大久保利通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 06:44 UTC 版)
系譜
- 大久保氏
- 明確ではないが藤原氏末流を称している。家紋は左三つ藤巴。戦国時代末に京都から薩摩に移るというが、系図は貞享年間に市来郷川上(現在の鹿児島県いちき串木野市)に中宿(城下に籍を残したまま他郷へ移住すること)した大久保仲兵衛より始まる。明治11年(1878年)5月23日、明治天皇の特旨により、大久保家は木戸孝允の木戸家とともに華族に列した。勲功のみによって華族令公布以前に華族に列したのは広沢真臣の広沢家とこの2家のみである。明治17年(1884年)の華族令公布時には当主大久保利和は侯爵に叙された。
家族・子孫
子供は正妻との間に四男一女、妾との間に四男をもうけた[70]。
大久保の孫の大久保利謙は日本近代史家、国立国会図書館憲政資料室の成立に寄与した。もう一人の孫である大久保利春は、丸紅の専務で、1976年のロッキード事件に際しては贈賄側の一人として逮捕・起訴され、有罪判決を受けた。「じいさんにあわせる顔がない」が口癖だったという。大久保利春の姉妹であるユリコは、夫が安田一(安田財閥当主)、子に安田弘(安田不動産顧問等)。
曾孫に吉田健一(作家)、杉山淑子(ホーネンコーポレーション元社長杉山元太郎(杉山金太郎長男)夫人)、大久保利晃(放射線影響研究所理事長、元産業医科大学学長)、玄孫に寬仁親王妃信子、麻生太郎(第92代内閣総理大臣)、武見敬三(参議院議員)、来孫に堀内詔子(衆議院議員)、千聖(ミュージシャン)がいる。
父・利世の沖永良部島時代の島妻の子孫に植村花菜がいる[72]。
注釈
出典
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「大久保利通」
- ^ 『伊藤博文』羽生道英 PHP研究所 2004 133頁
- ^ 『日本人の覚悟』嶌信彦 実業之日本社 2014 58頁
- ^ 『早わかり幕末維新 ビジュアル図解でわかる時代の流れ!』外川淳 実業之日本社 2009 297頁
- ^ 毛利敏彦『大久保利通』(中公新書)、5頁
- ^ 勝田孫彌『甲東逸話』冨山房、1928年 附録「甲東年譜」p.11
- ^ a b 勝田孫彌『甲東逸話』冨山房、1928年 附録「甲東年譜」p.12
- ^ a b 勝田孫彌『甲東逸話』冨山房、1928年 附録「甲東年譜」p.13
- ^ a b 勝田孫彌『甲東逸話』冨山房、1928年 附録「甲東年譜」pp.13-14
- ^ 勝田孫彌『甲東逸話』冨山房、1928年 p.280
- ^ 大久保利通日記1
- ^ 寺島成信『帝国海運政策論』巌松堂書店、1923年、第二篇「本邦海運政策の沿革」第一章「海運政策の変遷」第一期「本邦海運の萌芽発育時代(明治維新より日清戦役に至る)」二「本邦海運政策の濫觴」に、「八年五月大久保内務卿の建議」「八年九月三菱に対する政府命令書と航海補助金」「本邦近代的海運政策の起原」「三菱と米英船との競争」の項。
- ^ 逓信省『逓信事業史 第6巻』逓信協会、1941年、第十篇「管船」第三章「海運及造船事業に関する政策及法令」第一節「明治前期」第三款「大久保内務卿の海運政策樹立建白」。
- ^ 勝田政治 『“政事家”大久保利通―近代日本の設計者 』講談社選書メチエ、2003年、第五章「征韓論政変」3「国家目標としての民力養成論」イギリスをモデルに
- ^ 遠矢浩規『利通暗殺 紀尾井町事件の基礎的研究』(行人社、1986年)
- ^ 勝田(2003) p.19/127
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)58頁
- ^ 佐々木克 2004, p. 62-65、77-79.
- ^ “歴史秘話ヒストリア”. NHK. 2021年7月17日閲覧。
- ^ 『大隈侯一言一行』近代デジタルライブラリー『大隈侯一言一行』
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- ^ Exslt 社 2023年8月24日
- ^ 鈴木鶴子『江藤新平と明治維新』
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- ^ 中西進監修『実はこの人こんな人』 四季社、2002年4月10日、ISBN 4-88405-126-2 C1023
- ^ 佐々木克 2004, p. 36-38、52、73-75.
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- ^ 『済世遺言』
- ^ 佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家』山川出版社〈日本史リブレット〉人72、2009年
- ^ a b 『甲東逸話』
- ^ 『逸事史補』
- ^ 『氷川清話』P359
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- ^ 『大隈伯演説座談』近代デジタルライブラリー
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- ^ a b 『伊藤候井上伯山縣候元勲談』
- ^ a b c 『大久保利通之一生』近代デジタルライブラリー
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- ^ 『中江兆民全集』
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- ^ 『実験論語処世談』10. 器ならざりし大久保利通
- ^ 『実験論語処世談』14. 木戸先生と大久保卿
- ^ 『雨夜譚会談話筆記』
- ^ 『生きている歴史』P85
- ^ 『小野梓全集』
- ^ 『近世偉人百話[正編]』
- ^ 『日本の有名一族―近代エスタブリッシュメントの系図集』小谷野敦 (幻冬舎新書) p14
- ^ 故大久保の愛妾男子を出生『新聞集成明治編年史. 第三卷』新聞集成明治編年史編纂会 編 (林泉社, 1940) p468
- ^ “植村花菜のルーツは大久保利通!祖母の故郷で知る”. スポニチAnnex. 2015年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月10日閲覧。
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