奈良時代 律令国家の完成とその転換

奈良時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 17:28 UTC 版)

律令国家の完成とその転換

奈良時代の前半は、刑部親王らが撰述し、701年大宝元年)に完成・施行された大宝律令が、基本法であった。

718年養老2年)藤原不比等らに命じて、養老律令を新たに撰定した。字句の修正などが主であり、根本は大宝律令を基本としていたが、その施行は遅れ、757年天平宝字9年)、藤原仲麻呂主導の下においてであった。

律令制下の天皇権力

天皇系図第38-50代

律令制下の天皇には、以下のような権力があった。

貴族官人官職及び位階を改廃する権限、令外官(りょうげのかん)の設置権、官人の叙位および任用権限、五衛府(ごえふ)や軍団兵士に対するすべての指揮命令権、罪刑法定主義を原則とする律の刑罰に対して勅断権と大赦権、外国の使者や外国へ派遣する使者に対する詔勅の使用などの外交権、皇位継承の決定権などである。

762年天平宝字6年)頃、淡海三船は歴代天皇の漢風諡号を撰進した。これによって、天智天皇もしくは天武天皇の時代(7世紀)に創始されたと考えられる「天皇」号は、それ以前に遡って追号された。

中央官制、税制と地方行政組織

大宝律令の制定によって、律令制国家ができあがった。中央官制は、二官八省と弾正台と五衛府から構成されていた。地方の行政組織は、で統一された。里はのちにとされた。さらに道制として、畿内東海道東山道北陸道山陰道山陽道南海道西海道の七道に区分され、その内部は66国と壱岐嶋対馬嶋の2嶋が配分された(令制国一覧参照)。軍団は各国に配置され、国司の管轄下におかれた。また田と民は国家のものとされる公地公民制を取り入れ、戸籍により班田が支給された。税は、租庸調雑役から構成されていた。

742年天平14年)大宰府を廃止。翌年、筑紫に鎮西府を置いたが、745年(天平17年)には太宰府が復された。

東北地方では多賀城出羽柵等が設置され、蝦夷征討と開発、入植が進められた(既述)。

農地拡大政策と律令国家

律令国家は、高度に体系化された官僚組織を維持するため、安定した税収を必要とした。いっぽう、日本の律令に規定された班田収受法には、開墾田のあつかいについての明確な規定がなかった[2]。そのため、長屋王を中心とする朝廷は722年(養老6年)に良田百万町歩開墾計画を立て、計画遂行を期して723年(養老7年)には田地開墾を促進する三世一身法(さんぜいっしんのほう)を施行した。この法では、新しく灌漑施設をつくって開墾した者は三代のあいだ、もとからある池溝を利用した者は本人一代にかぎり、墾田の保有を認めた。

農民の墾田意欲は必ずしも向上せず、墾田も思いのほか進まなかったため、743年(天平15年)、橘諸兄政権はさらなる墾田促進を目的とした墾田永年私財法を施行した。これは、国司に申請して開墾の許可を得て、一定期間内に開墾すれば、一定限度内で田地の永久私有をみとめるものであった。

両法令は公地公民制の基盤を覆す性格をもったことは確かだが、動機としては班田(口分田)を確保することによって律令体制の立て直しを図ったものであったことも事実である。開墾をおこなう資力にめぐまれた貴族や豪族、寺社の土地所有は以後増加の一途をたどった。とくに大貴族や大寺院は、広大な土地を囲い込み、一般の農民や浮浪人を使役して私有地を広げた。これが荘園の起こりであるが、租税義務のともなう輸租田を主とするものであり、初期荘園(墾田地系荘園)と呼ばれる。


注釈

  1. ^ いわゆる鑑真将来経。
  2. ^ この「啓」は特殊な性質を持っている。唐六典一左右司郎中員外郎条や司馬氏書儀などの中国の書物によれば、官庁の長官に官人が上申する時に用いられる形式であるほか、親族間における尊属・長属や婦人の夫に対するもの、尊属だけでなく卑属の逝去を慰問する時、吉凶の挨拶や起居を通ずる場合、忠告・祝賀・謝礼・知人の推薦等、多岐に渡って用いられた。そのため「啓」は「私書」「家書」に分類され、「公文に施す所に非ず」、即ち、個人的な通信に使用するもので国家間の公式なやり取りにはふさわしくないものとされた。
  3. ^ ただし、地下式横穴墓板石積石棺墓などの九州南部の地下式墓制を熊襲・隼人と直接結びつける考え方は、現在では行われていない。

出典

  1. ^ 北山(1979)[要ページ番号]
  2. ^ a b c 吉田(1992)
  3. ^ 小澤 (2005) pp.142-148
  4. ^ 佐藤 (2002) p.20
  5. ^ 鐘江 (2008) p.88
  6. ^ 石母田 (1989) pp.15-17
  7. ^ 酒寄 (2002) pp.271-272
  8. ^ 鐘江 (2008) p.134
  9. ^ 鐘江 (2008) p.78
  10. ^ 森公章『「白村江」以後』講談社、1998年、ISBN 4062581329
  11. ^ 酒寄 (2002) p.285
  12. ^ 酒寄 (2002) p.295
  13. ^ 石井(2003)
  14. ^ 酒寄 (2002) p.283
  15. ^ 酒寄 (2002) pp.296-305
  16. ^ 酒寄 (2002) p.274
  17. ^ 鐘江 (2008) pp.156-157
  18. ^ 鐘江 (2008) pp.158-159
  19. ^ 酒寄 (2002) pp.306-307
  20. ^ 鐘江 (2008) p.149
  21. ^ 「エミシ」と「エゾ」”. 青森県立郷土館. 2013年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月5日閲覧。
  22. ^ 酒寄 (2002) pp.280-281
  23. ^ 酒寄 (2002) pp.287-290
  24. ^ 酒寄 (2002) p.304






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