実業団 非所属選手

実業団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 10:23 UTC 版)

非所属選手

陸上や武道などの個人競技ではチームに所属せず個人で活動することも可能であり、公式大会でも個人選手の参加を排除していない。しかし日本では本格的に競技に臨むアマチュア選手は実業団所属が常識化し、別の職業に就いている兼業選手や独立した専業選手は特異な存在と見なされた。

陸上競技においては高校教師の采谷義秋や県庁職員の川内優輝は「市民ランナー」、男子マラソン界のトップ選手で実業団から独立して活動する藤原新は「無職ランナー」と評された[6](本人は『プロランナー』の肩書きを使用)。

フェンシングでは実業団が主流であるが、有力選手や監督がクラブチームを立ち上げることもある。北京オリンピックで銀メダルを獲得したフェンシング選手の太田雄貴は、大学卒業後も就職せずに自分だけが所属するクラブチームを立ち上げて練習に専念していたため、マスコミからは「ニート剣士」と呼ばれた(後に実業団へ移籍)[7]

日本以外ではチームに所属せず賞金付きの大会を転戦する個人の専業選手もおり、スポンサーが付く者もいる。海外のマラソン選手が賞金を目当てに日本の大会に参加することもある。

現状

平成に入ると実業団は次々と消滅し、昭和期を支えた実業団中心のアマチュアスポーツは急速に衰退した。1991年から2000年までの10年間で廃部した実業団チームの数は149にのぼり、野球がその半分近くを占めた[8]。大型実業団の廃部は2000年前後が最も多く、実業団スポーツの終焉を世間に印象付けさせた。特に2000年に新日本製鐵(新日鉄)が全実業団を廃部したことは大きな衝撃を与えた。各スポーツで見ても女子バレーボールではダイエー(1998年)、ユニチカ(2000年)、日立(2001年)、イトーヨーカ堂(2001年)といった昭和期の女子バレーボールを支えた実業団が次々と廃部となり、アイスホッケーでは古河電工(1999年)、雪印(2001年)、西武鉄道(2003年)と廃部が相次いだため日本リーグの存続すら危ぶまれ、結果的に近隣諸国のチームを巻き込んだ形でアジアリーグへの発展的解消という形に落ち着いている。

これら実業団の衰退要因は、第一には企業がスポーツチームを所有する有効性が薄れたことである。次項でも述べる昭和末期以降のプロスポーツ化に加え、通信技術の発達により海外のトップリーグスポーツの視聴が容易になったことから、国内あるいは一地域のアマチュアのみで行う実業団スポーツへの注目度が相対的に薄れ、広告宣伝手段としての費用対効果が悪化した。加えて、バブル崩壊と平成以降の日本企業の縮退傾向は、企業を経営資源の選択と集中へと向かわせ、十分な費用対効果を生み出せないと判断された実業団は次々と整理の対象とされた。[9]

二には、アマチュアスポーツからの脱却によるプロ化・クラブチーム化の流れである。これは、底流としては1980年代以降、当時の国際オリンピック委員会 (IOC) 会長のフアン・アントニオ・サマランチが推し進めた「オリンピックの商業化」によるプロ選手出場の容認があり、この流れの進展により、「オリンピックに出場できない」ことを気に病む必要のなくなった社会人スポーツ各種目の協会・リーグが徐々に契約選手を容認するようになった。競技人口の多いスポーツにおいては、プロリーグへの移行がなされていったが、従来の実業団リーグからの形態の変更には課題も少なくなく、この点においてもっとも悲劇的な経過をたどったのはバスケットボールであり、プロリーグ構想が頓挫し、2000年代以降プロリーグ(bjリーグ)と実業団リーグ(JBL)が分裂した結果、2014年以降日本バスケットボール協会国際バスケットボール連盟から資格停止を受けるという憂き目に遭っている。バレーボールでは1994年に完全プロ化を目指したプロリーグ構想があったものの、チームの大半を占める実業団の母体企業からの賛同を得られず凍結された。1994年に開始されたVリーグではプロチームの加入も可能であったが新規のクラブチームは廃部した実業団選手やスタッフの受け皿としての創設が多く、経営も不安定になりがちなため活動を休止したチームも多い。その後もプロ化を模索していたが実業団側からの反発もあり2018年から始動したV.LEAGUEではプロ化を目指すチームも受け入れる相乗り形式でスタートしている。しかし初年度では男子は半数、女子は大半が実業団である。またクラブチームも東京ヴェルディバレーボールチームのように選手は生計を立てるための仕事を持つ兼業選手というチームも多い。

三には、スポンサー支援の有用性が認識されたことである。昭和期においては企業自らが実業団を所有し、チームに自社名を冠することが宣伝効果であると認識されていたが、時代の流れに伴いそれが通用しなくなる現状が多くなり、特に1990年代以降サッカーにおいて「地域密着」のスローガンのもとでクラブ名から企業名を排除した日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のビジネスモデルが一定の成功を収めるようになると、サッカー以外においても実業団が地域との協働によるクラブチームに移行する流れを作った。新日鉄の実業団廃部の際も会社がクラブチームへの移行に導き(新日鉄堺バレーボール部→堺ブレイザーズなど)、引き続き一スポンサーとしての支援を継続した。

また、前出の太田雄貴川内優輝のように、雇用する会社・組織が必ずしも自らの実業団に所属することを強制せず、他のクラブチーム等で活動することを容認する例もあり、雇用すること自体を安定収入を与えるスポンサー支援の一環と割り切った形も生まれた。2015年までホッケー日本リーグに参加していた名古屋フラーテルは、運営主体が特定非営利活動法人で、所属選手一人一人を別々の地元企業が雇用するというユニークな形式をとっていた。東北フリーブレイズは運営会社から地元企業に選手を正社員や契約社員として派遣し、試合や練習が無い日はそこに勤務しながらチーム活動に取り組むという方式を採用している。

日本ではロードレースチームは実業団が中心であったが、宇都宮ブリッツェンヴィクトワール広島キナンサイクリングチームのようにチームの運営会社にスポンサーが出資するという海外で主流の形式も登場している。一方で愛三工業レーシングチームチーム ブリヂストン サイクリングのような実業団チームも活動している。

アークコミュニケーションズは新興のIT企業ながら、2011年に結成したスキー部の選手は午前中に練習、午後に勤務、引退後は正社員として継続雇用という旧来型の実業団である。

プレステージ・インターナショナルは地域貢献を目的として地方にバスケットボール、バレーボール、ハンドボールの女子実業団を創設した。

メルカリは障害者アスリートを練習しやすい勤務形態で雇用する「アスリート契約」を行っている[10]

日本のフェンシングは実業団選手や公務員などの兼業選手が多く[11]、クラブチームを結成しスポンサードで資金を調達する専業選手は、三宅諒のようなメダリストであっても経済的に厳しい状況である[12]。近年では2009年4月にNEXUSが実業団を立ち上げている。これは会社代表の星野敏がフェンシング経験者であり、宣伝より振興を目的としたものである。

宣伝効果を狙った例としては、2016年には壽屋が大学駅伝の選手を雇用し陸上部を新たに結成したが、会社側では明確に『宣伝ランナー』とし自社製品の宣伝ユニフォームで大会に参加させるなど、広告塔としての活動を強調している[13]

一方で、長距離走のように平成以後、実業団と実業団大会への指向が強められたスポーツもある。この競技の場合、国内での大会を活性化することには成功しているが、駅伝競走というガラパゴス化した競技形態への依存を強めた結果、昭和期において日本のお家芸であったマラソンは、国際大会で凋落の一途をたどることとなる。

公務員チーム

実業団と同じく社会人リーグに参加する自衛隊警察のスポーツチームは、有志がクラブ活動として活動しているため給与は発生せず民間企業の実業団とは区別される。資金提供は無いが武道場の使用や試合時の外出許可などの配慮がある。

東側諸国共産主義国家では専用施設の建設や選手の育成を国家事業として推進していた。選手は身分を保障され充実した環境でトレーニングに専念できたことから、西側からは民間チームに所属するアマチュア選手と区別し「ステート・アマ」と呼ばれた。また軍や政府部局を単位としたスポーツチームも形成された。特にソビエト連邦軍陸軍「CSKA」(チェスカ)、空軍の「VVC」は、各スポーツで強豪として有名であった。またソ連国家保安委員会の「ディナモ」や、ソビエト連邦鉄道部の「ロコモティフ」も強豪であった。

軍隊では才能のある隊員を競技に専念させ、外部の競技会に出場させて宣伝担当とする制度が広まっている。参加する区分は民間の実業団と同じく社会人リーグである。選抜された隊員は結果が残せない場合にも通常の任務を行う一般部隊への異動となり解雇はされない。徴兵制のある国ではスポーツ選手を競技専門隊員とすることが一般的である。例として日本の自衛隊体育学校、韓国の大韓民国国軍体育部隊がある。


備考

  1. ^ 『企業スポーツの現状と展望』(笹川スポーツ財団 2016)pp.172
  2. ^ 渡辺保『現代スポーツ産業論』同友館、2004年。ISBN 978-4496038266
  3. ^ 小椋博『スポーツ集団と選手づくりの社会学』同和書院、1988年。ISBN 978-4810550061
  4. ^ 『企業スポーツの現状と展望』pp.174
  5. ^ 玉木正之『スポーツ解体新書』日本放送出版協会、2003年。ISBN 978-4140807491
  6. ^ 「無職ランナー」藤原新でわかった実業団の弊害(1)拠点は1泊3食6000円”. アサヒ芸能 (2012年3月13日). 2012年5月28日閲覧。
  7. ^ フェンシング銀の太田 1日8時間練習でニートなのか - J-CASTニュース
  8. ^ 毎日新聞2000年12月7日付
  9. ^ 福田拓哉「企業スポーツにおける運営論理の変化に関する史的考察:日本的経営・アマチュアリズム・マスメディアの発達を分析視座として」(立命館経営学、第49巻第1号 2010)
  10. ^ mercari ATHLETES(メルカリアスリーツ)
  11. ^ [1]
  12. ^ フェンシング三宅諒がアルバイト決意 五輪メダリストが配達員になる -スポニチ
  13. ^ 実業団チーム【コトブキヤ陸上部】を設立
  1. ^ ヨーロッパにおけるサッカークラブで企業の実業団が母体となった事例には、アーセナルFCの他にも、バイエル・レバークーゼンドイツバイエルのチームとして設立)、FCソショーフランスプジョーの企業チームが母体)、PSVアイントホーフェン(オランダフィリップスのスポーツクラブの一つ)などの例がある。
  2. ^ 厳密には、東京オリンピックの女子バレーボール日本代表チームにはニチボー貝塚からの10名の他、他社の実業団のメンバーが2名加わっている。なお、1962年の世界選手権の日本代表はニチボー貝塚からの10名以外はその後ニチボー貝塚に入社することになる高校生2名だった。詳細は東洋の魔女の項を参照。


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