太宰春台 太宰春台の概要

太宰春台

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 03:23 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
太宰 春臺
人物情報
生誕 1680年11月5日
日本 信濃国飯田城下
死没 (1747-07-07) 1747年7月7日(66歳没)
日本 江戸
国籍 日本
学問
時代 江戸時代
特筆すべき概念 人間主体の地人関係論
影響を
受けた人物
荻生徂徠伊藤仁斎
テンプレートを表示

略歴

信濃国飯田城下生まれ。平手政秀汎秀の子孫で、父・言辰の代に下野国烏山藩士・太宰謙翁の養子となり平手姓から改姓、藩主堀親昌の転封に従い飯田藩士となったが、堀親常により改易され、一家で浪人として江戸へ出た。純は苦学の末に学問を修め、元禄7年(1694年)に15歳で、但馬出石藩松平氏に仕え、元禄9年(1696年)17歳の時儒学者、中野撝謙に師事し、朱子学を学ぶ。

元禄13年(1700年)21歳で官を辞し、以後10年の間畿内を遊学する[1][2]。その間に漢詩・天文学・地学・朱子学などを懸命に勉強した。宝永元年(1704年)富士山に登り、京都に入った。そこで、伊藤仁斎の講義を聴き、人格にうたれた[2]

宝永6年(1709年)30歳の時、大阪に入り、結婚した。

正徳元年(1711年)32歳で自由の身になり、江戸に戻った。正徳3年(1713年)、友人の紹介で荻生徂徠の門に入り、詩文から儒学特に古文辞学へと転向した[2]正徳2年(1712年)に下総生実藩森川俊胤に再仕官。だがこれも正徳5年(1715年)36歳で辞し、以後生涯仕官することはなかった。

正徳5年(1715年)36歳の時、本格的に研究・執筆活動に入るとともに、江戸の小石川に塾を開き、松崎観海・文雄・五味釜川・稲垣白嵓・渡辺蒙庵・関口黄山・小宮山昌世・原雲沢など多くの門人を育てた。また、何人かの大名から支援された。[2]

のちに徂徠の説を批判し、『易経』を重んじて全ての事象を陰陽をもって解釈しようとした。また、征夷大将軍こそが「日本国王」であり、鎌倉室町江戸の3時代それぞれに別個の国家が存在したと説いた。その秀才と剛気は、孔子の弟子子路になぞらえられた。

著書に『経済録』・『経済録拾遺』・『産語』[3]・『聖学問答』・『弁道書』など。『経済録』は「世ヲ経(おさ)メ、民ヲ済(すく)フ」という「経世済民」を主題としており、広く政治・食貨(経済)・社会・教育・軍事について春台の思想が紹介されている。『古文考経孔氏伝』は、四庫全書に収録される数少ない日本人による漢籍である。『三王外紀』は東武野史訊洋子が著者と書かれているが、征夷大将軍を国王と見る記述などから、春台の著作であるという説が古くから唱えられているが、異論も存在している[4]

延享4年(1747年)、68歳の時、江戸で没した。墓所は東京都台東区谷中の天眼寺にあり[5]、都の指定史跡となっている。出身地の長野県飯田市中央通り3丁目には春台の石碑と「太宰松」と呼ばれる松の木があるが、初代太宰松は1947年(昭和22年)の飯田大火で焼失し、現在は2代目。

長野県民歌『信濃の国』の歌詞中にも登場している。


  1. ^ 他の説では、春台が次第に朱子学に疑問を抱くようになり、母親の死を機会に出石藩を辞し、学問に専心しようとしたが、藩主は一方的な辞任と受け取り、21歳の彼に10年の禁固を命じた、とある
  2. ^ a b c d 岡田俊裕著 『 日本地理学人物事典 [ 近世編 ]』 原書房 2011年 66ページ
  3. ^ ここまでは『日本経済大典 九』(滝本誠一編、明治文献、1967年)に収録
  4. ^ 「三王外記」に関連して出てくる訊洋子とは何者か知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2021年9月7日閲覧。
  5. ^ 原得斎『先哲像伝』有朋堂文庫、1914年、P.113。


「太宰春台」の続きの解説一覧




太宰春台と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

太宰春台のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



太宰春台のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの太宰春台 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2022 GRAS Group, Inc.RSS