大島本 本文

大島本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/18 00:18 UTC 版)

本文

大島本は池田亀鑑以来、青表紙本としてきわめて定家本に近い本文を持つとして知られてきた。ただし初音帖のみ、別本系統であるとされてきた。詳しくは後述する通り、大島本の本文には全帖の大部分の頁にわたって大量の補訂作業の痕跡が存在している。

柏木花散里尊経閣文庫前田家本))および早蕨(保坂本)の3巻は、校異源氏物語及び源氏物語大成校異編において藤原定家自筆本が底本とされている。これらを、大島本を含む他の青表紙本系統の写本と比較する為に、掲出された異文の個数が少ない順番に並べると

  • 花散里: 大島本4 日大三条西家本18 横山本26 桃園文庫蔵二条為明筆本28
  • 柏木: 大島本141 日大三条西家本166 榊原家本171 横山本194 陽明文庫本196 肖柏本210
  • 早蕨: 大島本22 肖柏本44 日大三条西家本68 横山本71 御物本106 池田本107

となり、いずれの巻でもこの大島本は最も掲出される異文の少ない「定家本に近い」本文になっている[15]

また、若菜下巻で大島本を底本として源氏物語大成に採用されている諸写本、採用されていない諸写本の異文掲出数を少ない順に並べると、明融本106・肖柏本204・書陵部三条西家本232・大正大学本242・日大三条西家本306・正徹本333・横山本359・陽明文庫本378・榊原家本394・池田本453・玉里文庫本814・穂久邇文庫本828となり、定家自筆本を字形・字下げ等までそのまま書写したとされる明融本が異文数が最も少ない[16]

補訂前の元々の本文は、初音帖を除き大体において藤原定家の自筆本などに近い良質の青表紙本系統の本文と見られるが、定家自筆本と完全に一致するわけではなく、他の青表紙系統の写本に見られない独自の本文をとっていることもあり、その性格は再検討を要するとも言われている[17]

校訂

大島本に見られる校訂の量は、現存する写本の中でも最大級のものである。補訂に使用している墨は墨筆と朱筆とがあり、補訂の手法も見セケチ・抹消・訂正・補入・傍記などさまざま、抹消の手段も塗消(上から塗って消す)・削消(削って消す)など様々であり、一つの個所に何重にも補訂が加えられていることも少なくない。また筆跡も様々であり、直された本文の系統も河内本系統の本文に直していると見られるものと、青表紙本系統の本文に直していると見られるものとが含まれている。

これらのことから見て大島本の補訂作業は異なる時期の複数人によるものであると考えられている。藤本孝一は、当初書写された後、河内本等による何回かの校訂を受けた後、江戸時代になってから当時の流布本である青表紙本による校訂がなされたとしている[18]。これに対し、吉見正頼周辺による作業とする伊井春樹説がある[19]。また、佐々木孝浩もこれらの作業を吉見正頼の時代とする[2]

中には大島本の本文を「定家本ではない」との認識の元に「定家本ではこうなっている」という趣旨の傍記を行っているようにも見られる事例として、真木柱巻末近くの和歌において、本文に「沖津ふねよるべなみ路に」とあるところに朱で「定本波とあり」と傍記されている(定家本では「沖津船」ではなく「沖津波」である)箇所も存在する[20]

問題を指摘されている巻

桐壺・夢浮橋

補写である桐壺夢浮橋を、池田亀鑑校異源氏物語及び源氏物語大成校異編において底本に採用しなかった。その理由としては「補写である」という点のみを挙げていたため、この2帖の本文の質が他の巻とどのように異なるのかは必ずしも明らかでは無かった。

その後の校本も池田のこの判断に従う物が多かったが『新日本古典文学大系版源氏物語』では一揃いの写本としての一貫性を重視して桐壺と夢浮橋を底本として採用した。これに対して池田利夫は、大島本の補写ではない巻には現れない「平安時代には使用されない」とされる用例が桐壺と夢浮橋にのみ現れることなどから、「補写である桐壺と夢浮橋の2帖の本文の質はそれ以外の51帖の本文よりもかなり劣っていると考えざるを得ない」としてこの2帖を底本に採用した新日本古典文学大系の姿勢を批判している[注 7]

初音

大島本の初音帖の本文については池田亀鑑によって「青表紙本ではなく別本である」とされ、「源氏物語大成」の底本への採用を見送られた。その後の様々な校訂本においてもこの判断に従うものが多かったが、新日本古典文学大系では初音帖も底本に採用されている。

近年になり、池田は当初書かれた本文ではなく、補訂を受けた後の本文を元に本文の系統を別本であると判断したのではないかとするなど、疑問を示す見解が現れている[22]

手習

新潮日本古典集成版の源氏物語では、手習巻の本文については「青表紙本としては不純なところがある」として大島本を底本とはしていない。代わって静嘉堂文庫蔵伝二条為氏筆本(校異源氏物語及び源氏物語大成写本記号「二」として採用されているもの)を底本にしている[23]

柏木

定家自筆本の現存する柏木巻の巻末では、光源氏が本当は自分の子では無く柏木の子であるが表向きは自分の子である薫が自分に這い寄ってくる場面で、青表紙本では這い寄ってくる薫を見てどうしていいのか分からないという戸惑っている場面で終わっているのに対して、河内本やいくつかの別本ではその後に抱いてみると愛おしさがわいてきたという長文の異文が存在することが知られていた。

かつてこの大島本の本文は「他の青表紙本と同じ終わり方をしている」とされてきたが、近年になって大島本に対して詳細な調査が行われた際この部分の料紙に「切り取られて別の紙が継がれた痕跡」が存在することが明らかになった。この部分は当初は「河内本」型の本文であり青表紙本系統の写本には無い長文の異文が存在したが、その後に写本末尾が切り取られて現在のような「青表紙本」型の本文になったのでは無いかとも考えられる。

藤本孝一は、この点は定家本の変遷そのものを反映しているのであり、初期の定家本にはこの場所に現在の河内本やいくつかの別本と同じような長文の異文が存在したが、後に定家の判断によって削られたことにより、現在のいわゆる「青表紙本」ではこの部分が存在しないようになったのであり、大島本のこの部分には当初は初期の定家本の形態であったものが後の一般的な定家本に合わせるために「食い裂き」と呼ばれる方法で切除されたものであるとした[24]

二区分説

佐々木孝浩は、大島本の一部の巻にのみ見える「宮河」なる印の有無に注目し、「宮河」なる印の有無と綴穴の多寡・筆跡や紙の違いなどが相関性を有するとして、現存する大島本は、

のふたつに大きく分けることが出来るとし、現在の大島本は複数の祐筆によって飛鳥井雅康書写本「関屋」巻を含む諸本を書写したものであり、後にこれらを揃い本とした写本群であるという見解を提出した[2][25]

これに対して藤本孝一は、

  • 「宮河」なる印は押してある場所もばらばらで押してある数も1箇のものから3箇のものまで認められる。このように「気ままに押してある。」としか見えないものを基準にすることには問題がある。
  • 紙の質の異なり等は、その佐々木自身がわずかな時間観察しただけの印象を元に述べていることを認めており、詳細に調べた結果「宮河」なる印の有無に対応した「紙の質の異なり」は確認出来なかった。
  • 音便の使い方などといった本文の質についても、大島本がいくつかのグループに分かれるというような事実は確認出来ないという結論を出した研究がすでに存在する[26]
  • 筆跡の異なりについては「定家自筆本」の一部が「家中の少女を動員して書写させた」ために異なる筆跡のものが含まれるものも含めて「定家自筆本」とされているように、自分の指揮下にある複数の祐筆によって自分の目の届く範囲で書写が行われた場合でも「雅康筆」としてもおかしくないのが当時の常識である。

と反論した。両者の議論については#綴じ方も参照。

三条西家本との優劣

山岸徳平は、いわゆる『三条西家本』の本文のほうがこの大島本より良質の青表紙本系の本文であるとして、1958年(昭和33年)から岩波書店から出版された『日本古典文学大系』の源氏物語の底本には三条西家本を採用した。しかし後にこれを否定する理解が広まってゆき、三条西家本が底本として使用される事はあまりなくなっていった。たとえば1993年(平成5年)から同じ岩波書店から出版された『新日本古典文学大系』の源氏物語においては大島本を底本とした[27]


注釈

  1. ^ 「宮河」印を有する19 帖、他の34帖
  2. ^ 田中とみについては千利休の末裔である可能性を指摘されている[5]
  3. ^ ある古書店が付けた価格が400円であったのに対して、希望価格は一万円であった。
  4. ^ ただし十数帖は必ずしも大島本を優先しない。#各種校訂本での大島本の採用状況に後述。
  5. ^ 但しその後に見いだされた明融本にされているものもあると見られる。
  6. ^ 残りの5帖は、臨模本以外も含む明融本を使用している。
  7. ^ 平安時代には「みこ」なる言葉は天皇の子についてのみ用いられ、親王などそれ以外の貴人の子はあくまで「御こ」(おほむこ)と厳密に使い分けられている事を指摘[21]

出典

  1. ^ 佐々木孝浩「蔵書家大内政弘をめぐって」佐藤道生編『名だたる蔵書家、隠れた蔵書家』慶応義塾大学出版会、2010年(平成22年)11月、pp. 57-79。ISBN 978-4-7664-1764-7
  2. ^ a b c d e 佐々木孝浩「「大島本源氏物語」に関する書誌学的考察」「斯道文庫論集」第41輯(慶應義塾大学斯道文庫、2007年(平成19年)2月28日)pp.165-200、『大島本源氏物語の再検討』(和泉書院、2009年(平成21年)10月)ISBN 978-4757605299 所収。
  3. ^ 田坂憲二 「大島本源氏物語をめぐって -その伝来過程を中心に-」『香椎潟』第33号、福岡女子大学、1987年(昭和62年)9月25日、pp. 13-26。のち『源氏物語享受史論考』風間書房、2009年(平成21年)10月、pp. 484-505。ISBN 978-4-7599-1754-3、柳井滋「大島本『源氏物語』の書写と伝来」新日本古典文学大系『源氏物語』第1巻、解説、岩波書店、1993年(平成5年)、上原作和「青表紙本『源氏物語』原論 青表紙本系伝本の本文批判とその方法論的課題」王朝物語研究会編『論叢源氏物語 4 本文と表現』新典社、2002年(平成14年)5月、pp. 17-78。ISBN 4-7879-4923-3 のち『光源氏物語學藝史 右書左琴の思想』翰林書房、2005年(平成17年)5月、pp. 134-179。ISBN 978-4-87737-229-3
  4. ^ 上原作和「佐渡時代の大島本『源氏物語』と桃園文庫」『光源氏物語傳來史』武蔵野書院、2011年(平成23年)11月、pp…142-161、286‐312。ISBN 978-4-838-60256-8
  5. ^ 『源氏物語』の佐渡時代保有者は千利休の末裔か。物語研究会11月例会 佐渡の大島本『源氏物語』のことなど 坂口昭一・上原作和、上原作和「佐渡時代の大島本『源氏物語』と桃園文庫」『光源氏物語傳來史』武蔵野書院、2011年(平成23年)11月、pp…142-161、286‐312。ISBN 978-4-838-60256-8
  6. ^ 高木文「賜架書屋随筆」『書物展望』第5巻第8号(通号第50号)、書物展望社、1935年(昭和10年)8月、pp. 126-129。
  7. ^ 反町茂雄「源氏物語蒐集と池田亀鑑さんと」『定本 天理図書館の善本稀書 一古書肆の思い出』八木書店、1981年(昭和56年)7月、pp. 149-173。
  8. ^ 角田文衞「大島本源氏物語の由来」『古代文化』第44巻第5号、1992年(平成4年)5月。のち『影印本大島本源氏物語』の別巻解説 および『紫式部伝 その生涯と源氏物語』法藏館、2007年(平成19年)1月25日、pp. 591-598。ISBN 978-4-8318-7664-5 に収録。
  9. ^ 藤本孝一「大島本の名称」『日本の美術 第468号 「定家本源氏物語」冊子本の姿』至文堂、2005年(平成17年)4月、p.28。ISBN 978-4784334681
  10. ^ 鷺水庵より 『源氏物語』の古写本を調べる” (Japanese). 伊藤鉄也 (2007年11月3日). 2017年3月25日閲覧。
  11. ^ 阿部秋生「現時点における本文整定の問題」『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語をどう読むか』至文堂、1986年(昭和61年)4月5日、pp. 8-21。
  12. ^ 伊井春樹「保坂本と『源氏物語大成』の校異」『保坂本源氏物語 別冊2 保坂本源氏物語解題』1997年(平成9年)3月、p. 15。ISBN 978-4-273-02872-5
  13. ^ 土方洋一「源氏物語のテキスト研究」小森陽一編集『岩波講座 文学 〈1〉 テクストとは何か』岩波書店、2003年(平成15年)5月、pp. 165-188。ISBN 978-4-0001-1201-7
  14. ^ 「凡例Ⅲ」『源氏物語別本集成 第1巻』p. 6。
  15. ^ 渋谷栄一「縦長四半本・藤原定家筆「源氏物語」と大島本との関係について--大島本が定家筆本に最も近似する本文であることの再確認と問題点」高千穂大学高千穂学会編『高千穂論叢』第45巻第1号、高千穂大学高千穂学会、2010年(平成22年)5月、pp. 1-29。
  16. ^ 加藤洋介「大島本源氏物語の本文成立事情 大島本若菜下巻の本文状況 大島本をめぐる異同状況」中古文学会関西部会(編)『大島本源氏物語の再検討』(和泉書院、2009年(平成21年)10月)、pp. 182-184。ISBN 978-4757605299
  17. ^ 渋谷栄一「定家本「源氏物語」の生成過程について 桐壺を中心として」紫式部学会編『古代文学論叢15 源氏物語とその前後 研究と資料』武蔵野書院、1997年(平成9年)7月、pp. 165-197。ISBN 4-8386-0170-0
  18. ^ 藤本孝一「大島本源氏物語の写本学的研究 原本復元」中古文学会関西部会(編)『大島本源氏物語の再検討』和泉書院、2009年(平成21年)10月。ISBN 978-4-7576-0529-9
  19. ^ 伊井春樹「大島本源氏物語本文の意義と校訂方法」上原作和「研究史の総括と展望 〈戦国時代〉の『源氏物語』本文史研究」今西祐一郎,室伏信助 (監修)上原作和,陣野英則 (編集)『テーマで読む源氏物語論 2 本文史学の展開/言葉をめぐる精査』(勉誠出版、2008年(平成20年)6月12日)
  20. ^ 加藤昌嘉「本文研究と大島本に対する15の疑問」中古文学会関西部会(編)『大島本源氏物語の再検討』和泉書院、2009年(平成21年)10月。ISBN 978-4-7576-0529-9
  21. ^ 池田利夫「あとがき」『源氏物語回廊』笠間書院、2010年(平成22年)1月、pp. 1017-1020。ISBN 978-4-305-70495-5
  22. ^ 室伏信助「源氏物語の本文とはなにか -大島本「初音」巻をめぐって-」『源氏物語の鑑賞と基礎知識 18 初音』国文学解釈と鑑賞 別冊、2001年(平成13年)10月、至文堂、pp. 241-247。
  23. ^ 「凡例」石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語 8』新潮社、1985年(昭和60年)4月、p. 3。ISBN 978-4-10-620369-5
  24. ^ 藤本孝一「大島本源氏物語の写本学的研究 原本復元」中古文学会関西部会(編)『大島本源氏物語の再検討』和泉書院、2009年(平成21年)10月、pp. 1-49。ISBN 978-4-7576-0529-9
  25. ^ 佐々木孝浩「「大島本源氏物語」に関する書誌学的考察 再説」代表者(豊島秀範)國學院大學『源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究』第1号、2008年(平成20年)3月、pp. 65-78。
  26. ^ 根来司『源氏物語枕草子の国語学的研究』 有精堂、1977年(昭和52年)10月。
  27. ^ 室伏信助「大島本『源氏物語』採択の方法と意義」『新日本古典文学大系 19 源氏物語一』岩波書店、1993年(平成5年)1月、pp. 456-467。ISBN 4-00-240019-0
  28. ^ 今井源衛「『源氏のゆふだすき』と『源氏六十三首之歌』」『語文研究』第25号、九州大学国語国文学会、1973年(昭和48年)3月号。のち『王朝文学の研究』(角川書店、1970年(昭和45年)および『今井源衛著作集 4 源氏物語文献考』2003年(平成15年)9月、pp.302-313。ISBN 4-305-60083-8
  29. ^ 池田亀鑑編『源氏物語大成 研究編』中央公論社、1985年(昭和60年)10月、p. 124。
  30. ^ 藤本孝一「大島本源氏物語の写本学研究」中古文学会関西部会(編)『大島本源氏物語の再検討』(和泉書院、2009年(平成21年)10月)、pp. 1-49。ISBN 978-4-7576-0529-9
  31. ^ 池田亀鑑『源氏物語大成 研究編』中央公論社、1956年(昭和31年)、p. 221。
  32. ^ 大津有一「諸本解題 大島氏旧蔵冷泉為清筆源氏物語」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年)、p. 132。
  33. ^ 大津有一「諸本解題 大島氏旧蔵源氏物語」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年)、p. 131。
  34. ^ 池田亀鑑「重要諸本の解説 大島氏旧蔵小汀利得氏蔵花宴巻」『源氏物語大成 研究編』中央公論社、1956年(昭和31年)、p. 263。
  35. ^ 大津有一「諸本解題 小汀氏蔵伝耕雲筆花宴巻」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年)、p. 132。
  36. ^ 池田亀鑑「重要諸本の解説 大島氏旧蔵小汀利得氏蔵松風巻」『源氏物語大成 研究編』中央公論社、1956年(昭和31年)、p. 265。
  37. ^ 大津有一「諸本解題 小汀氏蔵伝為氏筆松風巻」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年)、p. 132。
  38. ^ 池田亀鑑「重要諸本の解説 大島氏旧蔵小汀利得氏蔵鈴虫巻」『源氏物語大成 研究編』中央公論社、1956年(昭和31年)、p. 265。
  39. ^ 大津有一「諸本解題 小汀氏蔵伝為氏筆鈴虫巻」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年)、p. 132。
  40. ^ 池田亀鑑「重要諸本の解説 大島氏旧蔵小汀利得氏蔵鈴虫巻」『源氏物語大成 研究編』中央公論社、1956年(昭和31年)、p. 263。
  41. ^ 大津有一「諸本解題 小汀氏蔵伝為相筆松風巻」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年)、p. 132。
  42. ^ 池田亀鑑「重要諸本の解説 大島氏旧蔵小汀利得氏蔵藤裏葉巻」『源氏物語大成 研究編』中央公論社、1956年(昭和31年)、p. 265。
  43. ^ 大津有一「諸本解題 小汀氏蔵伝為家筆藤裏葉巻」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年)、p. 132。
  44. ^ 池田亀鑑「重要諸本の解説 大島氏旧蔵小汀利得氏蔵柏木巻」『源氏物語大成 研究編』中央公論社、1956年(昭和31年)、p. 266。
  45. ^ 大津有一「諸本解題 小汀氏蔵伝為氏筆柏木巻」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年)、p. 132。
  46. ^ 池田亀鑑「重要諸本の解説 大島氏旧蔵小汀利得氏蔵紅葉賀巻」『源氏物語大成 研究編』中央公論社、1956年(昭和31年)、p. 263。
  47. ^ 大津有一「諸本解題 小汀氏蔵伝為氏筆紅葉賀巻」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年)、p. 132。
  48. ^ 池田亀鑑「重要諸本の解説 大島氏旧蔵伝西行筆竹河巻」『源氏物語大成 研究編』中央公論社、1956年(昭和31年)、p. 266。
  49. ^ 大津有一「諸本解題 大島氏旧蔵伝西行筆竹河巻」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年)、p. 131。
  50. ^ 池田亀鑑「重要諸本の解説 大島氏旧蔵小汀利得氏蔵夕霧巻」『源氏物語大成 研究編』中央公論社、1956年(昭和31年)、p. 266。
  51. ^ 大津有一「諸本解題 小汀氏蔵伝為家筆夕霧巻」池田亀鑑編『源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年)、p. 132。
  52. ^ 北川忠彦・西浦甲佐子翻刻「天理図書館蔵大島本平家物語巻十二」『ビブリア 天理図書館報』第79号、天理大学出版部、1982年(昭和57年)10月、pp. 84-117。
  53. ^ 久保木秀夫「『伊勢物語』大島本奥書再読」谷知子・田渕句美子編著『平安文学をいかに読み直すか』笠間書院、2012年(平成24年)10月25日、pp. 10-37。ISBN 978-4-3057-0678-2
  54. ^ 加藤昌嘉「源氏物語古系図の中の巣守」陣野英則・新美哲彦・横溝博編『平安文学の古注釈と受容 第二集』武蔵野書院、2009年(平成21年)10月、pp. 17-34。ISBN 978-4-8386-0237-7





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