大島本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/18 00:18 UTC 版)
- 源氏物語のきわめて著名な写本の1つ。青表紙本系統である。
- 上記の「大島本」を含む、大島雅太郎が旧蔵していた古典籍。#その他の「大島本」参照。
- 源氏物語の写本の1つで、河内本系統のものにも、特に大島本と呼ばれるものもある。上記の青表紙系統本との混同を避けるため、今日では普通大島河内本と呼ばれる。
本項では主に(1)について解説する。
概要
源氏物語の写本としての大島本は、ほぼ全巻が揃い、青表紙本系統の本文を持つ源氏物語の写本のうち、現存最善本と考えられている。現在出版されている『源氏物語』の学術的な校訂本は、ほとんどこの大島本を底本にしている。現在、公益財団法人古代学協会が所蔵している。
佐渡の旧家から昭和初期(1930年(昭和5年)から1931年(昭和6年)頃)に出現し、後に大島雅太郎が買い取って世に出たため、大島本という名がついた。大島雅太郎はさまざまな書物の古写本を収集したため、「大島本」の名で呼ばれる古写本は多くあるが、通常「大島本」と呼ぶ場合は、『源氏物語』のこの写本のことを言う。
本項で、以下「大島本」とは、大島雅太郎旧蔵の『源氏物語』の写本を指す。
『源氏物語』は、紫式部の自筆本が現存せず、また平安時代中期のものと認められる写本も存在しない。その中で藤原定家が校訂した、いわゆる「青表紙本」とされる写本は多く現存する。源氏物語の本文系譜を遡及すると、陽明文庫本源氏物語、保坂本源氏物語等、別本の一部に古態を認める説もあるが、一般には、江戸時代以降、広範に流布した上、近代以降でも、池田亀鑑、石田穣二、阿部秋生らの示唆したように、現存源氏物語諸本は、青表紙本原本に本文系譜遡及の限界を見る考えが浸透していると言える。
現存する青表紙本系統の写本の中で、藤原定家が校訂した本文は、藤原定家自筆本5帖(伝承筆者の帖も含む)が現存する。ついで、定家自筆本を忠実に模したとされる明融臨模本8帖が優先順位第2位。3位に位置するのが、この大島本である。前2者は限られた帖しか現存しないが、大島本は、浮舟帖を除くほぼ全巻が現存する点、および、本文特性の優位性において、出現以来、今日に至るまで、源氏物語諸本中、最も重要な写本であるとされてきた。
来歴
昭和以前
「関屋」巻奥書によれば、室町時代の公卿である飛鳥井雅康(1436年(永享8年)‐1509年(永正6年))が守護大名大内政弘の求めに応じて1481年(文明13年)に作成したとされる。応仁の乱によって京都が戦乱の地となり古典籍を含む多くの文化財が失われた中で、当時都から遠く離れた山口の地を拠点として西国一の守護大名であった大内氏は、歴代当主が文化面でも拠点である山口が「西の京」と呼ばれるのにふさわしくなるべく活動していた。政弘は大内氏歴代当主の中でも最も多くの蔵書を確認できる人物であり、三条西実隆や飛鳥井雅康などに書写を依頼して「山口殿中文庫」、「大内文庫」とも呼ばれる蔵書の充実を図っていた。大島本の「関屋」巻奥書に見える源氏物語写本の作成も、その一環であると考えられる[1]。
但し近年、一部の大島本に見える「宮河」なる印の有無と綴穴の多寡が相関性を有することから、現存本は、複数の祐筆によって、雅康本「関屋」巻を含む吉見家架蔵の諸本[注 1]をそれぞれ書写し、揃いとした写本群であるという見解が提出された[2]。厳密にいえば、雅康本の転写と確言し得るのは「関屋」巻だけで、他の52帖の書本の素性は不明と言うことになる。
現存本53帖は、「夢浮橋」巻奥書によって、1564年(永禄7年)頃、大内氏の家臣であり、大内氏が滅びた後毛利氏の家臣となった石見の豪族吉見氏の当主吉見正頼が揃えた、本来、54帖の写本であると記されている。
いっぽう、本写本が雅康自筆本であるとする池田亀鑑説を前提として、大内氏から吉見氏の元に移った経緯について、大内政弘の子大内義興と吉見正頼の娘大宮姫との婚儀の際に嫁入り道具として贈られたとする説もある[3]。
ただし、本写本の書誌から確実なことは、吉見正頼が毛利と尼子の和議調停に奔走したことで知られる聖護院第25代門跡である道増(1508年(永正5年)-1571年(元亀2年))とその甥道澄(1544年(天文13年)-1608年(慶長13年))の書写による桐壺の巻と夢浮橋の巻を加え、大内政弘旧蔵一条兼良筆河内本で本文を校合し、兼良の子・良鎮大僧正の注記を加えたと言う両巻奥書に記された事実のみである。
その後、昭和初めまでの来歴は一切不明とされてきたが、上原作和は、1930年(昭和5年)頃までこの写本を保有していた、佐渡貝塚田中家を特定したとして、その前所有者を長州藩毛利家、さらにその前所有者を吉見氏を継承した大野毛利家と遡及的にこれを推定している[4]。また、大島本が佐渡に渡った時期は、『海舟日記』から毛利家の家財整理がなされた1890年(明治23年)とし、この家財整理は勝海舟が主導し、最後の佐渡奉行鈴木重嶺が田中家に周旋したと類推した。これは、鈴木重嶺の短歌結社「詞林」同人が、重嶺の没後、佐佐木信綱「心の花」に合流したほどの歌縁を根拠とする。大島本の佐渡時代の所有者・貝塚田中家は医業、薬業のかたわら和歌をたしなみ、当主・田中穂積、義兄・加藤瑞軒が鈴木重嶺、佐佐木信綱に師事していることによる類推であると言う。ちなみに、のちの所有者・大島雅太郎も「心の花」 同人であった。
いっぽう、藤本孝一は、本写本の全体にわたって、複数の異なる筆跡によるおびただしい本文の補訂の後が見られることから、死蔵されることなく読まれ続けていたと考えている。
昭和初期
1933年(昭和8年)ころ、紀州徳川家の南葵文庫の主事などを務めていた文献学者の高木文のところに佐渡出身の政治家山本悌二郎、前田米蔵、山東誠三郎らの紹介状を持って、佐渡の「田中とみ」なる女性が源氏物語の写本を売りたいと尋ねてきたという[注 2]。調べてみると貴重な写本であることは分かったが、希望する売値があまりに高額[注 3]であったため、誰も容易には手を出せず、さまざまな古書店主らと数次にわたり交渉を行っていたという[6]。
そもそもこの写本は、出現時期と売却交渉時期の齟齬する約3年間、佐佐木信綱を介して池田亀鑑のもとに預けられていたものと考えられる(1932年(昭和7年)11月に開催された東京帝国大学文学部国文学研究室主催の源氏物語展観に、この写本が飛鳥井雅康本として出品、紹介されている)。結局、この写本は、池田の依頼で大島雅太郎のコレクション『青谿書屋』に収まった。ただし、当時写本そのものは池田の桃園文庫が保管し続け、池田は大島本を底本として「校異源氏物語」を完成させた。これにより大島本の内容は広く世に知られるようになった。校異源氏物語において、大島本(と大島河内本)は記号「大」で示される。
第二次世界大戦後
大島雅太郎は戦後になって財閥解体などの影響により経済的に困窮する事態となり、コレクションのほとんどを手放すことになった[7]。コレクションの大部分は国立国会図書館や大島雅太郎の母校である慶應義塾大学の附属図書館に所蔵されることになったが、この「大島本源氏物語」はそれらの中に入っておらず、1947年(昭和22年)頃、東京神田の古書店・一誠堂と反町茂雄を経由して小汀利得のコレクション『小汀文庫』に入った。しかし、このことは当時一般には知られておらず、一時期行方不明とされていた。角田文衞は、本写本が小汀利得のコレクション『小汀文庫』に入ったことを知ったのは、1961年(昭和36年)ころのことであると述べている[8]。
大島本は、1958年(昭和33年)2月8日付けで国の重要文化財に指定された。1968年(昭和43年)に古代学協会が平安博物館を開設するにあたり、角田文衞はその目玉商品として大島本の購入を企て、古代学協会理事でもあった小汀に白羽の矢を立てた。角田は、村口書房の村口四郎を介して購入の交渉を行っている。購入資金400万円は味の素株式会社社長鈴木恭二の寄付により賄い、大島本はここに同協会の所蔵となった[9]。同博物館は1988年(昭和63年)に閉館したが、大島本はそのまま古代学協会が所蔵しており、京都文化博物館に寄託されている。
出版・公開
現在大島本は研究者向けに公開されており、専門家による定期的な調査が行われている[10]他、2008年(平成20年)の9月から10月にかけて源氏物語千年紀を記念して特別展示が行われるなど、しばしば一般公開も行われている。
影印本の一覧については#影印本参照。
池田亀鑑
大島本の内容が最初に世に知られるようになったのは、池田亀鑑の校異源氏物語および源氏物語大成によってである。
池田亀鑑は、1926年(大正15年)4月から河内本系統の写本を元に進めていた源氏物語の校本作成事業の途上で出会った大島本について、「青表紙本中最も信頼すべき一証本であって、その数量において、またその形態・内容において稀有の伝本である」と評価した。そして、この校本作成は1931年(昭和6年)に一度は完成させ、完成記念の展観会まで催された。しかし、大島本の出現により、その原稿を破棄し、改めて大島本を底本にして校本作成を一からやり直すことを決断、約10年をかけて1942年(昭和17年)に『校異源氏物語』を完成させた。ここで池田によって示された大島本に対する評価の高さと『校異源氏物語』の完成度の高さにより、以後、源氏物語の校本は、多くの帖は大島本を底本に使用するのが通例となった[注 4]。
しかし、大島本の本文には、ほぼ全帖にわたって大量、多彩な補訂の跡が残る。これに対し、『校異源氏物語』およびこれを元にした『源氏物語大成 校異篇』では、補訂の存在自体ほとんど明らかにされていない。「底本」本文として翻刻されている本文にも問題の指摘があり、補訂前の本文をそのまま採用している部分もあるが、補訂後の本文を採用している部分もあり、方針は一貫していない。このため、本来の大島本本文の全貌を再現できているとは言えず、現在では『源氏物語大成 校異篇』の本文は「特に精度の高い校本とは言い難い。」[11]「源氏物語大成での補入や訂正箇所についての校異の採用についてはかなりの基準の曖昧さが残る」[12]と評されている。
細部の公開
『新日本古典文学大系 源氏物語』(1993年(平成5年)~1997年(平成9年))において大島本が全面的に底本として採用された際、当該書籍に係わった校注者5人が改めて大島本を直接調査した。この際の調査の成果は、ごく一部の本文上特に注意すべき個所についてのみではあるものの、大島本の写真入りで解説を付して当該書籍に掲載されたことにより、大島本に多くの補訂が加えられていることが初めて明らかにされた。
1996年(平成8年)には全10巻(解説を収めた別巻1巻付き)からなる大島本の影印本が刊行された。これにより、大島本に存在する大量の補訂作業の痕跡を全帖にわたって容易に調べることが出来るようになった。この撮影の際には、綴じ糸を切って各葉を完全に広げた形で撮影を行ったため、綴じ糸近くに存在したためにそれまで見えなかった傍記の存在や、何度も綴り直したために、多いものでは一葉に10個所もの綴じ穴が存在することが明らかになった。
書籍として刊行された影印本はモノクロであったが、写本の撮影そのものはフルカラーで行われており、2007年(平成19年)12月にフルカラーのままのデータを収め、様々な検索機能が付されているDVD-ROM版が刊行された。
各種校訂本での大島本の採用状況
校訂本において基本的に大島本を底本とするものは多いが、全ての帖においてではない。大島本が採用されない巻は、大きく分けて
- 定家自筆本がある巻(花散里、行幸、柏木、早蕨)や明融臨模本がある巻(桐壺、帚木、花宴、若菜上下、柏木、橋姫、浮舟)など大島本より、青表紙本系統の本文系譜上、優位にあると考えられる写本がある巻
- 大島本が欠けている(浮舟)、補写である(桐壺、夢浮橋)、本文が青表紙本でないとされる(初音)など、大島本が問題があるとされる巻
に分けられる[13]。後者を補充するものとして、しばしば池田本が用いられてきた。
大島本には大量の補訂が存在するため、底本に採用する際に「当初書かれたままの本文」を採用するのかそれとも「訂正された本文」を採用するのかの問題が残ることは、源氏物語大成以降も同じである。
現代の学術的な校訂本での大島本の採用状況を示す。
- 新潮日本古典集成 新潮社 1976年(昭和51年)-1985年(昭和60年)
- 下記を除く41帖
- 花散里、行幸、柏木、早蕨は定家自筆本
- 桐壺、帚木、花宴、若菜上下、橋姫、浮舟は明融本
- 初音は池田本
- 手習は為氏本
- 完訳日本の古典 小学館 1983年(昭和58年)
- 下記を除く42帖
- 花散里、行幸、柏木、早蕨は定家自筆本
- 桐壺、帚木、花宴、若菜上下、浮舟は明融本
- 初音、夢浮橋は池田本
- 新編日本古典文学全集 小学館 1994年(平成6年)-1998年(平成10年)
- 下記を除く41帖
- 花散里、行幸、柏木、早蕨は定家自筆本
- 桐壺、帚木、花宴、若菜上下、橋姫、浮舟は明融本
- 初音、夢浮橋は池田本
上記をまとめると以下の表のようになる。なお、池田亀鑑による日本古典全書版源氏物語(朝日新聞社)は校異源氏物語=源氏物語大成とほぼ同じ方針で底本を採用していると見られる[注 5]ものの、巻ごとの底本を明らかにしていないためこの表には掲載していない。
巻序 | 巻名 | 大成 | 評釈 | 全集 | 集成 | 完訳 | 新大系 | 新全集 | 備考 |
出版社 | 中央公論社 | 角川書店 | 小学館 | 新潮社 | 小学館 | 岩波書店 | 小学館 | ||
出版時期 | 1942年 | 1964年-1968年 | 1970年-1976年 | 1976年-1985年 | 1983年 | 1993年-1997年 | 1994年-1998年 | ||
主な編者 | 池田亀鑑 | 玉上琢弥 | 阿部秋生 | 石田穣二 | 阿部秋生 | 室伏信助 | 阿部秋生 | ||
大島本採用帖数 | 47帖 | 42帖 | 51帖 | 41帖 | 42帖 | 53帖 | 41帖 | ||
1 | 桐壺 | 池田本 | 明融本 | 明融本 | 明融本 | 明融本 | 大島本 | 明融本 | 大島本補写・明融臨模本あり |
2 | 帚木 | 大島本 | 明融本 | 大島本 | 明融本 | 明融本 | 大島本 | 明融本 | 明融臨模本あり |
3 - 7 | 空蝉 - 紅葉賀 |
大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | |
8 | 花宴 | 大島本 | 明融本 | 大島本 | 明融本 | 明融本 | 大島本 | 明融本 | 明融臨模本あり |
9, 10 | 葵、 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | |
11 | 花散里 | 定家本 | 定家本 | 大島本 | 定家本 | 定家本 | 大島本 | 定家本 | 定家本あり |
12 - 22 | 須磨 - 玉鬘 |
大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | |
23 | 初音 | 池田本 | 池田本 | 陽明文庫本 | 池田本 | 大島本 | 大島本 | 池田本 | 大島本が別本 |
24 - 27 | 胡蝶 -篝火 |
大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | |
28 | 野分 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 定家本 | 定家本あり |
29 | 行幸 | 大島本 | 定家本 | 大島本 | 定家本 | 定家本 | 大島本 | 大島本 | 定家本あり |
30 - 33 | 藤袴 - 藤裏葉 |
大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | |
34 | 若菜上 | 大島本 | 明融本 | 大島本 | 明融本 | 明融本 | 大島本 | 明融本 | 明融臨模本あり |
35 | 若菜下 | 大島本 | 明融本 | 大島本 | 明融本 | 明融本 | 大島本 | 明融本 | 明融臨模本あり |
36 | 柏木 | 定家本 | 定家本 | 大島本 | 定家本 | 定家本 | 大島本 | 定家本 | 定家本、明融臨模本ともにあり |
37 - 44 | 横笛 -竹河 |
大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | |
45 | 橋姫 | 大島本 | 明融本 | 大島本 | 明融本 | 大島本 | 大島本 | 明融本 | 明融臨模本あり |
46, 47 | 椎本、 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | |
48 | 早蕨 | 定家本 | 定家本 | 大島本 | 定家本 | 定家本 | 大島本 | 定家本 | 定家本あり |
49, 50 | 宿木、 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | |
51 | 浮舟 | 池田本 | 明融本 | 明融本 | 明融本 | 明融本 | 明融本 | 明融本 | 大島本欠・明融臨模本あり |
52 | 蜻蛉 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | |
53 | 手習 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 為氏本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本の本文に問題があるともされる。 |
54 | 夢浮橋 | 池田本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 大島本 | 池田本 | 大島本が補写とされる |
1999年(平成11年)に出版された『CD-ROM 角川古典大観 源氏物語』(角川文庫)においては、代表的な青表紙本の本文を持つとされる写本である大島本、代表的な河内本の本文を持つとされる写本である尾州家河内本、代表的な別本の本文を持つとされる写本である陽明文庫本と保坂本の本文が電子データで収録されており、これら4写本の本文を、同時に並べて比較できるようになっている
なお、別本を主体とする校本である『源氏物語別本集成』(おうふう)においては「別本としての本文の位置づけを明らかにする」ために代表的な青表紙本について全帖にわたって対校しているが[14]、その際「代表的な青表紙本」として、浮舟を除いた若紫巻から夢浮橋巻までの49帖については大島本を使用している[注 6]。
大島本を底本としていない校訂本・校本
源氏物語の校訂本・校本において多くの巻において大島本を底本とすることが主流となって以後にも大島本を底本としないものも以下のように若干作成されている。
- 山岸徳平による「日本古典文学大系版源氏物語」では宮内庁書陵部蔵三条西家本を底本としている。これは、「新日本古典文学大系版源氏物語」(これは、大島本を底本とする)の刊行に伴って絶版となったが、同じ本文で注釈等を簡単にした軽装版にあたる岩波文庫版はその後も刊行され続けている。
- 今泉忠義による桜楓社版源氏物語(のち講談社学術文庫)では首書源氏物語を底本としている。
注釈
出典
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- ^ a b c d e 佐々木孝浩「「大島本源氏物語」に関する書誌学的考察」「斯道文庫論集」第41輯(慶應義塾大学斯道文庫、2007年(平成19年)2月28日)pp.165-200、『大島本源氏物語の再検討』(和泉書院、2009年(平成21年)10月)ISBN 978-4757605299 所収。
- ^ 田坂憲二 「大島本源氏物語をめぐって -その伝来過程を中心に-」『香椎潟』第33号、福岡女子大学、1987年(昭和62年)9月25日、pp. 13-26。のち『源氏物語享受史論考』風間書房、2009年(平成21年)10月、pp. 484-505。ISBN 978-4-7599-1754-3、柳井滋「大島本『源氏物語』の書写と伝来」新日本古典文学大系『源氏物語』第1巻、解説、岩波書店、1993年(平成5年)、上原作和「青表紙本『源氏物語』原論 青表紙本系伝本の本文批判とその方法論的課題」王朝物語研究会編『論叢源氏物語 4 本文と表現』新典社、2002年(平成14年)5月、pp. 17-78。ISBN 4-7879-4923-3 のち『光源氏物語學藝史 右書左琴の思想』翰林書房、2005年(平成17年)5月、pp. 134-179。ISBN 978-4-87737-229-3
- ^ 上原作和「佐渡時代の大島本『源氏物語』と桃園文庫」『光源氏物語傳來史』武蔵野書院、2011年(平成23年)11月、pp…142-161、286‐312。ISBN 978-4-838-60256-8
- ^ 『源氏物語』の佐渡時代保有者は千利休の末裔か。物語研究会11月例会 佐渡の大島本『源氏物語』のことなど 坂口昭一・上原作和、上原作和「佐渡時代の大島本『源氏物語』と桃園文庫」『光源氏物語傳來史』武蔵野書院、2011年(平成23年)11月、pp…142-161、286‐312。ISBN 978-4-838-60256-8
- ^ 高木文「賜架書屋随筆」『書物展望』第5巻第8号(通号第50号)、書物展望社、1935年(昭和10年)8月、pp. 126-129。
- ^ 反町茂雄「源氏物語蒐集と池田亀鑑さんと」『定本 天理図書館の善本稀書 一古書肆の思い出』八木書店、1981年(昭和56年)7月、pp. 149-173。
- ^ 角田文衞「大島本源氏物語の由来」『古代文化』第44巻第5号、1992年(平成4年)5月。のち『影印本大島本源氏物語』の別巻解説 および『紫式部伝 その生涯と源氏物語』法藏館、2007年(平成19年)1月25日、pp. 591-598。ISBN 978-4-8318-7664-5 に収録。
- ^ 藤本孝一「大島本の名称」『日本の美術 第468号 「定家本源氏物語」冊子本の姿』至文堂、2005年(平成17年)4月、p.28。ISBN 978-4784334681
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- ^ 北川忠彦・西浦甲佐子翻刻「天理図書館蔵大島本平家物語巻十二」『ビブリア 天理図書館報』第79号、天理大学出版部、1982年(昭和57年)10月、pp. 84-117。
- ^ 久保木秀夫「『伊勢物語』大島本奥書再読」谷知子・田渕句美子編著『平安文学をいかに読み直すか』笠間書院、2012年(平成24年)10月25日、pp. 10-37。ISBN 978-4-3057-0678-2
- ^ 加藤昌嘉「源氏物語古系図の中の巣守」陣野英則・新美哲彦・横溝博編『平安文学の古注釈と受容 第二集』武蔵野書院、2009年(平成21年)10月、pp. 17-34。ISBN 978-4-8386-0237-7
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