太陽の王子 ホルスの大冒険 興行成績

太陽の王子 ホルスの大冒険

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 02:58 UTC 版)

興行成績

大塚康生によると、「それまでの長編漫画の最低を記録」したという[21]。その要因として、作品が扱ったテーマは「高校、大学生くらいの年齢を対象」としていたことを挙げ、東映側もそうした客層を想定した宣伝活動をおこなわなかったと指摘している[21]。この大塚の証言も含め「興行面で失敗」が通説とされてきたが、木村智哉は2016年の著書で、1968年夏の本作を含む『東映まんがパレード』の全国8映画館での興行成績は他の年度と遜色がなかったと指摘している[22]

製作段階での予算・納期超過により、高畑以下のスタッフは待遇面で他と格差をつけられ(大塚は契約金を半額にされた)、関や担当の原徹は東映動画を退社している[20]

原画を担当した小田部が時代考証を行った『なつぞら』(2019年度上期NHK連続テレビ小説)でも、本作をモチーフ[23]にした長編映画『神をつかんだ少年クリフ』として、演出家・坂場一久(演・中川大志)を中心とした制作経緯が描かれ、興行実績も芳しくなかったことも描かれている。『なつぞら』では坂場が責任をとって会社を退社したストーリーとなっている。

賞歴

  • タシケント国際映画祭 - 監督賞[24]
映画祭への招待が決まった際に高畑に対してはすでに前記の「責任追及」の動きがあったことから、高畑とは同期入社の池田宏は先手を打って社内から歓送会の寄付金を集め、「壮行会」を実施したという[25]。高畑は社内からのカンパで横浜港からタシケントに向かった[25][26][注 7]

再評価

ヒロインのヒルダに従来のアニメ作品にはなかった描き方をしたことで、本作は公開終了後も上映会が開かれるようになった[24]。アニメーション愛好者サークル「東京アニメーション同好会」(アニドウ)を主宰するなみきたかしは、「公開時に観た僕の世代は、みなヒルダにイカレてしまった。それは可愛いとか萌えとかいうものとは断じて違う。二次元の作られたものではなく、考え行動する、そして主張を持った一人の人間を感じて、忘れられない実在の人物となったものなのだ。」と述べている[27]

1980年代には、関連書籍が複数刊行、アニメージュでも特集記事が組まれ再評価が大きく進んだ。

公開から32年が経た2000年11月、本作の「旧スタッフの集い」が開かれ、約6割のスタッフ(途中降板者は招待自体から除かれた)が参集した[2]。席上、元企画部長だった関政次郎は「皆よくがんばったな。私にとっても忘れられない映画になった」と述べ、大塚康生は「永年のしこりが雪のように解け」たという[2]。宮崎駿も2018年の高畑の「お別れの会」のコメントでこの集いに触れ、「偉い人たちが『あの頃が一番おもしろかったなあ』と言ってくれた。『太陽の王子』の興行は振るわなかったが、もう誰もそんなことを気にしていなかった。」と述べている[7]




注釈

  1. ^ このうち『ゲゲゲの鬼太郎』(TVブローアップ版)は、公開当時のフィルムが紛失していたため、テレビ放送版のフィルムを再編集して収録した。
  2. ^ 本作品には、制作開始から完成までの間に中断期間があり、その間に東映動画を退社、あるいは降板するなどしたためクレジットされていないが、林静一、倉橋孝治らも参加している[2]
  3. ^ 宮崎駿は当時この文書を大塚から見せられたと、2018年の高畑の「お別れの会」のコメントで述べている[7]
  4. ^ 大塚によると、関からは演出(監督)について芹川有吾矢吹公郎を勧められ、高畑については「もう少しあとでやってもらおうと思っている」と言われたという[6]
  5. ^ 『龍の子太郎』はそれから14年後の1979年に東映動画によって長編劇場アニメ化された(監督は浦山桐郎)。作画監督を務めた小田部羊一は東映動画から依頼があったときにスタッフの条件として「演出(監督)は高畑勲」と述べたが、東映動画側は「高畑は絶対に認められない」という返事だったと回想している[9]
  6. ^ 東映動画の社内組織上1965年3月に「長編漫画製作部」「TV漫画製作部」「技術部」が統合されて「製作部」となっていた[14]
  7. ^ 当時、ソ連が横浜港とナホトカ港を結ぶ定期船を運航していた。
  8. ^ 『東映まんがまつり』系統で、円谷プロ作品、ならびに同プロ製作のウルトラシリーズが上映されたのは、これが唯一のケースとなった(前年公開の『キャプテンウルトラ』は東映作品)。これ以降、ウルトラシリーズを筆頭とする円谷作品は、『東宝チャンピオンまつり』で上映されている。

出典

  1. ^ a b 松野本、2009年、p.38
  2. ^ a b c 大塚、2013年、pp.305 - 307
  3. ^ 大塚、2013年、p.151
  4. ^ 東映アニメーション、2006年、p.32
  5. ^ a b 大塚、2013年、p.159
  6. ^ a b 大塚、2013年、pp.160 - 161
  7. ^ a b c “高畑勲さん「お別れ会」 宮崎駿監督は声を詰まらせながら、亡き盟友を偲んだ(追悼文全文)”. ハフィントンポスト. (2018年5月15日). https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/14/isao-takahata-farewell_a_23434642/ 2018年5月16日閲覧。 
  8. ^ a b c d 大塚、2013年、pp.162 - 163
  9. ^ 叶、2004年、pp.111 - 112
  10. ^ a b 大塚、2013年、pp.164 - 166
  11. ^ 富沢、1983年(同書収録のインタビュー)
  12. ^ 高畑勲監督お別れ会で号泣の宮崎駿監督...鈴木敏夫Pは「宮崎駿はただひとりの観客、高畑勲を意識して映画を作っている」と LITERA 2018年5月16日
  13. ^ a b c d e 大塚、2013年、pp.168 - 169
  14. ^ 東映アニメーション、2006年、p.33
  15. ^ 大塚、2013年、p.167
  16. ^ 社長が訊くニンテンドーDSi 小田部羊一さんと『うごくメモ帳』篇 - 任天堂
  17. ^ 叶、2004年、p.66
  18. ^ 叶、2004年、pp.100 - 101
  19. ^ 叶、2004年、p.102
  20. ^ a b 大塚、2013年、p.170
  21. ^ a b 大塚、2013年、p.171
  22. ^ 木村智哉「東映動画株式会社における映画製作事業とその縮小」谷川健司(編)『戦後映画の産業空間: 資本・娯楽・興行』森話社、2016年
  23. ^ なつぞら:劇中アニメを振り返り! 「神をつかんだ少年クリフ」 小田部羊一さん作「キアラ」も話題に 2019年9月24日 まんたんウェブ 2019年9月26日閲覧
  24. ^ a b 東映アニメーション、2006年、pp.42 - 43
  25. ^ a b 池田宏「永遠の『先達』のままで逝ってしまったパクさん」『キネマ旬報』2018年6月上旬特別号、キネマ旬報社、pp.18 - 19
  26. ^ 小田部羊一「"死"は"果種"(たね)なんだとパクさんは言った」『キネマ旬報』2018年6月上旬特別号、キネマ旬報社、pp.20 - 21
  27. ^ もりさんのヒルダ”. アニドウ. 2019年1月13日閲覧。
  28. ^ 鷲谷花「美しい悪魔の妹たち 『太陽の王子ホルスの大冒険』にみる戦後日本人形劇史とアニメーション史の交錯」『ユリイカ』2018年7月臨時増刊号(総特集 高畑勲の世界)、青土社、p.261
  29. ^ a b c 鷲谷、2018年、pp.265 - 266
  30. ^ a b 鷲谷、2018年、p.264
  31. ^ a b 鷲谷、2018年、p.268
  32. ^ 鷲谷、2018年、p.263
  33. ^ 鷲谷、2018年、pp.263 - 264
  34. ^ 岩井俊二「僕の「やぶにらみの暴君」 - スタジオジブリ(『王と鳥』公式サイト)





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