宮沢賢治
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作品一覧
童話
※は生前発表作品
- 『銀河鉄道の夜』
- 『風の又三郎』
- 『ポラーノの広場』
- 『グスコーブドリの伝記』※
賢治が自作の童話の題名を列記したメモが多数残っている(自選の作品集を構想していたとも言われている)が、そのうちの数点で、上記の4作品が「少年小説」あるいは「長篇」として一括りにされている。
- 童話集『注文の多い料理店』※所収
- 『蛙のゴム靴』
- 『蜘蛛となめくぢと狸』[注釈 11]
- 『貝の火』
- 『よだかの星』
- 『カイロ団長』
- 『フランドン農学校の豚』
- 『ツェねずみ』
- 『クンねずみ』
- 『鳥箱先生とフウねずみ』
- 『雁の童子』
- 『雪渡り』※
- 『やまなし』※
- 『氷河鼠の毛皮』※
- 『シグナルとシグナレス』※
- 『オツベルと象』※
- 『ざしき童子のはなし』※
- 『猫の事務所』※
- 『ビジテリアン大祭』
- 『土神と狐』
- 『楢ノ木大学士の野宿』
- 『マリヴロンと少女』
- 『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』
- 『虔十公園林』
- 『なめとこ山の熊』
- 『北守将軍と三人兄弟の医者』※
- 『セロ弾きのゴーシュ』
- 『さるのこしかけ』
- 『祭の晩』
- 『税務署長の冒険』[注釈 12]
詩
題名が〔〕で括られているものは、原稿の最終形が無題のため、冒頭の1行を題名の代わりにしているものである。また、題名の前の漢数字は、賢治が原稿に記載していた作品番号である。
- 『心象スケッチ 春と修羅』所収
- 『序』
- 『屈折率』
- 『春と修羅』
- 『真空溶媒』
- 『小岩井農場』
- 『岩手山』
- 『高原』
- 『原体剣舞連』
- 『永訣の朝』
- 『無声慟哭』
- 『青森挽歌』
- 「春と修羅 第二集」所収
- 『一六 五輪峠』
- 『一九 晴天恣意』
- 『一六六 薤露青』
- 『三一三 産業組合青年会』
- 『三一四 〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕』(逐次形態での題は『業の花びら』)
- 『三八四 告別』
- 「春と修羅 第二集補遺」所収
- 『葱嶺(パミール)先生の散歩』
- 「春と修羅 第三集」所収
- 『七〇九 春』
- 『一〇〇八 〔土も掘るだろう〕』
- 『一〇八二 〔あすこの田はねえ〕』
- 『一〇二〇 野の師父』
- 『一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く』
- 『一〇八八 〔もうはたらくな〕』
- 「口語詩稿」所収
- 『第三芸術』
- 『火祭』
- 『牧歌』
- 『地主』
- 『夜』
- 「疾中」所収
- 『病床』
- 『眼にて云う』
- 『〔丁 丁 丁 丁 丁 〕』
- 『〔風がおもてで呼んでいる〕』
- 『〔疾いま革まり来て〕』
- 『〔手は熱く足はなゆれど〕』
- 『夜』
- 「補遺詩篇I」所収
- 『〔雨ニモマケズ〕』
- 「文語詩稿 五十篇」所収
- 『〔いたつきてゆめみなやみし〕』
- 『〔水と濃きなだれの風や〕』
- 「文語詩稿 一百篇」所収
- 「文語詩未定稿」所収
- 『星めぐりの歌』
- 『精神歌』
- 『ポラーノの広場のうた』
- 『双子の星』
水彩画
※題名はいずれも仮題である。
- 『日輪と山』
- 『月夜のでんしんばしら』
- 『手の幽霊』または『ケミカル・ガーデン』
- 『ミミズク』
- 『ネコ』
- 『赤玉』
その他
- 『手紙 四』
- 『農民芸術概論綱要』
- 『竜と詩人』
全集
- 『宮澤賢治全集』文圃堂(1934年 - 1935年)全3巻
- 『宮澤賢治全集』十字屋書店(1939年 - 1944年)全6巻別巻1
- 1・2・3巻目は、文圃堂版全集の紙型を引き継ぎ作成。
- 『宮澤賢治全集』筑摩書房(1956年 - 1958年)全11巻別巻1
- 『宮澤賢治全集』筑摩書房(1967年 - 1969年)全12巻別巻1
- 『校本 宮澤賢治全集』筑摩書房(1973年 - 1977年)全14巻(全15冊)
- 『新修 宮沢賢治全集』筑摩書房(1979年 - 1980年)全16巻別巻1
- 『校本』版を基に、新たに編纂した普及版全集。
- 『宮沢賢治全集』筑摩書房〈ちくま文庫〉(1985年 ‐ 1986年、1995年)全10巻。9・10巻目は1995年刊
- 『【新】校本宮澤賢治全集』筑摩書房(1995年 - 2009年)全16巻別巻1(全19冊)
- 『宮沢賢治コレクション』(2016年 - 2018年)全10巻、生誕120年記念出版
注釈
- ^ 献呈写真の自筆記入日付による[1]。
- ^ 佐藤隆房は旧暦7月19日出生、旧暦8月1日に旧暦で届けを出したための間違いと推測している[4]。
- ^ 千葉一幹は、賢治が「如来寿量品」の中の「良医病子」(毒を飲んだ子供が父の作った解毒剤を飲めず、「父が死んだ」と嘘を聞かされ、正気に戻って薬を飲んだという寓話)に自身を重ね、不幸は自分が飛躍する契機になると読み取ったのではないかと推測している[22]。
- ^ 文信社には、太平洋戦争後に釜石市長となった鈴木東民がおり、当時の模様を「筆耕のころの賢治」(筑摩書房版宮澤賢治全集別巻『宮澤賢治研究』、1958年)として書き残している。
- ^ 「雨ニモマケズ手帳」に高知尾から「法華文学」の制作を勧められたというメモが残っているが、高知尾によればそのような記憶はなく、ただ法華経修行は出家することではなく、農家は鋤鍬、商人はソロバン、文学者はペンを持ってそれぞれの道で法華経を広めるのが正しい修行と説いたという[45]。
- ^ 跡地はカザルスホールとなり、その位置はホールの舞台中央付近と推測されている[86]。
- ^ のちに棟方はこの仕事の記憶がほとんどないと回想している[89]。
- ^ 原子朗編の『新 宮澤賢治語彙辞典』(東京書籍、1999年)の「レコード」の項では「ポリドールの社長からレコードがよく売れるので、花巻の高喜商店に問い合わせがあり、町一番のコレクター賢治の名を挙げたところ、社長から賢治あてに感謝状がきた」とある。
- ^ 一例として山内修(編)『作家読本 宮沢賢治』(河出書房新社、1989年)には「『宮澤まき(一族)』と言えば花巻を壟断する一大勢力であった」という記載がある[150]。
- ^ 実際は「尽力」というより「協力」と言った方が正確である[149]。花巻銀行は善治が役員に招かれただけ、岩手軽便鉄道も株主として協力した程度という[149][154]。ただし、経営状態が悪化した花巻銀行が1915年に再建された際には善治の息子・恒治(イチの弟)が中心となった[149]。
- ^ のちに推敲後『洞熊学校を卒業した三人』と改題[160]。
- ^ 1923年(大正12年)6月に、岩手県和賀郡湯田村(現・西和賀町)で密造酒摘発中の花巻税務署職員が村人から暴行を受けた事件があり、当該作品はこの事件をモデルにしたとされる[161][162]。
- ^ メーカーの公称ジャンルはRPGとなっている。
出典
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