姜建銘 姜建銘の概要

姜建銘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 07:51 UTC 版)

姜 建銘
Chiang Chien-Ming
全越運動棒球隊 監督
2014年7月18日
基本情報
国籍 中華民国
出身地 新北市
生年月日 (1985-05-27) 1985年5月27日(38歳)
身長
体重
175 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年
初出場 NPB / 2006年6月14日
CPBL / 2009年4月2日
最終出場 NPB / 2007年8月11日
CPBL / 2010年8月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 安永鮮物
  • 読売ジャイアンツ (2023)
  • 全越運動棒球隊
国際大会
代表チーム チャイニーズタイペイ
WBC 2006年
姜 建銘
各種表記
繁体字 姜 建銘
簡体字 姜 建铭
拼音 Jiāng Jiànmíng
注音符号 ㄐㄧㄤㄐㄧㄢˋㄇㄧㄥˊ
和名表記: きょう けんめい
発音転記: ジャン・ジェンミン
英語名 Chiang Chien-Ming
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獲得メダル
男子 野球
 チャイニーズタイペイ
アジア競技大会
2006

経歴

プロ入り前

最速148km/hの豪腕投手として高校時代から活躍し、国立体育学院に進学[1]陳偉殷と同級生だった。

2005年5月に宮崎県で行われたアジア選手権の台湾代表に選ばれ、勝利投手になるなど活躍した。その際に巨人のスカウトの目に止まり、6月に入団テストを受け、まだ学生ながら入団が決定。7月初旬に訪日した。

巨人には、シアトル・マリナーズの誘いを断って入団した。理由は、プロ入り後も在学するつもりであった大学に関するサポートや学費等の支援が巨人の方が充実していたため。巨人入団後も国立体育学院に籍を置き、オフシーズン中に通学して単位を取得することになっていた。

プロ入りと巨人時代

入団後の2005年は二軍で基礎から育成された。

2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)チャイニーズタイペイ代表に選出された。シーズンでは一軍デビューを果たし、しばらくは中継ぎでの起用だったが、8月22日の対横浜戦で先発し、7回1失点(自責点0)で初先発初勝利を挙げ、以後は先発ローテーションの一角として定着する。初登板から28イニング連続無四球を記録し(初めての四球は敬遠)、9月3日の対中日戦では初完封勝利を無四球で飾った。被本塁打は59.2イニングで2本に抑え、先発に定着後は若手ながらエース顔負けの活躍をみせ、防御率1.81という好成績を残した。同年オフの契約更改では、球団の年俸アップの提示に対し、「私はまだ一流ではない」とこれを固辞した。オフの12月に開催されたドーハアジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では優勝を果たした。

2007年は開幕時から先発ローテーションに名を連ねたが、フォームを崩したためか打ち込まれるようになり、走者を背負った場面で本塁打を浴びることが多かった。途中からリリーフに配置転換され一軍と二軍を行き来するシーズンとなった。

2008年、自身が通っていたトレーニングジムの職員で同じ台湾出身の女性と婚約。1月2日に台北市で婚約式を行った。同年10月1日、巨人から戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加したが、獲得を名乗り出る球団はなかった。

台湾・興農時代

2008年12月31日に行われた中華職業棒球大聯盟(CPBL)のドラフトにおいて、興農ブルズからドラフト9位で指名を受け入団。

2010年シーズンからはアンダースローに挑戦していたが、同年シーズン終了後に興農から戦力外通告を受け現役を引退した。

台湾・社会人野球時代

興農退団後は、台北市の貿易会社に就職した[2]

2012年10月に社会人野球チームの崇越科技棒球隊中国語版に内野手として入団、2021年からは選手兼任コーチとなりプロ復帰を目指していたが[3]2023年2月に現役引退を表明した[4]

現役引退後

2023年5月11日、古巣である読売ジャイアンツに研修コーチとして入団したことが発表された[5]。背番号は130[5]。ただし監督・コーチとしてのコミッショナー登録はなされておらず、球団公式サイトのコーチ一覧にも記載はされていない。同年11月まで、読売ジャイアンツ球場において研修活動を行った[6]

2024年2月、社会人野球時代の古巣である全越運動棒球隊[注 1]の總教練(監督)に就任した[7]

選手としての特徴

テイクバックの小さな変則フォームからボールをテンポ良く投げ込み、手元で動く癖球とスライダーカーブチェンジアップなどの多彩な変化球で打たせて取るタイプ。そのマウンド度胸も武器の一つ。

四球を出すことを特に嫌っている。球数が増え、体力を浪費するため、フォアボールを出すくらいならヒットを打たれた方がいいと語っている[8]

打撃も上手く、二軍では三塁打を放ったこともある。また、台湾時代は遊撃手で起用された経験もあるように、フィールディングも高レベルにある。


注釈

  1. ^ 2023年2月に「安永鮮物棒球隊」から「全越運動棒球隊」にチーム名変更。

出典

  1. ^ a b 『プロ野球カラー名鑑 2008』ベースボール・マガジン社、2008年、11頁。ISBN 978-4-583-61526-4 
  2. ^ 25歲姜建銘 棄棒球轉戰珠寶界 運動大聯盟
  3. ^ 協會盃成棒/棄投從打敲4安 姜建銘還有職棒夢 ETtoday體育新聞
  4. ^ 春季聯賽》「錯過雅典奧運是最大遺憾」 姜建銘宣告退役 自由體育
  5. ^ a b “【巨人】元巨人投手の姜建銘氏が研修コーチ 背番号は「130」”. 日刊スポーツ. (2023年5月11日). https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202305110000545_m.html 2023年5月11日閲覧。 
  6. ^ 研修コーチの受け入れについて”. 読売ジャイアンツ (2023年5月11日). 2023年5月11日閲覧。
  7. ^ 棒球》全越運動教練團改組 倪福德離隊、姜建銘接教頭”. 自由體育 (2024年2月23日). 2024年3月2日閲覧。
  8. ^ 2006年9月3日 対中日戦でのヒーローインタビューにて


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