大関 引退後

大関

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/16 03:43 UTC 版)

引退後

現役引退後、年寄として協会に残る場合は3年間、平年寄ではあるが委員待遇として扱われ、番付では「年寄」の上位に置かれる(序列は委員待遇の平年寄>持ち名跡で襲名した平年寄>借り名跡で襲名した平年寄)。また1997年5月1日以降は、年寄名跡を取得していなくても引退から3年間四股名のまま年寄として残ることができるようになった(この特典は、2007年5月場所前に引退から3年以内の玉ノ井部屋継承を予定していた栃東が初めて利用し、それから約7年後となる2014年3月場所中に琴欧洲が2例目として利用した)。

委員待遇の3年を経過すると主任になるか(貴ノ浪、栃東など。番付上は昇格となるが、収入は減る。ただし、短期間で委員に昇格する)、3年以内に審判委員に起用される(魁傑、武双山、出島、千代大海、魁皇など)ことがほとんどである。

なお、最高位が大関で引退後相撲協会にとどまらず即退職(廃業)した力士は、戦後では若羽黒朋明1965年1月場所限り)、琴光喜啓司2010年5月場所限り、大相撲野球賭博問題で解雇処分)、把瑠都凱斗2013年7月場所限り)がいる。[16]

代数

横綱のそれほど知られてはいないが、大関の地位でも江戸勧進相撲で初めて木版刷りの縦一枚番付が発行された1757年(宝暦7年)10月場所の東大関である雪見山堅太夫を初代、西大関の白川関右衛門を2代目として、昇進順に代数が与えられている。ちなみに最も新しく、2019年5月場所に新大関(予定)の貴景勝光信は249代大関となる。

しかし、この中には、後に横綱に昇進した者や、実際に相撲を取らなかった看板大関も含まれていて、一般にはあまり用いられない。元々相撲興行の中心は大坂・京都であり、宝暦7年以前の番付についても元禄年間の頃からの番付が写本や板番付の形で50場所分近く残されている。たとえば、両國梶之助 (初代)源氏山住右衛門谷風梶之助 (初代)丸山権太左衛門、阿蘇ヶ嶽桐右衛門、鞍馬山鬼市、相引浦之助など、宝暦7年以前にも大関は存在しているが、名大関と云われる彼らは歴代大関には含まれていない。

なお、大関が同時昇進した場合は、昇進場所でより上位だった力士を先代としている。前述の雪見山と白川の他、最初期は興行用の看板大関が東西に付け出されることが多かったが、すべて東方が先代、西方が次代となっている(ただし、番付で東方を上位とする認識が定着したのは後の時代のことである)。また、1人の力士が大関から陥落した後に再昇進した場合でも、代数を改めて与えられることは無く、あくまで再昇進という形で新大関の際に与えられた代数が採用される。

記録

大関在位記録

順位 四股名 在位数 在位期間 在位期間成績
1位 千代大海龍二 65場所 1999年(平成11年)3月場所-2009年(平成21年)11月場所↓ 515勝345敗115休 優勝2回
魁皇博之 2000年(平成12年)9月場所-2011年(平成23年)7月場所 524勝328敗119休 優勝4回
3位 貴ノ花利彰 50場所 1972年(昭和47年)11月場所-1981年(昭和56年)1月場所 422勝285敗49休 優勝2回
4位 琴欧洲勝紀 47場所 2006年(平成18年)1月場所-2013年(平成25年)11月場所↓ 378勝264敗63休 優勝1回
5位 北天佑勝彦 44場所 1983年(昭和58年)7月場所-1990年(平成2年)9月場所 378勝245敗29休 優勝2回
6位 小錦八十吉 (6代) 39場所 1987年(昭和62年)7月場所-1993年(平成5年)11月場所↓ 345勝197敗43休 優勝3回
7位 貴ノ浪貞博 37場所 1994年(平成6年)3月場所-1999年(平成11年)11月場所(35場所)↓ 340勝177敗8休 優勝2回
2000年(平成12年)3月場所-2000年(平成12年)5月場所(2場所)↓ 13勝17敗0休 優勝なし
8位 朝潮太郎 (4代) 36場所 1983年(昭和58年)5月場所-1989年(平成元年)3月場所 294勝203敗33休 優勝1回
9位 豊山勝男 34場所 1963年(昭和38年)3月場所-1968年(昭和43年)9月場所 301勝201敗8休 優勝なし
10位 琴櫻傑將 32場所 1967年(昭和42年)11月場所-1973年(昭和48年)1月場所↑ 287勝159敗34休 優勝4回
武蔵丸光洋 1994年(平成6年)3月場所-1999年(平成11年)5月場所↑ 353勝127敗0休 優勝5回
琴奨菊和弘 2011年(平成23年)11月場所-2017年(平成29年)1月場所↓ 256勝192敗32休 優勝1回
  • 在位期間の↓は関脇に陥落、↑は横綱に昇進。無印は大関の地位で引退。
  • 魁皇と琴欧洲は本場所開催が中止された2011年(平成23年)3月場所を数えない。また本場所ではないが公式記録が残される同年5月の技量審査場所は数える。
  • 貴ノ花には大関在位中に「貴乃花」等への改名歴がある。
  • 琴欧洲は大関在位中に「琴欧州」からの改名歴がある。
  • 貴ノ浪は在位35場所目の1999年(平成11年)11月場所で1度目の陥落、翌2000年(平成12年)1月場所に関脇で10勝を挙げ大関特例復帰を果たす。復帰後在位2場所目の2000年5月場所で2度目の陥落、大関在位合計は37場所。
  • 豊山の大関在位中と琴櫻の大関昇進時は当時「3場所連続負け越しで降格」でのもの。1969年(昭和44年)7月から現行制度。
  • 斜字の琴奨菊は2019年時点で関脇以下の地位で現役中。

短命大関

年6場所制以降は下記の通りである。横綱に昇進した力士の大関通過場所数についてはこちらを参照。

順位 四股名 在位数 在位期間 在位期間成績
1位 大受久晃 5場所 1973年(昭和48年)9月場所-1974年(昭和49年)5月場所↓ 30勝32敗13休
栃ノ心剛史 2018年(平成30年)7月場所-2019年(平成31年)3月場所↓ 29勝28敗18休
3位 増位山太志郎 7場所 1980年(昭和55年)3月場所-1981年(昭和56年)3月場所 44勝44敗7休
4位 雅山哲士 8場所 2000年(平成12年)7月場所-2001年(平成13年)9月場所↓ 57勝58敗5休
5位 魁傑將晃 9場所 1975年(昭和50年)3月場所-1975年(昭和50年)11月場所(5場所)↓ 43勝32敗0休
1977年(昭和52年)3月場所-1977年(昭和52年)9月場所(4場所)↓ 27勝33敗0休
6位 前の山太郎 10場所 1970年(昭和45年)9月場所-1972年(昭和47年)3月場所↓ 67勝56敗27休
7位 出島武春 12場所 1999年(平成11年)9月場所-2001年(平成13年)7月場所↓ 100勝71敗9休
8位 若羽黒朋明 13場所 1959年(昭和34年)11月場所-1961年(昭和36年)11月場所↓ 102勝78敗15休 優勝1回
9位 照ノ富士春雄 14場所 2015年(平成27年)7月場所-2017年(平成29年)9月場所↓ 96勝87敗27休
10位 把瑠都凱斗 15場所 2010年(平成22年)5月場所-2012年(平成24年)11月場所↓ 133勝69敗23休 優勝1回
  • 年6場所制の1958年(昭和33年)以降の記録(現役大関を除く)。それ以前では、五ツ嶋奈良男の2場所(12勝13敗5休、関脇陥落)が昭和以降での最短記録であった。
  • 在位期間の↓は関脇の地位に陥落。無印の増位山は大関の地位で引退。
  • 斜字の栃ノ心と照ノ富士は2019年時点で関脇以下の地位で現役中。
  • 魁傑は在位5場所目の1975年(昭和50年)11月場所で1度目の陥落。その後1977年(昭和52年)1月場所後に再昇進が決定。復帰後在位4場所目の1977年9月場所で2度目の陥落、大関在位合計は9場所。
  • 前の山には大関在位中に「前乃山」からの改名歴がある。
  • 若羽黒の昇進・在位中は当時「3場所連続負け越しで降格」でのもの。1969年(昭和44年)7月から現行制度。
  • 把瑠都は本場所開催が中止された2011年(平成23年)3月場所を数えず、又本場所ではないが公式記録が残された同年5月の技量審査場所は数える。

なお、「連続大関在位場所数」での見方をすれば、貴ノ浪・武双山・栃東の3人が、2場所で関脇陥落の最短記録を作っている。貴ノ浪は大関復活後に再陥落、武双山は陥落後直ぐに返り咲き、栃東は再大関で陥落するも直ぐ再々昇進を果たし、通算大関在位場所数ではそれぞれ貴ノ浪37場所、武双山27場所、栃東30場所(番付上は31場所)となっている。なお貴ノ浪は、連続大関在位場所数の長期(35場所)でも短期(2場所)でも、歴代ランキングに顔を出す珍記録も持っている。

その次に3場所で関脇陥落したのは三重ノ海だが、その関脇の地位で10勝を挙げ1場所で大関特例復帰を果たす。三重ノ海はその後大関通算在位21場所(降下直後の関脇も含めると合計22場所)で横綱昇進を果たしたが、大関転落者がのちに横綱となったのは三重ノ海ただ一人である。

大関(最高位)力士の通算幕内優勝回数記録

順位 四股名 優勝回数 大関在位中
1位 魁皇博之 5回 4回
2位 清水川元吉 3回 2回
小錦八十吉 3回
千代大海龍二 2回
栃東大裕 3回
6位 豊國福馬 2回 2回
増位山大志郎 1回
貴ノ花健士 2回
魁傑将晃 なし
琴風豪規 1回
若嶋津六夫 2回
北天佑勝彦 1回
貴ノ浪貞博 2回
  • 2019年(平成31年)現在
  • *は年6場所制定着以前の力士。また清水川には2回、豊國には1回、番付下位による優勝同点がある。

魁皇の幕内優勝5回は、最高位が大関以下の力士の中では史上1位である。なお一昔前であれば優勝を5回も経験すれば、皆全員横綱に昇進していた(中には照國北尾(のち双羽黒)など、優勝無しで横綱昇進した力士もいる)。しかし、当時の横綱昇進基準では「大関の地位で2場所連続優勝」が絶対条件だったため、魁皇は大関時代に連続優勝を果たせず、横綱にはなれなかった。

また若嶋津の優勝2回の内、1回は全勝優勝である。最高位大関以下の力士で全勝優勝を達成は、15日制のもとでは、他に時津山玉乃海(共に最高位は関脇)。

横綱に昇進した力士で大関以下での優勝が多かった力士は貴乃花で7回、うち5回が大関での優勝。他に武蔵丸が大関で5回優勝の最多タイ。彼ら以前では、玉錦が大関以下で5回、大関で4回の優勝、現在と番付編成の制度が違ったことなどにもよるが、大関で3連覇でも横綱を見送られるなど、約60年に渡って「大関以下」「大関」ともに最多記録保持者だった(大関での優勝については琴櫻に並ばれ、のちに3代若乃花と魁皇がこれに続く)。

同時最多在籍大関

6大関

2012年(平成24年)5月場所において、大相撲史上初めての6大関が在籍となる。四股名は開始場所時点のものである[17]

回数 開始場所 四股名(太字新昇進 最終場所 場所数 終了理由
1 2012年(平成24年)5月場所 鶴竜力三郎
稀勢の里寛
琴奨菊和弘
把瑠都凱斗
日馬富士公平
琴欧洲勝紀
2012年(平成24年)9月場所 3 日馬富士が横綱昇進

5大関

6大関に次ぐ5大関は、現在まで17例がある。四股名は開始場所時点のもの。

回数 開始場所 四股名(太字新下線再昇進 最終場所 場所数 終了理由
1 1947年(昭和22年)6月場所 汐ノ海忠夫
東富士謹一
佐賀ノ花勝巳
名寄岩静男
前田山英五郎
1947年(昭和22年)6月場所 1 前田山が横綱昇進
2 1961年(昭和36年)7月場所 北葉山英俊
大鵬幸喜
柏戸剛
若羽黒朋明
琴ヶ濱貞雄
1961年(昭和36年)9月場所 2 柏戸と大鵬が横綱同時昇進
3 1962年(昭和37年)7月場所 栃光正之
栃ノ海晃嘉
佐田の山晋松
北葉山英俊
琴ヶ濱貞雄
1962年(昭和37年)11月場所 3 琴ヶ濱が引退
4 1963年(昭和38年)3月場所 豊山勝男
栃光正之
栃ノ海晃嘉
佐田の山晋松
北葉山英俊
1964年(昭和39年)1月場所 6 栃ノ海が横綱昇進
5 1972年(昭和47年)11月場所 貴ノ花満
輪島大士
大麒麟將能
清國勝雄
琴櫻傑將
1973年(昭和48年)1月場所 2 琴櫻が横綱昇進
6 1977年(昭和52年)3月場所 若三杉壽人
魁傑將晃
旭國斗雄
三重ノ海剛司
貴ノ花健士
1977年(昭和52年)9月場所 4 魁傑が関脇再陥落
7 1983年(昭和58年)7月場所 北天佑勝彦
朝潮太郎 (4代)
若島津六男
隆の里俊英
琴風豪規
1983年(昭和58年)7月場所 1 隆の里が横綱昇進
8 1986年(昭和61年)1月場所 北尾光司
大乃国康
北天佑勝彦
朝潮太郎
若嶋津六夫
1986年(昭和61年)7月場所 4 北尾が横綱昇進
9 1986年(昭和61年)9月場所 北勝海信芳
大乃国康
北天佑勝彦
朝潮太郎
若嶋津六夫
1987年(昭和62年)5月場所 5 北勝海が横綱昇進
10 1987年(昭和62年)7月場所 小錦八十吉
大乃国康
北天佑勝彦
朝潮太郎
若嶋津六夫
1987年(昭和62年)7月場所 1 若嶋津が引退
11 2000年(平成12年)11月場所 武双山正士
魁皇博之
雅山哲士
出島武春
千代大海龍二
2001年(平成13年)7月場所 5 出島が関脇陥落
12 2002年(平成14年)9月場所 朝青龍明徳
栃東大裕
武双山正士
魁皇博之
千代大海龍二
2003年(平成15年)1月場所 3 朝青龍が横綱昇進
13 2006年(平成18年)5月場所 白鵬翔
琴欧州勝紀
栃東大裕
魁皇博之
千代大海龍二
2007年(平成19年)5月場所
(相撲番付上)
6(7) 栃東が場所前に引退
白鵬が横綱昇進
14 2009年(平成21年)1月場所 日馬富士公平
琴光喜啓司
琴欧洲勝紀
魁皇博之
千代大海龍二
2009年(平成21年)11月場所 6 千代大海が関脇陥落
15 2010年(平成22年)5月場所 把瑠都凱斗
日馬富士公平
琴光喜啓司
琴欧洲勝紀
魁皇博之
2010年(平成22年)7月場所
(相撲番付上)
1(2) 琴光喜が場所前に解雇
16 2012年(平成24年)1月場所 稀勢の里寛
琴奨菊和弘
把瑠都凱斗
日馬富士公平
琴欧洲勝紀
2012年(平成24年)3月場所 2 鶴竜が大関昇進
17 2012年(平成24年)11月場所 鶴竜力三郎
稀勢の里寛
琴奨菊和弘
把瑠都凱斗
琴欧洲勝紀
2012年(平成24年)11月場所 1 把瑠都が関脇陥落
  • 大坂相撲では1896年(明治29年)9月場所で5大関のいる番付がつくられている。(八陣平野川釈迦ヶ嶽嵐山、緋縅)運営をめぐる対立から大坂相撲協会を離れて独自興行していた一派がこの場所から復帰、その体面を保つための措置で一場所限りで解消された。また1901年(明治34年)5月場所では1横綱5大関が出現している。(横綱八陣、大関秀の海若嶋、平野川、琴の浦一の濱
  • 1947年(昭和22年)6月場所、汐ノ海の昇進で、前田山、名寄岩、佐賀ノ花、東富士とともに、現在の大相撲で初めての5大関が実現した。小結で8勝2敗、関脇で11勝2敗と続けての昇進だったので、甘い昇進だったとは言えないが、過去の例に倣えば関脇に据え置かれたと思われる。優勝決定戦三賞制度等が導入された場所でもあり、戦後の荒廃期にどうにか客を呼ぼうとした興行政策であった一面は否めない。
  • 3例目の栃ノ海と栃光、5例目の輪島と貴ノ花、6例目の若三杉と魁傑(再)は同時昇進。
  • 4例目は大関が同じ顔ぶれで5人番付に載った期間が昭和時代で最も長い6場所。
  • 6例目の魁傑と11例目の武双山は関脇陥落後の再昇進。
  • 8、9、10例目は連続しており、1986年(昭和61年)1月場所から1987年(昭和62年)7月場所まで若嶋津、朝潮、北天佑、大乃国、北尾、北勝海、小錦という7人によって、10場所にわたって5大関時代が続いた。この間、「6大関」が誕生する可能性もあったが、北勝海(昇進前は保志)が大関になると同時に北尾が横綱へ(横綱昇進後は双羽黒)、小錦が大関になると同時に北勝海が横綱へ、というように、結果的にところてん式の同時昇進が続いたこともあって「6大関」は実現しなかった。ここに名を連ねた7人のうち3人が横綱に昇進、残る4人も大関在位中に優勝を経験し、横綱寸前まで行った力士である(ただし、5大関時代には引退間近で、成績が芳しくなかった力士もいる)。「大関の大安売り」と揶揄されることも多い5大関時代ではあるが、この7人はいずれも大関の名にふさわしい成績を残している。
  • 13例目は番付上は大関が同じ顔ぶれで5人番付に載った期間が最も長い7場所であるが栃東が番付発表後、本場所開催前に引退したため、実質的には6場所。
  • 15例目は琴光喜が番付発表後、本場所開催前に野球賭博問題によって解雇されたため、実質的には1場所。
  • 16例目は史上初の6人目の大関昇進者により5大関状態が解消された。
  • 17例目は日馬富士の横綱昇進により、史上初の6大関状態から1人減り5大関状態となった。

大関以上(横綱・大関)の同時最多在位

2019年現在では、4横綱6大関の大関以上10人も前例に照らしてありえるが、これまでの最多は8人で4横綱4大関が2例、3横綱5大関が2例となっている。

開始場所 横綱・四股名 大関・四股名 終了場所 場所数 終了理由
4横綱4大関* 1918年5月場所 鳳谷五郎
西ノ海嘉治郎 (2代)
大錦大五郎
栃木山守也
伊勢ノ濱慶太郎
朝潮太郎 (2代)
九州山十郎
千葉ヶ嵜俊治
1918年5月場所 1 西ノ海が引退
3横綱5大関 1987年7月場所 千代の富士貢
双羽黒光司
北勝海信芳
若嶋津六夫
朝潮太郎 (4代)
北天佑勝彦
大乃国康
小錦八十吉 (6代)
1987年7月場所 1 若嶋津が引退
4横綱4大関 1987年11月場所 千代の富士貢
双羽黒光司
北勝海信芳
大乃国康
朝潮太郎 (4代)
北天佑勝彦
小錦八十吉 (6代)
旭富士正也
1988年1月場所 1(2) * 双羽黒が廃業
3横綱5大関 2000年11月場所 曙太郎
貴乃花光司
武蔵丸光洋
千代大海龍二
出島武春
武双山正士
雅山哲士
魁皇博之
2001年1月場所 2 曙が引退
  • 太字・四股名は横綱・大関の新昇進、下線・四股名の武双山は大関再昇進。
  • 1918年当時は東西制の時代で、東方に3横綱(大錦・栃木山・西ノ海)1大関(九州山)、西方に1横綱(鳳)3大関(千葉ヶ嵜・伊勢ノ濱・朝潮)という編成だった。
  • 双羽黒は1987年の12月末に廃業した為、翌1988年1月場所の番付上は四股名が残ったのみで、実質的には1場所である。

一人大関

昭和以降で大関が一人だけ在位し、東西に揃わない状態だった例はこれまでに11例ある。

開始場所 開始場所前の動向 一人大関 最終場所 場所数 終了理由
1 1936年(昭和11年)5月場所 男女ノ川が横綱昇進 清水川元吉 1936年(昭和11年)5月場所 1 双葉山と鏡岩が同時昇進
2 1938年(昭和13年)1月場所 双葉山が横綱昇進
清水川が引退
鏡岩善四郎 1938年(昭和13年)5月場所 1 前田山が昇進*
3 1944年(昭和19年)5月場所 名寄岩が関脇陥落 前田山英五郎 1944年(昭和19年)10月場所 1 佐賀ノ花が昇進
4 1955年(昭和30年)1月場所 栃錦が横綱昇進 三根山隆司 1955年(昭和30年)5月場所 2 大内山が昇進
5 1955年(昭和30年)9月場所 三根山が関脇陥落 大内山平吉 1955年(昭和31年)9月場所 1 松登若ノ花が同時昇進
6 1959年(昭和34年)3月場所 朝汐が横綱昇進 琴ヶ濱貞雄 1959年(昭和34年)9月場所 4 若羽黒が昇進
7 1966年(昭和41年)7月場所 北葉山が引退 豊山勝男 1966年(昭和42年)7月場所 1 北の冨士が昇進
8 1975年(昭和50年)1月場所 大麒麟が引退 貴ノ花健士 1975年(昭和50年)1月場所 1 魁傑が昇進
9 1979年(昭和54年)11月場所 旭國が引退 貴ノ花利彰 1980年(昭和55年)1月場所 2 増位山が昇進
10 1981年(昭和56年)5月場所 増位山が引退 千代の富士貢 1981年(昭和56年)7月場所 2 千代の富士が横綱昇進
(大関空位)
11 1981年(昭和56年)11月場所 (大関空位)
琴風が昇進
琴風豪規 1982年(昭和57年)1月場所 2 隆の里が昇進

このうち4例目と5例目においては、横綱力士が大関の地位を兼ねる「横綱大関」も置かれず、厳密な意味での「一人大関」となった。

  • 前田山は小結から関脇を飛び越えて大関昇進。
  • 若ノ花は横綱昇進に合わせて若乃花に改名。
  • 朝汐は横綱昇進後に朝潮に改名。
  • 北の冨士は大関在位中北の富士に改名。
  • 貴ノ花は大関在位中貴乃花への改名がある。

大関空位(不在)

番付面で「横綱」の地位が現れて以降で、「大関空位(不在)」となったことが2例ある。

開始場所 開始場所前の動向 最終場所 場所数 終了理由
1 1904年(明治37年)1月場所 常陸山2代目梅ヶ谷が横綱同時昇進 1905年(明治38年)1月場所 3 国見山荒岩が同時昇進
2 1981年(昭和56年)9月場所 千代の富士が横綱昇進 1981年(昭和56年)9月場所 1 琴風が昇進
  • ただし、上記2例のどちらも横綱力士が大関の地位も兼ねる「横綱大関」が置かれたため、厳密な意味で「大関」の地位が番付から消えたことはこれまで皆無。

新大関の優勝

四股名 新大関場所 成 績 備 考
鳳谷五郎 1913年(大正2年)1月場所 7勝1分1預1休 1休は相手力士休場
栃木山守也 1917年(大正6年)5月場所 9勝1預(大潮 ()は優勝同点者(決定戦制度なし)
双葉山定次 1937年(昭和12年)1月場所 11戦全勝 当時は1場所11日制
千代の山雅信 1949年(昭和24年)10月場所 13勝2敗
若羽黒朋明 1959年(昭和34年)11月場所 13勝2敗
清國勝雄 1969年(昭和44年)7月場所 12勝3敗(○藤ノ川 ()は優勝決定戦
栃東大裕 2002年(平成14年)1月場所 13勝2敗(○千代大海 ()は優勝決定戦
白鵬翔 2006年(平成18年)5月場所 14勝1敗(○雅山 ()は優勝決定戦
  • ☆はのちに横綱。

昇進

大関同時昇進(昭和以降)

昇進場所 代位 四股名 代位 四股名
1937年1月場所 168代 双葉山定次 169代 鏡岩善四郎
1941年1月場所 172代 安藝ノ海節男 173代 五ツ嶋奈良男
1951年5月場所 181代 吉葉山潤之輔 182代 鏡里喜代治
1956年1月場所 186代 松登晟郎 187代 若ノ花勝治
1962年7月場所 195代 栃ノ海晃嘉 196代 栃光正之
1972年11月場所 204代 輪島大士 205代 貴ノ花満
1977年3月場所 208代 魁傑將晃 211代 若三杉壽人
1994年3月場所 228代 貴ノ浪貞博 229代 武蔵丸光洋
  • ☆はのちに横綱。斜字の魁傑は再昇進。
  • 若ノ花はのち初代若乃花に改名。
  • 若三杉はのち2代若乃花に改名。

横綱・大関の同時昇進(昭和以降)

昇進場所 横綱代位 横綱昇進者 大関代位 大関昇進者
1937年1月場所 34代 男女ノ川登三 168代 双葉山定次
169代 鏡岩善四郎
1942年1月場所 36代 羽黒山政司 174代 照國萬藏
1943年1月場所 37代 安藝ノ海節男 175代 名寄岩静男
38代 照國萬藏
1949年1月場所 44代 東富士欽壹 179代 増位山大志郎
1986年9月場所 60代 双羽黒光司 221代 北勝海信芳
1987年5月場所 61代 北勝海信芳 222代 小錦八十吉 (6代)
1987年11月場所 62代 大乃国康 223代 旭富士正也
1993年3月場所 64代 曙太郎 226代 貴ノ花光司
  • 貴ノ花はのち貴乃花に改名。



  1. ^ ただし、紫馬簾は関脇以下でも、横綱の太刀持ち・露払いを務める者は例外的に使用が可能。また、大関を陥落した者も引き続き使える。
  2. ^ 日本相撲協会寄附行為施行細則附属規定番附編成要領第12条
  3. ^ 日本相撲協会寄附行為施行細則附属規定番附編成要領第5条
  4. ^ 雅山の場合、所属する武蔵川部屋は当時横綱・武蔵丸、大関・出島と武双山がいた。この三力士と対戦しないことから、大関昇進を決める番付編成会議の段階では相当慎重な意見が出ていた。これまで唯一話し合いでは結論が出ず、多数決(賛成7名・反対3名)により大関昇進が決定した。
  5. ^ 大関昇進力士・昇進直前3場所の成績(大相撲海峡部屋)
  6. ^ 「相撲」2012年1月号
  7. ^ 稀勢の里が大関へ!基準満たさずとも大関昇進の裏事情(リアルライブ
  8. ^ 照ノ富士が白鵬自滅でたなぼたの優勝 またも“時期尚早”の大関誕生へ(リアルライブ)
  9. ^ 照ノ富士の大関昇進に賛否も関脇優勝なら「妥当」大相撲裏話(日刊スポーツ)2015年5月29日1時5分
  10. ^ ただし、北尾(東前頭筆頭・12勝(優勝次点)-西関脇・11勝-東関脇・12勝(次点))・朝潮(東前頭筆頭・9勝-西関脇・14勝(優勝同点)-東関脇・12勝(優勝次点))共に、直前3場所の成績は合計35勝。
  11. ^ 初代國技館完成後の東西制やそれ以前の東西対戦の時代には勝ち越せば番付が上がる体系ではなく、同じ側にいる他の力士との比較、あるいは東西を配置換えになる力士がいた場合はその力士の成績も加味して総合的に決めていた。
  12. ^ 日本相撲協会寄附行為施行細則附属規定番附編成要領第9条
  13. ^ 生き残りかける名2力士 幕内最下位・雅山と十両尻・高見盛
  14. ^ 照ノ富士の2018年5月場所は左膝の怪我により4日目から途中休場、11日目から再出場。
  15. ^ 幕下転落の照ノ富士が全休、6月に膝手術し現在入院 - 日刊スポーツ 2018年7月8日
  16. ^ 若羽黒は借金で年寄名跡を取得できず、琴光喜は野球賭博で解雇、エストニア出身の把瑠都は日本国籍を取得しなかったため。
  17. ^ 『相撲』2012年5月号37頁には「さすがに協会も『7大関』は作らないだろう」と記述されており、現在の感覚では番付編成上「大関は最多でも6人が限界」という見解が示されていると言える。





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