姫路城 構造

姫路城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/26 07:30 UTC 版)

構造

姫路市中心部。赤線内が内曲輪、緑線内が中曲輪、青線内が外曲輪。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
姫路城下と街道沿いの町割りを描いた「姫路城下絵図」。文化3年(1806年)。
手前から、本丸(備前丸)・二の丸(上山里曲輪)・東三の丸(三の丸広場)と階段状の縄張りになっている。

縄張

典型的な平山城で、天守のある姫山と西の丸のある鷺山を中心として、その周囲の地形を利用し城下町を内包した総構え(内曲輪は東西465m南北543m、外曲輪は東西1418m南北1854m)を形成している。堀は姫山の北東麓を起点にして左回りに城北東部の野里まで総延長約12.5kmあり、内堀で囲んだ1周目は内曲輪、中堀で囲んだ2周目は中曲輪、外堀で囲んだ3周目は外曲輪といい、3重の螺旋を描くような曲輪構造で渦郭式縄張を形成している(内曲輪だけに注目すると階郭式)。しかし外堀は城北部の野里で不完全に終わり最後まで閉じていないため姫路城の総構えの欠点になっている。これは輝政が城郭を大規模に整備する頃に野里周辺で力を持っていた芥田氏に対して強硬な行動を取る事が出来なかったためと推測されている。この欠点を補うために榊原時代に城の守備について描かれた『姫路城防備布陣図』には有事の際に堀を掘る計画が示されている[63]

1992年(平成4年)、昭和時代から空になっていた東部中堀を整備し水堀に戻した(1998年(平成10年)と2007年(平成19年)には北部中堀も整備)。堀の水は船場川から取水していて、現代ではポンプを使用して約5日間で循環するようになっている[64]

  • 内堀 - 長さ約3km、堀幅12m-34m。内堀以内の面積は約23ha(23万平方メートル)[65]
  • 中堀 - 長さ約4.3km、堀幅約20m。中堀以内の面積は約107ha(107万平方メートル)。
  • 外堀 - 長さ約5.2km、堀幅約14m。外堀以内の面積は約233ha(233万平方メートル)。

各曲輪を仕切る門が以下の通り置かれた。

  • 内曲輪 - 八頭門・桜門・絵図門(出丸内側に菊門)・喜斎門・北勢隠門・南勢隠門
  • 中曲輪 - 市ノ橋門・車門・埋門・鵰門(くまたかもん)・中ノ門・総社門・鳥居先門・内京口門・久長門・野里門・清水門(八町毎に1門が置かれた[66]
  • 外曲輪 - 備前門(または備前口門・福中門)・飾磨津門(または飾磨門・飾万門)・北条門・外京口門・竹ノ門

大まかには、内曲輪は天守・櫓・御殿など城の中枢、中曲輪は武家屋敷などの武家地、外曲輪は町人地や寺町などの城下町が置かれた。これらの多くが城郭の内にあり、江戸時代の日本では数少ない城郭都市を構成していた。このような総構えは他に江戸城小田原城などの例がある。明治維新以後の陸軍設置や近代化で堀の埋め立てや建造物の破壊が行われたが、中曲輪・外曲輪は堀と石垣の一部が残っているほか、国道372号に竹の門交差点、野里街道沿いに野里門郵便局といった形で門の名前が残っている。外曲輪の南側は山陽本線姫路駅付近にまで達している。1888年(明治21年)に外曲輪の外堀南側に姫路駅が作られ、そこを通る形で山陽鉄道(山陽本線の前身)が敷設された。

内曲輪以内の面積は23ha、外曲輪以内の面積は233haとなっている[67]。現在では内曲輪の範囲が姫路城の範囲として認識されている。

輝政による築城はちょうど関ヶ原の戦い大坂の陣の間であり、ゆえに極めて実戦本位の縄張となっている。同時に優美さと豪壮さとを兼ね備えた威容は、「西国将軍」輝政の威を示すものでもある。姫路城以降は慶長20年(1615年)の江戸幕府による一国一城令(同年閏6月13日)や武家諸法度(同年7月)によって幕府の許可なく新たな築城や城の改修・補修ができなくなったこともあり、一大名のもので姫路城に続くほどの規模の城は建築されていない。

石垣

池田氏時代の石垣。
石棺から転用された石垣

石垣の積み方や加工の詳細は石垣の積み方を参照。

  • 築かれた時代によって大きく5つの時期に分けられる。本多氏以降は城郭の増改修に幕府の許可が必要となったため補修が主になっている。
    • 1期 - 羽柴氏時代、1580年(天正8年)-1582年(天正10年)に築かれた石垣で、二の丸に多く残る。野面積み
    • 2期 - 池田氏時代、1601年(慶長6年)-1609年(慶長14年)に築かれた石垣で、本丸に多く残る。打ち込み接ぎ算木積み、扇の勾配。
    • 3期 - 本多氏時代、1618年(元和4年頃)に築かれた石垣で、西の丸に多く残る。打ち込み接ぎ、算木積み。
    • 4期 - 江戸時代、1867年(慶応3年)までに行われた三の丸など各所の補修。切り込み接ぎ
    • 5期 - 明治時代、1878年(明治7年)以降に行われた西の丸や三の丸(本城)などの補修。
  • 内曲輪の石垣には約10万t超の石材が使用されている。石質は多くの割合を占める凝灰岩の他、花崗岩砂岩チャートがある。石材は近隣の山、広峰山増位山・景福寺山・手柄山・八丈岩山・砥堀山・鬢櫛山(びんぐしやま)・今宿山・別所谷などから採取された他、転用石として五輪塔宝篋印塔・古墳の石棺墓石・石・石灯籠の台座などが再利用されている。石材には、地名等の文字、斧や五芒星等の文様が刻印されたものもあり、54種類117個が確認できる。

屋根瓦・鯱

丸軒瓦と滴水瓦

建物や塀の屋根に用いられている鬼瓦軒丸瓦などには、その瓦を作った時の城主の家紋が意匠に使用されており、池田氏の揚羽蝶紋、羽柴(豊臣)氏の桐紋、本多氏の立ち葵紋などがよく見られる。家紋の他には、の実(カの櫓、への渡櫓)、銀杏(井郭櫓)、小(への門)、波頭と十字[注釈 13](にの門)などが意匠に使用されている。また軒平瓦に滴水瓦が使用されているのは現存城郭では姫路城だけである[68]。大天守に使われている瓦は昭和の大修理時に集計した約8万枚とされてきたが平成の修理時に再集計したところ1割ほど少ない約7万5000枚であることが分かった[69]。姫路市城周辺整備室では昭和の大修理での数字は葺き直した瓦の枚数ではなく取り外した枚数ではないかと推測している。

天守以外の櫓の屋根にも鯱が載せられている。

  • 江戸時代の鯱:1687年貞享4年)と1803年享和3年)の刻印がされた物、2種類が残っている。貞享4年刻印の鯱は昭和の大修理の時に大天守3階の屋根裏から発見された物。享和3年刻印の鯱は江戸時代の取り替えの際に圓教寺が城主から賜り保管してきた物。
  • 明治時代の鯱:1910年明治43年)の刻印があり「明治の大修理」の時に製作・据えられた鯱。
  • 昭和時代の鯱:1687年(貞享4年)の鯱を元に「昭和の大修理」の時に製作・据えられた鯱。通常、鯱は雌雄一対(阿吽)だが、元にした貞享の鯱が雌(吽)だったため大天守に据える11の鯱は全て雌となっている[70]
  • 平成時代の鯱:昭和時代の鯱と同様に、貞享4年(1687年)の鯱を元に「平成の修理」の時に製作・据えられた鯱。

防御設備

城壁には狭間(さま)という射撃用の窓が総数997個[71](往時は城郭全体で数千とも[注釈 14])残っており、開口部の内側と外側に角度を付けることで敵を狙いやすく、敵には狙われにくくしている。また城壁を折り曲げて設置している箇所では死角がより少なくなる。形は丸・三角・長方形の穴が開いており長方形のものが「矢狭間」、ほかが「鉄砲狭間」である。長方形の狭間はほかの城にもよく見られるが、さまざまな形の狭間をアクセントとして配置してあるのは独特である。狭間は姫路市内においても公共施設のデザインに組み込まれている[注釈 15]。さらに天守の壁に隠した隠狭間[注釈 16]、門や壁の中に仕込まれた石落としなど、数多くの防御機構がその優美な姿の中に秘められている。大天守と小天守を繋ぐ渡櫓、小天守同士を繋ぐ渡櫓の各廊下には頑丈な扉が設けられ、大天守、小天守それぞれ独自に敵を防ぎ、籠城できるように造られている。

城門の開閉と通行
榊原時代の宝永3年(1706年)正月付では、城主在城時は大扉は卯の刻(午前6時)に開門し酉の刻(午後6時)に閉門、潜り戸は酉の刻(午後6時)に開門し戌の刻(午後8時)閉門となっていた。
酒井時代は市ノ橋門・車門・埋門・鵰門(くまたかもん)・中ノ門・総社門・鳥居先門・内京口門・久長門・野里門・清水門において「御門、明六ツ打候は直ちに番所の戸を開く。御在城中は明六時打候は御門開、暮六時打候は締めくくり、戸明置五ツ時に至りくくり共に閉める。」とされた。門の出入りは身分や所属と名前を確認したうえで許可された。女性の通行については主人の手形を持っている者に限り、理由のない女性は通行が禁じられた。

城主の居館

城主の居館は当初、天守台の下にある本丸にあって「備前丸」といった。これは池田輝政の所領備前国にちなむ名である。しかし、備前丸も山上で使いづらいため、本多忠政は三の丸に本城と称する館を建てて住んだ。以降の城主は本城、あるいは中曲輪の市の橋門内の西屋敷に居住している。徳川吉宗の時代の城主・榊原政岑吉原から高尾太夫を落籍し住まわせたのもこの西屋敷である。西屋敷跡およびその一帯は現在では姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」として整備されている。

内曲輪

内曲輪の江戸時代の配置図
内曲輪の航空写真。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
取り壊し以前の桜門・太鼓櫓(明治初期)
姫路城を北方から望む。天守手前に姫山原生林が見える

内曲輪は大きく分けて本丸・二の丸・三の丸・西の丸・出丸(御作事所)・勢隠曲輪の多重構造になっている。さらに内部は、いの門・ろの門などいろは順に名付けられた門などによって水曲輪・腰曲輪・帯曲輪などの曲輪に細かく区切られている。内曲輪における櫓や門の位置関係については右の画像の説明文を参照。内曲輪には天守や櫓群などの軍事と、御殿や屋敷などの政務の中枢が置かれた。

姫山北部には樹木が生い茂る「姫山原生林」がある。この原生林の中には、本丸からの隠し通路の出口があるという噂があるが[17]、その存在は確認されていない。姫山の西を流れる船場川は、内堀に寄り添う形で流れており、堀同様の役割を果たしている。江戸時代にはその名の通り水運のために利用されていた。

内曲輪の通路と門

内曲輪の通路は迷路のように曲がりくねり、広くなったり狭くなったり、さらには天守へまっすぐ進めないようになっている。本来の地形や秀吉時代の縄張を生かしたものと考えられている。門もいくつかは一人ずつ通るのがやっとの狭さであったり、また、分かりにくい場所・構造をしていたりと、ともかく進みづらい構造をしている。これは防御のためのものであり、敵を迷わせ分散させ、袋小路で挟み撃ちにするための工夫である。

たとえば、現在の登城口(三の丸北側)から入ってすぐの「菱の門」からは、まっすぐ「いの門」・「ろの門」・「はの門」の順に進めば天守への近道のように見えるが、実際は菱の門から三国濠の脇を右手に進んで石垣の中に隠された穴門である「るの門」から進むのが近い。「はの門」から「にの門」へ至る通路は守り手側に背を向けなければ進めない。「ほの門」は極端に狭い鉄扉である。その後は天守群の周りを一周しなければ大天守へはたどり着けないようになっている。「はの門」へ続く坂道は「将軍坂」と呼ばれている[72][73]

「菱の門」は伏見城から移されたという伝承があり、長押形の壁に火灯窓を配した古式な姿を残している。また、「との一門」は置塩城から移築したという伝承があり、壁が板張りであって、門の下側にいる敵を弓矢やなどで攻撃できる「石落し」がないなど古風な様式で、城内に現存する門の中でも異色の存在である。

本丸

姫路城北西にある男山から。中央奥に大天守、左に東小天守、中央手前に乾小天守、右に西小天守。
連立天守群の中心部
太鼓櫓と石垣。
天守丸・備前丸

天守丸は連立した天守群によって構成され、天守南の備前丸には御殿や対面所があり池田氏時代には政務の場であった。御殿や御対面所などは明治時代に焼失している。

姫路城の天守は江戸時代のままの姿で現在まで残っている12の現存天守の一つで、その中で最大の規模を持つ、まさしく姫路の象徴といえる建物である。姫路城の天守群は姫山(標高45.6m)の上に建っており、姫路城自体の高さは、石垣が14.85m、大天守が31.5mなので合計すると海抜92mになる[74]。天守の総重量は、現在はおよそ5,700tである。かつては6,200tほどであったとされるが、「昭和の大修理」に際して過去の補修であてられた補強材の撤去や瓦などの軽量化が図られた。天守内には姫路城にまつわる様々な物品が展示されている。

姫路城の最初の天守は1580年(天正8年)の春、羽柴秀吉によって姫山の頂上、現在の大天守の位置に3重で建てられた。この天守は池田輝政により解体され、用材は乾小天守に転用された。

2代目の天守は池田輝政により建てられ、5重6階天守台地下1階(計7階)の大天守と3重の小天守3基(東小天守西小天守乾小天守)、その各天守の間を2重の渡櫓で結んでいる「連立式天守[注釈 17]である。天守は全て2重の入母屋造の建物を基部とする望楼型で、建設時期や構成からさらに後期望楼型に分類されることもある。壁面は全体が白漆喰総塗籠(しろしっくい そうぬりごめ)の大壁造で造られており、防火・耐火・鉄砲への防御に加え、美観を兼ね備える意図があったと考えられている。折廻櫓には編目格子が施されている。

水曲輪・腰曲輪

天守の下は岩盤で井戸が掘れず、そのため天守と腰曲輪の間の補給の便のため水曲輪を設け、「水一門」から「水五門」までの門を設けている。

天守の北側にある腰曲輪(こしくるわ)には、籠城のための井戸や米蔵・塩蔵が設けられている。なお平時に用いる蔵は姫山の周囲に設けられていた。腰曲輪の中、ほの門内側、水一門脇に5.2m分だけ、油塀(あぶらべい)と呼ばれる塀がある。白漆喰で塗られた土塀ではなく、真壁造りの築地塀である。製法については油、もしくはもち米の煮汁を壁材に練りこんだと考えられている[75]。理由については、秀吉時代の遺構という説がある[76]が、防備の上で特に高い塀を必要としたという説[75]もある。

大天守
外観意匠
姫路城歴代の鯱
大天守西面(右)と北面(左)

外観は最上部以外の壁面は大壁塗りで、屋根の意匠は複数層にまたがる巨大な入母屋破風に加えて、緩やかな曲線を描く唐破風(からはふ)、山なりの千鳥破風(ちどりはふ)に懸魚が施され多様性に富んでいる。最上階を除く窓はほとんどで格子がはめ込まれている。

  • 初重目 - 方杖付きの腰屋根を四方に、東面中央に軒唐破風と下に幅4間の出格子窓(でごうしまど)、北東・南東・南西の隅に石落としを設置している。
  • 2重目 - 南面中央に軒唐破風と下に幅5間の出格子窓を設けている。東西に3重目屋根と交わる大入母屋破風を設置している。
  • 3重目 - 南面・北面に比翼入母屋破風、2重目から大入母屋破風が交わっている。
  • 4重目 - 南面・北面に千鳥破風、東面・西面に軒唐破風
  • 5重目 - 最上部。南北に軒唐破風、東西に入母屋屋根、壁面は他の壁面とは違って柱などが浮き出る真壁になっている。
内部構造

各階の床と屋根は天守を支えるため少しずつ逓減され、荷重を分散させている。大天守の心柱は東西方向に2本並んで地下から6階床下まで貫き、太さは根元で直径95cm高さ24.6mの木材が使用されている。うち、西大柱は従来の材が継がれたものであったため一本材に取り替えようとしたが、その際に折れてしまったので3階床下付近で継いでいる。東西の旧大柱は、目通りは東大柱十尺、末口は五尺三寸の杉木材。西大柱も同様の木材ではあるが三重目あたりで松に継いであり、根元から二尺に継ぎ目に補修した「貞享保四年丁卯の六月」の墨書きがあった。その他の柱用材は・犬桜など堅い樹種を二寸角にして使用している[77]。敷居・鴨居は一尺二寸幅で舞良戸をはめていたが現在は建具は取り付けられていない。

  • 地下 - 東西約11間半・南北約8間半。穴蔵と呼ばれている。簀の子の洗い場(流し台)と台所を付属させ、を3箇所設置している。
  • 1階 - 東西約13間・南北約10間。北側に東小天守と接続するイの渡櫓、西側に西小天守と接続するニの渡櫓。
  • 2階 - 1階とほぼ同様の構造。地下から2階は身舎の周りに武者走りを廻し、鉄砲などが掛けられる武具掛が付けられている。
  • 3階 - 東西11間・南北8間。武者走りがあるが、それに加えて破風部屋と武者隠(むしゃがくし)と呼ばれる小部屋が数箇所設けられている。また、石打棚(いしうちだな)という中段を窓際に設けて、屋根で高い位置に開けられた窓が使えるように高さを補っている。
  • 4階 - 東西9間・南北6間。3階同様に石打棚がある。武具掛けのある比翼入母屋破風の間が南北に2箇所ずつ(計4箇所)ある。
  • 5階 - 東西9間・南北6間。大広間一室で4重目の屋根裏部屋に相当する。大柱はこの階の天井まで通っている。
  • 6階 - 最上階。東西7間・南北5間。一段高い身舎周囲に入側を巡らしている。部屋の中央に柱を立てず、書院造の要素を取り入れ長押棹縁天井など書院風の意匠を用いている。長壁神社分祀されている。頼山陽が詠んだ漢詩も展示されている。”五畳の城楼 晩霞を挿む 瓦紋 時に見る 桐花を刻するを 兗州 曽つて啓く 阿瞞の業 淮鎮 興すに堪えたり 匡胤の家 甸服 昔時 臂指に随い 勲藩 今日 喉牙を扼す 猶思う 山陰道を 経略せしを 北 因州に走る 路叉を作す”。
小天守・渡櫓
東小天守1階内部
ニの渡櫓と水の五門

3基の小天守の最上階は蟻壁長押、竿縁猿頬天井の書院風意匠になっている。釣鐘のような形の火灯窓を西小天守、乾小天守の最上階に多用している。火灯窓は同様の後期望楼型天守である彦根城天守や松江城天守などにも見られる。乾小天守の火灯窓には、「物事は満つれば後は欠けて行く」という考え方に基づき未完成状態(発展途上状態)を保つため格子を入れていないという。

東小天守

3重3階・地下1階で天守丸の北東に位置する。西小天守や乾小天守のような火灯窓や軒唐破風はない。建設当初は丑寅櫓(うしとらやぐら)と呼ばれていた。

乾小天守

3重4階・地下1階で天守丸の北西に位置する。建設当初は乾櫓(いぬいやぐら)と呼ばれていた。秀吉が築城した三重天守であったという説があり「昭和の大修理」では秀吉時代の木材が転用された事が分かっている[78]

西小天守

3重3階・地下2階で天守丸の南西に位置する。水の六門が付属している。建設当初は未申櫓(ひつじさるやぐら)と呼ばれていた。2002年(平成14年)、西小天守の修理が完了した[79]

イ・ロ・ハ・ニの渡櫓

大天守と各小天守を連結している渡櫓。イ・ロ・ハの渡櫓はいずれも2重2階・地下1階、ニの渡櫓は水の五門が付属して2重2階の櫓門になっている。天守群と渡櫓群で囲まれた内側に台所櫓があり大天守地階とロの渡櫓1階を繋いでいる[80]

二の丸

秀吉時代の縄張りを活かした雛壇状の作りになっており通路は迷路のように入り組んでいる。

三国堀
姫山と鷺山の間にあった谷を利用して作られた捨て堀で輝政の所領、播磨淡路備前の三国に由来する。姫山と鷺山から流れた雨水を濾過する役割があったとも、秀吉の時代は空堀であったともいわれている[81][82]
菱の門
菱の門
二の丸入口にある櫓門で現在では正面登閣口から入って最初に通る門。西側にある石垣と土塀で枡形虎口を形成し門の片側が石垣に乗る変則的な櫓門で、西側部分に番所詰所、東側部分に馬見所がある。城内の現存の門では唯一、柱・舟肘木・長押を表面に出した真壁造りで安土桃山時代の意匠を残している。櫓二階部分の中央に黒漆と金箔で装飾された格子窓と両側に同じ装飾の火灯窓、その右手に庇出格子窓がある。[83]門名は冠木に木製の花菱模様が装飾されている事や築城以前に流れていた菱川に由来する[84]
帯曲輪(腹切丸)
帯郭櫓(腹切丸)
天守の南東にある帯曲輪(おびくるわ)は城の防御において射撃などを行う場所として築かれた。帯郭櫓は2重2階で1階2階ともに3部屋に区切られ、1階には石打棚がある。帯の櫓は1重1階(地下1階)で約23mの石垣の上にコの字型に建てられている。外側から見ると平櫓であるが地下に井戸があるため内側からは2重の多門櫓に見える。内部は座敷部屋や床の間も設けられている。太鼓櫓は1重1階で折れ曲がり西・南・北の3部屋がある。歪みのある石垣上に建てられたため西部屋は傾斜がある。江戸時代は「への櫓」と呼ばれた[85]。太鼓櫓の西側には「りの門」があり帯曲輪と上山里曲輪を区切っている。「りの門」は脇戸付高麗門で「慶長四ねん大工五人」と書かれた墨書が発見されており、解体や移築の痕跡もなく木下家定の時代の建築と判明している。
帯曲輪が俗に「腹切丸」と呼ばれる由来としては、建物の形状やその薄暗い雰囲気などから切腹の場を連想させることにより呼ばれるようになったと見られているが、通常では処刑場は城外にあり、藩主の屋敷付近や井戸付近では実際に切腹が行われたことは考えにくいという[86]
上山里曲輪
  • ぬの門 - 脇戸付きの鉄板張り二重櫓門。一層目は鉄格子窓、二層目は出格子窓。東側石垣に巨石を置き鏡石としている。
  • 「お菊井戸」が残っている。

三の丸

三の丸広場
千姫が居住した武蔵野御殿の跡

江戸時代、三の丸西側には御殿や屋敷があり本城(御居城)と呼ばれ、東側には向屋敷と庭園があり本多氏以降の政務の中心の場であった。

本城には、

  • 大広間(鶴之間):151畳
  • 虎之間:36畳
  • 雁之間:23畳半
  • 蜜柑之間:40畳
  • 小書院:70畳
  • 新書院4:7畳半
  • 装束の間:18畳
  • 評定之間:43畳半
  • 時計之間:25畳
  • 勝手之間:52畳
  • 御使者の間:12畳
  • 用人詰所:12畳
  • 他に御居間、能舞台、湯殿、便所、台所

などの御殿建築があった[87][88]

東側の向屋敷には池泉式庭園築山茶室が設けられ、北側には御用米蔵や上三方蔵があった。本多忠刻千姫夫妻が居住していた武蔵野御殿は金箔や銀箔を張った戸襖に千姫が幼少のころに過ごした武蔵野を偲んで一面に緑青ススキの絵が描かれていたことに由来する[89]。三の丸からは西の丸の石垣下にある鷺山口門が内堀に通じていた。江戸時代の建物や庭園は明治時代に取り壊され現存していない。1998年(平成10年)、姫路藩主・本多家の家老であった中根家の子孫宅から第二次本多時代(1682年(天和2年)、本多忠国から1704年(宝永元年)、本多忠孝まで)の姫路城内曲輪を詳細に描いた『播州姫路城図』が発見された[90]。この絵図から兼六園のように広くはないが三の丸・向屋敷にも大名庭園があったことが分かるなど、失われた御殿や屋敷など往時の様子を偲ばせる貴重な史料となった。

1939年(昭和14年)4月、旧制の姫路市立鷺城中学校(現姫路市立姫路高等学校)が設置されたが1945年(昭和20年)の姫路空襲で焼失した[91]。三の丸跡のうち本城跡は千姫ぼたん園に、向屋敷跡は三の丸広場に整備された。三の丸広場は市民の憩いの場となっており、花見や各種のイベントスペースとしても使用されている。三の丸の東部と東側に位置する出丸(御作事所)は姫路動物園の一部になっている。1947年(昭和22年)、三の丸に野球場相撲場が建設された。

2014年(平成26年)11月6日、姫路市教育委員会が三の丸の発掘調査で大手から菱の門前まで通じる南北200m、幅21mの三の丸大路の跡や礎石の跡などを確認したと発表した[92][93][94]。また三の丸西にあった御居城への通路の幅も約8mと分かった。『播州姫路城図』に描かれていた当時の様子が明らかになりつつある。9日に現地説明会が行われた。

下山里曲輪
三の丸北部、二の丸の上山里曲輪の南側下段にある曲輪。西側から南側の石垣に土塀が築かれ東側に門があった。1955年(昭和30年)までは「下山里展望台」となっていた。その後の「昭和の大修理」の時に発見された墓石・石像などが祀られ、春と秋の彼岸旧盆には正明寺と姫路城を守る会によって供養が行われている。
大手門(桜門)
現在「大手門」と呼ばれている大型の高麗門1937年(昭和12年)に「桐二の門」があった場所に再建した門で江戸時代の意匠とは異なる[95]。本来の大手口は入り口から桜門・桐二の門・桐一の門と続き、それらを三重の太鼓櫓・多聞櫓・ねの櫓で囲み、6回曲がらなければ天守方面へ行けない厳重な二重枡形を形成していたが、建物は明治時代の陸軍設置の際に取り壊されて現存しない。2007年(平成19年)に桜門橋を復元している[96][97]

西の丸

西の丸は本多忠政伊勢桑名から移ってきた時に整備・拡張された曲輪。北端に位置する化粧櫓及び櫓群と、これらを結ぶ渡櫓(長局)が残っている。

渡櫓(長局)
渡櫓の城外側は幅1間の廊下が「カの渡櫓」から「レの渡櫓」まで長さ約121間(約240m)に渡って連なっており「百間廊下」と呼ばれている。城外に向けて石落とし狭間、鉄砲の煙出しの窓も付設されている。城内側は侍女達の部屋があり主室と付属室などに区分され長局を構成している[98]。昭和の大修理の際に、草花模様で彩色した痕跡のある柱が発見されている。
化粧櫓
化粧櫓は、千姫が忠政の嫡男・忠刻に輿入れする際の化粧料10万石で1618年(元和4年)に建てられたものである。外観は二重二階、内部は畳が敷かれた座敷部屋が3室に区分され床の間がある奥御殿になっている[注釈 18]。戦前の修理までは、化粧櫓にはその名の通り当時の化粧品の跡が残っていたという。

千姫は西の丸内に設けられた中書丸[注釈 19](天樹院丸[注釈 20])と三の丸脇の武蔵野御殿に住んでいたが、いずれも現在は失われている。

姫路城天守から西の丸を望む。

勢隠曲輪

天守東部の搦め手から北部一帯の広い曲輪で喜斎門・八頭門・北勢隠門・南勢隠門で仕切られていたが、いずれの門も建築物は無く石垣が残っている。内堀に面する北側は屏風折れに石垣が組まれ死角を少なくしている。「ゐの櫓」・内船場蔵・下三方蔵があった。酒井忠実の時代にはこの曲輪内で南部産の馬を飼育していた[99]。東端区域は姫路神社になっている。大正時代に一般公開されてから終戦までは搦め手の登城口から入城していた。勢隠曲輪と三の丸は本来は繋がっていなかったが、1933年(昭和8年)、三の丸東部の内船場蔵と喜斎門南の下三方蔵を繋ぐ通路が整備され、1957年(昭和32年)に拡幅した。2017年平成29年)の石垣修復による調査で竪堀の跡や新たな刻印の発見などがあった[100][101]

中曲輪

姫路古地図

中曲輪は武家地で、城主が居住する東屋敷・西屋敷(樹木屋敷)、家老などの上級武士の侍屋敷などが建ち並んでいた。内曲輪の正面(南側)やそこに近いほど役職が高く広い屋敷を与えられた。東部から北部にかけては中級から下級武士の屋敷、南部には姫路藩校の好古堂、東部端には桐の馬場があった。明治維新後から太平洋戦争終了まで帝国陸軍が置かれ軍の建物や広大な練兵場になっていた。桜門へ通じる大手筋があった城南部は城南練兵場に、城北部は姫山練兵場になり、城南西部は歩兵第39連隊が、城東部は第10師団司令部や衛生病院が建設されていた。終戦後は城の北東部に市役所(現在の市立美術館)、裁判所、検察庁、労働基準局、保健所などの官公庁があった。酒井氏時代の筆頭家老・高須隼人の屋敷があった場所は平成になって『姫路侍屋敷図』を元に大手筋の復元や飲食店や土産物販売をする家老屋敷館(い・ろ・は・にの屋敷)が建てられた家老屋敷跡公園に整備された。家老屋敷館のシャッター(36箇所・全長134m)には『行軍横図 鉄砲洲警衛絵巻』(姫路市所蔵)が描かれている[102][103]

中曲輪の門

内曲輪の南勢隠門から堀が続く中曲輪には11の門があり、中曲輪西部の市ノ橋門から反時計回りに車門・埋門・鵰門(くまたかもん)・中ノ門・総社門・鳥居先門・内京口門・久長門・野里門・清水門となっている。いずれも門や櫓などの建物はなく石垣や土塁が残っている。

  • 市ノ橋門
中曲輪の西側で、外堀に最も接近した門であり、外堀の外へ通じている。門のすぐ西にある市ノ橋に由来する。
  • 車門
中曲輪の西側、船場川沿いにあった門で、北に車(荷車)が通行する車道門があったことに由来する。普段は車道門を使わず南側の枡形門を使っていた。第一門は西向き、第二門は南向きでいずれも脇門付高麗門、内門は南向きで脇門付櫓門の3つの門で二重枡形を構成していた。第一門の横には番所が置かれていた。木橋が架けられており、外側の船場川とは水門で繋がっており船溜まりがあった。枡形は2つの門で構成される事が多いが、車門の枡形は西国方面への攻守両面に備えて3つの門で構成した厳重な二重枡形になっている。石垣は池田輝政の築城時に築かれたものと推定されている。
  • 埋門(うずみもん)
中曲輪の南西隅櫓の傍ら、船場川沿いにあった門。城から見て裏鬼門の方角(南西)に当たることに由来する。内門(脇門付櫓門)と外門(脇門付高麗門)はともに南向きで中堀には土橋を架けていた。
  • 鵰門(くまたかもん)
中堀南部の西側、本町と坂元町との境にあった門で、城主交代の際、ここで鷹を手渡す儀式が行われたことに由来する。内門(脇門付櫓門)と外門(脇門付高麗門)はともに南向きで中堀には土橋を架け、外門を入った所には番所があった。門外に鷹の世話をした人の町・鷹匠町(たかじょうまち)の地名が残っている。
  • 中ノ門
中堀南部中央にあった門。外曲輪の飾磨門から内曲輪の桜門へ通じる大手筋にあった。終戦後に大手前通りが整備されるまでは大手筋は、江戸時代から明治末期は中ノ門筋(現在の大手前通りの西側)、明治末期から昭和30年代はみゆき通り(現在の大手前通りの東側)であった[104]。中曲輪の正面五門の中央であることに由来する。
  • 総社門
中堀南部(中ノ門の東)にあった門。播磨国総社の西門に通じていることに由来する。
  • 鳥居先門
総社門の東にあった門。播磨国総社の南鳥居の前にあったことに由来する。祭事以外では開けることがなかったので、不開門(あかずのもん)とも言われた。石垣など遺構は残っていない。
  • 内京口門
中堀東南にあった門。外曲輪の外京口門とともに京都方面に通じることに由来する。戦後は賢明女子学院の裏門になっている。
  • 久長門(きゅうちょうもん)
中堀東側にあった門。久長町にあることに由来する。内門(脇門付櫓門)と外門(脇門付高麗門)はともに東向きで中堀に土橋が架けられ、外門の内側に番所があった。石垣の一部は残っている。
  • 野里門
中堀北東にあった門。野里への出入口にあることに由来する。内門(脇門付櫓門)は北向き、外門(脇門付高麗門)は東向きで中堀に土橋を架け横矢を仕掛けるため堀を鍵型に屈曲させていた。土塁は残っているが石垣は残っていない。
  • 清水門
北面の北勢隠にあった門。「鷺の清水」と呼ばれる井戸があることに由来する。中堀と外堀の合流地点。枡形内にある鷺の清水跡は、播磨十水の一つに数えられ、『播磨鑑』には京都の名水「柳の水」と飲み比べられたという記述の他、歴代城主が茶の湯などにも利用した井戸の跡であり、平成になって『人口幾蔵姫路城図』(1823年(文政6年))などを参考に上屋形が復元された[105]

外曲輪

外曲輪には下級武士や町人の居住区・寺院などが置かれた。広峰山を山あて(目印)にした立町筋(竪町筋)を中心に、78町に町割りした城下町(姫路町)が形成された。姫路市中心部に現在も残る町名として、鍛冶町・白銀町・金屋町・材木町・紺屋町などの職人の町、呉服町・綿町・米屋町・塩町・魚町・博労町などの商人の町、小姓町・鷹匠町・同心町・坊主町など身分に因む町名、上寺町・下寺町などの寺社の町がある。二階町には国府寺本陣脇本陣、家老の河合道臣が藩の財政を立て直すために作った木綿会所・切手会所、札の辻などがあった。

2012年9月28日、市内平野町での住宅建設工事における調査で17世紀初め頃の外曲輪の武家屋敷跡が発見されたと姫路市埋蔵文化財センターが発表した[106][107]。池田時代の外曲輪の遺構が見つかるのは初めて。江戸時代後期の絵図では川合又四郎の屋敷にあたり井戸・溝跡などの遺構の他、「安永九年」(1780年)と書かれた茶碗など17世紀から幕末にかけての土器・陶磁器なども発見された。

外曲輪の門

中曲輪の清水門から続く外曲輪には5つの門があり、外曲輪南西部の備前門から反時計回りに飾磨津門・北条門・外京口門・竹ノ門となっている[108]。いずれも門や櫓などの建物はなく石垣や土塁も破壊または地中に埋められている。

  • 備前門(または備前口門・福中門)
外堀南西にあった門。西の備前国へ通じることに由来する。中堀・外堀に面していた。2014年(平成26年)9月17日、県道整備に伴う調査で市内博労町付近の外堀に掛かっていた備前門橋の礎石と外堀の両岸にあった石垣を発掘したと兵庫県立考古博物館と姫路市教育委員会が発表した。外堀に掛かっていた橋は5つあったが遺構が発見されたのは初めてで絵図や屏風絵などの資料と一致する。橋の礎石は長さ1.2mから1.4mの直方体の石が4本、欄干の礎石は45cm四方で15cmの穴が開いていることから角材と推測される。調査に立ち会った広島大学大学院教授の三浦正幸によると「江戸時代に備前門にかかっていた木橋の一部に間違いない。橋は幅約3間(5.4m)以上あり、西国街道が通る立派な木橋だったと推定できる。当時の木橋は幅1間(約1.8m)。メーンストリートである西国街道から西日本最大級の城下町への入り口として、極めて大きな橋が架けられたことが実証できた。」とのこと。また城から南東の神屋町で見つかった外堀(堀幅は約17m)の石垣は逆L字に石垣が屈曲する部分で、城内側は南北約5m、東西約1.8mが出土した。石垣は幅60cmから90cmセンチ、厚さ20cmから40cmの凝灰岩を2m以上積み上げていた。対岸の石垣は南北約5.5m、高さ約0.7mが残っていた。形状や加工方法から築城当初の物と判断でき、江戸時代の水害で補修した跡も見つかった[109][110][111][112]。現地説明会も行われた。平成29年9月、備前門の石垣跡が発掘された[113][114][115]。私有地であるため調査後は埋め戻された。
  • 飾磨津門(または飾磨門・飾万門)
外堀南部にあった門。中ノ門筋から南の飾磨津(姫路港)へ通じる事に由来する。東西60m南北80mの門があった。山陽姫路駅建設時に埋め立てられた。
  • 北条門
外堀南東部にあった門。城南東部の北条地域へ通じることに由来する。兵庫信用金庫本店前交差点付近にあった。2013年(平成25年)11月、発掘調査により城下南東部にあった北条口門付近で下級武士の建物跡とみられる掘立柱建物の跡や柱穴列などが発掘された[116]2014年(平成26年)11月26日には、江戸時代の姫路城城下町跡(市内北条口)で武士の居住区と町人の居住区を分けた溝が初めて見つかった[117][118]。中世の溝を踏襲した形で溝の北側が町人、南側が武士の居住区となっていた絵図と合致する。
  • 外京口門
外堀東部にあった門。中曲輪の内京口門とともに京都方面に通じることに由来する。姫路市立東光中学校の体育館床下に石垣が保存されている[119]。この門が面していた外堀東部の東半分が明治時代に埋め立てられ、生野銀山飾磨港を結ぶ生野鉱山寮馬車道(銀の馬車道)が整備された。
  • 竹ノ門
外堀北東部にあった門。城の北東、鬼門に当たるため「他家→竹」としたことに由来する。北西に進み野里堀留町で堀の終点となる。

2012年11月15日、市内白銀町(当時の町屋と浄恩寺があった場所に相当)での発掘調査で礎石・石組・井戸・土坑・かまどなどの跡が発見されたと姫路市埋蔵文化財センターが発表した[120][121]

野里・船場・外縁

野里の「ノコギリ横丁」。

城北の野里(野里町)や城西の船場(龍野町)は外堀の外縁にあって総構えには含まれてはいないが、築城以前からある町で、野里は但馬道、船場は山陽道や船場川と通じており流通や交通で栄えた。野里や船場の建物は三叉路や街路に対し斜めに配置されたノコギリ横丁と呼ばれている[122]。城下に攻め込まれた場合にも斜めに配置することで死角に身を隠すことが出来た。


  1. ^ 国宝指定の現存天守を持つ5箇所の城郭、姫路城・松本城彦根城犬山城松江城を指す。
  2. ^ 赤松氏の傍系を先祖に持つ。
  3. ^ 八代城の別名は白鷺城と書いて「しらさぎじょう」と読んでいる。
  4. ^ 姫路市学校園ホームページに校歌が掲載されている集計した時点で32校中15校の校歌に使用されている。
  5. ^ 現在は市内五軒邸に移転し正明寺天台宗)になっている。市内飾東町にある称名寺(浄土真宗大谷派)は同名の別の寺。
  6. ^ 姫路市飾東町にあった城。
  7. ^ 父の職隆が家督を譲り隠居していた城。別名は妻鹿城・甲山城・功山城・袴垂城ともいう。
  8. ^ 関ヶ原の合戦後の1601年(慶長6年)、木下家定は備中足守2万5000石へ転封する。
  9. ^ 読みは「けいろうさんじょう」。別名:龍野古城・朝霧城。龍野市龍野町北龍野にあった赤松氏の居城の1つ。
  10. ^ 茂政は輝政の血縁上の子孫ではない。実際は徳川斉昭の九男であり、水戸徳川家から養子として岡山池田家を相続した。したがって15代将軍の徳川慶喜とは異母兄弟の間柄である。
  11. ^ これにおいては姫路城は「存城処分」とされたが、これは陸軍の兵営地とする意味であって城郭の建築物をそのまま維持するという意味ではない。
  12. ^ 1878年(明治11年)から1882年(明治15年)3月までは「山陽博交社」だった。
  13. ^ 十字架のようにも見えるためキリシタン大名であった黒田孝高が城主であった頃の名残りと言われている。しかし、『フロイス日本史』によると孝高がキリスト教の洗礼を受けたのは1583年天正11年)から1585年(天正13年)頃であり、これは黒田家による築城より後で孝高は秀吉に姫路城を譲って国府山城に移っている時期になる。
  14. ^ 史料によって3,000 - 4,000の開きあり。
  15. ^ 例えば橋の欄干、車止めブロックなどに丸・三角・四角の模様や穴が見られる。
  16. ^ 普段は木の蓋で塞がれているが、非常時にのみ開かれる。
  17. ^ 現存12天守では松山城伊予国)が同じ構成である。
  18. ^ 天守南東部の「帯の櫓」にも座敷・床の間がある。
  19. ^ 忠政の息子で千姫の夫、忠刻の役職「中務大輔(唐名中書)」に由来する。
  20. ^ 千姫の号「天樹院」に由来する。
  21. ^ 新たな瓦は西谷増吉、福永正太郎、林営松らの瓦師によって制作された。
  22. ^ 1964年までの工事を第2期第2次工事と呼ぶ。
  23. ^ 松本城の解体修理は1950年(昭和25年)から1955年(昭和30年)。
  24. ^ 三の丸広場北方にそのままの配置で移動された。
  25. ^ 森林鉄道では運材台車と呼ばれる2台1組の首振り機構のついた2軸トロッコの上に木材をまたがらせて輸送する。このため、極端に長い木材の場合、中央部に支えがなく、また木材自体を機関車の牽引力伝達に用いることから、停車時の衝撃や自身の重みなどで折れてしまう恐れがあった。
  26. ^ 「北」は「敗北」に通ずるので、北西に築いた小天守を「北西小天守」ではなく「乾小天守」と称している。乾=北西の方角。
  27. ^ 2015年7月17日、台風11号の影響による観光客の安全を考慮したため、年末の休城以外では初の休城となった(姫路城 台風で初の休城姫路観光情報|【7月17日(金)】姫路城は終日休城いたします。)。
  28. ^ 日産・スカイライン(白鷺篇)』 1973年 いわゆるケンメリと呼ばれるC110系スカイラインのCMシリーズに使用された。
  29. ^ 変身忍者 嵐1972年 MBS系特撮テレビ番組(東映製作)1972年11月24日(34話)、12月1日(35話)放送など。
  30. ^ 史実では江戸城天守1657年(明暦3年)の明暦の大火で焼失後、天守台は築かれたものの天守そのものは再建されなかったので、明暦の大火以降を描いた時代劇に江戸城天守が登場した場合、史実に即しているとはいえない。姫路城の天守は健在であり、往時の江戸城に見立てて撮影がなされているが、実際にはこれより後の時代設定であっても作中で天守が映っている場合が多く、撮影の際に天守を写さない、消すなどの処置が行われていない場合が多い。むしろ積極的に画面に映している場合も見られ、意図的な時代考証無視がなされている。
  31. ^ 劇中で明確に語られていないが、時系列から稲葉山城との設定と思われる。
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