大谷石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 08:07 UTC 版)
年表
- 6-7世紀:切石積横穴式石室を持つ古墳に加工が容易な大谷石等が多く用いられる。
- 741年:現在の栃木県、下野国分寺・下野国分尼寺の礎石、地覆石、羽目石に使用される。
- 810年:大谷寺の本尊(大谷観音)は弘法大師自らが大谷石を彫り、完成させたとされる。
- 1922年:フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルに使用される。玄関部は現在、博物館明治村に保存されている[12]。
- 1932年:カトリック松が峰教会に使用される(現存する国内最大級の大谷石によるロマネスク・リヴァイヴァル建築[12])。
- 1944年:大谷石地下採掘場の広大な空間は、陸軍糧秣廠・被服廠の地下秘密倉庫に利用される。
- 1951年:坂倉準三設計の神奈川県立近代美術館に使用される。
- 1954年11月1日 -大谷町が属していた河内郡城山村が宇都宮市に編入され、宇都宮市の一部になる。
- 1969年:大谷石地下採掘場は年平均気温が8度前後であるため、政府米(古々米)の保管庫として利用される。
- 1979年:3月、大谷資料館がオープン。地下採掘場が公開される。
- 1989年:2月、宇都宮市大谷町坂本地区にあった昔の採掘場の跡地の地下空間が直径70m、深さ30mにわたり陥没[11]。周囲が住宅地であったことから、住民が避難する騒ぎとなった[11]。
- 2010年:6月、大谷石産業によって32年ぶりに新しい採掘場「石の里 希望」が作られた。宇都宮市も、市内において住宅に大谷石を使用した場合に費用を助成する制度を始めた。
- 2016年:日本地質学会により、栃木県の石に選ばれる[2]。
- 2018年:5月24日、「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」が日本遺産の認定を受ける[13]。
- ^ a b c 清木 2017, pp. 793–794.
- ^ a b c d e f g h i j k 清木 2017, p. 793.
- ^ a b c d “大谷石”. 宇都宮市公式Webサイト. 2018年3月31日閲覧。
- ^ 清木 2017, p. 794.
- ^ a b 清木 2017, p. 796.
- ^ 大谷石利用の歴史 栃木県教育委員会とちぎ ふるさと学習(2018年3月31日閲覧)
- ^ 山南石材店(2018年3月31日閲覧)
- ^ 「融通無碍 よみがえる大谷石」『日本経済新聞』朝刊2018年3月4日 NIKKEI The STYLE
- ^ 【大谷石ルネサンス】採掘跡 安全調査を徹底『読売新聞』地域ニュース・サイト(2013年11月4日)2018年3月31日閲覧
- ^ 清木 2017, p. 794, 797.
- ^ a b c “大谷の陥没事故から30年 採取場跡地を観測し対策 観光客は増加、用途も拡大”. 下野新聞 (2019年2月10日). 2020年10月23日閲覧。
- ^ a b 「とちぎの百様大図鑑」栃木県 2016年3月 P44
- ^ “「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」が日本遺産に認定されました”. 宇都宮ブランド. 宇都宮市教育委員会事務局文化課文化財保護グループ. 2020年10月23日閲覧。
- ^ a b 清木 2017, p. 795.
- ^ 清木 2017, pp. 795–796.
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