閲覧。
- ^ “日本紳士録. 第3版 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年8月26日閲覧。
- ^ a b c “人事興信録. 第13版(昭和16年) 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年8月26日閲覧。
- ^ a b c “大衆人事録. 第5(昭和7年)版 タ-ワ之部 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年11月11日閲覧。
- ^ a b c d e “人事興信録. 第14版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月24日閲覧。
- ^ a b c d 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P41
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P40
- ^ BSアニメ夜話,NHK
- ^ 朝日新聞の連載コーナー『おやじのせなか』
- ^ a b c 『北日本新聞』2020年11月24日付24面『アニメを変えた男 上 創作の道へ 子供向け 手抜けない』より。
- ^ NHK BS2「週刊手塚治虫」2009年4月17日 ゲスト富野由悠季
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P43~44
- ^ a b 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P44
- ^ a b 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P47
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P45
- ^ http://sleepydrag.blog29.fc2.com/blog-entry-242.html
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P45~47
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P46
- ^ a b 「時代を駆ける:富野由悠季:YOSHIYUKI TOMINO(2)」 『毎日新聞』 2009年11月3日、12版、9面。
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P52
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P52~53
- ^ a b c 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P53
- ^ 『だから僕は… ガンダムへの道』(角川スニーカー文庫、2003年)
- ^ a b c d e 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P54
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P55
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P54~55
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P54~56
- ^ 『アニメ大国の肖像』中日新聞連載、2006年
- ^ 産経新聞ニュース「ガンダムの富野監督の語った鉄腕アトムと手塚治虫」(2013年6月)
- ^ a b c 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P56
- ^ a b c 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P57
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P56~57
- ^ a b 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P431
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P57、431
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P430
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P58~59
- ^ “スタジオジブリ STUDIO GHIBLIさんはTwitterを使っていす”. twitter.com. 2021年5月30日閲覧。
- ^ 『だから僕は…』
- ^ 『富野由悠季全仕事』
- ^ 著作『だから 僕は…』
- ^ 『アニメック』第10号、1980年
- ^ TARKUS編「Chapter:1 ガンダムビッグ・バンへの道」『ガンプラ・ジェネレーション』講談社、1999年4月14日、ISBN 4-06-330074-9、38頁。
- ^ a b c 「時代を駆ける:富野由悠季:YOSHIYUKI TOMINO(4)」 『毎日新聞』 2009年11月10日、13版、9面。
- ^ “第3回アニメグランプリ:'80年下半期”. 徳間書店. 2010年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月11日閲覧。
- ^ 参考文献『ロマンアルバム・エクストラ57 戦闘メカ ザブングル』(徳間書店)
- ^ 永野護『ファイブスター物語リブート 1』
- ^ 著作『∀の癒し』
- ^ 本作DVD説明より
- ^ 富野道(劇場公開時のコラム)
- ^ 世界の岡本吉起Chチャンネル 過去最高の売上を誇るガンダムゲームの開発に携わりました【機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオン】
- ^ DVDブックレット
- ^ “教員プロフィール”. 金沢工業大学. 2009年11月12日閲覧。
- ^ 「時代を駆ける:富野由悠季:YOSHIYUKI TOMINO(5)」 『毎日新聞』 2009年11月11日、12版、9面。
- ^ “Leopard in Honour of Yoshiyuki Tomino and Manga Night” (英語). Film Festival Locarno (2009年8月9日). 2009年11月11日閲覧。
- ^ “「アニメ聖地」全国88カ所を選定、集客に活用「アニメツーリズム協会」設立 理事長に富野監督”. 2016年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月16日閲覧。
- ^ “会場・会期”. 富野由悠季の世界. 2022年8月15日閲覧。
- ^ “長嶋茂雄氏らに文化勲章 文化功労者に石毛直道氏ら”. 日本経済新聞. (2021年10月26日) 2021年10月26日閲覧。
- ^ kotoba2021年秋号 2021/9/6 https://www.amazon.co.jp/kotoba2021%E5%B9%B4%E7%A7%8B%E5%8F%B7/dp/B09CRQNT6T
- ^ “集英社クオータリー『kotoba』第45号 9月6日発売! (2021年8月25日)”. エキサイトニュース. 2021年8月27日閲覧。
- ^ アニメスタイルで連載されていた湖川友謙へのインタビューより抜粋
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P137
- ^ 『富野由悠季全仕事』の調査
- ^ 大塚康生が語るところによる[要出典]。
- ^ 著書『映像の原則』の後書き。
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P80
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P102~103
- ^ 『吉田豪の巨匠ハンター』2020年4月発行、吉田豪、毎日新聞出版、24、26頁。
- ^ 『テレビマガジンデラックス④ アニメグラフブック 劇場版 機動戦士ガンダム』、1981年5月15日発行、講談社、P118~119
- ^ Check it Out! 1998 バンダイカタログ
- ^ NHKBS、アニメ夜話
- ^ 『月刊アニメージュTV!』#63でのイデオン制作時のエピソードにて
- ^ 『吉田豪の巨匠ハンター』2020年4月発行、吉田豪、毎日新聞出版、23頁。
- ^ 著書『だから 僕は…』にて
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P97
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P28
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P40~42
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P99、101
- ^ “【Style of the PRINCE】第12回ゲスト:阪口 大助さん Vol.2”. 2012年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月30日閲覧。
- ^ “劇場版『Gレコ』富野由悠季総監督の演技指導に見える出演者への信頼「いい意味で任せてもらえている」”. ORICON NEWS (2021年7月26日). 2022年6月16日閲覧。
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P29
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P44~45
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P42
- ^ 本人執筆の小説(『F91』他)の作者紹介欄などによる。
- ^ ガンダムの「生みの親」が語る戦争「ミリタリーは妄想、かっこよくない」「小さき者の視点、自覚を」:東京新聞 TOKYO Web
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P51
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P97~98
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P2~3
- ^ 文化庁メディア芸術プラザ インタビュー アーカイブ 2007年10月12日 - ウェイバックマシンにおいて
- ^ 富野由悠季氏、アニメを語る(1) 宮崎駿は作家であり、僕は…
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P53~54
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P101
- ^ 『吉田豪の巨匠ハンター』2020年4月発行、吉田豪、毎日新聞出版、23頁。
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P136
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P105
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲の「シャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P96~97、103
- ^ a b “富野由悠季氏、アニメを語る(1) 宮崎駿は作家であり、僕は…”. INSIGHT NOW!. 南青山インサイト (2009年7月21日). 2017年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月22日閲覧。
- ^ a b 『富野由悠季全仕事』でのインタビューにて。
- ^ “『ガンダム』生みの親・富野由悠季が感じた手塚治虫・宮崎駿の凄み”. ORRICON NEWS (オリコン). (2017年10月15日). オリジナルの2017年10月15日時点におけるアーカイブ。 2018年4月22日閲覧。
- ^ “1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編”. コラム. 2020年11月10日閲覧。
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P53
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P101
- ^ “富野由悠季が語る『ガンダム』のリアルを生んだ“高畑勲イズム” 「高畑さんは僕にとっても師匠」”. ORRICON NEWS (オリコン). (2018年4月21日). オリジナルの2018年4月22日時点におけるアーカイブ。 2018年4月22日閲覧。
- ^ 『吉田豪の巨匠ハンター』2020年4月発行、吉田豪、毎日新聞出版、14-15頁。
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P54
- ^ 吉本隆明『全マンガ論』大塚英志との対談 (過去に富野と対談した吉本の発言)
- ^ 『アニメージュ』2017年2月号「富野に訊け!!」の対談にて。
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P142
- ^ 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー
- ^ <特別採録・第41回PFF>富野由悠季、「映画」を語る!|accessdate=2022年1月30日
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月発行、株式会社キネマ旬報社、P126~127
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P6~7
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P24、26、28
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P35~36、38
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P66、70
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P51~55
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P54
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P136~142
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P54~55
- ^ 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』、1993年12月30日発行、庵野秀明・編、ハッピー興行新社、P17、19~21
- ^ 『富野由悠季全仕事』p430
- ^ イラスト構成で見せる非アニメ作品。
- ^ 『まんだらけZENBU』No.5 特集 ルパン三世『アニメ「新・ルパン三世」作画監督 北原健雄インタビュー』
- ^ 『富野由悠季全仕事』p.364
- ^ akiman7のツイート、2023年2月26日閲覧。
- ^ akiman7のツイート、2023年2月26日閲覧。
- ^ “「GUNDAM 35th ANNIVERSARY BOOK YOSHIYUKI TOMINO 1979-2014」カドカワオフィシャルストアにて本日より予約受付開始!”. GUNDAM.INFO (2014年10月1日). 2022年8月15日閲覧。
- ^ 太田垣康男(インタビュアー:吉田尚記)「ガンダムサンダーボルト、作者がMSのデザインを自由に出来る権利を連載前に取得!?」『オールナイトニッポン.com』、ニッポン放送、2019年5月1日 。2019年11月11日閲覧。
- ^ “平成アニソン大賞”. アニソン大賞. ソニー・ミュージックエンタテインメント. 2019年3月8日閲覧。
- ^ 令和元年度文化庁長官表彰名簿
- ^ 堺 雅人×富野監督共演のスカパー!最新CM「ココロ動かすアニメ篇」本日より全国オンエア開始!
- ^ “スカパー!ブランドTVCM堺雅人さん出演の最新CM共演はアニメーション監督の富野由悠季さん!”. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月13日閲覧。
固有名詞の分類
- 富野由悠季のページへのリンク