奴隷 概説

奴隷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/09 12:10 UTC 版)

概説

黒人奴隷一本鞭折檻する白人主人の図

あらゆる地域・時代の文献から、広範にその存在が確認され、その様態もさまざまである[2]。定義は古代から議論の対象となっており、アリストテレスは「生命ある道具」[3][4] と擁護し、ソフィストの奴隷制批判に反論した[注 1]マルクス主義においてはスターリンの定義が最もよく知られている[5]。しかし福本勝清によれば多くの奴隷制は生産と必ずしも結びついていないか、生産様式や生産関係を規定づけるほど主要なものではなく、本質的には「自己の勢力を増やす手段であった」とする[6][7]。パターソン[8]によれば「生まれながらに疎外され、全体として名誉を喪失し…永続的かつ暴力的に支配される(人間の)こと」[9]

人種差別性差別幼児売買などは奴隷に固有のものではないが、多くの場合密接に関係していた。暴力と恐怖による支配が社会階層におよぶ場合農奴制や奴隷労働者の階級が形成された。

古代

有史以来、人が人を所有する奴隷制度は世界中で普遍的に見られたが、風土・慣習・伝統の違いによる地域差が大きい。戦争の勝者が捕虜や被征服民族を奴隷とすることは、古代には世界中で程度の差はあるが普遍的に見られた。

古代ギリシアのポリス間紛争では敗れた側の住民で成年男性は殺害され、女性や子供は奴隷にされた。ギリシャやローマの社会は奴隷制を基盤にしたものであったが、ギリシャ世界のポリスはスパルタを除けば奴隷の収奪を主要な目的とした社会組織ではなかった[10]。奴隷交易はデロス島が著名であり、ストラボンの『地理誌』では1日に1万人以上を扱うことが出来たと記されている[注 2]

家庭内労働、鉱山ガレー船員、軍事物資の輸送、神へ捧げる生贄など様々な場面において使用された[11]。スパルタは大量のヘイロタイを農奴として使役した。共和政ローマでは征服地住民の多くが使役された[12] が、奴隷によるプランテーションが中小自営農家の没落を招いた。大規模な奴隷反乱はスパルタ、ローマでしばしば見られた(メッセニア戦争奴隷戦争)。

古代中国では神への生贄に供するために用いられた。日本でも弥生時代生口と呼ばれる奴隷的身分がすでに存在したとされる。また、日本に限らないが、中華王朝の周辺部族が皇帝に朝貢するときには、生口を貢物として差し出すことも珍しくはなかった。

古代のある時期、社会の主な労働力となっている体制を奴隷制と呼び、かつて唯物史観発展段階論に於いて、原始共産制以降から発展し封建制へと繋がる段階とされ、この解釈では、農業・荷役・家事などの重労働に従事することが多かったとされた。

近世・近代

農業革命が達成された中国に於いては北宋以降、土地の囲い込みによる農奴の小作農化(賃労働化)が進んだ。日本列島では米軍に由る民主主義化革命の一環として自作農化が執行された(農地改革)。

西欧諸国では17世紀のペスト禍によって奴隷の価格や農奴の価値が上昇するにつれ、国民については厳格な階級制度が緩和され、農奴から小作人への身分転換が進んだ。しかし、国外については、商品購買層ではない人々(他人種)に対し奴隷貿易が続けられた。新大陸においては、移民の賃金労働者がより安価な労働力となり、労働力不足も発生していたため、奴隷解放をして安価な賃金労働者に再編された。

現在

1949年に発効した国際連合人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約や1957年に発効した奴隷制度廃止補足条約などそれに準じる各国の法規によって奴隷制度やトラフィッキングは現在は禁止されている。しかし、工業化の進んでいない発展途上国では、商品経済に飲み込まれながらもその対価が払えない貧困層が絶えず生まれ続け、それを供給源とする事実上の奴隷売買が公然と行われている地域がある。また、先進国・発展途上国の別によらず、暴力等によって拘束して売買し、性産業に従事させる犯罪が後を絶たず、非合法の奴隷とみなされる。世界には今でも2700万人が存在すると言われている[13][14][15][16][17]

2014年、過激派組織ISILコーランの解釈に基づき奴隷制度の復活、運用を国際社会に公表している[18]

2015年イギリスで奴隷状態が約1万人居るとされ現代奴隷法を制定した。

2019年、イギリスでポーランド人8人に現代奴隷法などの違反で禁固刑が言い渡された。被害者は約400人で欧州で過去最大規模の摘発となった[19]


注釈

  1. ^ アルキダマス(紀元前400年頃)は紀元前370年にテバイ人がスパルタを打ち破ってメッセニア人を解放したことを擁護し、そのメッセニア演説において「自由な者としたのだ、万人を神は。何人をも奴隷とはしなかったのだ、自然は」と言ったとされている。(山川偉也 2007, pp. 11–12, 26)
  2. ^ 「きわめて多くの者たちが奴隷の輸出という、この呪われた業務に殺到した。莫大な利益となったので。というのも…大規模で豊かな市場がそれほど遠くないところにあったからである。それはデロス島で、ここでは1日に1万の奴隷を受け入れ、また送り出すことが出来た。」[StrabonXIV5:2](古山正人他編訳「西洋古代史料集[第2版]」東京大学出版会2002)直接の引用は篠原陽一によるサイト [1]
  3. ^ 一般に排水量が増えるほど必要とされる乗組員数は多くなる。
  4. ^ 1年毎、一隻に日本と中国の間での貿易事業の権利が与えられ、日本への航海のキャプテン・マジョールの称号が与えられた[67]
  5. ^ 船倉内に可能な限り多くの奴隷を入れることを可能とした複層区画の奴隷船が登場するのは17世紀以降である。1570年セバスティアン1世 (ポルトガル王)は300トン以下、450トン以上の船の建造を禁止している[71][72]。ポルトガルは最盛期でさえも300隻以上の船を保有しておらず、1585年から1597年までにインドへ出航した66隻のうち無事に戻ってきたのは34隻だけであった[73]。16世紀から17世紀を通じてポルトガル―インド間を運行したナウ船の中でも最大級のものは載貨重量トン数600トン(現代の計算方法で換算すると排水量1100トン[74][75])にもなり乗組員、乗客、奴隷、護衛の兵士を含む400-450人を乗せることができたという[76]。排水量900トンのナウ船は77人の乗組員、18人の砲兵、317人の兵士、26の家族を乗船させることができた[77][注 3]。 日明間の航路については、貿易風の性質上、1年周期に限定されており、ナウ船1隻だけを使用することで利益を最大化した[78][注 4]。ポルトガルのナウ船は毎年1000〜2500ピコ(1ピコ=60キログラム)のを運んだという[79]。3000ピコは180トンの絹に相当するため船倉容積は250から400立方メートルと推定でき、それに武装、備品、乗組員、乗客、兵士、食料と水が加わっていたと推測される。日本からの積荷が硫黄、銀、海産物、刀、漆器等の特産品とするなら、積荷の量によって乗船できる人数は上下したと考えられる。
  6. ^ 豊臣秀吉は「人心鎮撫の策」として、遊女屋の営業を積極的に認め、京都に遊廓を造った。1585年に大坂三郷遊廓を許可。89年京都柳町遊里(新屋敷)=指定区域を遊里とした最初である。秀吉も遊びに行ったという。オールコックの『大君の都』によれば、「秀吉は・・・・部下が故郷の妻のところに帰りたがっているのを知って、問題の制度(遊廓)をはじめたのである」やがて「その制度は各地風に望んで蔓延して伊勢の古市、奈良の木辻、播州の室、越後の寺泊、瀬波、出雲碕、その他、博多には「女膜閣」という唐韓人の遊女屋が出来、江島、下関、厳島、浜松、岡崎、その他全国に三百有余ヶ所の遊里が天下御免で大発展し、信濃国善光寺様の門前ですら道行く人の袖を引いていた。」[85]のだという。
  7. ^ 江戸幕府が豊臣秀吉の遊郭を拡大して唐人屋敷への遊女の出入り許可を与えた丸山遊廓を島原の乱後の1639年(寛永16年)頃に作ったことで、それが「唐行きさん」の語源ともなっている[86][87]。秀吉が遊郭を作ったことで、貧農の家庭の親権者などから女性を買い遊廓などに売る身売りの仲介をする女衒が、年季奉公の前借金前渡しの証文を作り、性的サービスの提供を本人の意志に関係なく強要することが横行した。日本人女性の人身売買はポルトガル商人や倭寇に限らず、19世紀から20世紀初頭にかけても「黄色い奴隷売買」、「唐行きさん」として知られるほど活発であり、宣教師が批判した日本人が同国人を性的奴隷として売る商行為は近代まで続いた[88]
  8. ^ 天正遣欧使節記の目的をヴァリニャーノはポルトガル国王やローマ教皇に対して政治的、経済的援助を依頼するためと書き残している。天正遣欧使節記はポルトガルの奴隷貿易に関連して引用されることがあるが、イエズス会1555年の最初期の奴隷取引からポルトガル商人を告発している[91]。イエズス会による抗議は1571年セバスティアン1世 (ポルトガル王) による日本人奴隷貿易禁止の勅許公布の原動力としても知られている[92]日本人奴隷の購入禁止令を根拠に奴隷取引を停止させようとした司教に従わないポルトガル商人が続出、非難の応酬が長期に渡り繰り返される事態が続いた[93][94][95]。ポルトガル国王やインド副王の命令に従わず法執行を拒否して騒動を起こすポルトガル商人や裁判官等も数多くいたという[96]。宣教師によって記述された情報は「ポルトガル王室への奴隷貿易廃止のロビー活動」[97]として政治的な性質を帯びており、宣教師側がポルトガル王室から政治的援助を受けるため、さらにポルトガル商人を批判して奴隷売買禁止令の執行実施を促すために生み出した虚構としての側面からも史料批判が必要と考えられる。
  9. ^ 「薩摩の兵が豊後で捕らえた人々の一部は、肥後へ売られていった。ところが、その年の肥後の住民は飢饉に苦しめられ、生活すらままならなかった。したがって、豊後の人々を買って養うことは、もちろん不可能であった。それゆえ買った豊後の人々を羊や牛のごとく、高来に運んで売った。このように三会・島原では、四十人くらいがまとめて売られることもあった。豊後の女・子供は、二束三文で売られ、しかもその数は実に多かった。」ルイス・フロイス 著、松田毅一・川崎桃太 訳 『完訳 フロイス日本史』 8巻、中央公論新社〈中公文庫〉、2000年、268頁。 

出典

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  4. ^ 「奴隷は一種の生命ある所有物であり、すべて下僕というのは道具に先立つ道具といったものだ」「政治学」第1巻第4章1253B33-34
  5. ^ 「奴隷制度のもとでは、生産関係の基礎は奴隷所有者が、生産手段を、また生産手段の働き手である奴隷を所有することであって、奴隷所有者は、奴隷を家畜同様に売り、買い、殺すことが出来る」「富者と貧乏人、搾取する者と搾取される者、完全な権利をもつ者と無権利な者、かれらの両者のあいだのすさまじい階級闘争、これが奴隷制の光景である」『弁証法的唯物論と史的唯物論』。(福本勝清 2007, p. 9)
  6. ^ 福本勝清 2007, pp. 6–7.
  7. ^ 福本によれば奴隷は①仲間を増やす手段でありかつ②従者を増やす手段であり、忠誠を誓うかぎり兵士でもありえ、その後に③交換のための奴隷や生産のための奴隷がくる、とする。(福本勝清 2007, pp. 6–8)
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  9. ^ 福本勝清 2007, p. 9.
  10. ^ 河口明人 2010, p. 5.
  11. ^ トゥキディデス著久保正彰訳「戦史(上)144-145P、147-148P、156P、164P、257P、259P、293P」「戦史(中)」「戦史(下)」「アレクサンドロス大王東征記」「アナバシス」等参照
  12. ^ 通商国家カルタゴ 興亡の世界史(3)343P、362-364P、386-389P参照
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  22. ^ ローマ市民から構成される軍の兵士は常に街道の敷設や補修を行っていた。
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  24. ^ トゥキディデス著久保正彰訳「戦史(下)242-243P」、国原吉之助訳「ガリア戦記 259P、264P」など
  25. ^ 裁判官の許可を得ないで主人がその奴隷を猛獣と戦わせることを禁じる法律(帝政初期・時期不明)、主人が老年もしくは疾病の奴隷を遺棄したときは奴隷は自由人となり主人はその奴隷に対する主人権を喪失する規定(クラウディウス帝)、主人が奴隷を監禁することの禁止(ハドリアヌス帝)、主人が奴隷を殺したときはローマ市民を殺したと同様の制裁を主人に加えるべきとする規定(アントニヌス・ピウス帝)
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  33. ^ 創世記 14:14,15、出エジプト記 21:16、レビ記 25章39,40節、出エジプト記 22:3、申命記 15章13,14節、コリントの信徒への手紙 7:21,コロサイ書3:22等
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  95. ^ Jesuits and the Problem of Slavery in Early Modern Japan, Rômulo da Silva Ehalt, 2017. p. 493
  96. ^ Jesuits and the Problem of Slavery in Early Modern Japan, Rômulo da Silva Ehalt, 2017. pp. 494-504
  97. ^ Jesuits and the Problem of Slavery in Early Modern Japan, Rômulo da Silva Ehalt, 2017. pp. 19-20
  98. ^ 丹野勲『江戸時代の奉公人制度 と日本的雇用慣行』、2011
  99. ^ a b 丹野勲『江戸時代の奉公人制度と日本的雇用慣行』国際経営論集 41 57-70, 2011-03-31, p. 58
  100. ^ 丹野勲『江戸時代の奉公人制度と日本的雇用慣行』国際経営論集 41 57-70, 2011-03-31, p. 62
  101. ^ a b 嶽本新奈『境界を超える女性たちと近代 ——海外日本人娼婦の表象を中心として — —』一橋大学、博士論文、p. 15
  102. ^ 中田薫「徳川時代に於ける人売及人質契約」『法制史論集』3・上、岩波書店、1943 年。
  103. ^ 丹野勲『江戸時代の奉公人制度と日本的雇用慣行』国際経営論集 41 57-70, 2011-03-31, p. 61
  104. ^ 手塚豊 (1950年8月). “刑法局格例調査考 仙臺藩刑法の一硏究 (PDF)”. 慶應義塾大学法学研究会. 2021年7月5日閲覧。
  105. ^ 大日方純夫『近代日本国家の成立と警察』校倉書房、1992年、283頁
  106. ^ 嶽本新奈『境界を超える女性たちと近代 ——海外日本人娼婦の表象を中心として — —』一橋大学、博士論文、p. 67
  107. ^ 藤野豊『戦後日本の人身売買』p18
  108. ^ 藤野豊『戦後日本の人身売買』p19
  109. ^ 1893年(明治26)外務省訓令「婦女ヲシテ妄リニ海外渡航ヲ企図セシメサル様注意セシム」”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2021年9月29日閲覧。 “外務省訓令第一号 警視庁 北海道庁 府県 近来不良の徒各地を徘徊し甘言を以て海外の事情に疎き婦女を誘惑し、遂に種々の方法に因りて海外に渡航せしめ、渡航の後は正業に就かしむることを為さず却て之を強迫して醜業を営まして、若くは多少の金銭を貪りて他人に交付するものあり。之が為めに海外に於て言ふに忍びざるの困難に陥る婦女追追増加し在外公館に於て救護を勉むと雖も或は遠隔の地に在りて其所在を知るに由なく困難に陥れる婦女も亦種々の障碍の為めに其事情を出訴すること能はざるもの多し。依て此等誘惑渡航の途を杜絶し且つ婦女をして妄りに渡航を企図せしめざる様取計ふべし 明治二十六年二月三日 外務大臣陸奥宗光 内務大臣伯爵井上馨”
  110. ^ (28)各府県知事ト在浦汐貿易事務館間婦女誘拐者ニ関シ直接通信ノ件 自明治三十六年八月 ※1903年(明治36年)在ウラジオストク貿易事務官から本国日本外務省への文書”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2021年9月29日閲覧。 “本邦無智の少女を誘拐して当港に来航する悪漢之有り候趣は本月八日付公第二〇三号を以て申進置候処、当港年来の商況不振は正当なる商業者より其職業を奪ひ新渡航者に対しては従前の如く容易なる生活の方法を与へず、意思薄弱なる本邦男児をして漸次堕落の境域に導き、茲に無頼の徒と化し賎業者の手に依りて漸く其口を糊するもの多きに至り候は、慨はしき次第に之有り候。而して是等無頼漢唯一の生命は実に本邦無智の少女に懸るを以て、彼等は出来得る限り好餌を捉へんと欲し、百方訏(?)策を廻らし在本邦の誘拐者と気脈を通じて、或は汽船に依り或は日本形小漁船等に依り無智の少女を誘致し之を奪食する者日一日増加の勢之有り候。”
  111. ^ 長田秋濤 『新々赤毛布 : 露西亜朝鮮支那遠征奇談』文禄堂、1903年、196-198頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/761167/107。"醜業婦の出産地 西比利亜(シベリア)に渡航して行て醜業婦人と云ふ憐れむべき名称に甘んじて外国人に情を交はして、御髯の塵を払ふて居るもの共の出産地の戸籍を酔狂にも洗って見れば、大概は九州で其多数は九州の内で熊本県天草か、長崎県島原辺りの者で長崎市の内外も沢山ある、其の次は中国から中仙道に懸けてゞある…其事を聞き込んだる誘拐者が有らん限りの甘言を尽して之を誘ひ出し、自分の懐暖めの材料に做すと云ふ様な具合で、斯く一人連れ二人連れて行たのが今日の如く殖えたのである。"。 
  112. ^ 中村直吉, 押川春浪 『五大洲探険記. 第2巻 南洋印度奇観』博文館、1909年、13-14頁。"九州が醜業婦唯一の輸出地であることは、三歳の童子でも知ってる有名な事実だが、猶且此地方に出稼の醜業婦も、殆んど其の全部が九州出身で、長崎天草島原辺の者が多いやうである。  以前は誘拐の口実として種々の甘言を弄したので、無智の婦女はウカと夫に乗って、新嘉坡三界迄地獄の憂目を見に行くやうになったのであるが…"。 
  113. ^ (7)婦女誘拐者取締ニ関シ香港領事館ト内地地方庁間直接通信ノ件 自明治四十五年七月 ※1912年(明治45)在香港総領事から日本外務省への文書”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2021年9月29日閲覧。 “香港は南清南洋地方に於ける婦女誘拐の策源地とも見るを得べく、従て本邦より無智の婦女を誘拐し来るもの、或は斯る目的を抱きて当地より帰国する悪漢之有り。当館は斯るものに対し厳重監視致候へ共、法規の制裁之に伴はざるを以て、如何とも致難候。…”
  114. ^ “日本侵華硏究”. Journal of Studies of Japanese Aggression Against China (日本侵華研究學會) (5–8): 64. (1991). https://books.google.com/books?id=m-81AQAAIAAJ. 
  115. ^ James Francis Warren (2003). Ah Ku and Karayuki-san: Prostitution in Singapore, 1870–1940. Singapore Series, Singapore: studies in society & history. NUS Press. p. 83. ISBN 978-9971692674. https://books.google.com/books?id=Eo_Hav3qHYEC&pg=PA83 
  116. ^ Journal of the Malaysian Branch of the Royal Asiatic Society 62 (2): 57. (1989). https://books.google.com/books?id=slYaAQAAIAAJ. 
  117. ^ James Boyd (August 2005). “A Forgotten 'Hero': Kawahara Misako and Japan's Informal Imperialism in Mongolia during the Meiji Period”. Intersections: Gender, History and Culture in the Asian Context (11). http://intersections.anu.edu.au/issue11/boyd.html 2015年7月21日閲覧。. 
  118. ^ Narangoa & Cribb 2003, p. 45.
  119. ^ Narangoa & Cribb 2003, p. 46.
  120. ^ Jamie Bisher (2006). White Terror: Cossack Warlords of the Trans-Siberian. Routledge. p. 59. ISBN 978-1135765958. https://books.google.com/books?id=Mg6RAgAAQBAJ&q=manchuria+praised+prostitutes&pg=PA59 2014年5月17日閲覧。 
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  124. ^ Somatechnics: Queering the Technologisation of Bodies. Queer Interventions (revised ed.). Ashgate Publishing, Ltd.. (2012). ISBN 978-1409491972. https://books.google.com/books?id=-kF7BgAAQBAJ&q=australia+white+mining+prostitutes&pg=PT108 2014年5月17日閲覧。 
  125. ^ Frances 2007, p. 47.
  126. ^ Frances 2007, p. 48.
  127. ^ 「また、ふえた身売り 受け入れ地は東京が多い」『朝日新聞』昭和26年9月22日3面
  128. ^ 國崎万智 (2022年5月4日). “「現代の奴隷」技能実習制度の廃止、私が求める理由。「この社会は他人を犠牲にして成り立っている」”. ハフポスト日本版. BuzzFeed Japan. 2022年7月16日閲覧。






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