宇都宮市
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宇都宮市(うつのみやし)は、栃木県の中部に位置する市。栃木県の県庁所在地及び人口が最多の市で、中核市に指定されている。北関東で最も人口が多い市で、首都圏の市としても10位の人口を擁する(「日本の市の人口順位」参照)。周辺市町を含め宇都宮都市圏を構成する。1896年(明治29年)市制施行。
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- ^ ただし宇都宮城二の丸御殿は、19日(旧暦)に新政府軍が城を脱出する時に自焼したものである。
- ^ 4月19日(旧暦)午前11時ごろに簗瀬村付近で戦闘開始。旧幕府軍は城下の各所に放火しつつ侵攻。昼12時には土方歳三ら新選組と桑名藩兵は宇都宮城東南の城下町に侵入し、町に放火して下河原門に迫った。また会津藩士の秋月登之助が隊長を務める伝習第一大隊は城北側の大手門に迫り、午後2時過ぎには二荒山神社の社殿が炎上した。火災は強い東南の風で町中に燃え広がり、午後4時ごろには城下町も城内も至る所が火災となって籠城も困難となっていた。まず宇都宮藩前藩主・戸田忠恕らが新里村(現・宇都宮市新里町)を経て館林へ脱出した。次いで香川敬三ら城内に残った新政府軍も、会津藩兵ら旧幕府軍が今市方面や鹿沼方面からも宇都宮に迫るとの情報が入る中、二の丸御殿を自焼して古河へ脱出した。薄暮に宇都宮城に入城した旧幕府軍も、宇都宮の大火を避けて刑部・蓼沼の付近まで後退して宿営し、翌20日まで宇都宮城は空城となった。
- ^ 明治13年11月の陸軍行軍演習において、第1師団騎兵第1大隊長の秋山好古も来宇する。
- ^ 明治14年7月の大軍事演習において、第1師団騎兵第1大隊長の秋山好古が再度来宇する。
- ^ 明治17年、栃木県第3代県令の三島通庸は、奥州街道(陸羽街道)を付け替えて現在の大通りを開通させた。それまでの奥州街道(陸羽街道)は、宇都宮二荒山神社の境内地を避け、伝馬町からオリオン通り、日野町を抜け、上河原から北上するルートを取っていたが、この大通り開通により二荒山神社は街道が境内地を通ることとなった。
- ^ 明治22年12月31日時点の居住人口。詳細は市制#1889年(明治22年)の都市人口を参照。
- ^ 「321-01xx」地域は元宇都宮南郵便局管轄、「321-03xx」地域は元大谷郵便局管轄、「321-21xx」地域は元徳次郎郵便局管轄。それぞれ、2006年に大谷郵便局、2017年に徳次郎郵便局、2018年に宇都宮南郵便局の無集配局化に伴って宇都宮中央郵便局へ移管。
- ^ 「321-04xx」地域は元上河内郵便局管轄。2017年に河内郵便局へ移管。
- ^ 2021年2月22日に宇都宮星が丘郵便局から改称・移転[66]。
- ^ 2020年10月1日より一時閉鎖中[67]。
- ^ 文科省によれば「広域通信制高校が自校の施設として設置している面接指導・添削指導・試験のための施設(自己所有、借用のいずれかを問わず、他の学校などの校舎施設の一部を借用して自校の教室としているものなども含む。)」とある。
- ^ 日々輝学園は単独で宇都宮キャンパスとして、鹿島学園は宇都宮メディア・アーツ専門学校内(メディアアーツは高等課程を持たないため、提携関係ではなく施設の借用)に、それぞれ設置している。
- ^ 本科の愛称を「栃木県産業技術大学校(産技大)」としている。
- ^ 宇都宮駅の所在地は開設当初は河内郡簗瀬村の村域だった。
- ^ 宇都宮市、茨城県水戸市に群馬県の前橋市と高崎市を含む。
- ^ 中央前橋駅(乗降1,877人/日)、上信電鉄上信線高崎駅(乗車2,052人/日)・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線水戸駅(乗車2,134人/日)と比較した場合。
- ^ さいたま市には東武野田線が存在するが同線は旧大宮市域および旧岩槻市域を通り、県庁のある旧浦和市域内には大手私鉄の路線が存在しない。なお、大手私鉄以外でも、ほかに該当するのは福島県福島市の福島交通飯坂線のみである(国鉄・JRから移管された第三セクター鉄道は除く)。
- ^ 上野東京ライン・湘南新宿ラインは宇都宮駅までの運転
- ^ ベイマックスの同名キャラクターにはこの設定はない。
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