大韓帝国 大韓帝国の概要

大韓帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 04:02 UTC 版)

大韓帝国
大韓帝國대 한 제 국
1897年 - 1910年
光武元年 - 隆熙4年
国旗国章
国の標語: 朝鮮語광명천지光明天地
世界を明らかに
国歌: 대한제국 애국가(朝鮮語)
大韓帝国愛国歌(1902年 - 1910年)

大韓帝国の領土
公用語 朝鮮語
首都 漢城府
皇帝
1897年 - 1907年 光武帝(高宗)
1907年 - 1910年隆熙帝(純宗)
内閣総理大臣
1905年 - 1905年韓圭卨
1905年 - 1907年朴斉純
1907年 - 1909年李完用
1909年 - 1910年朴斉純
1910年 - 1910年李完用
面積
1907年221,000km²
人口
1907年13,000,000人
変遷
 下関条約で清が朝鮮の独立を認めたことで冊封関係は消滅したため、朝鮮国から改称 1897年10月12日
第二次日韓協約調印・日本の保護国化1905年11月17日
ハーグ密使事件1907年6月
韓国併合により滅亡1910年8月29日
通貨
時間帯UTC +8:30(DST: 127°30′)
現在 韓国
北朝鮮

国璽

鷹模様
大韓帝国
朝鮮語表記
ハングル ᄃᆡᄒᆞᆫ뎨국(近世朝鮮語)
대한제국(現代朝鮮語)
朝鮮の漢字 大韓帝國
日本語読み: だいかんていこく
片仮名転写: テハンジェグク
ラテン文字転写: RR:Daehan Jeguk
MR:Taehan Cheguk
英語表記
アルファベット Korean Empire
Empire of Korea
Imperial Korea

朝鮮の歴史
考古学 朝鮮の旧石器時代朝鮮語版
櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC
無文土器時代 1500 BC-300 BC
伝説 檀君朝鮮
古朝鮮 箕子朝鮮
辰国 衛氏朝鮮
原三国 辰韓 弁韓 漢四郡
馬韓 帯方郡 楽浪郡

三国 伽耶
42-
562
百済
高句麗
新羅
南北国 熊津都督府安東都護府
統一新羅
鶏林州都督府
676-892
安東都護府

668-756
渤海
698
-926
後三国 新羅
-935

百済

892
-936
後高句麗
901
-918
女真
統一
王朝
高麗 918-
遼陽行省
東寧双城耽羅
元朝
高麗 1356-1392
李氏朝鮮 1392-1897
大韓帝国 1897-1910
近代 日本統治時代の朝鮮 1910-1945
現代 朝鮮人民共和国 1945
連合軍軍政期 1945-1948
アメリカ占領区 ソビエト占領区
北朝鮮人民委員会
大韓民国
1948-
朝鮮民主主義
人民共和国

1948-
Portal:朝鮮
下関条約でから独立し、大韓帝国へ改称後の皇帝高宗と皇太子純宗
大日本帝国の大礼服大勲位菊花大綬章など様々な勲章を纏っている高宗。
大日本帝国の大礼服と大勲位菊花章頸飾や大勲位菊花大綬章など様々な勲章を纏った純宗。(1910年〜1920年)
大日本帝国の大礼服と勲章を纏って座っている純宗。(1910年代初頭)
『大韓全図』(1899年、玄采『大韓地誌』附図)

日本は日清戦争に勝利したことで、1895年開国504年)に下関条約で李氏朝鮮を冊封体制から離脱させた。それを受けて、清朝との宗属関係も消滅した自主独立国家となったことを内外に示すため、第26代李氏朝鮮王である高宗皇帝に即位し、あわせて国号を改称した。ただし、専制政治・経済機構は李氏朝鮮時代の状況が続いた[3]朝鮮半島最後の専制君主国であるが、日露戦争後は日本保護国となり、1910年8月の韓国併合によって滅亡した[3]


注釈

  1. ^ 皇帝の自称。
  2. ^ ここでの三韓は高麗が統合した後高句麗後百済新羅を指す。高麗は後三国の統合を新羅の三国統一に重ねて「三国を統一した」と考え、三韓統一論を掲げた。 なお、「統一新羅は渤海と並立していた」という史学見解から、北朝鮮では高麗を三韓を統一した最初の国家と見ている。チョン・クボク(정구복)。(2013.4)。韓国の国号考、蔵書閣(우리나라 국호고. 장서각)、29、308-329より。
  3. ^ 李朝時代になると、高麗の統治下になかった北方の平安道咸鏡道が朝鮮領となった他、土着の支配層が存在していた耽羅済州島)も朝鮮王朝の直接支配下に入った。
  4. ^ 存命中の自国の王を指す尊敬語

出典

  1. ^ 新城道彦「『宮内省省報』を用いた王公族の動向調査:実証的な歴史叙述の基礎作業」『国際交流研究:国際交流学部紀要』第20号、フェリス女学院大学国際交流学部紀要委員会、2018年3月、29-62頁、ISSN 1344-7211NAID 120006458499 
  2. ^ 韓国(かんこく)の意味 - goo国語辞書”. goo辞書. 2022年12月25日閲覧。
  3. ^ a b c d 第2版, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,デジタル大辞泉,旺文社世界史事典 三訂版,世界大百科事典. “大韓帝国とは”. コトバンク. 2022年12月25日閲覧。
  4. ^ a b 국호를 대한으로 하고 임금을 황제로 칭한다고 선포하다 (조선왕조실록)
  5. ^ 朝鮮王朝實錄
  6. ^ 矢木毅『韓国・朝鮮史の系譜:民族意識・領域意識の変遷をたどる』塙書房〈塙選書 111〉、2012年、230頁。ISBN 9784827331110 
  7. ^ 시임 대신과 원임 대신 이하의 관리들을 인견하다 (조선왕조실록)
  8. ^ 小島毅『「歴史」を動かす―東アジアのなかの日本史』亜紀書房、2011年8月2日、45頁。ISBN 4750511153 
  9. ^ a b c 120年前に高宗が日本を避けてロシア公使館に行った「王の道」復元”. 中央日報 - 韓国の最新ニュースを日本語でサービスします. 2022年12月25日閲覧。
  10. ^ 第2版, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル版 日本人名大辞典+Plus,百科事典マイペディア,世界大百科事典. “李完用とは”. コトバンク. 2022年12月25日閲覧。
  11. ^ a b c d Korean-American relations. 3. The period of diminishing influence, 1896 - 1905 George McAfee McCune 1989
  12. ^ a b 韓国経営 加藤政之助 1905年
  13. ^ a b “<外交は力だ>(1)旧韓末の救国外交「ロシア皇帝に送った高宗親書を初公開」”. 中央日報. (2015年8月12日). オリジナルの2022年8月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220824184826/https://japanese.joins.com/JArticle/204362 
  14. ^ 韓国経営 P.27-29 加藤政之助 1905年8月12日
  15. ^ 韓国経営 P.44 加藤政之助 1905年8月12日
  16. ^ a b c 韓国経営 P.18-19 加藤政之助 1905年8月12日
  17. ^ 朝鮮旅行案内記 P.96 朝鮮総督府鉄道局 1934年9月30日


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