天神信仰 各地の天神信仰

天神信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 17:59 UTC 版)

各地の天神信仰

城の守護神として本壇に天神さまを祀っている松山城天神櫓(愛媛県)
大名前田氏の家紋・加賀梅鉢
北陸
福井県富山県では、長男が誕生するとそれ以後の正月、床の間に天神像(木彫や掛軸)を飾る。福井の一部地域では1月25日カレイを供える風習がある。この掛軸などは、母方の実家から送られる。これは幕末の頃に教育に熱心であった福井藩藩主松平春嶽が領民に天神画を飾るよう推奨し、それを富山の薬売りが広めたという説がある。また、富山藩加賀藩石川県)など前田氏の他の支配地域や隣接地域でも同様の風習があった。金沢市には正月に天神と複数の従者の木像を飾る風習が昭和30年代まで見られた。前田家菅原氏の出を称しており、その領内には天神社・天満宮が他地域に比べて大変多い。前田家の家紋が天神の神紋と同じ梅鉢紋であるのも、先祖が菅原氏であるためとされる。ちなみに前田家の家紋は「剣梅鉢」(加賀梅鉢)と呼ばれている。
その他の地域の例
  • 広島県北部
    子供の初節句に、天神像等の人形を贈る。三次人形を参照。
  • 東京板橋区
    関東最古の天神信仰である。梅木の霊力で疫病が退散し梅木を祭祀し天神信仰が始まった。(外部リンクを参照) 

天神信仰と数字

菅原道真を主祭神としている神社では、道真の誕生日が6月25日、命日が2月25日で、ともに25日であったことから、毎月25日を例祭としていることが多い。江戸時代でも毎月25日は天神様の縁日であり、とくに旧暦1月25日を「始め天神」、12月25日を「終い天神」とよんで参詣したが、これは新暦に移行した現在でもそう呼ばれている。また菅公聖蹟二十五拝洛陽天満宮二十五社順拝・江戸二十五天神のように特定の25社を巡礼する風習も存在する。

天神信仰と牛

菅原道真と牛との関係は深く「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。これにより牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれている。


  1. ^ 寺子屋に伝わったとされる『天神経』より。
  2. ^ 天神信仰の発足に天台宗・真言宗それぞれの僧侶が関わっていたこともあり、当初から仏教との関わりは強く、境内に寺や仏塔を建てるなどしていた。明治期の廃仏毀釈までその流れは続いた。
  3. ^ 現在は北野天満宮内にある火之御子社に祀られている。
  4. ^ 本地を十一面観音菩薩としたため。
  5. ^ 渡唐天神像をお守りとして使用した。
  6. ^ とっさの日本語便利帳 2003, p. 259.
  7. ^ (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」『三天神』 - コトバンク
  8. ^ 曽根田天満宮境内説明板。


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