大阪府
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歴史
古代〜近代
大伴氏や物部氏などが本拠を置いた場所であり、瀬戸内海を経る航路の終着点として住吉大社(大阪市住吉区)近くの住吉津や難波津が機能していた。大阪市は古代から港湾都市であり国内流通の中心であった。住吉津はヤマト王権と深い繋がりがあり、住吉津を管理していた住吉大社はヤマト王権直属の神社だった。
応神天皇は難波大隅宮(なにわのおおすみのみや)を行宮とし、「古事記」や「日本書紀」によると大王(おおきみ)と呼称された倭国の首長である仁徳天皇は難波に都を定め皇居を難波高津宮(なにわのたかつのみや)とした。難波の地は他に欽明天皇の難波祝津宮(なにわのはふりつのみや)、孝徳天皇や聖武天皇の難波宮(なにわのみや)なども営まれた(#概説参照)。また、反正天皇の丹比柴籬宮、継体天皇が即位した樟葉宮(継体天皇#皇居を参照)、敏達天皇の百済大井宮(敏達天皇#皇居を参照)など、現在の大阪府の土地には多くの天皇のもと宮殿、都城、宮や都などが置かれた。大仙陵古墳(仁徳天皇陵/堺市)を始めとする百舌鳥古墳群や古市古墳群等大小多数の天皇陵/古墳が河内地域を中心に造られた。また、推古天皇元年(593年)には生國魂神社や住吉大社が既に存在していた上町台地に日本最古とされる寺院である四天王寺(大阪市天王寺区)が聖徳太子により建立された[3]。
平安時代においては、淀川の河口に位置するこの地は京都と水運で結ばれ(渡辺津)、この水運を介しての関係はその後明治時代に鉄道が敷設されるまで続くことになる。平安時代初期に征夷大将軍の坂上田村麻呂の三男の坂上広野が摂津国住吉郡平野荘(大阪市平野区)の領主となり、その子孫といわれる坂上氏の一族が中世の平野の自治を担った。
平安中期になって、源満仲の長男頼光が摂津国の多田(現:兵庫県川西市付近)を、三男頼信が河内国の壺井(現在の羽曳野市)をそれぞれ拠点とした。この内、清和源氏一流の河内源氏が有力となり、頼信の孫の「八幡太郎」として知られる源義家は坂東武者を従えて武家の棟梁となり、大阪府の南河内は武家の中心地となる。この源義家の四代後の子孫が鎌倉幕府を開く源頼朝である。また、源頼光に始まる摂津源氏の郎党で、嵯峨源氏の源融の流れを汲む渡辺綱を祖とする渡辺氏は、現在の中之島近くの渡辺津を本拠地とした。
[平安時代後期には、河内国の中部にあった元春日と呼ばれた枚岡神社の神主から武士団となった水走氏一族が出て、大和川やその支流の水運を支配して大きな勢力となった。
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、河内国に悪党と呼ばれた在地豪族の楠木正成が出て活躍した。正成を初めとする楠木氏は南朝方の有力武将として河内国に寄り度々足利尊氏ら北朝と戦ったが、正成は湊川の戦いで、その子正行も四條畷の戦いで戦死するなどし、やがて勢力を弱めた。
室町時代に入ると河内国には畠山氏が、摂津国・和泉国には細川氏がそれぞれ守護に任ぜられた。ただ両家とも幕府の三管領家に名を連ねる家柄であり、実際の政務は配下の守護代が執り行うことが多かった(なお後に肥後国熊本藩々主となる細川氏は、和泉国守護を務めた分家筋に当たる)。
応仁の乱後、戦国時代に入ると、畠山氏・細川氏共に家督を巡る争いから混乱を極めた。この時期、堺(堺市)は会合衆と呼ばれる富裕な町衆を中心に自治都市を形成しており、それまでの兵庫湊に代わり日明貿易の中継港として隆盛、茶の湯などの文化を育てている。
摂津国の平野郷もまた征夷大将軍の坂上田村麻呂の子の坂上広野の子孫といわれる末吉氏を筆頭とする平野七名家を軸に町衆による自治都市として栄え、また摂津国の石山には法華信者との争いから京都を去った浄土真宗の蓮如が石山本願寺を建立した。一方、新たにこの地域で力を持ったのは細川氏の家臣、阿波国出身の三好氏であり、一時は将軍の後ろ盾となるほどの勢力を誇ったものの、三好長慶の死後はやはり家内の争いによって力を弱め、その後台頭してきた織田信長に屈服した。この地域における勢力を拡大する信長に対して浄土真宗の宗主であった顕如は全国の信徒に蜂起を呼びかけ、また自らも石山本願寺に篭って織田勢と対決した。この石山合戦は10年にも及ぶが、最終的には天正8年(1580年)に本願寺を明け渡すことで終結を迎えた。
信長の死後その領土を継承した豊臣秀吉は、石山本願寺の跡地に自らの居城となる大坂城の築城を開始した。この城は、淀川と大和川の河口であることに由来する地形を利用しており、城下町までも堀で囲って城の一部とする惣構の作りをした巨大なものであった。その無類の堅固さは大坂冬の陣で証明され結局この時、寄せ手は惣構内部に進入することができなかった。しかし、その後の夏の陣までの間に堀は埋め立てられて、城も機能を失い、この戦いによって豊臣氏は滅亡した。
江戸時代に入ると、大坂は全国の経済・商業の一大中心地として再び繁栄し、「天下の台所」と称された。全国からの航路が集まる大坂には、諸藩の蔵屋敷が立ち並び、また諸国からの物産の集積地でもあったためそれらを扱う淀屋など大商人も登場した。中でも年貢米の集積地であった堂島では、世界初の公設先物取引所たる「堂島米会所」が開かれ、中之島とともに大坂経済の中心となった。経済都市として熟成する環境の中で、様々な芸術も成長・発展を遂げた。上方文化の中心は次第に京から大坂へと移り、浮世絵草子の井原西鶴や劇作家の近松門左衛門といった文筆家、上田秋成・富永仲基らなど後世の歴史に名を残す多数の優秀な学者を輩出した。また同時代に興った植村文楽軒の芝居を起源とする文楽(大坂人形浄瑠璃芝居)は2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録されている。天保8年(1837年)には陽明学者で私塾洗心洞を構えていた大塩平八郎が窮民救済のため、大塩平八郎の乱を起こした。幕末、緒方洪庵が開いていた適塾からは福澤諭吉や大村益次郎、大鳥圭介など後の明治を代表する才覚を生み出した。なお、江戸時代に置かれた藩は幕府直轄として大坂城(摂津国)があり、高槻藩、麻田藩、河内国には丹南藩、狭山藩が、和泉国には伯太藩、岸和田藩があった。
明治初年の地方制度の変遷
慶応4年/明治元年1月22日(1868年2月15日)に明治政府は大坂鎮台を設置することを決めた。1月27日、大坂鎮台を大坂裁判所[注釈 1]に改称した。4月、大坂裁判所に町地を除く周辺部を管轄する司農局設置。5月2日、大阪府設置。5月19日、奈良県設置。6月8日、大阪府司農局が南北に分割。6月22日、堺県設置。明治2年1月20日(1869年2月30日)、北司農局を摂津県、南司農局を河内県に改称。5月10日、摂津県を豊崎県に改称。8月2日、豊崎県を兵庫県、河内県を堺県に編入合併。9月1日、旧豊崎県住吉郡・東成郡・西成郡を編入。12月26日、狭山藩を堺県に編入合併。明治3年2月27日(1870年3月28日)、堺県石川郡・錦部郡の一部を五條県に編入。明治4年7月14日(1871年8月29日)、廃藩置県。11月20日(12月31日)、高槻県、麻田県を大阪府に編入合併。旧豊崎県島上郡・島下郡・豊島郡・能勢郡を編入。明治4年11月22日(1872年1月2日)、岸和田県・伯太県・吉見県・丹南県と五條県の一部を堺県に編入合併。1876年(明治9年)4月18日、奈良県を堺県に編入合併。1881年(明治14年)2月7日、堺県を大阪府に編入合併。1887年(明治20年)11月4日、奈良県を再置。(1873年までの月日は旧暦、現奈良県地域については概略)
大阪府発足当時の管轄地域は、摂津国東成郡61村(大坂町奉行34村、大坂城代役知22村、京都所司代役知2村、小田原藩領5村)、西成郡132村(大坂町奉行117村、旗本領6村、田安徳川家領9村、閑院宮家領2村)、住吉郡37村(大坂町奉行17村、住吉大社領14村、小田原藩領8村)、河内国交野郡1村(加納藩預地)であった。
近現代以降
明治維新後は、首都機能が京都から東京へと移ったことや、蔵屋敷が不要になったことなどもあり、大阪は一時衰えを見せた。明治政府の藩債処分などの影響で大きな打撃を受けた大阪であったが、繊維関係を始めとする軽工業部門を中心に商工業が発展し、「東洋のマンチェスター」「東洋一の商工地」[17]と称せられ、現在も大企業として存続する企業が勃興しメセナが活発に行われた。この時代は「阪神間モダニズム」と呼ばれる。1925年(大正14年)には大阪市が周辺地域を合併して市域を拡大させ、当時関東大震災で打撃を受けた東京市を凌ぐ日本最大の人口を有する都市となった(大大阪時代)。
大阪は明治時代初期に大阪鎮台が設置、後に第4師団の編成地になるなど大日本帝国陸軍の一大拠点であった。 1932年(昭和7年)11月には府下および奈良県で陸軍特別大演習が行われ、昭和天皇が行幸。大本営は第4師団司令部に置かれ、御講評場は堺中学校に設けられた[18]。
第二次世界大戦が始まった直後の1942年(昭和17年)2月1日からは、早くも味噌と醤油が配給制となった。当初、大阪府では大阪市、布施市、豊中市、岸和田市、堺市、吹田市、池田市、守口町の7市1町が対象となり、1人当たり味噌は1日3.3匁、醤油は1ヶ月4.5合が割り当てられた[19]。同時期に衣料品も点数切符制になるなど対象品目と対象地域は拡大。市民は耐乏生活を強いられた。 戦争末期には、尼崎の機械工場、中央区の造幣局、中心地の商業地区、港湾施設への徹底的な爆撃(大阪大空襲)のため、都市は灰燼に帰した。また、この時期に空襲を避ける目的で府下に工場移転が行われ、それは戦後の衛星都市での産業の基盤になった。
1945年(昭和20年)9月18日、枕崎台風接近により高潮の被害。築港、港、大正、西淀、此花、西、城東、福島方面は湖と化した。浸水家屋約40000戸。罹災者約118000人などの被害[20]。また、1950年(昭和25年)1月30日にも暴風により、沿岸部で約350戸が浸水する被害を出している[21]。
戦後、高度経済成長期に入ると、阪神工業地帯内でも軽工業の比率が高かった大阪府下の経済は閉塞的な様相を見せるようになった。当時の花形産業だった重工業も、戦後の非武装化によって大阪砲兵工廠がなくなったことにより大打撃を受け(その補完機能としての中小企業は多く、それをルーツとする企業もまだ現在も残ってはいるが)、大阪府のような遠浅の海岸線では誘致および大型化が難しかったこと(その証拠に、阪神間など大型船の入りやすい箇所に多数、重工業は存在している)や公害対策でその他の土地に移転させたことも原因といわれている。
また、戦後の法整備から大阪独自の奉公人制度も衰退し、商業の軸足も東京へと移った。これにより、官には頼らないという土性骨(どしょうぼね、ド根性の意)により大阪文化を支えていた富裕層からの寄付が減少。貧弱な官主導のため、経済・文化力は低下した。これらに加え、1964年(昭和39年)に工場等制限法、1972年(昭和47年)に工業再配置促進法、1973年(昭和48年)に工場立地法といった、いわゆる工場三法が次々と制定された。さらに1966年(昭和41年)には中部圏開発整備法が制定され、製造業が近畿圏から中京圏へ流出するきっかけとなり、大阪にとって打撃となった。
1970年(昭和45年)3月15日〜9月13日、吹田市の千里丘陵で日本万国博覧会が開催された。アジア初開催となった1970年大阪万博は、およそ6,421万人の来場者を集め、当時最大規模の万博となった。会場跡地は現在万博記念公園として整備されている。
1987年(昭和62年)、北東縁部が関西文化学術研究都市に指定。1990年(平成2年)、鶴見緑地で国際花と緑の博覧会が開催された。
1994年、泉州沖に関西国際空港開港。世界初の完全人工島による海上空港となる。その後、2007年の2期島(第2滑走路)完成により、日本初の完全24時間空港となった。
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では、大阪市では震度4程度[注釈 2]で直接的な被害は少なかったが、豊中市などの地域では強い地震に見舞われ死者9名を出すなど、家屋への大きな被害が発生した。その他、ライフラインの途絶や交通機関の麻痺など少なからず影響を受けた。
1995年(平成7年)11月19日、日本初開催となる第7回APEC首脳会談が大阪市で開催。
1992年(平成4年)頃より、2008年夏季オリンピックを誘致する構想が持ち上がるも、2001年7月のIOC総会で落選(詳細)。
2002年にFIFAワールドカップの一部が長居スタジアムで開催された。開催試合はイングランド戦や決勝トーナメントを決めた日本戦ならびに準々決勝。
2007年には、大阪市の長居スタジアムで2007年世界陸上選手権が開催された。陸上競技としては最高峰の国際大会であり、参加国は延べ200ヶ国に達した。
2018年6月18日に大阪府北部地震が発生。大阪市北区茶屋町、高槻市、茨木市、枚方市、箕面市で震度6弱を観測した。大阪府下で震度6弱を観測する地震が発生したのは統計を取り始めてから初めてのことであった。
2018年11月24日(日本時間)、フランス・パリで開催されたBIE総会によって、2025年国際博覧会の大阪誘致が決定した。
2019年6月28日・29日、日本初開催となる第14回G20サミット(G20大阪サミット)が大阪市住之江区で開催された。日本の安倍首相を議長として、トランプ大統領(米)、プーチン大統領(露)、習近平国家主席(中)、メイ首相(英)、マクロン大統領(仏)、メルケル首相(独)などが一堂に来阪し、日本で行われた国際会議において、過去最大規模のものとなった。
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G20大阪サミット(大阪市住之江区)
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兵庫県 | 奈良県 | |||
大阪府 | ||||
和歌山県 |
注釈
- ^ 地方行政機関としての裁判所であり、司法権を行使する裁判所とは性格が異なる。詳細については「裁判所 (地方制度)」を参照。
- ^ 阪神・淡路大震災では、大阪管区気象台で観測された震度は4であったが、それは気象台が強固な上町台地に位置していたためで、大阪市内の大半の地域においては、実際の震度は現在の基準に換算すると5強相当(西淀川区など一部地域では震度6弱相当)であったとされている。
- ^ 借換債 にする。
- ^ 臨時財政対策債は、国が地方に交付する地方交付税の代替制度のこと。
- ^ 登記上の本店は長野県飯田市。
- ^ 登記上の本社は京都府綾部市。
- ^ 登記上の本店は岡山県倉敷市。
- ^ 2008年からは、日本での持株会社であるバイエル株式会社も大阪市に本社を移転した。
- ^ 登記上の本店は広島県広島市中区。
- ^ 本店は、東京都。
- ^ イオングループ。
- ^ 本店は、東京都江東区。
- ^ 国立大学法人大阪外国語大学の解散による権利義務の承継の形式がとられた。
- ^ 大阪府立大学と大阪市立大学の合併でなく、大学の新規開設にあたる。2022年4月1日に開学。
- ^ 正式には高野線の一部区間であるが、岸里玉出駅で運行が分断されていて、高野山方面への直通運転は配線上不能となっている。
- ^ 要人利用や大阪国際空港での整備目的での飛来、特殊なチャーター便などが該当する。
- ^ 関西国際空港の項目を参照のこと。
- ^ ただし、過去に日東航空が定期便を運航していた。
- ^ 近畿日本鉄道株式会社所有の4件(奈良県・大和文華館保管)を含む。
出典
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- ^ 2008年から大阪市北区に修士課程教授拠点を開設予定
- ^ 羽曳野市ホームページ
- ^ 国指定文化財等データベース 史跡名勝天然記念物:大阪府
- ^ 大阪府の重要文化財
- ^ 大阪府の重要文化財
- ^ 大阪の建物、歴史香る――登録有形文化財が最多(日経)
- ^ a b 大阪府府民文化部都市魅力創造局国際課
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