大日本帝国 国名

大日本帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 08:03 UTC 版)

国名

憲法原本での国名

経緯

ヤマト王権成立後、漢字文化が取り入れられると初め中国朝鮮側の呼称である「」を自国の表記として使用することが多かったが、やがて自国を「日本」、あるいは「倭」を「和」と表記することが増え、701年(大宝元年)の大宝律令では日本の国号が使用された[2]。「倭」や「日本」に「大」を冠する慣習は古代から国内向けの美称として存在するが、対外文書においては江戸時代末期(幕末)まで見られなかった[3]。「帝國」という文字そのものは代『文中子・問易』や日本書紀など古典にも散見される表現であったが、いずれも「徳をもって治める国」あるいは天皇の所在を意味する語であり、近代国家の語義としての国家の政体を表示するものではなかった。後者の語義としての「帝国」の語は江戸時代後期にオランダ語Keizerdomの翻訳のために採用された造語であり[注釈 1]、それ以前の時代に漢語として定着した言葉ではなかった[4]。国学系統では「皇国」という語が比較的早期から使われているものの「帝国」という語は幕末まで見られなかった[4]

対外的な国号に「大」を冠したり「帝國」を使用するようになったのはいずれも幕末のことであり、1854年(嘉永7年)にアメリカ合衆国と批准し、開国の皮切りとなった日米和親条約では、前文において「帝國日本」(英文ではEmpire of Japan)の国号が初めて使われた(各条文では「日本國 Japan」表記)[5]。そして1858年(安政5年)米国と調印した日米修好通商条約では、本文に「帝國大日本」の国号が使われた[6]ほか、脇坂中務大輔は肩書きを「大日本帝國外國事務老中」とした[7]万延元年遣米使節の正使新見正興、副使村垣範正、監察小栗忠順1860年(万延元年)、日米修好通商条約を批准した安政五年条約批准条約交換証書[8]上で、日本側を「大日本帝國 大君の全権」と記した。

このように、江戸幕府は開国後に「大日本帝國」の国号を使い始めたが、国号表記は条約によってまちまちであり「日ノ本」「日本」「日本國」「帝國日本」「帝國大日本」「日本帝國」「大日本皇御國」などの表記も使用され、一定しなかった[9][10]

明治天皇1868年1月3日慶応3年12月9日)、王政復古を宣言。1871年(明治4年)に鋳造された国璽には「大日本國璽」と刻まれ、1874年(明治7年)の改鋳に際しても印文は変更されず、今日に至るまで使用されている。1873年(明治6年)6月30日に在日本オランダ公使からの来翰文邦訳ですでに「大日本帝國天皇陛下ニ祝辞ヲ陳述ス(大日本帝国天皇陛下に祝辞を陳述す)」と記述され[11]、1889年(明治22年)2月11日には大日本帝国憲法(明治憲法、帝国憲法)が発布され、1890年(明治23年)11月29日、この憲法が施行されるにあたり大日本帝國という国名を称した。初め伊藤博文が明治天皇に提出した憲法案では日本帝國であったが、憲法案を審議する枢密院会議の席上、寺島宗則副議長が、皇室典範案に日本とあるので文体を統一するために憲法も日本に改めることを提案。これに対して憲法起草者の井上毅書記官長は、国名に大の字を冠するのは自ら尊大にする嫌いがあり、内外に発表する憲法に大の字を書くべきでないとして反対した。結局、枢密院議長であった伊藤博文の裁定により「日本帝國」に決められた[12]

大日本という表記は「オオヤマト」としては古来から用いられており、明治時代に国名として初めて使用されたという訳ではない。一方「帝國」は代の『文中子・問易』を初出とし「徳を以て治める国」とされた[13]。『日本書紀』にも「帝國」に「みかど」の訓を当てた用例があるが[14]、天皇の所在を意味する用語であり、今日の「帝国」とは必ずしも一致しなかった[15]。一方で、天皇が統治する国という意味で「皇国」「スメラミクニ」(皇御国)が使われていた。これらは政治や思想、主義、規模等に基づく「Empire」(帝国)とは本来一線を画していたが、幕末以降に欧米列強の影響を受け、日本側も"Empire"の訳語としての「帝国」を意識するようになった[4]

帝国憲法の半公式の英訳(伊東巳代治訳)では「Empire of Japan」と訳され「大」の意味合いはなかった。当時は国名へのこだわりがなく、帝国憲法と同時に制定された皇室典範では日本帝國大日本國と表記し、外交文書では日本日本國とも称しており、国内向けの公文書でも同様であった。その後、世界情勢の悪化などにより国名への面子に対するこだわりが表面化した1935年(昭和10年)7月、外務省は外交文書上「大日本帝國」に表記を統一することを決定した[16]国号を参照。

第二次世界大戦後、日本政府が1946年2月8日連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) に提出した憲法改正要綱では国名について「大日本帝國」と記載していたが、2月13日、GHQ/SCAP民政局長コートニー・ホイットニーにより憲法改正要綱の不受理通知とGHQ/SCAP草案が吉田茂外務大臣及び松本烝治国務大臣らに手交され、その草案の仮訳以降は国名は日本国と記載されるようになり、のち国号に関して1946年7月23日時点における第1次吉田内閣の公式見解として「従来現行憲法(当時は大日本帝国憲法下)においても特に我が国の国号を一定する意味で「大日本帝国」といふ名称が用ゐられたものとは考えていない」ものとされた[17]

その後1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法により日本は憲法上「日本国」の名称を用いることとなるが、現在においてなお日本の正式な名称を規定する法令等は存在せず、国号の呼称については慣習によるものとされている[18][19]

通称

日本水準原点標庫上部エンタブラチュアフリーズ部分に菊紋と共に右から「大日本帝國」と刻まれている。

通称では帝国と呼び、また皇国とも称した。日本海海戦での「皇國ノ興廢此ノ一戰ニ在リ(皇国の興廃此の一戦に在り)」が有名。日本や日本国は通称としてだけでなく公文書にも使用された。

現在「帝国」の文字が公的機関に記されているのは東京都千代田区に所在する日本水準原点標庫のみである。民間では帝国データバンク帝国劇場(通称「帝劇」)、帝国ホテル帝国書院、帝国制帽(現:テイボー)、帝国石油帝国酸素などがある。

2004年(平成16年)に東京地下鉄(東京メトロ)が運営を引き継いだかつての営団地下鉄も、運営者の正式名称は帝国の首都を意味する「帝都」を冠した帝都高速度交通営団であった。京王電鉄も社名変更前は「京王帝都電鉄」(大東急解体の際に旧京王電気軌道と旧小田急電鉄帝都線(帝都電鉄)だった路線を引き継ぎ設立したことによる名称)、警備会社ではテイケイが「帝国警備保障」、帝人が「帝国人造絹糸」などと、それぞれ「帝国」を冠していた。

東京大学京都大学などの帝国大学令に基づいて設立された大学は、現在においても旧帝大と呼ばれる。また、同様に「大日本」の文字が使用されている企業もある(例:大日本印刷大日本除虫菊)。


注釈

  1. ^ 1789年(寛政元年)刊行のヨーロッパ地誌『泰西輿地図説』(朽木昌綱)で、オランダ語「Keizerdom」の訳語として「帝國」が初めて登場した。1810年(文化7年)刊行の蘭和辞典『譯鍵』(藤林淳道)でも、「帝国」が訳語として採用された。

出典

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「大日本帝国憲法」
  2. ^ 前野みち子 2006, p. 27-28.
  3. ^ 前野みち子 2006, p. 28-30.
  4. ^ a b c 前野みち子 2006, p. 44.
  5. ^ 法令全書 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 法令全書 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 幕末将軍家の銀印見つかる 国家元首の意思示す” (日本語). 日本経済新聞 (2019年12月12日). 2018年8月20日閲覧。
  8. ^ 近代デジタルライブラリー - 万延元年遣米使節図録(田中一貞 編、1920年)[1]
  9. ^ 前野みち子 2006, p. 52.
  10. ^ 条約締結ノ手続、形式及其他ノ先例雑件 16.条約ニ於ケル本邦ノ国号ニ関スル件 - 外務省 アジア歴史史料センター
  11. ^ 国立公文書館アジア歴史資料センター「在本邦和蘭公使・領事来翰 自明治元年/(1)和蘭公使館来翰 和文」アーカイブされたコピー”. 2014年8月18日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年8月29日閲覧。[2]
  12. ^ 枢密院会議筆記明治21年(1888年)6月18日午後。
  13. ^ 「主義」の流布と中国的受容― 社会主義・共産主義・帝国主義を中心に - 陳力衛 『成城大學經濟研究』 (199), 31-58, 2013-01, NAID 110009577486
  14. ^ 『日本書紀』欽明天皇
  15. ^ 「帝国」言説と幕末日本 ―蘭学・儒学・水戸学そして幕末尊攘論― - 桐原健真
  16. ^ 外務省条約局作成(昭和11年5月)「我国国号問題二関スル資料」(外務省記録「条約ノ調印、批准、実施其他ノ先例雑件」所収)。外務省外交史料Q&A[3]「戦前の日本では、国号の英語標記を "Japan" から "Nippon" に変更しようとする動きがあったそうですが、このことに関する史料はありますか。」
  17. ^ 昭和21年7月23日提出『衆議院議員田中伊三次外一名提出憲法改正案に関する質問主意書に対する答弁書』。
  18. ^ 大辞林大日本帝国
  19. ^ 名古屋大学 前野みち子『言語文化研究叢書』 第5号(2006年3月)「日本像を探る」 国号に見る日本の自己意識
  20. ^ 旧都については旧皇室典範(昭和22年5月2日廃止)第11条では「卽位ノ禮及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」と規定され典憲の上で配慮されていた。この点につき伊藤博文「皇室典範義解」は「維新の後明治元年8月27日即位の礼を挙行せられ臣民再ひ祖宗の遺典を仰望することを得たり13年車駕京都に駐まる旧都の荒廃を嘆惜したまひ後の大礼を行ふ者は宜く此の地に於てすへしとの旨あり勅して宮闕を修理せしめたまへり本条に京都に於て即位の礼及大嘗祭を行ふことを定むるは大礼を重んし遺訓を恪み又本を忘れさるの意を明にするなり」と説明している。枢密院議長伊藤伯著「帝国憲法皇室典範義解」(国家学会刊行 明治22.6.1)P.157-158
  21. ^ 石村修、「憲法における領土」法制理論 39 pp.158-185, 2007-03. 新潟大学法学会 hdl:10191/6089, ISSN 0286-1577
  22. ^ 「植民地法制の形成-序説-」石村修(専修大学法科大学院 第6回東アジア法哲学会シンポジウム)[4]
  23. ^ 1924年に台湾で使用された地理教科書によれば「我が大日本帝国はアジア州の東部に位して、太平洋中に長くつづいている大小数千の島々と、朝鮮半島から成り立っています。島の主なものは本州、四国、九州、台湾、北海道本道、樺太です。全国の面積は4万三千余方里で凡そその三分の一は本州、三分の一は朝鮮、残り三分の一はその他の地方です」。韓炫精、「教科書における帝国の風景」『研究室紀要』2014年7月 40巻 p.203-217, ISSN 0285-7766, 東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室、脚注12・1方里≒15.423平方キロメートル。
  24. ^ 『海外各地在留本邦人人口表. 昭和6年10月1日現在』(者:外務省通商局第三課 [編]。出版者:外務省通商局)の『例言』(昭和7年12月に通商局第三課が記したもの)に「2. 本表ニハ海外在留本邦内地人ノ「国別人口」、「在外公館別男女人口」、「職業別人口」及「明治三十七年乃至昭和六年ニ於ケル比較数」ヲ集録シタリ 朝鮮人及台湾人ニ付テハ其ノ多数カ在外公館ニ対シ正規ノ登録ヲ為ササル為在留者ニ対スル正確ナル計数ヲ得難ク仍而本表ニハ現ニ登録済ミノ者の数ヲ掲ケタリ」と書かれている。『海外各地在留本邦人人口表. 昭和13年10月1日現在』(著者:外務省調査部第二課 [編]。出版者:外務省調査部)の『例言』(昭和14年10月に外務省調査部第二課が記したもの)にも「三、朝鮮人及台湾人ハ其ノ多数カ在外帝国公館ニ対シ正規ノ登録ヲ為ササル為メ在留者ニ対スル適確ナル計数ヲ得難ク本調書ニハ現ニ登録済ミノ者人口ノミ掲記セリ」と書かれている。
  25. ^ ただし満洲国には国籍法が存在しなかったため、法的な「満洲国民」は存在しなかった。満州国#国籍法の不存在を参照のこと。
  26. ^ この概念の先駆は辻清明である。第一論文「統治構造における割拠性の基因」の初出は『国家学会雑誌』58巻1号(昭和19年)、「新版・日本官僚制度の研究」1969年序ⅲ~ⅳページ。
  27. ^ 西本筆、「文部行政の歴史的研究序説」『北海道大学教育学部紀要』1990年2月 54巻 p.97-111(P.98), 北海道大學教育學部。
  28. ^ 辻の階統制と割拠性についての解説としては 小西徳慶、「日本におけるセクショナリズムと稟議制の源流-「日本社会」論を前提として-」『政經論叢』 2011年3月 79巻 3-4号 p.115-160 NAID 120005258999, 明治大学政治経済研究所。
  29. ^ 「戦前の統治構造における割拠性については改めて言及するまでもなかろう。明治22年の内閣官制、非連帯責任制の採用、統帥権の独立、枢密院・貴族院の存在等々、幾多の障壁が内閣の一体性の確保を阻害していた」大河内繁男、「統合調整機能の強化:総合管理庁講想と総務庁」『上智法學論集』 1985年 28巻 1-3号 p.133-154, NCID AN00115768, 上智大學法學會
  30. ^ 中曽根康弘、石原慎太郎共著『永遠なれ日本』(PHP研究所 2001年)p.115
  31. ^ 戦間期台湾地方選挙に関する考察 台湾研究フォーラム
  32. ^ Harrison, Mark (2000). The Economics of World War II: Six Great Powers in International Comparison. Cambridge University Press. p. 3. ISBN 9780521785037. https://books.google.com/books?id=ZgFu2p5uogwC 2016年10月2日閲覧。 
  33. ^ タクシーの謎・・・なぜ大手4社は「大日本帝国」?(裏読みWave) - 日本経済新聞電子版(2013年10月25日)
  34. ^ 外交史料 Q&A 昭和戦前期”. 2013年3月5日閲覧。
  35. ^ NHK NEWS WEB 『イースター島が日本に? 外交“公”文書が歴史を作る』(2018年4月26日)”. NHK (2018年4月26日). 2020年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月28日閲覧。






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