大阪市交通局20系電車 20系

大阪市交通局20系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 10:26 UTC 版)

20系

大阪市交通局20系電車
中央線20系電車(現行帯)
基本情報
製造所 近畿車輛
川崎重工業
日立製作所
東急車輛製造[注 1]
製造年 1984年 - 1989年
製造数 16編成96両(中央線0番台7編成42両・谷町線30番台9編成54両)
主要諸元
編成 6両編成(3M3T
最高運転速度 70 km/h(地下鉄線内)
95 km/h(近鉄線内)
起動加速度 2.5 km/h/s(地下鉄線内)
3.0 km/h/s(近鉄線内)
編成定員 820名(座席258名)
自重 31.0t(Tc車)
35.0t(M車)
23.5t(T車)
編成重量 190.5 t
編成長 112,600 mm
車体 アルミニウム合金
編成出力 140kw×4基×3両=1,680kW
制御方式 GTO素子VVVFインバータ制御(登場当初)
IGBT素子VVVFインバータ制御
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキ OEC-3(抑速ブレーキ付き)
保安装置 WS-ATC
備考 都市型ワンマン運転に対応
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1984年に中央線用2601F[注 2]が、1985年末に中央線用2602F - 2605Fが、1989年には中央線用2606F - 2607F、谷町線用初の冷房車となる2631F - 2639Fがいずれも6両編成(計96両)で製造された。投入線区ごとに0番台と30番台に区分されたが、近鉄乗入れ関係の設備の有無とラインカラーが異なる以外は基本的に同一設計であり[1]警笛の変更、行先表示器への英字表記追加やその設定器の変更[注 3]といった量産中に行われた数少ない仕様変更点[注 4]も全て、両番台車の同時期製造分に等しく適用されている。

車両価格は先行して製造した2601Fの場合、1編成(6両)で7億3,000万円であった[2]

製造メーカー等は以下のとおりである。

編成番号 竣工年月 メーカー 更新竣工 改造所 仕様 廃車 備考
2601F 1984年3月28日 近畿車輛
川崎重工業
2004年4月19日[3] 大阪車輌 1次車 2014年8月25日[4]
2602F 1985年10月17日 日立製作所 2005年11月7日[5] 2次車
2603F 1985年11月5日 2005年2月17日[3]
2604F 1985年11月25日 2004年8月27日[3]
2605F 1985年12月16日 2006年7月14日[6]
2606F 1989年6月15日[7] 2006年3月7日[5] 3次車
2607F 1989年6月29日[7] 2005年4月8日[5]
2631F 1989年5月25日[7] 2006年8月2日[6] 4次車 元谷町線
2632F 1989年5月26日[7] 2005年10月20日[5] 近畿車輛
2633F 1989年6月12日[7] 2005年7月11日[5]
2634F 1989年6月8日[7] 川崎重工業 2004年10月2日
2635F 1989年6月13日[7] 2004年7月20日
2636F 1989年6月27日[7] 2006年1月16日[5]
2637F 1989年6月20日[7] 東急車輛 2005年5月11日[5]
2638F 1989年6月26日[7] 2005年1月24日[3]
2639F 1989年6月30日[7] 2006年2月14日[5]

開発経緯

本系列開発の基礎となった、大阪市交通局におけるVVVF制御の実用化研究は、元々石油ショックをきっかけとする建設費高騰に抗するべく1979年3月に局内に設置された「地下鉄小型化調査委員会」における地下鉄車両の小型化研究を出発点としている。

後に7号線(長堀鶴見緑地線)向け70系8号線(今里筋線)向け80系として結実することになるこの研究の過程では、建設費高騰の最大の要因であるトンネル断面の縮小を目的として、車輪径や床面高さの縮小が重要課題として取り上げられた。これらの課題については、折からの半導体技術の進歩、特にインバータ装置の心臓部となる主回路のスイッチング素子とそのパターン制御に必要となるマイクロプロセッサの急速な進歩によって、解決の道が開かれた。

これらの技術革新により、従来は実用化が困難と見られていた、三相交流誘導電動機と小直径車輪を用いた駆動システムの実用化の目処が立った。

従来、三相交流誘導電動機は整流子を持たないため保守上問題となる摩耗部品が軸受に限られ、フラッシュオーバーの危険がなく軽量・コンパクトで高回転数化や大出力化が容易、しかも直流電動機を上回る再粘着特性が得られるという大きなメリットを備えていて、鉄道技術者からは「夢の電動機」とさえ呼ばれていた。

だがその反面、三相交流誘導電動機には一定周波数・一定電圧の下で一定回転数を保とうとする性質があり、起動トルクが小さいという問題があって長らく高速電気鉄道での利用は困難視されていた。この問題が、この時期になって実用段階に入りつつあった高速・高耐圧・大出力かつコンパクトなスイッチング素子と、これをプログラムに従って波形制御するマイクロプロセッサを組み合わせ、電圧型PWM制御によって可変電圧・可変周波数(Variable Voltage Variable Frequency:VVVF)制御を行うことで解決可能となったのである。しかも、この制御法により直流整流子電動機に近い、あるいはそれを上回る優れた出力・粘着特性を得ることさえも可能となった。

こうした周辺技術の進歩・成熟を踏まえ、高速電車用VVVF制御システムの開発が日立製作所三菱電機、それに東京芝浦電気(当時)といった有力電機メーカー各社を交えて開始された。この制御システムについては大阪市交通局と同時期に日本国有鉄道近畿日本鉄道東京急行電鉄などが、それぞれの取引先である電機メーカー各社と共同で大規模な研究開発を実施していたが、直流1500Vの下での高速電車への適用にフォーカスしていた各社とは異なり、大阪市交通局のプロジェクトは低床のミニ地下鉄での使用を前提としてコンパクトな機器開発を重視していた点で一線を画していた。

もっとも、ミニ地下鉄の技術的可能性を探るというその開発経緯ゆえに、大阪市ではVVVF制御そのものの開発とスイッチング素子の開発[注 5]が同時進行するという異例の事態となった。この点では単純に大形高速電車への適用に特化して研究を進められた他社とは状況が異なっており、これは後にVVVF制御車の営業運転開始時期で近鉄や東急の後塵を拝する一因となった。

この全く新しい制御システムの開発過程では、漏洩ノイズ等によるATSの軌道回路変電所などへの誘導障害を調べるため、営業線上での機器の車載運用試験を行う必要があった。そこで、当時3号線(四つ橋線)から5号線(千日前線)への転用の過程で余剰車が発生していた100形(2代)がそのテストベッドに選ばれ[注 6]、ミニ地下鉄を想定した低い床面高さに設けられた支持架に装架する形で試作機器を搭載して試験運転が実施された[注 7]

この試験運転では黎明期の低耐圧で動作の不安定なGTOサイリスタ素子を使用[注 8]していたこともあって素子破壊[8]が頻発しており、その開発は難航したという。もっとも、その後半は回路構成上の様々な対策や実装ノウハウの蓄積、それに何よりメーカー各社で量産がようやく軌道に乗り始めた2500V 2000A級GTOサイリスタ素子そのものの動作安定性および生産歩留まりの向上により、飛躍的に信頼性や動作安定性が向上して順調にテストメニューを消化しており、この一連の試験結果はミニ地下鉄実用化に当たっての技術的な裏付けとなり、また20系の搭載機器設計に貴重なデータを提供することともなった。

こうした技術開発の成果を受け、量産先行試作車としてメーカー各社が分担して製造した20系第1編成は1984年3月に竣工[注 9]した。これは日本初のVVVF制御による誘導電動機搭載鉄道車両となった熊本市交通局8200形電車[注 10]に続くものであり、したがって高速電気鉄道用として完成したものとしては日本初のVVVF制御車となっている。

車体

冷房装置(新20系の同一品)

10系と同様に側窓として2段上昇窓を備える切妻構造のアルミ合金製車体である。

アルミニウム合金の製作方法の発展によって、外板と骨組みが一体となった大形押出形材を組み合わせて屋根や側構体を製作し、これらを自動溶接により接合することで省力化を実現している[9]。床構体は中空構造のアルミ押出形材を組み合わせたもので、構体の横梁は省略されており、中空形材には一体成形されたカーテンレール状の機器のつり溝があり、特殊ボルトを介して床下機器を吊り下げている[9]。このことは、機器吊り用の梁に左右されることなく、柔軟に機器の配置ができる構造である[9]。さらに、中空形材内部を電線ダクトとして使用しており、電線ダクトの削減など合理的な構造となる[9]

また従来よりも105mm薄くなった新型冷房装置の開発によって当時の10系では1段低くなっていた両端部分の天井が他と同一平面とされ、冷房の吹き出し口も通常のスリット型となるなど内装もより洗練されたものとなっており、開発時期の相違を反映して10系より一歩進んだ設計[注 11]となっている。

前面は10系と同様に周縁部に枠状のFRP製縁飾りを取り付けたいわゆる額縁スタイルであるが、ガラス窓が10系と異なり上辺が屋根との接合部まで届かず本来の窓枠上部に設けられた方向幕の部分で止められ、その代わりに窓周辺をブラックで塗装する当時流行のスタイルが取り入れられている。このため、前照灯と標識灯は前面窓上部の妻板左右に各1灯ずつ角形灯具を左右に並べて一体化したユニットを振り分けて埋め込まれており、10系に近いながらも固有性の高いデザインとなっている。

冷房装置は10系での実績を基に開発された新型の超薄型冷房装置である三菱電機CU-74C[10]および東芝RPU-4410[注 12]を搭載する。開発当時の技術で極限に近い薄型化を実現していた10系用冷房装置[注 13]であったが、その後の技術の進歩、特にスクロール型コンプレッサーの実用化によってより一層の薄型化が可能となり、20系開発に合わせて厚さ300mmと従来比約74%として実用化が図られた[10][注 14]。外観上は屋根高さなどほとんど変化しておらず、薄型化の恩恵は全て客室内の天井高さ引き上げに振り向けられており、10系で圧迫感を与えていた車内両端部の冷房装置の露出部がなくなって通常部分と同じルーバーが設置されている。

主要機器

集電装置付きDS-20形台車(新20系の同一品)

本系列は、日本の高速電車におけるVVVF制御技術開発の揺籃の一つとなった点で特筆される。

20系の段階では、GTOインバータの容量[注 15]などの制約から、1台の制御装置で2基の主電動機を制御する1C2M構成のものを2セット搭載している。

制御装置は、東芝(BS-1408-A・-B)・日立製作所(同じ電動車にはVF-HR-103Aと103Bを合わせて「VF-HR-103」と呼ぶ)・三菱電機(第1編成の2301にはSIV-V564-M-1と-2、他不明)製。第1編成(2601F)には、3両の電動車の電装品を東芝(2101)・日立(2201)・三菱(2301)の3社がそれぞれ1両ずつ分担して担当するなど試作要素が多く見られ、各社が量産に必要なデータを収集するための量産先行試作車的な性質の強いものであった。なお、電装品のメーカーは、2601F以外については編成内で1社に統一されている[注 16]

主電動機は、VVVF制御のため、従来の10系までと比較して整流子が不要となり、主電動機容積に余裕が生まれて磁気回路の容量が増強され、10系の東芝SE-617Aと比較して10kW増の端子電圧550V時1時間定格出力140kW/1600rpmが実現された。また、製造メーカーはこれまで東芝の1社指名であったものが、制御器の製造に参加する3社全てから供給される[注 17]ように改められており、このため東芝SEA-309、日立HS-34529-02RB、三菱MB-5012-Aと3種の4極自己通風式三相かご形誘導電動機が採用されている。

台車は、10系用インダイレクトマウント・ノースイングハンガー・軸ばね式空気ばね台車であるDS-10[注 18]とほぼ同仕様のDS-20[注 19]が採用されている。また、車輪内周部に異種金属による防音リングを圧入してきしり音の低減を図った、防音波打車輪を装着する。集電装置は10系と同様に離線等による回生失効を防止する目的で、隣接する2両の電動車の内一方(Ma車)の全台車ともう一方(Mb車)のMa車寄り台車の合計左右3カ所ずつに設置されている[注 20]。ただしMa車とユニットを組まないMb車は隣接する制御車寄りに設置するためその制御車も全台車が集電装置[注 21]を設置し、編成全体では左右各6か所となる。

ブレーキ装置は、10系に準じた全電気指令式であるが、小改良が施され形式に変更が生じた(OEC-3)。

改造工事

2000年からは車椅子スペースの設置が、2002年からは側面行先表示器と車内案内表示装置の設置が開始された[11]

中央線に配属された車両のうち、2601Fと2602Fは、車体側面全体に沿線の観光地である海遊館ジンベイザメなどを描いたラッピングフィルムが施された。この2編成はラッピングフィルムが剥がされたあとに側面行先表示器が取り付けられた。

ワンマン・高速化改造

2006年3月27日近鉄けいはんな線生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間開業時の同線における最高速度の向上に合わせて、2004年に第1編成の制御素子がGTOサイリスタ素子から日立製IGBT素子ASSY交換され、他の編成も順次交換された[注 22]

30番台車は、この近鉄けいはんな線延伸開業の際に、全編成が車両番号の変更を実施せずに谷町線から中央線に転用され、代わりに24系9編成が谷町線へ転用された[注 23]。これは、20系がちょうど主要機器の更新時期を迎えていたため、近鉄線内での95km/h運転やワンマン運転への対応改造を同時に行うことにより効率化を図ったものである[12]

2006年までに全編成の制御装置の改造工事が完了し、けいはんな線内での最高速度は70km/hから95km/h、起動加速度は2.5km/h/sから3.0km/h/sにそれぞれ変更された。また、けいはんな線延伸開業時に近鉄線内でのワンマン運転が開始され、それに対応した機器が設置されている。

廃車

第1編成の2601Fは2014年8月21日の朝ラッシュ時の運用を最後に営業運転を終了し、同月25日付けで廃車となった[13]。営業運転終了に際して、7月23日から「さよなら20-01編成 たくさんのご乗車ありがとうございました」と書かれた、20系のイラストの中に大阪城と海遊館も描かれたヘッドマークが掲出されていた[14][注 24]。01編成と入れ替わる形で、23系06編成が2013年3月ダイヤ改正で運用が削減されていた四つ橋線から中央線に転属し、24系第56編成となった。

残る15編成についても、2022年7月より導入の新型車両30000A系及び2023年6月より導入の400系に順次置き換えられ[15]、2023年度中に定期運行から撤退する予定である[16]


注釈

  1. ^ a b c d e f g 鉄道車両事業は2012年4月に総合車両製作所(旧社名・新東急車輛)に継承。
  2. ^ FはFormationの略記号で、「編成」を示す。
  3. ^ 表示幕の設定器は第1 - 第5編成はダイヤル式、第6・第7編成と30番台車は押しボタン式である。
  4. ^ この仕様変更は1989年製造分で実施した。第6・第7編成と30番台全車が該当。
  5. ^ そのため、スイッチング素子は他社が寸法よりも素子としての安定度や成熟度を買って、10系の電機子チョッパ制御器でも採用されていた逆導通サイリスタ素子を選択したのに対し、当時実用化に向けた開発が進みつつあったGTOサイリスタが何よりそのコンパクトさを買われて当初より採用されていた。
  6. ^ 106・107の2両。このうち106がVVVF制御車に改造され、107は異常発生時の牽引役として抵抗制御車のままとされた。
  7. ^ 1981年7月より1982年3月にかけて実施。
  8. ^ この100系試験車で採用されたGTOサイリスタ使用のVVVFインバータは世界で初めてのものとなった(鉄道ファン 1988年11月号 特集「最新ハイテク電車のトレンド」記事)。
  9. ^ 営業運転開始は同年12月24日(運転開始日の出典:吉谷和典『【復刻版】私鉄の車両16 大阪市交通局』ネコ・パブリッシング、2002年、P8 ISBN 4-873-66299-0)で、9か月間に渡って入念な試験を繰り返し行って実用に必要なデータの収集が行われている。もっとも、これにより営業運転において後発の東急6000系改造車近鉄1250系(その後の1251系→現・1420系)に先を越される結果となった。
  10. ^ 低出力かつ低速な路面電車であり、小出力であったことから逆導通(RCT)サイリスタが主回路のスイッチング素子として採用され、しかも軌道回路による保安システムが存在しなかったことから、誘導障害やノイズ漏洩による周囲への影響などの確認すべき項目が少なかったために実用化で先行した。
  11. ^ これらの改良は以後に製造された10系増備車の車体にも反映されている。
  12. ^ 冷凍能力はいずれも1基あたり20,000kcal/h(23.2kW)。
  13. ^ 三菱電機CU-74・74A、および東芝RPU-6001・6001A。
  14. ^ その後、長堀鶴見緑地線用70系のために開発された三菱電機CU-741および東芝RPU-3061が厚さ240mmを実現しているが、これは冷凍能力12,500kcal/hと車体サイズに合わせて能力も縮小されている。
  15. ^ 前述の通り開発当時最新の2500V・2000A耐圧の素子が採用された。
  16. ^ このうち制御装置については第2・第3編成と第37 - 第39編成が日立製作所、第4編成と第34 - 第36編成が三菱電機、第5 - 第7編成と第31 - 第33編成が東芝で統一された。
  17. ^ ただし、制御器と主電動機が同じメーカーであるとは限らず、編成単位で別メーカー製同士が組み合わされるケースが少なからず存在している。
  18. ^ メーカー形式FS386・386AあるいはFS086・086A。全て住友金属工業製である。
  19. ^ メーカー形式FS386AあるいはFS086A。
  20. ^ 2200形・2300形のユニットが該当
  21. ^ 2600形・2100形のユニットが該当
  22. ^ ただし、IGBT素子のものに交換された制御装置は1両に2台ある装置中、片側1台のみであり、残り1台は交換されずに使用停止のうえGTO素子時代のもののままで残されている。
  23. ^ 20系だけでは所要数を充足できなかったため、不足分を補うべく24系も第1編成から第4編成までについて、主制御器などの設定を変更し、加速度と最高速度を引き上げて、改造後の20系と同等の走行性能としたうえで継続使用となった。また、この転用に伴う車両番号の変更はないが、0番台と30番台で運用路線や仕様の差はなくなった。
  24. ^ 最終運用はコスモスクエア駅9時30分発、森ノ宮行きで、最終運用列車については事前に大阪市交通局の公式Facebookで告知されていた。なお、ヘッドマークは2601号車が青色、2901号車は緑色で、描かれた車番は掲出した車両に合わせられたほか、行先表示幕については2601号車が「大阪港」、2901号車が「森ノ宮」で、「さよなら20-01編成」のメッセージと車両イラストの位置関係も2601号車と2901号車でそれぞれ異なるものであった。
  25. ^ 23系は2800形を除く。
  26. ^ 21系は2500形増結中間車のみ。
  27. ^ 21系は2500形を除く。
  28. ^ a b c d e f 鉄道車両事業はアルナ車両に継承された。
  29. ^ 30000系では法規上の正式な形式称号も5桁となっているが、千の位を0として届け出ており、実車では投入する路線の番号を入れて付番している。
  30. ^ この車体構造は1985年に国鉄が205系の開発を開始する際に、当時独自に有限要素法を用いた軽量構造ステンレス車体設計技術を開発・独占していた東急車輛製造(鉄道車両事業は2012年4月に総合車両製作所(旧社名・新東急車輛)に継承)に対してその技術を他社に対して公開することを量産設計への採用の条件として強く要求し、さらに公開しなかった場合に「大変なことになる」と何らかの制裁を科す姿勢をとったことから、同社が渋々ながらこれに応じたことで急速に普及した。公営企業の場合は原則的には資材調達を入札による必要があり、そのため大阪市交通局でも入札各社で同様に製造可能な設計でなければならず、その意味では製造コストが低廉でアルミ製車体に匹敵する軽量性も維持されるメリットのあるこの工法の公開は、高価なVVVF制御器を搭載し予算面の事情で定数充足が困難であった20系増備車の大量増備にあたって大きな追い風となった。
  31. ^ ただし、各車ともアルミ製の20系より約1tずつ重くなっている。また、必要に応じてスポット溶接と連続溶接を選択可能なアルミ合金製車体と比較した場合、ひずみの問題などからスポット溶接が必須であった(現在はレーザー溶接の実用化で連続溶接も可能となっている)ステンレス車体では、どうしても車体そのものの剛性で見劣りすることになった。
  32. ^ 灯具の配置そのものは10系や20系と変わりなく、グローブ取付の分、車内の照度は低下している。
  33. ^ この段階では既に2500V 3300A耐圧の素子が量産されており、これが採用された。当時既に4500V耐圧の素子も実用段階にあったが、架線電圧750Vの大阪市交の第三軌条集電を行う各線では過剰装備であり、採用されていない。
  34. ^ 制御器そのものは他線区用と共通品であり、ハードウェア面での質的な変更はほとんどない。
  35. ^ 22系と23系、ニュートラム100A系、OTS系の1996年以降の新製車もこのドアである。
  36. ^ 後に追加された2800形を除く。
  37. ^ 元OTS系の22662Fと22663Fは新製当初から取付済み。ただし新製当初は全ての扉上部に設置されていた車内案内表示器は、転属時に千鳥配置に変更されている。
  38. ^ 転属に際しては、帯色が紫帯から青帯に変更され、号車ドア番号が逆になり、2~5号車の優先席も旧4番ドア(転用後では新1番ドア)付近から新4番ドア付近に変更された。また、23系では唯一の東急車輛製であるほか、23856は23系の2800形で唯一側扉が内側に帯状の金具の付いた単板ガラスのドアである。
  39. ^ 1996年度下半期製造の2800形のみ製造時から設置済み。
  40. ^ この時点で他の新20系や新60系の1・2次車の改造は完了していた。
  41. ^ 英文字が大小混じりのものになったほか、学研奈良登美ヶ丘行き、谷町四丁目行き、阿波座行きのコマが追加され、深江橋行きのコマは廃止された。
  42. ^ ドアガラスに貼られていた車椅子マークはリニューアル工事と同時、又はそれ以前に剥がされたのに対して、2014年にリニューアルされた24603Fについては2018年1月現在でも剥がされていない(前述の2017年3月にリニューアルされた、21系21609Fも同様)
  43. ^ 同時に中央線の大阪市交通局→Osaka Metroが保有する車両から室内灯にグローブが付いた車両が消滅した。
  44. ^ 本系列の投入直前まで千日前線には3世代前の50系が運用されており、2世代前の主力車である30系の投入開始は、御堂筋線への新21系投入で置き換えられた編成が中間車5両を抜き取られたうえで転用された1991年が最初で、本系列の第1陣の投入より後であった。
  45. ^ 本系列の新製投入による50系・30系の全面置き換えは、単に老朽車の置換えを意味するだけではなく、同時に千日前線の冷房化率および空気ばね台車装備率100パーセント達成をも意味するものでもあって、乗客にとっての恩恵は絶大であった
  46. ^ 第4・6・9・11・10編成に施工。なお第11編成以降に施工された車両は第9編成以前と比較してドアの緑の色が薄くなっている。
  47. ^ 第2・5・8 - 10編成に施工。
  48. ^ 第3・7 - 11・56編成に施工。
  49. ^ 第2・4編成に施工。谷町線転用後もデザインは変更なし
  50. ^ 21系は第2、7編成と第10編成以降に施工。この間に改造された編成には施工されていない。22系は第8編成以降に施工、23系は第8編成以降に施工
  51. ^ 先述の通り、谷町線転属の際に千鳥配置に変更されている。
  52. ^ 百の位は新20系と同車種を示し、表記上はOTSを省略してあった。なお、下二桁の車番が各車種で51・52と付番されたのは大阪市交通局在籍車との編成番号の干渉を防ぐためであり、これは大阪市交通局籍編入後も継承されている。

出典

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