奥野史子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 03:40 UTC 版)
関連項目
外部リンク
- パシフィックボイス 奥野史子 プロフィール
- 奥野史子 (@okunofumiko) - Twitter
- 奥野史子 (fumiko.okuno.50) - Facebook
- 奥野史子 - Olympedia (英語)
- 奥野史子 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- 奥野史子 - 世界水泳連盟 (英語)
- ^ a b 当初北京五輪・陸上男子4x100mリレーは1着・ジャマイカ、2着・トリニダード・トバゴ、3着・日本だった。しかしそれから約8年半後の2017年1月、ジャマイカ代表選手にドーピング再検査での陽性反応により失格・メダル剥奪が決定。これにより当五輪陸上男子4x100mリレーの金メダルはトリニダード・トバゴ、銀メダルは日本、銅メダルはブラジルへ、それぞれ繰り上げとなった。
- ^ a b 奥野史子さんの基礎データ 財団法人大阪市スポーツ緑振興協会 平成12年、平成22年8月28日閲覧
- ^ 2015年度新客員教授のご紹介 『びわこ成蹊スポーツ大学新聞』第23号
- ^ 当初バルセロナ五輪のデュエット種目は、予選で奥野・高山と組んだが得点が伸びず3位。その後、ソウル五輪ソロ・デュエット銅メダリストの小谷実可子と高山への変更が一時決まり掛けた。だがデュエット決勝の本番4時間前、日本代表の3人に対し急遽テストを行った結果(奥野・小谷、小谷・高山、奥野・高山の順)最終的に小谷が落選、予選と同じく決勝も奥野・高山のペアで本番に望んでいた。
- ^ おんなのしんぶん・別所哲也 奥野史子さんとの本音トークを全文掲載(毎日新聞・2016年2月8日記事)
- ^ 直撃インタビュー、シンクロのスター "O" にデビュー(「週刊ラスベガスニュース」2001年11月5日付記事)などを参照。
- ^ 「パートナー・オブ・ザ・イヤー2008」授賞式 を参照
- ^ a b “朝原の妻・史子さん「最高の瞬間立ち会えた」”. サンケイスポーツ. (2008年8月23日) 2017年9月24日閲覧。
- ^ ““いい夫婦の日”理想のカップルに朝原宣治・奥野史子夫妻 決めては“内助の功””. eltha (オリコン). (2008年11月22日) 2017年9月24日閲覧。
- ^ アスリートネットワークLabキッズ
- ^ 子供たちに笑顔を! 奥野史子 石垣島トライアスロンに挑戦!(パシフィック・ボイス2013年2月28日付ニュースリリース)を参照。
- ^ 石垣島トライアスロン2013総合記録 エイジの部 を参照。最初のスイム(10km)では、27分2秒のタイムで79位に入っていた。
- ^ 三上孝道『これだけは知っておきたい(11) オリンピックの大常識』株式会社ポプラ社、2004年、88ページ、ISBN 4-591-08135-4
- ^ NHK大阪放送局制作分シリーズ(月4日=1シリーズ原則2日間放送)に、『おしゃれ工房』時代の2005年4月から、産前産後休暇をはさんで断続的に出演。
- ^ 2007年9月1日「海外スペシャル・ニューカレドニア」で現地を旅行し、スタジオでその様子を報告。VTRのナレーションも担当した。
- ^ 初期のディレクター→プロデューサーであった川中恵一(毎日放送ラジオ局制作部→テレビ制作部)は、奥野の大学時代の同窓生で元・競泳選手。奥野も出場したバルセロナ五輪では、競泳の日本代表として、男子200mバタフライ決勝で5位入賞を果たした。
[前の解説]
「奥野史子」の続きの解説一覧
固有名詞の分類
- 奥野史子のページへのリンク